婚約破棄された悪役令嬢(仮)ですが、なぜか餌付けされました。

猫宮かろん

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「好条件、ですか」

私はぴくりと眉を動かした。
その言葉は、私の大好物である。

目の前には、隣国ガレリアの「冷徹公爵」ことアレクセイ・ドラグノフ様。
彼は獲物を狙う猛獣のような瞳で、私を見下ろしている。

普通なら恐怖で震える場面かもしれない。
だが、今の私は、王太子との婚約破棄という名の「大型プロジェクト」を成功させ、フリーランスになったばかりの身だ。
いかなる商談もウェルカムである。

「具体的には?」

私は即座に切り返した。
食い気味な反応に、アレクセイ様が少し驚いたように目を見開く。

「……話が早くて助かる。単刀直入に言おう。我が領地に来て、私の『パートナー』になってほしい」

「パートナー、といいますと? 共同経営者? それとも筆頭補佐官でしょうか?」

「まあ、似たようなものだ」

彼が曖昧に頷く。
なるほど、公爵領の経営補佐か。
ガレリア国は極寒の地にある軍事国家。
質実剛健な気風だが、内政や経済面では課題も多いと聞く。
私の事務処理能力と、趣味の魔道具開発スキルを見込んでのスカウトだろう。

私は頭の中でそろばんを弾いた。
クラーク殿下の元での労働環境は最悪だった。
給与は「将来の王妃という名誉」という現物支給のみ(実質ゼロ)。
残業代も出なければ、福利厚生もなし。
まさにブラック企業の極みだった。

それに比べて、目の前の公爵様は羽振りが良さそうだ。

「希望条件を提示しても?」

「ああ、何でも言ってみろ」

「では」

私は指を一本ずつ立てて条件を列挙し始めた。

「一、給与は金貨で月額五〇枚。ボーナスは年二回、業績に応じて変動」

「承認する」

即答だった。
私は眉を上げた。
相場の三倍は吹っかけたのだが。

「二、完全週休二日制。ただし緊急時は別途手当支給で対応します」

「構わない。働き詰めでは効率が落ちるからな」

理解がある!
素晴らしい、上司の鏡だ。

「三、これが最も重要ですが……福利厚生として、研究資材の自由な調達権と、専用の工房(ラボ)を要求します。私、趣味で魔道具をいじりますので」

「ほう? 魔道具か。……いいだろう。領内の素材は好きに使っていい。氷漬けになった魔獣の死骸なら山ほどある」

「最高です!」

私は思わずガッツポーズをした。
氷属性の魔獣素材は、この国では高値で取引されるレアアイテムだ。
それが使い放題?
研究者にとっての天国ではないか。

「交渉成立ですね、閣下」

「ああ。……それで、いつ来る?」

「今からでも」

「は?」

アレクセイ様が素っ頓狂な声を上げた。

「善は急げです。このまま実家に戻って荷物をまとめますので、馬車の手配をお願いできますか? 一時間後には出発できます」

「い、一時間……?」

「遅すぎますか? では三〇分で」

「いや、そうではないが……まあいい。君のその行動力、実に気に入った」

アレクセイ様は楽しそうに口角を上げると、背後に控えていた側近に目配せをした。

「おい、馬車を回せ。それと国境の警備隊に連絡を入れておけ。『とんでもない宝を持ち帰る』とな」

「はっ!」

側近たちが慌ただしく動き出す。
私はもう一度、しっかりとアレクセイ様と握手を交わした。

「では後ほど。あ、クラーク殿下たちが何か言っていますが、無視して大丈夫ですよね?」

背後では、まだクラーク殿下が「おい待て! 無視するな! 俺の話を聞け!」と騒いでいるが、雑音として処理する。

「ああ、気にするな。あの男の相手をする時間は人生の損失だ」

「完全に同意します」

私たちは意気投合して頷き合った。

     * * *

王城を出た私は、辻馬車を拾って実家の公爵邸へと戻った。
時刻は深夜に近いが、我が家はまだ明るい。

「ただいま戻りましたー!」

玄関の扉を勢いよく開ける。
すると、屋敷の中からドスドスと重い足音が響き、父と母が現れた。

父は騎士団長も務める巨漢で、筋肉の鎧を着ているような男。
母も元女騎士で、現役時代は「戦場の赤い閃光」と呼ばれた猛者だ。
我がローゼン家は代々、脳みそまで筋肉でできていると言われる武闘派一族なのである。
私だけがなぜか、インドア派のガリ勉に育った突然変異種だった。

「おお、ミーナか! 早いお帰りだな!」

父が丸太のような腕を組んでガハハと笑う。

「夜会はどうだった? あの軟弱な王太子、ひねり潰してきたか?」

「物理的には潰していませんが、社会的には抹殺してきました」

私は簡潔に報告した。

「婚約破棄されました。慰謝料ガッポリです」

その瞬間、両親の顔がパァアアと輝いた。

「でかした!!」

父が私の背中をバンと叩く。
衝撃で肺が飛び出るかと思った。

「よくやったぞミーナ! あんなナヨナヨした男、お前の婿には相応しくないとずっと思っていたんだ!」

「そうよぉ~! あの子、剣も振れないもやしっ子だもの。ミーナの遺伝子が弱くなっちゃうわ」

母も嬉しそうに手を合わせる。
この親にしてこの娘あり、である。
「王家に嫁げない」という悲壮感は、我が家には1ミリも存在しなかった。

「それでだな、父様、母様。私、転職先が決まりました」

「転職? 再婚じゃなくてか?」

「隣国のドラグノフ公爵家です。好条件でヘッドハンティングされました」

「ガレリアか! あそこはいいぞ、骨のある男が多い!」

父が親指を立てる。

「これから引っ越します。向こうの馬車が迎えに来るので」

「いつだ?」

「今です」

「よし!」

父と母は顔を見合わせると、同時に叫んだ。

「総員、配置につけぇぇぇ!! ミーナの出撃準備だぁぁ!!」

「「「イエッサー!!」」」

どこからともなく現れた、これまた筋骨隆々な使用人たち(我が家ではメイドもベンチプレス一〇〇キロを上げる)が一斉に動き出した。

「タンスの中身を全部出せ!」
「本は紐で縛れ! 三秒でやれ!」
「実験器具は緩衝材で包め! 割ったら腕立て一〇〇〇回だぞ!」

怒号と轟音が飛び交う中、私の荷造りは驚異的なスピードで進んでいく。
私も自室に入り、重要な魔道書と開発中の試作品をトランクに放り込んだ。

(……この部屋ともお別れか)

少しだけ感傷に浸ろうとしたが、父が「ミーナ! この机も持っていくか!?」と学習机を片手で持ち上げて現れたので、気分が台無しになった。

「いりません! 向こうで買わせます!」

「そうか! じゃあ窓から投げ捨てるぞ!」

「捨てないでください! 後で売りますから!」

そんなドタバタ劇を繰り広げること、わずか二〇分。
玄関先には山のような荷物が積み上がっていた。

ちょうどそこに、アレクセイ様の紋章が入った豪勢な馬車が到着する。
御者台に乗っていた騎士が、呆然とした顔でこちらを見ていた。

「……あの、お迎えに上がりましたが……これは?」

「私の荷物です。さあ、積んでください」

「えっ、全部? これ全部ですか? 夜逃げでもする気で?」

「正規の手続きによる移住です。積み込みはうちの者がやりますので、下がっていてください」

私が合図をすると、父と使用人たちが「うおおおお!」と叫びながら荷物を馬車へ放り込んでいく。
テトリスのように隙間なく詰め込まれていく様は、まさに職人芸だった。

「……よし、完了だ」

父が額の汗を拭う。

「ミーナよ。体には気をつけるんだぞ。向こうで文句を言ってくる奴がいたら、迷わずそのインテリジェンスな屁理屈で論破してやれ」

「はい、父様」

「寂しくなったらいつでも帰ってこい。クラークの野郎が追いかけてきたら、父さんが国境で『うっかり』素振りをして追い返してやるからな」

「頼もしいです」

私は両親とハグを交わし、馬車へと乗り込んだ。
生まれ育った国、そして実家。
未練がないわけではない。
だが、それ以上にワクワクしていた。

「新しい職場、新しい研究素材……そして、高額納税者への道!」

未来は明るい。
馬車が動き出すと、私は窓から身を乗り出して手を振った。

「行ってきます! 慰謝料の振込確認だけ、よろしくお願いしまーす!」

こうして私は、台風のように実家を去り、隣国への旅路についたのである。

しかし。
馬車の中で一息ついた私は、ふと重大なことに気がついた。

(……あれ? そういえばアレクセイ様、『パートナー』って言っていたけれど……)

契約書も交わしていない口約束だ。
もし向こうに着いてから「やっぱりメイドから始めてくれ」なんて言われたら労働法違反で訴える準備をしなければ。

そんなことを考えていると、向かいの席に座っていたアレクセイ様の側近(荷物の隙間に埋もれている)が、申し訳なさそうに声をかけてきた。

「あの……ミーナ様」

「はい、なんでしょう? 残業代の申請ですか?」

「いえ、そうではなく……。閣下から『これを渡しておけ』と」

差し出されたのは、一輪の薔薇の花だった。
しかも、ただの薔薇ではない。
花弁が宝石のように輝く、魔力加工された「永久氷薔薇(エターナル・アイス・ローズ)」だ。
花言葉は確か――『永遠の愛』。

「……これは?」

「『歓迎の意を表して』とのことですが……閣下、顔を真っ赤にしておられましたよ」

「はあ。高価な素材ですね。砕いて粉末にすれば強力な冷却剤になりそうです」

「…………」

側近が哀れなものを見る目で私を見て沈黙した。
なぜだ。

こうして、私の勘違いとアレクセイ様の空回りを乗せた馬車は、雪深い北の国へとひた走るのだった。
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