婚約破棄された悪役令嬢(仮)ですが、なぜか餌付けされました。

猫宮かろん

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嵐のような両親が去り、公爵邸に再び平和な(しかし以前より少し賑やかな)日常が戻ってきたある日の夜。

「ミーナ。少し、付き合ってくれないか」

夕食後、アレクセイ閣下が私を誘った。
行き先は屋敷の裏手にある「氷華の温室」。
ここは、ガレリア特有の「氷の中で咲く花」を集めた植物園で、夜になると花々が月光を吸って淡く発光する、幻想的な場所だ。

「綺麗なところですね。……発光バクテリアの作用でしょうか? それとも花粉に蛍光成分が?」

私が花の周りをウロウロしながら観察していると、ベンチに腰掛けた閣下が苦笑した。

「……君は、相変わらずムードがないな」

「ムードで花は光りませんから。化学反応です」

「まあいい。こっちへ来て座れ」

彼が隣をポンポンと叩く。
私は大人しく従い、彼の隣に腰を下ろした。
温室の中は適度な暖かさに保たれており(私の調整のおかげだ)、静寂が心地よい。

「……ミーナ」

「はい」

「君がここに来て、もうすぐ一ヶ月になるな」

「そうですね。業務改善の進捗率は順調です。屋敷の断熱化は八割完了、騎士団の装備見直しも終わりました。現在は領内の物流システムの最適化に着手しています」

私が淡々と成果報告をすると、彼は「そうじゃない」と首を振った。

「仕事の話ではない。……君自身の気持ちの話だ」

「私の気持ち、ですか?」

「ああ。……このガレリアでの生活を、君はどう思っている?」

彼は真剣な眼差しで私を見つめてきた。
アイスブルーの瞳が、揺れるように輝いている。

私は少し考えた。
どう思っているか。
答えは明白だ。

「快適(コンフォータブル)、の一言に尽きます」

「……快適?」

「はい。私の提案は即座に採用され、必要な予算は潤沢に下りる。食事は美味しく、コタツは暖かく、そして何より……」

私は彼の方を向いた。

「経営者(ボス)である閣下が、私を正当に評価してくださいますから。これ以上の職場環境はありません」

私の言葉に、彼は少しだけ寂しそうな、けれど嬉しそうな複雑な笑みを浮かべた。

「そうか。……なら、提案がある」

彼は私の手を取り、その指にそっと口づけを落とした。
長い睫毛が震えている。
緊張しているのだろうか?

「ミーナ。私との契約を……更新しないか?」

「契約更新?」

私はピクリと反応した。
確かに、現在の雇用契約(という名の婚約者のふり)は口約束ベースで、期間も曖昧だ。
ビジネスにおいて契約の曖昧さはトラブルの元である。

「具体的条件は?」

私が身を乗り出すと、彼は意を決したように言った。

「期間は、無期限だ」

「無期限……つまり、無期雇用契約への転換ですね?」

「……まあ、そうだ。そして、業務内容はこれまでのものに加え……私の人生のすべてを共有してほしい」

「人生の共有……?」

「ああ。苦しい時も、楽しい時も、常に隣にいてほしい。君が望むなら、私の財産も、地位も、この命さえも君に預ける」

彼の声は熱を帯びていた。

「他の誰でもない。君がいいんだ、ミーナ。……私と、永遠のパートナーになってくれないか?」

ドキン。
心臓が大きく跳ねた。
これは、一般的に言うところの「愛の告白」あるいは「プロポーズ」というやつではないだろうか?

しかし、待て。
私は合理主義者だ。
感情に流されて契約内容を誤認してはいけない。
彼の言葉をビジネス用語に翻訳するなら……。

『正規雇用(正社員)への登用。役職は共同経営者(パートナー)。全財産の管理権限付き。ただし拘束時間は二四時間三六五日(永遠)』

(……ものすごい重責ですね)

私はゴクリと喉を鳴らした。
だが、条件は破格だ。
これほどの好条件、他の国を探しても絶対に見つからないだろう。

「……分かりました」

私は深呼吸をして、キリッと表情を引き締めた。

「そのオファー、謹んでお受けいたします!」

「本当か!?」

彼の顔がパァッと輝く。

「はい! では早速、契約書を作成しましょう!」

私はドレスのポケットからメモ帳とペンを取り出した。

「えっ、今?」

「当然です! 言った言わないの水掛け論は回避すべきですから! えーと、まず契約形態は『終身雇用』ですね。試用期間は終了ということで」

「……しゅうしんこよう……」

「報酬は『閣下の全て』とのことですが、税務処理が面倒なので『公爵家資産の共同運用権』としておきます。あと、重要なのが福利厚生です」

私はペンを走らせる。

「『乙(ミーナ)は甲(アレクセイ)に対し、いかなる時も効率的な助言を行う義務を負う。ただし、甲は乙に対し、定期的な糖分補給(ケーキ)と、研究資材の無制限提供を保証するものとする』……これでどうでしょう?」

「…………」

アレクセイ閣下は、遠い目をして天井を見上げていた。

「……ミーナ」

「はい、何か修正点は?」

「いや……もういい。君らしいよ」

彼は諦めたように笑い、私の手からペンを取ると、メモ帳の隅にサラサラとサインをした。

「異存はない。これで私は、君に一生飼われるわけだ」

「飼われる? いえ、共同経営ですよ?」

「ふっ……違いはないさ」

彼は優しく私を引き寄せ、抱きしめた。
温かい。
コタツよりも、カイロよりも、ずっと安心する温度。

「契約成立だ。……もう逃がさないからな」

耳元で囁かれた言葉に、私は「逃げるつもりはありませんよ、退職金をもらうまでは」と返そうとしたが、空気を読んで飲み込んだ。
この不規則な心拍の高鳴りが収まるまでは、黙っておくのが賢明だと思ったからだ。

     * * *

こうして、私たちは(私の認識では)最強のビジネスパートナーとして、(彼の認識では)婚約者として、新たな一歩を踏み出した。

はずだった。

翌朝。
その平穏を打ち砕く報告が舞い込んだのは。

「閣下! ミーナ様! 緊急事態です!」

執務室に飛び込んできたのは、国境警備隊からの伝令兵だった。
彼は息を切らし、一枚の羊皮紙を差し出した。

「隣国……クラーク王太子の使いより、書簡が届きました!」

「クラーク?」

私は眉をひそめた。
あの元婚約者、まだ何か用があるのか。
慰謝料は一括で振り込まれたはずだが。

アレクセイ閣下が書簡を開き、一読する。
その表情が、みるみるうちに険しくなり、そして呆れ果てたものへと変わっていった。

「……なんだ、これは」

「何と書いてあるのです?」

「読んでみろ」

渡された手紙には、震えるような文字でこう書かれていた。

『拝啓 ミーナへ
 元気だろうか。僕は元気ではない。
 君がいなくなってから、国が滅びそうだ。
 リリィが「雨乞いの儀式」と称して王宮の庭を水浸しにし、建物の地盤が沈下した。
 宰相は胃に穴が空いて倒れた。
 僕ももう限界だ。
 
 頼む。戻ってきてくれ。
 今なら「側室」としての地位を用意してやってもいい。
 これが最後のチャンスだ。
 一週間以内に返答がなければ、僕自ら迎えに行く。
 軍を率いてな。
 
 愛する元婚約者 クラークより』

「…………」

私は無言で手紙を丸め、近くにあった暖炉に放り込んだ。

ボッ。
一瞬で灰になる。

「……見なかったことにしましょう」

「そうもいかんぞ、ミーナ」

アレクセイ閣下がこめかみを押さえている。

「『軍を率いて』とある。奴は本気で、君を取り戻すために戦争を仕掛けてくる気かもしれん」

「バカなのですか? 一人の女のために国家予算を使って軍を動かす? コストパフォーマンスが悪すぎます!」

「ああ、バカなのだ。……君も知っているだろう?」

「……否定できません」

かつての上司の無能さを思い出し、私は頭痛を覚えた。
平和なガレリアでの生活、私の快適な研究ライフ、そしてアレクセイとの「終身雇用契約」。
それら全てを、あのバカ王子が脅かそうとしている。

「許せませんね」

私は立ち上がった。
計算機を片手に、パチンと弾く。

「私の平穏を乱す害悪(バグ)は、徹底的に排除(デバッグ)します。閣下、迎撃の準備を」

「戦うのか?」

「いいえ。向こうが軍で来るなら、こちらは『請求書』で戦います」

私はニヤリと、悪役令嬢らしい笑みを浮かべた。

「国家賠償レベルの慰謝料パート2を、むしり取って差し上げましょう」

アレクセイ閣下は、やれやれと首を振りつつも、その目は楽しそうに輝いていた。

「分かった。全軍に通達しよう。『我らがボス(ミーナ)の安眠を妨げる者は、誰であろうと排除せよ』とな」

こうして、私たちの愛の契約(?)を邪魔する元婚約者との、仁義なき戦いが幕を開けようとしていた。
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