婚約破棄された悪役令嬢(仮)ですが、なぜか餌付けされました。

猫宮かろん

文字の大きさ
14 / 28

14

しおりを挟む
「諸君。状況は切迫している」

ガレリア公爵城、大会議室。
重苦しい空気の中、アレクセイ閣下が円卓の中心で告げた。
周囲には、歴戦の騎士団長や将軍たちが険しい顔で座っている。

「隣国アークランドのクラーク王太子が、国境付近に軍を展開しつつあるとの報告が入った。名目は『人質の奪還』……つまり、我が領にいるミーナの引き渡し要求だ」

ドンッ!
一人の将軍が机を叩いた。

「ふざけた真似を! ミーナ様は正式な手続きを経て我が国に移住された。それを人質などと、言いがかりにも程がある!」

「そうだ! 我らが『ボスの女』を渡してたまるか!」
「全面戦争だ! 雪原を奴らの血で赤く染めてやる!」

血気盛んな武官たちが殺気立つ。
ミーナ親衛隊と化した彼らは、今にも飛び出していきそうな勢いだ。

しかし。

「待ってください。却下です」

冷ややかな声が、熱気を断ち切った。
部屋の隅で、電卓を叩いていた私である。

「ミーナ様? しかし、奴らは軍隊を……」

「軍隊? あんなもの、ただの『集団遠足』ですよ」

私は立ち上がり、ホワイトボードの前に立った。

「現在の隣国の財政状況を説明します。私が退職(婚約破棄)した時点で、王室予算の予備費はほぼ底をついていました。さらに、リリィ様がドレスや宝石を乱発注したせいで、赤字国債の発行が秒読みです」

キュッキュッ、とマーカーでグラフを描く。
右肩下がりの悲惨なグラフだ。

「つまり、彼らには長期的な遠征を行う兵糧も資金もありません。国境まで来るのが限界でしょう。ここで我々が軍を出して衝突すれば、無駄な消耗戦となり、こちらのコストがかさむだけです」

「で、ではどうすれば……?」

「簡単です」

私はニヤリと笑った。
悪役令嬢としての本領発揮だ。

「兵站を攻めるのではありません。『メンタル』と『財布』を攻めるのです」

私は手元の分厚いファイルを、ドサリと机に置いた。

「これは?」

アレクセイ閣下がファイルを手に取る。

「『対クラーク王太子用・精神破壊兵器(黒歴史ファイル)』です」

「……黒歴史?」

「はい。彼が過去に私に送ってきた『ポエムのような恋文』一〇〇選、リリィ様との浮気現場の音声データ、そして公務をサボって描いた『僕の考えた最強の騎士団』という恥ずかしい落書きの写し……これらをすべて保管してあります」

「…………」

会議室が静まり返った。
将軍たちが、恐怖で震え上がっている。
「剣で斬られるより痛い……」という呟きが聞こえた。

「これを大音量の拡声器で国境中に流します。王太子の威厳は地に落ち、兵士たちの士気は崩壊するでしょう」

「えげつないな……」

アレクセイ閣下が顔を引きつらせている。

「さらに、第二の矢としてこれを用意しました」

私は別の書類の束を取り出した。

「『特別損害賠償請求書・改』です。今回の騒動による私の精神的苦痛、営業妨害、および避難にかかる経費……これらを分単位で加算し、相手国に請求します。支払いが滞った場合、担保として『王太子の王位継承権』を差し押さえる条項を盛り込みました」

「そ、そんなことが国際法上可能なのか!?」

「可能です。私が昨日、徹夜で条文の抜け穴を見つけて書き換えましたから」

私は胸を張った。
法とは、知る者の味方なのだ。

「結論として、我々がやるべきことは一つ。……強固な砦に引きこもり、暖炉で温かいお茶を飲みながら、相手が自滅するのを高みの見物することです」

「……」

アレクセイ閣下が、深く深くため息をついた。
そして、ゆっくりと口を開いた。

「……聞いたか、諸君」

「は、はっ!」

「我々のボス(ミーナ)は、血を流さずに勝つと言っている。……これほど頼もしい、いや、恐ろしい軍師はいまい」

閣下は立ち上がり、私の肩に手を置いた。

「採用だ。全軍、防衛態勢(ひきこもり)へ移行せよ! ただし、拡声器の準備だけは万全にな!」

「「「イエッサー!!」」」

     * * *

数日後。
ガレリアとアークランドの国境にある砦。
その城壁の上に、私とアレクセイ閣下の姿があった。

「来たな」

閣下が双眼鏡を覗きながら呟く。

雪の平原の向こうから、きらびやかな鎧に身を包んだ軍勢が現れた。
先頭を行く白馬に乗っているのは、間違いなくクラーク王太子だ。
隣には、豪華な馬車も見える。リリィも同伴らしい。

(……派手ですね。雪原であんな金色の鎧を着ていたら、ただの的ですよ)

私は呆れながら、手元の拡声魔道具(メガホン)のスイッチを入れた。

『こちらガレリア公爵領、国境警備隊です。アークランド軍に告ぐ。貴軍の侵入は不法侵入に該当します。直ちに引き返しなさい。さもなくば……』

私は一呼吸置いた。

『……三年前の冬、クラーク殿下がミーナ様の誕生日に贈った自作の詩、「君は僕の太陽、僕は君の周りを回る惑星(ポエム)」を、全チャンネルで朗読します』

ピタリ。
進軍していた軍勢が、不自然に停止した。

『や、やめろぉぉぉーーっ!!』

遠くから、悲鳴のような絶叫が聞こえた。
クラーク王太子だ。
顔を真っ赤にして馬の上で暴れている。

『ミ、ミーナ! 貴様、それをまだ持っていたのか!? 燃やしたはずだろ!!』

拡声魔法で彼の声が響いてくる。

『原本は燃やしましたが、複写(コピー)は五箇所に分散保管してあります。リスク管理の基本ですよ』

私は冷静に返した。

『くっ……! 卑怯だぞ! 正々堂々と出てこい! 話し合いに来たんだ!』

『話し合い? 軍隊を連れてですか? それは「脅迫」と言います』

私は隣のアレクセイ閣下に目配せをした。
閣下が頷き、マイクを受け取る。

『ドラグノフだ。……クラーク殿下。我が愛しの婚約者を返せとは、どういう了見だ? 彼女は君に捨てられ、傷ついたところを私が拾い……いや、救い出したのだぞ』

『う、うるさい! お前なんかにミーナの良さが分かるものか! 彼女は……彼女は便利なのだ! 書類は早いし、説教は的確だし、何より僕の失敗を全部カバーしてくれる! 彼女がいないと僕は何もできないんだよぉ!』

王太子が泣き叫んだ。
周囲の兵士たちが「えぇ……」とドン引きしているのが、ここからでも分かる。

「……愛の告白にしては、最低だな」

アレクセイ閣下がボソリと呟いた。

「同感です。『私は便利な道具です』と言われているのと同義ですね」

私はイラッとして、マイクを奪い取った。

『殿下。残念ながら、私はもうあなたのママではありません。自分の尻は自分で拭いてください。……それとも、リリィ様では力不足でしたか?』

『リリィは……リリィは可愛いだけなんだ! 何もできないんだ! 「お花に水をあげましょー」って言って執務室で水遊びをするんだぞ!? 重要書類が全部パルプになったんだぞ!?』

『それはご愁傷様です。教育係の選定ミスですね』

『頼むミーナ! 戻ってきてくれ! 側室でいいと言ったろ! 第一夫人はリリィだが、実務は全部君に任せるから! 権力はあげるから!』

『最悪の提案ですね』

私は呆れ果てた。
愛人として囲われ、仕事だけ全部押し付けられる。
誰がそんな地獄に戻るというのか。

『交渉決裂です。……総員、配置につけ!』

私が号令をかけると、城壁の上にズラリと並んだ「アレ」が姿を現した。

それは大砲ではない。
巨大な「投石機(カタパルト)」だ。
ただし、装填されているのは石ではない。

『発射!!』

バシュッ! バシュッ! バシュッ!

無数の弾丸が空を切り、アークランド軍の頭上に降り注ぐ。
それらは空中で弾け、中から大量の紙吹雪が舞い散った。

「な、なんだ!? 毒か!?」
「いや、これは……紙?」

兵士の一人が、舞い落ちてきた紙を手に取る。

「……『請求書』?」

そう。
私がばら撒いたのは、クラーク殿下とリリィ様が私用で使い込んだ国庫の横領リスト、および今回の遠征にかかる費用の試算表、そして私の慰謝料請求書だ。

「うわっ、殿下こんなに使ってたのかよ……」
「リリィ様のドレス代、俺たちの年収の一〇〇倍……?」
「俺らの給料が未払いなのは、このせいか……?」

兵士たちの間に、動揺が広がる。
戦意喪失(デバフ)効果は抜群だ。

『さあ、どうしますか殿下? 兵士たちの白い目線に耐えられますか? それとも、第二弾の「ポエム朗読会」を開始しますか? 私の手元には「君の瞳に乾杯(完敗)」という傑作がありますが』

『や、やめろぉぉぉ!! 撤退だ! 一時撤退だぁぁ!!』

クラーク殿下は悲鳴を上げ、馬首を返して逃げ出した。
あまりの見事な逃げっぷりに、アレクセイ閣下が拍手をしている。

「……圧勝だな」

「ええ。ですが、これはまだ前哨戦です」

私は砦の手すりを強く握りしめた。

「彼らは追い詰められています。次はもっと……なりふり構わない手段で来るでしょう。例えば、リリィ様の『謎の幸運(主人公補正)』を使った強行突破とか」

「……リリィ嬢か。あの『何も考えていない』ような娘が、一番厄介かもしれんな」

「はい。バカと天才は紙一重と言いますが、彼女の場合は『バカと災害』が紙一重ですので」

私たちは去りゆく軍勢を見送った。
雪原には、大量の請求書だけが虚しく舞っていた。

こうして、第一ラウンドは私たちの完全勝利で終わった。
だが、物語の「強制力」とも呼べる理不尽なトラブルが、すぐそこまで迫っていることを、私は予感していた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

俺の妻になれと言われたので秒でお断りしてみた

ましろ
恋愛
「俺の妻になれ」 「嫌ですけど」 何かしら、今の台詞は。 思わず脊髄反射的にお断りしてしまいました。 ちなみに『俺』とは皇太子殿下で私は伯爵令嬢。立派に不敬罪なのかもしれません。 ✻ゆるふわ設定です。 気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。 ✻R-15は保険です。

花嫁に「君を愛することはできない」と伝えた結果

藍田ひびき
恋愛
「アンジェリカ、君を愛することはできない」 結婚式の後、侯爵家の騎士のレナード・フォーブズは妻へそう告げた。彼は主君の娘、キャロライン・リンスコット侯爵令嬢を愛していたのだ。 アンジェリカの言葉には耳を貸さず、キャロラインへの『真実の愛』を貫こうとするレナードだったが――。 ※ 他サイトにも投稿しています。

氷の騎士と契約結婚したのですが、愛することはないと言われたので契約通り離縁します!

柚屋志宇
恋愛
「お前を愛することはない」 『氷の騎士』侯爵令息ライナスは、伯爵令嬢セルマに白い結婚を宣言した。 セルマは家同士の政略による契約結婚と割り切ってライナスの妻となり、二年後の離縁の日を待つ。 しかし結婚すると、最初は冷たかったライナスだが次第にセルマに好意的になる。 だがセルマは離縁の日が待ち遠しい。 ※小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。

わたしはくじ引きで選ばれたにすぎない婚約者だったらしい

よーこ
恋愛
特に美しくもなく、賢くもなく、家柄はそこそこでしかない伯爵令嬢リリアーナは、婚約後六年経ったある日、婚約者である大好きな第二王子に自分が未来の王子妃として選ばれた理由を尋ねてみた。 王子の答えはこうだった。 「くじで引いた紙にリリアーナの名前が書かれていたから」 え、わたし、そんな取るに足らない存在でしかなかったの?! 思い出してみれば、今まで王子に「好きだ」みたいなことを言われたことがない。 ショックを受けたリリアーナは……。

わたしのことがお嫌いなら、離縁してください~冷遇された妻は、過小評価されている~

絹乃
恋愛
伯爵夫人のフロレンシアは、夫からもメイドからも使用人以下の扱いを受けていた。どんなに離婚してほしいと夫に訴えても、認めてもらえない。夫は自分の愛人を屋敷に迎え、生まれてくる子供の世話すらもフロレンシアに押しつけようと画策する。地味で目立たないフロレンシアに、どんな価値があるか夫もメイドも知らずに。彼女を正しく理解しているのは騎士団の副団長エミリオと、王女のモニカだけだった。※番外編が別にあります。

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

《本編完結》あの人を綺麗さっぱり忘れる方法

本見りん
恋愛
メラニー アイスナー子爵令嬢はある日婚約者ディートマーから『婚約破棄』を言い渡される。  ショックで落ち込み、彼と婚約者として過ごした日々を思い出して涙していた───が。  ……あれ? 私ってずっと虐げられてない? 彼からはずっと嫌な目にあった思い出しかないんだけど!?  やっと自分が虐げられていたと気付き目が覚めたメラニー。  しかも両親も昔からディートマーに騙されている為、両親の説得から始めなければならない。  そしてこの王国ではかつて王子がやらかした『婚約破棄騒動』の為に、世間では『婚約破棄、ダメ、絶対』な風潮がある。    自分の思うようにする為に手段を選ばないだろう元婚約者ディートマーから、メラニーは無事自由を勝ち取る事が出来るのだろうか……。

処理中です...