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「撤退したクラーク王太子の軍は、国境から五キロ地点で野営に入ったようです」
執務室にて、騎士団長補佐が報告した。
私はコタツに入りながら(これは既に定位置だ)、満足げに頷いた。
「よろしい。請求書攻撃が効いている証拠ですね。補給路は断っていますから、あと三日もすれば兵糧が尽きて完全撤退するでしょう」
「さすがはミーナ様。血を見ずに勝つとは」
アレクセイ閣下が対面の席で紅茶を啜る。
平和だ。
外は吹雪だが、この部屋はコタツと勝利の余韻で温かい。
このままチェックメイトまで持ち込めば、私の平穏な研究ライフは守られる。
そう思っていた。
あの「イレギュラー」が現れるまでは。
ドカーーーーン!!
突然、屋敷の地下から爆発音が響いた。
床が突き上げられ、コタツ上のミカンが跳ねる。
「な、なんだ!? 敵襲か!?」
アレクセイ閣下が瞬時に立ち上がり、剣を抜く。
「地下です! あそこにはボイラー室と……私の『試作魔道具保管庫』が!」
私は顔色を変えた。
あそこには、失敗作の「自動追尾型タワシ」や「爆発するルン○(自動掃除機)」など、危険物が山ほど眠っているのだ。
私たちは廊下を走り、地下への階段を駆け下りた。
黒煙が充満している。
スプリンクラー(私が設置した)が作動し、水浸しになった廊下の奥に、人影があった。
「ゲホッ、ゲホッ……。あれぇ? お料理しようと思っただけなのにぃ……」
ピンク色のふわふわした髪。
場違いなほど可愛らしいフリルのドレス。
そして、手には黒焦げになったフライパンを持っている少女。
「……リリィ様?」
私が名を呼ぶと、彼女はパッと顔を上げた。
「あ! ミーナ様ぁ~! やっと会えましたぁ!」
彼女は満面の笑みで駆け寄ってくると、私の泥だらけの手を握った。
「酷いんですよぉ! クラーク様ったら『ミーナが怖い』って泣いてばかりで全然構ってくれなくて……。だから私、ミーナ様に会い・に・来・ちゃ・い・ま・し・た♡」
「…………」
私は思考停止した。
アレクセイ閣下も口を開けて固まっている。
「……待て。どうやって入った?」
閣下が低い声で尋ねた。
この屋敷は現在、戦時体制下にある。
数十人の衛兵が巡回し、私が設置した「感知結界」と「自動迎撃タワシ」が二四時間稼働している鉄壁の要塞だ。
ネズミ一匹通さない自信があった。
それを、この非力な令嬢がどうやって?
「え? どうやってと言われましてもぉ……」
リリィ様は首を傾げ、人差し指を口元に当てた。
「お花摘みに行こうとしたら森で迷子になっちゃって……。で、転んだ拍子に古い井戸に落ちちゃって……。そこにあった抜け道?みたいなところを歩いてたら、なんかここの地下に出ちゃいました!」
「……井戸?」
私は記憶を検索した。
確かに、数百年前の古地図には緊急脱出用の地下水路が描かれていた気がするが、それは既に埋没しているはずだ。
「あ、でも途中で大きなネズミさん(魔獣)が出たんですぅ! 怖くて『えいっ』て石を投げたら、天井が崩れてネズミさんが潰れちゃって……。そしたら出口が開いたんです!」
「…………」
私は戦慄した。
偶然。
全てが偶然だ。
だが、その偶然が幾重にも重なり、確率論的にあり得ないルートを通って、彼女をここまで導いたのだ。
これが、物語の主人公だけが持つ特殊能力――『強制的なご都合主義(プロット・アーマー)』。
(……危険すぎます)
私は冷や汗を流した。
クラーク殿下の軍隊など比較にならない。
この女は、存在するだけで物理法則と確率をねじ曲げる「歩く災害」だ。
「で、お腹が空いたので何か作ろうと思ったんですけどぉ……。このコンロ、使い方が難しくて爆発しちゃいました☆」
彼女が指差したのは、私の開発した「超高火力魔導炉」だった。
セキュリティロックがかかっていたはずだが、どうやって解除したのか。
おそらく「適当にボタンを押したら解除コードと一致した」とかだろう。
「……貴様」
アレクセイ閣下が殺気を放ち、リリィ様に剣を向けた。
「何者だ。密偵か? それとも暗殺者か?」
「ひゃっ! こ、怖い顔しないでくださいよぉ~! 私、ただの男爵令嬢ですぅ!」
リリィ様が私の背中に隠れる。
「ミーナ様、助けてぇ! この人、イケメンだけど目が笑ってないですぅ!」
「……閣下、剣を収めてください」
私は冷静に言った。
「彼女に悪意はありません。ただ、運が悪く、頭も悪いだけです」
「……しかし、不法侵入者だぞ」
「ここで斬り捨てれば、彼女の『謎の強運』が発動して、屋敷が全壊する恐れがあります。例えば、閣下の剣が滑って支柱を切断するとか」
「そんなバカな……」
バキッ。
閣下が剣を鞘に納めようとした瞬間、なぜか天井から瓦礫が落ちてきて、閣下の足元ギリギリに突き刺さった。
「……!?」
「見ましたね? これが『ヒロイン補正』という名の呪いです」
私は確信した。
この女を敵に回してはいけない。
隔離(保護)し、管理下(監視下)に置くのが、リスク管理上の最適解だ。
「リリィ様」
私は彼女に向き直った。
「とりあえず、歓迎します(したくはありませんが)。お腹が空いているのなら、何か用意しましょう」
「わぁい! ミーナ様の手料理ですか? 私、ミーナ様の淹れた紅茶が飲みたかったんですぅ!」
「……分かりました。では上へ行きましょう」
私は彼女を誘導しながら、背中で閣下にハンドサインを送った。
『対象を災害指定生物(Sランク)に認定。監視レベル最大。決して目を離さないでください』
* * *
一〇分後。
ダイニングルーム。
リリィ様は、出されたサンドイッチをリスのように頬張っていた。
「おいひぃですぅ~! やっぱり公爵家のご飯は最高ですねぇ!」
「それは何よりです。……で、リリィ様。単刀直入に伺いますが、何の目的でここへ?」
私が尋ねると、彼女は飲み物をゴクリと飲み込み、真剣な(と言っても知性は感じられない)顔になった。
「あのね、ミーナ様。戻ってきてほしいんです」
「お断りします」
「えぇ~っ! 即答!?」
「当たり前です。私は今、ここで充実した日々を送っています。泥船(アークランド)に戻る理由がありません」
「でもぉ……。私、もう無理なんですぅ」
リリィ様がテーブルに突っ伏して泣き出した。
「王太子妃教育って難しいしぃ……。ダンスは足を踏んじゃうしぃ……。クラーク様は『ミーナならできたのに』って比べるしぃ……。私、ただチヤホヤされたかっただけなのにぃ……」
「……本音が漏れていますよ」
「それに! 城の侍女たちが怖いんです! 私のドレスに画鋲入れたりするんです!」
「それはあなたが給料を未払いにしているからでは?」
「違うもん! 私が『このドレス可愛いから国費で買っちゃお☆』って言ったら、宰相さんが白目むいて倒れただけだもん!」
「……完全な自業自得ですね」
私はため息をついた。
この子は、悪人ではない。
ただ、自分の行動が周囲にどんな影響を与えるかを想像する能力が欠如しているのだ。
ある意味、クラーク殿下とお似合いのカップルである。
「ねえ、ミーナ様ぁ。私、ここでお手伝いさんしますからぁ。置いてくださいよぉ」
「却下です。屋敷が壊れます」
「じゃあ、クラーク様と仲直りしてください! そしたら私も楽になれるんです!」
「なぜ私があなたの楽のために元カレと復縁せねばならないのですか。論理が破綻しています」
私が正論で詰めると、リリィ様は「うぅぅ……」と涙目で黙り込んだ。
そして、チラリとアレクセイ閣下の方を見た。
「……あのぉ。そちらの冷たそうな人は?」
「私の婚約者、アレクセイ・ドラグノフ公爵閣下です」
「こんやくしゃ……?」
リリィ様がポカンとした。
「えっ? ミーナ様、捨てられたんじゃなかったの?」
「再就職(リクルート)されました」
「すごぉい……。クラーク様より背が高くて、強そうで、お金持ちそう……」
リリィ様の瞳が、怪しく輝き始めた。
まずい。
ヒロイン特有の「乗り換えフラグ」が立ちかけている。
「……リリィ嬢」
アレクセイ閣下が、氷点下の微笑みで告げた。
「残念だが、私の目にはミーナ以外の女性は映らない。君がどんなに可愛らしくても、どんなに不憫でも、私の心を動かすことはない」
「……!」
「私は彼女の知性を愛している。……君のような『お花畑』が入る隙間はないよ」
バッサリ。
さすが閣下、問答無用の斬り捨て御免だ。
リリィ様はショックを受けた顔をしたが、すぐに「ふんだ!」とそっぽを向いた。
「いいもん! 私だってクラーク様がいるもん! ……今はちょっと頼りないけど、顔は良いもん!」
「そうですか。では、その顔の良い殿下にお引き取り願いましょう」
私は立ち上がった。
「リリィ様。あなたを人質……いえ、『お客様』として丁重にお預かりします。これを交渉材料(カード)に、クラーク殿下に完全撤退を迫ります」
「えっ? 私、人質?」
「はい。三食昼寝付き、おやつも出します。ただし、勝手に機械に触らないこと。キッチン立ち入り禁止。これが条件です」
「おやつ付き!? やたぁ! 人質やりまぁす!」
リリィ様が万歳をした。
チョロい。
あまりにもチョロすぎる。
しかし、これで最大の「不確定要素(ヒロイン)」を制御下に置くことができた。
「閣下、すぐに国境へ伝令を。……『王太子の最愛の人(リリィ)を確保した。返して欲しければ、賠償金全額支払いと即時撤退、および今後一〇〇年の不可侵条約を結べ』と」
「……悪党の台詞だな、ミーナ」
閣下は苦笑したが、すぐに真剣な顔で頷いた。
「分かった。これで詰みだ」
私たちは確信した。
勝った、と。
だが、私たちは忘れていたのだ。
リリィ様がここにいるということは、「彼女を追って来る者」が必ず現れるということを。
そして、「ドジっ子スキル」は、敵味方の区別なく発動するということを。
「あ、ミーナ様ぁ。さっき井戸から出てくる時、なんかスイッチ押しちゃったかも」
「……はい?」
「壁にあった赤いボタン。光ってて綺麗だったから」
ゴゴゴゴゴ……。
地響きが鳴り始めた。
屋敷の警報魔道具が、狂ったように点滅する。
『警告。警告。地下封印区画の解放を確認。……自律型防衛ゴーレム「ジェノサイド・ガーディアン」が起動しました』
「……ジェノサイド・ガーディアン?」
アレクセイ閣下が私を見た。
私は顔面蒼白になった。
「……先代当主が封印したという、伝説の殺戮兵器ですね。なぜそんなスイッチが井戸に……?」
「わぁ! なんか強そうなロボットが出てきましたよぉ!」
リリィ様が無邪気に窓の外を指差した。
中庭の地面が割れ、巨大な鋼鉄の巨人が這い出してくるのが見える。
「……ミーナ」
「はい」
「あれも君の『計算内』か?」
「……計算外です。完全に」
私は頭を抱えた。
クラーク殿下との決着の前に、まずはこの「身内の災害」をどうにかしなければならないらしい。
「リリィ様!! あなた、あとでお説教五時間の刑です!!」
「えぇ~っ!? なんでぇ!?」
私の悲鳴と、ゴーレムの咆哮が、冬の空に響き渡った。
執務室にて、騎士団長補佐が報告した。
私はコタツに入りながら(これは既に定位置だ)、満足げに頷いた。
「よろしい。請求書攻撃が効いている証拠ですね。補給路は断っていますから、あと三日もすれば兵糧が尽きて完全撤退するでしょう」
「さすがはミーナ様。血を見ずに勝つとは」
アレクセイ閣下が対面の席で紅茶を啜る。
平和だ。
外は吹雪だが、この部屋はコタツと勝利の余韻で温かい。
このままチェックメイトまで持ち込めば、私の平穏な研究ライフは守られる。
そう思っていた。
あの「イレギュラー」が現れるまでは。
ドカーーーーン!!
突然、屋敷の地下から爆発音が響いた。
床が突き上げられ、コタツ上のミカンが跳ねる。
「な、なんだ!? 敵襲か!?」
アレクセイ閣下が瞬時に立ち上がり、剣を抜く。
「地下です! あそこにはボイラー室と……私の『試作魔道具保管庫』が!」
私は顔色を変えた。
あそこには、失敗作の「自動追尾型タワシ」や「爆発するルン○(自動掃除機)」など、危険物が山ほど眠っているのだ。
私たちは廊下を走り、地下への階段を駆け下りた。
黒煙が充満している。
スプリンクラー(私が設置した)が作動し、水浸しになった廊下の奥に、人影があった。
「ゲホッ、ゲホッ……。あれぇ? お料理しようと思っただけなのにぃ……」
ピンク色のふわふわした髪。
場違いなほど可愛らしいフリルのドレス。
そして、手には黒焦げになったフライパンを持っている少女。
「……リリィ様?」
私が名を呼ぶと、彼女はパッと顔を上げた。
「あ! ミーナ様ぁ~! やっと会えましたぁ!」
彼女は満面の笑みで駆け寄ってくると、私の泥だらけの手を握った。
「酷いんですよぉ! クラーク様ったら『ミーナが怖い』って泣いてばかりで全然構ってくれなくて……。だから私、ミーナ様に会い・に・来・ちゃ・い・ま・し・た♡」
「…………」
私は思考停止した。
アレクセイ閣下も口を開けて固まっている。
「……待て。どうやって入った?」
閣下が低い声で尋ねた。
この屋敷は現在、戦時体制下にある。
数十人の衛兵が巡回し、私が設置した「感知結界」と「自動迎撃タワシ」が二四時間稼働している鉄壁の要塞だ。
ネズミ一匹通さない自信があった。
それを、この非力な令嬢がどうやって?
「え? どうやってと言われましてもぉ……」
リリィ様は首を傾げ、人差し指を口元に当てた。
「お花摘みに行こうとしたら森で迷子になっちゃって……。で、転んだ拍子に古い井戸に落ちちゃって……。そこにあった抜け道?みたいなところを歩いてたら、なんかここの地下に出ちゃいました!」
「……井戸?」
私は記憶を検索した。
確かに、数百年前の古地図には緊急脱出用の地下水路が描かれていた気がするが、それは既に埋没しているはずだ。
「あ、でも途中で大きなネズミさん(魔獣)が出たんですぅ! 怖くて『えいっ』て石を投げたら、天井が崩れてネズミさんが潰れちゃって……。そしたら出口が開いたんです!」
「…………」
私は戦慄した。
偶然。
全てが偶然だ。
だが、その偶然が幾重にも重なり、確率論的にあり得ないルートを通って、彼女をここまで導いたのだ。
これが、物語の主人公だけが持つ特殊能力――『強制的なご都合主義(プロット・アーマー)』。
(……危険すぎます)
私は冷や汗を流した。
クラーク殿下の軍隊など比較にならない。
この女は、存在するだけで物理法則と確率をねじ曲げる「歩く災害」だ。
「で、お腹が空いたので何か作ろうと思ったんですけどぉ……。このコンロ、使い方が難しくて爆発しちゃいました☆」
彼女が指差したのは、私の開発した「超高火力魔導炉」だった。
セキュリティロックがかかっていたはずだが、どうやって解除したのか。
おそらく「適当にボタンを押したら解除コードと一致した」とかだろう。
「……貴様」
アレクセイ閣下が殺気を放ち、リリィ様に剣を向けた。
「何者だ。密偵か? それとも暗殺者か?」
「ひゃっ! こ、怖い顔しないでくださいよぉ~! 私、ただの男爵令嬢ですぅ!」
リリィ様が私の背中に隠れる。
「ミーナ様、助けてぇ! この人、イケメンだけど目が笑ってないですぅ!」
「……閣下、剣を収めてください」
私は冷静に言った。
「彼女に悪意はありません。ただ、運が悪く、頭も悪いだけです」
「……しかし、不法侵入者だぞ」
「ここで斬り捨てれば、彼女の『謎の強運』が発動して、屋敷が全壊する恐れがあります。例えば、閣下の剣が滑って支柱を切断するとか」
「そんなバカな……」
バキッ。
閣下が剣を鞘に納めようとした瞬間、なぜか天井から瓦礫が落ちてきて、閣下の足元ギリギリに突き刺さった。
「……!?」
「見ましたね? これが『ヒロイン補正』という名の呪いです」
私は確信した。
この女を敵に回してはいけない。
隔離(保護)し、管理下(監視下)に置くのが、リスク管理上の最適解だ。
「リリィ様」
私は彼女に向き直った。
「とりあえず、歓迎します(したくはありませんが)。お腹が空いているのなら、何か用意しましょう」
「わぁい! ミーナ様の手料理ですか? 私、ミーナ様の淹れた紅茶が飲みたかったんですぅ!」
「……分かりました。では上へ行きましょう」
私は彼女を誘導しながら、背中で閣下にハンドサインを送った。
『対象を災害指定生物(Sランク)に認定。監視レベル最大。決して目を離さないでください』
* * *
一〇分後。
ダイニングルーム。
リリィ様は、出されたサンドイッチをリスのように頬張っていた。
「おいひぃですぅ~! やっぱり公爵家のご飯は最高ですねぇ!」
「それは何よりです。……で、リリィ様。単刀直入に伺いますが、何の目的でここへ?」
私が尋ねると、彼女は飲み物をゴクリと飲み込み、真剣な(と言っても知性は感じられない)顔になった。
「あのね、ミーナ様。戻ってきてほしいんです」
「お断りします」
「えぇ~っ! 即答!?」
「当たり前です。私は今、ここで充実した日々を送っています。泥船(アークランド)に戻る理由がありません」
「でもぉ……。私、もう無理なんですぅ」
リリィ様がテーブルに突っ伏して泣き出した。
「王太子妃教育って難しいしぃ……。ダンスは足を踏んじゃうしぃ……。クラーク様は『ミーナならできたのに』って比べるしぃ……。私、ただチヤホヤされたかっただけなのにぃ……」
「……本音が漏れていますよ」
「それに! 城の侍女たちが怖いんです! 私のドレスに画鋲入れたりするんです!」
「それはあなたが給料を未払いにしているからでは?」
「違うもん! 私が『このドレス可愛いから国費で買っちゃお☆』って言ったら、宰相さんが白目むいて倒れただけだもん!」
「……完全な自業自得ですね」
私はため息をついた。
この子は、悪人ではない。
ただ、自分の行動が周囲にどんな影響を与えるかを想像する能力が欠如しているのだ。
ある意味、クラーク殿下とお似合いのカップルである。
「ねえ、ミーナ様ぁ。私、ここでお手伝いさんしますからぁ。置いてくださいよぉ」
「却下です。屋敷が壊れます」
「じゃあ、クラーク様と仲直りしてください! そしたら私も楽になれるんです!」
「なぜ私があなたの楽のために元カレと復縁せねばならないのですか。論理が破綻しています」
私が正論で詰めると、リリィ様は「うぅぅ……」と涙目で黙り込んだ。
そして、チラリとアレクセイ閣下の方を見た。
「……あのぉ。そちらの冷たそうな人は?」
「私の婚約者、アレクセイ・ドラグノフ公爵閣下です」
「こんやくしゃ……?」
リリィ様がポカンとした。
「えっ? ミーナ様、捨てられたんじゃなかったの?」
「再就職(リクルート)されました」
「すごぉい……。クラーク様より背が高くて、強そうで、お金持ちそう……」
リリィ様の瞳が、怪しく輝き始めた。
まずい。
ヒロイン特有の「乗り換えフラグ」が立ちかけている。
「……リリィ嬢」
アレクセイ閣下が、氷点下の微笑みで告げた。
「残念だが、私の目にはミーナ以外の女性は映らない。君がどんなに可愛らしくても、どんなに不憫でも、私の心を動かすことはない」
「……!」
「私は彼女の知性を愛している。……君のような『お花畑』が入る隙間はないよ」
バッサリ。
さすが閣下、問答無用の斬り捨て御免だ。
リリィ様はショックを受けた顔をしたが、すぐに「ふんだ!」とそっぽを向いた。
「いいもん! 私だってクラーク様がいるもん! ……今はちょっと頼りないけど、顔は良いもん!」
「そうですか。では、その顔の良い殿下にお引き取り願いましょう」
私は立ち上がった。
「リリィ様。あなたを人質……いえ、『お客様』として丁重にお預かりします。これを交渉材料(カード)に、クラーク殿下に完全撤退を迫ります」
「えっ? 私、人質?」
「はい。三食昼寝付き、おやつも出します。ただし、勝手に機械に触らないこと。キッチン立ち入り禁止。これが条件です」
「おやつ付き!? やたぁ! 人質やりまぁす!」
リリィ様が万歳をした。
チョロい。
あまりにもチョロすぎる。
しかし、これで最大の「不確定要素(ヒロイン)」を制御下に置くことができた。
「閣下、すぐに国境へ伝令を。……『王太子の最愛の人(リリィ)を確保した。返して欲しければ、賠償金全額支払いと即時撤退、および今後一〇〇年の不可侵条約を結べ』と」
「……悪党の台詞だな、ミーナ」
閣下は苦笑したが、すぐに真剣な顔で頷いた。
「分かった。これで詰みだ」
私たちは確信した。
勝った、と。
だが、私たちは忘れていたのだ。
リリィ様がここにいるということは、「彼女を追って来る者」が必ず現れるということを。
そして、「ドジっ子スキル」は、敵味方の区別なく発動するということを。
「あ、ミーナ様ぁ。さっき井戸から出てくる時、なんかスイッチ押しちゃったかも」
「……はい?」
「壁にあった赤いボタン。光ってて綺麗だったから」
ゴゴゴゴゴ……。
地響きが鳴り始めた。
屋敷の警報魔道具が、狂ったように点滅する。
『警告。警告。地下封印区画の解放を確認。……自律型防衛ゴーレム「ジェノサイド・ガーディアン」が起動しました』
「……ジェノサイド・ガーディアン?」
アレクセイ閣下が私を見た。
私は顔面蒼白になった。
「……先代当主が封印したという、伝説の殺戮兵器ですね。なぜそんなスイッチが井戸に……?」
「わぁ! なんか強そうなロボットが出てきましたよぉ!」
リリィ様が無邪気に窓の外を指差した。
中庭の地面が割れ、巨大な鋼鉄の巨人が這い出してくるのが見える。
「……ミーナ」
「はい」
「あれも君の『計算内』か?」
「……計算外です。完全に」
私は頭を抱えた。
クラーク殿下との決着の前に、まずはこの「身内の災害」をどうにかしなければならないらしい。
「リリィ様!! あなた、あとでお説教五時間の刑です!!」
「えぇ~っ!? なんでぇ!?」
私の悲鳴と、ゴーレムの咆哮が、冬の空に響き渡った。
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