歓喜!婚約破棄で田舎へ逃亡します!

黒猫かの

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「……臭い」


それが、その日の朝、シルベスターが発した第一声だった。


私たちはいつものように、朝の優雅なティータイムを楽しんでいた……はずだった。


場所は城のエントランスホール。


なぜこんな場所でお茶をしているかと言えば、朝一番に「珍客」が訪れたとの報告を受け、わざわざ出迎えてやったからだ。


「確かに。安っぽい香水の匂いが充満していますね。換気が必要かしら」


私はカップを置き、扇子で鼻先を仰いだ。


私たちの視線の先には、ピンク色の塊――もとい、元婚約者の愛人、ミナ男爵令嬢が仁王立ちしていた。


「なんですの、その態度はぁ! お客さんに向かって『臭い』だなんて失礼じゃありませぇん!?」


ミナは頬を膨らませて抗議した。


彼女の格好は、北の辺境にあるまじき薄着だった。


胸元が大きく開いたフリルたっぷりのドレス。


寒さで鼻の頭と太ももが赤くなっているが、本人は「可愛さ」を優先しているつもりらしい。


「お客様なら歓迎しますが、貴女は『招かれざる客』、もっと言えば『害獣』の類です」


私は冷ややかに言い放った。


「アレック殿下を追い返したと思ったら、今度は貴女ですか。このカップルは揃いも揃って、人の安眠を妨害することにかけては天才的ですね」


「ふんっ! アレック様なんてどうでもいいわ! あんな無能、こっちから願い下げよ!」


ミナはあっさりと元カレを切り捨てた。


昨日の今日でこの変わり身の早さ。ある意味、清々しいほどのクズである。


「私がここに来たのは、もっと素敵な『運命の人』を見つけたからよぉ♡」


ミナは猫なで声で言うと、熱っぽい視線をシルベスターに向けた。


「はじめましてぇ、シルベスター様ぁ♡ ミナですぅ。噂の『魔王様』にお会いできて光栄ですぅ」


彼女は媚びるように上目遣いをし、胸を寄せてポーズを取った。


「ミナ、怖い話とか大好きなんですぅ。だから、魔王様みたいな強い男の人に守ってほしいなぁって……」


彼女の瞳が妖しく光った。


微弱な魔力の波動を感じる。


これが噂の『魅力(チャーム)』か。


無意識に異性の庇護欲を刺激し、判断力を鈍らせる精神干渉魔法の一種だ。


アレック王子や学園の男子生徒たちは、これにコロリとやられたわけだ。


だが。


「……おい、カモミール」


シルベスターは眉間のシワを深くし、私に顔を向けた。


「なんだ、このピンク色の生き物は。言葉が通じるのか?」


「一応、人間語を話すようですが、文法と倫理観が崩壊しています」


「そうか。……頭が痛くなる声だ。金切り声で脳が揺れる」


シルベスターは心底嫌そうに耳を塞いだ。


『魅力』が全く効いていない。


当然だ。彼は大陸最強の魔力を誇る公爵。この程度の精神干渉など、蚊に刺されたほども感じないだろう。


「えっ……? なんでぇ? 効かない……?」


ミナが動揺して瞬きをした。


「ミナの『うるうるビーム』が効かないなんて……。はっ! さては、隣にいるその性悪女が邪魔をしてるのね!」


彼女は矛先を私に向けた。


「カモミール様ぁ! ひどいですぅ! ミナとシルベスター様の『真実の愛』を邪魔しないでくださいぃ!」


「真実の愛? 会って五秒で?」


「運命だもん! ビビッときたんだもん! シルベスター様は、カモミール様みたいな冷たい女より、ミナみたいな可愛くて家庭的な女の子の方がお似合いですぅ!」


「家庭的……? 貴女、卵の割り方も知らないでしょう」


「愛があれば料理なんてできなくてもいいの! それに比べてカモミール様は、可愛げがないし、仕事人間だし、いつも眠そうな顔してるし!」


ミナは勝ち誇ったように指を突きつけた。


「そんなんだから婚約破棄されるんですよぉ! ざまぁみろですぅ!」


……プチッ。


私の脳内で、本日二度目の何かが切れる音がした。


「……なるほど。言いたいことはそれだけですか?」


私はゆっくりと立ち上がった。


シルベスターが止めようとしたが、手で制する。


「閣下。お耳汚しになりますが、少しだけ時間をください。……掃除(論破)します」


「……手短にな」


許可は降りた。


私は優雅に扇子を閉じ、コツコツとヒールを鳴らしてミナに歩み寄った。


「ひっ……な、なによ。暴力反対よ!」


「暴力など振るいません。野蛮なのは貴女の方ですから」


私は彼女の目の前で立ち止まり、冷徹な目で見下ろした。


「いいですか、ミナ様。貴女は三つの大きな勘違いをしています」


「か、勘違いぃ?」


「一つ目。貴女は『自分はヒロインだ』と思っているようですが、客観的に見れば、友人の婚約者に手を出し、国政を混乱させ、無計画に他人の家に押し入る『ただの犯罪者』です」


「は、犯罪者じゃないもん! 恋する乙女だもん!」


「その『恋』で国が傾きかけている自覚は? 貴女がアレック王子に強請(ねだ)ったドレスや宝石、その代金がどこから出ているか知っていますか?」


「え……王様のお財布?」


「いいえ。国民の税金、そして治水工事や孤児院への支援予算です。貴女が新しいネックレスを買うたびに、どこかの橋の補修が中止になり、子供たちの食事が減っていたのです」


「そ、そんなの知らないわよ! 難しいこと言わないで!」


「知らなかったで済むのは子供だけです。貴女はもう成人でしょう? 『無知』は『無罪』ではありません。『罪』です」


私は一歩踏み込んだ。


「二つ目。貴女は『自分の方が愛される』と思っているようですが、シルベスター様が求めているのは『安らぎ』と『信頼』です。貴女のような、声が大きく、香水臭く、自分の欲望しか話さない人間は、彼にとって最大のストレス要因です」


「そ、そんなことないもん! 男の人はみんな、甘えられるのが好きなのよ!」


「それは貴女に都合のいい男だけです。本物の男は、自立したパートナーを求めます。貴女に何ができますか? 書類整理は? 魔力制御は? あるいは、黙って五分間座っていられますか?」


「うぐっ……」


「何もできない人間に、愛される資格がないとは言いません。ですが、何もせずに『愛せ』と要求するのは強盗と同じです」


私はさらに一歩踏み込んだ。


ミナは後ずさりし、背中が扉にぶつかった。


「そして三つ目。これが一番重要です」


私はニッコリと笑った。


その笑顔は、かつて王城の古狸たちを震え上がらせた『氷の微笑』だ。


「貴女は『カモミールは冷たい女だ』と言いましたね?」


「そ、そうよ! だっていつも無表情だし……」


「ええ、私は冷たいです。合理的で、ドライで、無駄が嫌いです。……ですが」


私はちらりと背後を振り返った。


そこには、頬杖をついて私を見守るシルベスターがいる。


彼の目は、いつになく優しく、楽しげに私を見ていた。


「私のこの『冷たさ』を、『心地よい静寂だ』と言ってくれる人がいるのです。私の『無愛想』を、『媚びない強さだ』と評価してくれる人がいるのです」


私は胸を張った。


「貴女には理解できないでしょう。貴女の薄っぺらい『可愛さ』では、彼の孤独を癒やすことは一生できません。……なぜなら、貴女は自分のことしか愛していないから」


「……っ!」


ミナは言葉を失った。


図星を突かれた顔だ。


彼女の目から涙が溢れ出した。今度の涙は、演技ではない悔し涙だ。


「な、なによ……! なによ偉そうに……! あんたなんか、一生独身で書類と結婚してればいいのよぉ!」


「ええ、そのつもりでした。……でも、予定が変わったんです」


私はシルベスターの方へ戻り、彼の隣に立った。


シルベスターが自然と私の腰に手を回す。


「俺が捕まえたからな。こいつは一生、俺の抱き枕兼パートナーだ」


「そ、そういうことです」


私は少し照れながらも頷いた。


その光景は、誰が見ても『真実の愛』……とまではいかなくても、強固な信頼で結ばれた絆そのものだった。


ミナはその圧倒的な敗北感を悟ったのだろう。


「うわぁぁぁぁぁん! 覚えてなさいよぉ! 王都に帰ってパパに言いつけてやるぅ!」


彼女は捨て台詞を吐き、扉を開けて飛び出していった。


「……帰りの馬車代、持ってるのかしら」


「知らん。歩いて帰れば少しは頭も冷えるだろう」


シルベスターは興味なさそうに言った。


「それより、カモミール。今の言葉」


「……はい?」


「『予定が変わった』と言ったな」


シルベスターはニヤリと笑い、私の顔を覗き込んだ。


「それはつまり、俺との将来を真剣に考えていると受け取っていいのか?」


「……言葉のアヤです。論破するためのレトリックです」


「顔が赤いぞ」


「夕日のせいです! ……まだ朝ですが!」


私は慌てて誤魔化した。


シルベスターは満足げに喉を鳴らして笑った。


「まあいい。外野もうるさくなくなった。……ようやく、静かになったな」


「ええ。本当に」


城のエントランスには、再び静寂が戻った。


安っぽい香水の匂いも消え、代わりにシルベスターの纏う珈琲のようなビターな香りと、私の好きなハーブの香りが漂う。


「さて、邪魔も入ったことだし、気を取り直して二度寝といくか」


「また寝るんですか? 今日は天気がいいので、庭の散歩でも……」


「庭にはまだアレックの残した怨念が漂っていそうだ。やはりベッドが一番安全だ」


「……言い訳が上手くなりましたね」


「お前の口車に乗せられたおかげだ」


私たちは軽口を叩き合いながら、奥へと歩いていった。


これで、元婚約者と、その愛人。


二つの障害を排除した。


もはや私たちの安眠を脅かすものは何もない……はずだ。


そう思っていた。


しかし。


運命の神様(あるいは作者)は、まだ私たちに完全な休息を与えるつもりはないらしい。


その日の午後。


城門に、一台の豪奢な馬車が到着した。


今度は王家の紋章ではない。


もっと古く、権威ある紋章。


私の実家、スリープ公爵家の紋章だった。


「……お父様?」


私は窓からそれを見て、血の気が引くのを感じた。


最強のラスボス、襲来の予感である。
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