歓喜!婚約破棄で田舎へ逃亡します!

黒猫かの

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「……ん~っ! これです、この味です!」


安眠特急ナイトメア号の車内で、私はとろけるような甘さに身悶えしていた。


私の手にあるのは、王都の行列店『夢見屋』の限定品、『極・熟睡プリン』。


新鮮な卵とミルク、そして隠し味に微量の安眠ハーブが使われた、禁断のスイーツだ。


「濃厚なのに後味はスッキリ……。食べた瞬間に脳の興奮が鎮まり、幸福な睡魔が訪れる……。まさに芸術品です」


「そうか。それは良かった」


向かいの席で、シルベスターもスプーンを口に運んでいる。


彼の手元には、すでに三つの空き瓶が転がっていた。


「俺としては少し甘すぎる気もするが、お前が幸せそうな顔をしているなら、それが一番のスパイスだ」


「……閣下、最近口説き文句が上達していませんか? どこかの詩集でも読みました?」


「いいや。思ったことを言っているだけだ」


シルベスターは涼しい顔で、四つ目のプリンに手を伸ばした。


「それに、今日は祝い酒ならぬ『祝いプリン』だ。あのバカ王子と性悪女を排除し、俺たちの自由を勝ち取った記念だからな」


「ええ。最高の勝利でしたね」


私は窓の外へと視線を向けた。


王都はすでに遥か後方。


窓の外には、夕暮れに染まる穏やかな田園風景が広がっている。


あの騒がしかった謁見の間での出来事が、まるで遠い昔のことのようだ。


「……本当に、スッキリしました。五億枚の借金を背負った王子と、鉱山送りの自称ヒロイン。……これでもう、誰も私たちの邪魔はできません」


「ああ。これからは毎日が休日だ。好きな時に寝て、好きな時に起きる。……理想の生活だ」


シルベスターが満足げに頷く。


しかし、私はふと、ある懸念を口にした。


「ですが閣下。国王陛下との約束……『婚約の承認』の件ですが」


「ん? 何か問題か?」


「あれはあくまで、王家からの干渉を防ぐための政治的なブラフ(脅し)として提案したつもりでしたが……本当に良かったのですか? 私のような悪名高い女と、正式に婚約なんてしてしまって」


私はスプーンを置き、彼を見つめた。


シルベスター・ナイトメア公爵。


国一番の武力と財力を持ち、今や「王家を脅かすほどの権力者」となった彼なら、もっと家柄の良い、あるいはもっと淑やかな令嬢を選ぶことだってできるはずだ。


私のような「元・王子の婚約者」で「不当解雇された悪役令嬢」を選ぶメリットなど、添い寝係としての機能以外にはないのではないか。


「……カモミール」


シルベスターの手が止まった。


彼はスプーンを置き、真剣な眼差しで私を捉えた。


「お前は、まだそんなことを言っているのか」


「え?」


「俺が、単なる『安眠のための道具』としてお前と婚約したと思っているのか?」


「……違うのですか? 最初の契約はそうでしたし」


「最初はな。だが……」


彼は立ち上がり、私の隣に座り直した。


そして、私の肩を抱き寄せた。


「……まあいい。言葉で言うより、態度で示した方が早そうだ」


「態度?」


「そろそろ『お昼寝タイム』だ。……来い」


彼は私を抱き上げ、車内に備え付けられた天蓋付きベッドへと運んだ。


「きゃっ、またですか? 食べてすぐ寝ると牛になりますよ」


「構わん。牛になっても愛してやる」


「縁起でもない!」


私たちはベッドに潜り込んだ。


最高級のマットレスが、二人分の体重を優しく受け止める。


馬車の揺れはゆりかごのように心地よく、お腹も満たされ、私の瞼は自然と重くなっていった。


「……ふあぁ」


「眠いか?」


「はい……。プリンの効果が……」


「そうか。俺もだ」


シルベスターが私を背後から抱きしめる。


いつもの定位置。


彼の体温と、鼓動のリズム。


それが今では、どんな子守唄よりも私を安心させてくれる。


「……カモミール」


意識が微睡みの中に溶けていく中で、彼が耳元で囁いた。


「……契約更新の話だ」


「……んぅ? 契約……?」


私は半分夢の中へ旅立ちながら答えた。


「……給料アップですか? それとも有給休暇の申請?」


「違う。……期間の延長だ」


「期間……?」


「今の契約は『不眠症が治るまで』となっているが……これを『無期限』に変更したい」


シルベスターの声が、少しだけ震えている気がした。


「……俺はもう、お前なしでは眠れない体になってしまった。……いや、違うな」


彼は私の髪に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。


「……起きている時も、お前がいないと寂しいんだ。……飯を食う時も、散歩する時も、ただ空を眺める時も……隣にお前がいてほしい」


「……閣下……」


私の眠気が、少しだけ吹き飛んだ。


これは。


もしかして。


「……だから、カモミール。……俺と、結婚してくれ」


ドクン。


心臓が大きく跳ねた。


「……俺の妻になって、一生、俺の隣で寝てくれないか? ……給料は、俺の全財産と、俺の人生だ」


プロポーズ。


それは、劇的な演出も、跪いての指輪の交換もない、ベッドの中でのボソボソとした会話だった。


けれど。


どんなキザな言葉よりも、今の私には響いた。


「……それ、本気ですか?」


「……本気だ」


「私が悪役令嬢でも?」


「世界一可愛い悪役令嬢だ」


「寝相が悪くて、布団を奪い取っても?」


「俺が奪い返すから問題ない」


「……ふふっ」


私は思わず笑ってしまった。


なんて不器用で、愛おしいプロポーズなのだろう。


私は寝返りを打ち、彼の方を向いた。


至近距離で目が合う。


彼の瞳は、いつものようなギラギラした魔王の目ではなく、ただの一人の男としての、不安と期待に揺れる瞳だった。


「……返事は?」


「……条件があります」


私は指を一本立てた。


「なんだ? なんでも聞くぞ」


「一つ。……毎朝、私より先に起きて、カーテンを開けないこと」


「……努力する」


「二つ。……喧嘩をしても、必ず同じベッドで寝ること」


「当然だ。別々に寝るなんて考えられない」


「そして三つ目」


私は彼の手を取り、自分の頬に寄せた。


「……お爺ちゃんお婆ちゃんになっても、こうして手を繋いで寝てくれますか?」


「……ああ。約束する」


シルベスターは、私の手の甲に、そして額に、優しくキスを落とした。


「誓うよ。……死ぬまで、いや死んでも、魂がお前の隣で眠り続けると」


「……重いですね、愛が」


「魔王だからな」


彼は満足げに笑うと、再び私を強く抱きしめた。


「……よし、契約成立だ。……これで安心して眠れる」


彼の声が、次第に小さくなっていく。


「……愛してるぞ、カモミール……むにゃ……」


「……えっ?」


最後の最後、一番重要な言葉を言った瞬間、彼はカクンと落ちた。


規則正しい寝息が聞こえてくる。


「……ずるい人」


私は彼の寝顔を見つめ、苦笑した。


あんなに大事なことを、まるで寝言のようにサラリと言って、自分だけ先に夢の世界へ行ってしまうなんて。


「……私も、愛していますよ。シルベスター様」


私は彼の耳元で、小さく囁き返した。


彼には聞こえていないかもしれない。


でも、きっと夢の中で届いているはずだ。


馬車は進む。


夕日が沈み、夜の帳が下りてくる。


星空の下を走る『安眠特急』の中で、私たちは互いの体温を分け合いながら、深く、甘い眠りへと落ちていった。


これ以上の幸せなど、きっとどこにもない。


私たちは、最強のパートナーであり、共犯者であり、そして――生涯の伴侶となったのだ。


「……おやすみなさい、私の旦那様」


私の呟きは、夜の静寂に溶けていった。


***


翌日。


私たちは無事に、常闇の城へと帰還した。


「おかえりなさいませー!!」


城の使用人たちが、花吹雪と横断幕で出迎えてくれた。


『祝・凱旋!』『祝・ご婚約!』『祝・大勝利!』


「……情報が早いわね」


「セバスチャンが鳩を飛ばしたのだろう」


シルベスターは恥ずかしげもなく私の腰を抱き、皆の前で宣言した。


「皆、聞け! これよりカモミールは、俺の正式な婚約者……そして未来の公爵夫人となる!」


「おおおおおっ!!」


「万歳! カモミール様万歳!」


「これで安眠の時代が続くぞー!」


歓声が上がる中、私たちは城へと入った。


しかし。


幸せな空気に包まれる私たちを待っていたのは、最後の試練――『結婚式の準備』という名の、新たな激務だった。


「お嬢様! ドレスのデザインはどうなさいますか!?」


「閣下! 招待客のリストが三千人を超えております!」


「料理のメニューは!? 引き出物は!?」


矢継ぎ早に飛んでくる質問の嵐。


私は遠い目をした。


「……ねえ、シルベスター様」


「なんだ?」


「結婚式って……『寝ていれば終わる』わけにはいきませんよね?」


「……残念ながら、主役が寝ているわけにはいかんだろうな」


「……はぁ。また睡眠不足の日々が始まりそうですね」


「だが、その先には最高の初夜(安眠)が待っているぞ」


「……それだけを励みに頑張ります」


こうして、私たちは次なる戦場へと足を踏み入れた。


幸せだけど、やっぱり忙しい。


そんなドタバタな日々も、この人と一緒なら悪くないかもしれない。


私はシルベスターと顔を見合わせ、覚悟を決めて笑った。
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