「婚約破棄? ええ、どうぞ!(食い気味)」

黒猫かの

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「隣国へ行く前に、まずは完璧な変装が必要ですわ!」


宿に戻るなり、私は拳を握りしめて宣言しました。
隣国への逃避行。それは歴史に名を残す大冒険のはずです。
そんな記念すべき門出に、この「いかにも公爵令嬢ですわ」という顔と格好で挑むのは、プロの自由人として失格というものでしょう。


シオンさんは、ベッドの上に並べた私の宝石類を眺めながら、困ったように眉を下げました。


「変装か。確かに、その燃えるような赤髪は目立ちすぎるからね。……で、具体的にどんな策があるんだい?」


「ふふふ、見ていらっしゃい! 私のクローゼット……ではなくトランクの中には、あらゆる事態を想定した秘密兵器が入っていますのよ!」


私はトランクの底から、一本の太い眉墨と、泥棒が被るような黒い目出し帽、そしてどこで手に入れたのか自分でも忘れた「付け髭」を取り出しました。
さっそく鏡に向かい、鼻の下に立派なカイゼル髭を装着し、眉毛を三倍くらいの太さに描き込みます。


「……どうかしら、シオンさん。これなら実の父ですら、私を『最近元気な中年男性』と見間違えるはずですわ!」


鏡の中には、絶世の美女の面影を完全に抹殺した、何か得体の知れないクリーチャーが映っていました。
自信満々で振り返る私に、シオンさんは数秒間の沈黙の後、椅子から転げ落ちんばかりに笑い出しました。


「ははは! ははははは! リオナ、君は……君という女は……!」


「あら、そんなに絶賛してくださるなんて。やはり私の変装センスは天才的でしたのね?」


「逆だよ! 目立ちすぎて衛兵に捕まるどころか、見世物小屋に勧誘されるレベルだ! ……いいから、その髭を今すぐ捨てなさい。顔の墨も拭くんだ」


シオンさんは涙を拭いながら立ち上がると、私の手から眉墨を取り上げました。
そして、彼が持っていた地味な灰色のマントを私に羽織らせ、大きなフードを深く被せます。


「変装っていうのはね、個性を消すことなんだ。君みたいに『新しい個性を爆発させる』ことじゃないんだよ」


「ちぇっ、つまらないですわ。あの髭、意外と鼻の下が暖かくて気に入っていましたのに……」


私は不満げに唇を尖らせましたが、シオンさんの差し出した鏡を見て納得しました。
フードを深く被れば、確かにどこにでもいる旅人の娘に見えます。
……まあ、中身は「婚約破棄されて歓喜している元公爵令嬢」という劇毒物ですけれど。


宿をチェックアウトし、私たちは人混みに紛れて王都の城門へと向かいました。
門の前では、先ほどの騎士たちが目を皿のようにして通行人をチェックしています。
私の心臓は少しだけ早鐘を打ちましたが、隣を歩くシオンさんの落ち着いた足取りが、不思議と安心感を与えてくれました。


「……おい、そこの二人。止まれ」


門番の声に、私は思わず背筋を伸ばしそうになりました。
いけない、公爵令嬢の癖で「不敬ですよ」と言いそうになる口を必死に抑えます。


「旅の者か? 顔を見せろ」


シオンさんが一歩前に出て、慣れた手つきで通行証を差し出しました。


「隣国へ帰る商人と、その妹です。妹は極度の恥ずかしがり屋でしてね。……ほら、挨拶しなさい」


シオンさんに背中を小突かれ、私は極限まで声を低くして答えました。


「……ごきげんよう。ではなく、うっす。お疲れ様っす」


門番は、私の奇妙な挨拶に一瞬眉を寄せましたが、シオンさんがさりげなく握らせた銀貨の効果か、すぐに興味を失ったようです。


「……行け行け。変な女だな」


門を通り抜け、王都の外へと続く街道に出た瞬間、私は肺が破れんばかりに空気を吸い込みました。


「今の、聞こえました!? シオンさん! 私、初めて他人から『変な女』と呼ばれましたわ!」


「……普通はショックを受ける言葉だと思うけどね」


「いいえ! 公爵家では『完璧な令嬢』『非の打ち所がない王妃候補』なんていう、吐き気のするような退屈な称号ばかりでしたのよ? それに比べて『変な女』! なんて自由で、個性的で、輝かしい響きかしら!」


私は街道の真ん中でくるりと一回転し、灰色のマントを翻しました。
重苦しい王都の門が遠ざかっていく。
私を縛り付けていたすべての鎖が、音を立てて崩れ去っていく感覚。


シオンさんは、私のそんな姿を眩しそうに見つめていました。


(……変な女、か。確かにその通りだ)


シオンは心の中で呟きました。
彼がこれまでに出会ってきた女性たちは、誰もが自分を美しく、あるいは賢く見せようと必死でした。
王子の婚約者という座を捨てて、鼻の下に付け髭を貼って喜ぶ令嬢など、この世界のどこを探してもいないでしょう。


(計算がない。裏表もない。ただ、自分の心が動く方へ全力で突き進む……。毒気どころか、清々しさすら感じるな)


「シオンさん? どうかなさいました? あ、もしかして私の変装があまりに完璧すぎて、隣にいるのがリオナだと気づかなかったのかしら?」


「……そうだね。君のあまりの『変人ぶり』に、正体を見失いそうだよ」


シオンさんは苦笑しながら、私の先を行くように歩き出しました。


「さあ、急ごう。この先には、君の知らない美味しい名産品が山ほどある街があるんだ。……付け髭よりは、そっちの方が楽しめると思うよ」


「まあ! それを早くおっしゃって! 行きましょう、シオンさん! 私の胃袋は、もう次の冒険の準備ができていましてよ!」


私はシオンさんの後を追って、元気よく駆け出しました。
「変な女」という新しい称号を胸に。


私たちの逃避行――いえ、美食と自由の遠足が、本格的に幕を開けたのでした。
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