「婚約破棄? ええ、どうぞ!(食い気味)」

黒猫かの

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「おーっほっほっほ! 埃の子らよ、年貢の納め時ですわ! このリオナが、地獄の果てまで追い詰めて差し上げますわ!」

バケツに汲んだ水に、真っ白な雑巾を浸して絞る。
その絞り加減一つとっても、私は一切の妥協を許しませんわ。

公爵令嬢として、最高級の調度品に囲まれて育った私には分かるのです。
この大理石の床、この黒檀の机、そしてこの繊細なガラス窓が、何を求めているのかが!

「まずは窓! 太陽の光を遮る不届きな曇りなど、私の前では無力ですわ!」

私は窓枠に飛び乗ると、両手に持った雑巾をまるで舞踏会のステップのように滑らせました。
キュッ、キュキュッ、と軽快な音が響くたびに、窓ガラスが消え去ったかのような透明度を取り戻していきます。

「あら、ここには指紋が。シオン殿下、さては昨夜、ここから月を眺めて物思いに耽っていらしたわね? その感傷ごと、綺麗に拭き取って差し上げますわ!」

窓を終わらせると、次はシオン殿下の机です。
そこには、かつてのヴィンス王子の執務室と同じように、書類が山積……いえ、こちらは少しマシですわね。
ですが、分類が甘いですわ! 甘すぎますわ! まるでお砂糖たっぷりのボナボン菓子ですわ!

「緊急、保留、ゴミ……いえ、検討事項。この三つに分けるだけで、人生の三割は得をしますのに。……よし、やりますわよ!」

私は雑巾を一旦置き、袖をさらに捲り上げました。
侍女の仕事は掃除だけではありません。主人の生活を円滑に回すこと。
つまり、この書類の山を『瞬殺』することこそ、プロの侍女への近道ですわ!

「これは予算案、これは地方からの陳情、これは……まあ、どこぞの令嬢からの恋文? これは『燃料』の箱に直行ですわね!」

猛烈な勢いで書類を捌き、インクの汚れを落とし、ペン先を磨き上げる。
さらに、クローゼットの衣装も色分けと素材ごとに並べ替え、靴の鏡面磨きまで完璧に終わらせました。

作業開始から、わずか一時間。
シオン殿下の部屋は、もはや「清浄な聖域」と化していました。

そこへ、進捗を確認しに来た侍女長が足を踏み入れました。

「……リオナ、様子はどうだえ。あまりの広さに、どこから手をつけていいか分からず泣いているのでは――」

侍女長の言葉が、室内の光景を目にした瞬間に止まりました。
彼女は眼鏡をかけ直し、三回ほど瞬きを繰り返しました。

「……な、なんだえ。この異常なまでの光沢は。窓がないのかと思ったら、磨きすぎで透明になっているだけ……? それに、この書類の山はどうしたえ!?」

「おーっほっほっほ! 終わりましたわ、侍女長様! ついでに殿下のスケジュール管理と、衣装のコーディネート案も三パターンほど作成しておきましたわ。いかがかしら?」

「いかがも何も……お前、一人でやったのかえ? 通常、この規模の清掃と整理には、熟練の侍女が三人がかりで半日はかかるはずだが……」

「私を誰だと思っていて? 私はかつて、一晩で公爵家の十年分の帳簿を洗い直し、不正を働いた代官を三名ほど社会的に抹殺した女ですわよ。掃除の一つや二つ、朝飯前ですわ!」

私が胸を張っていると、廊下から聞き慣れた足音が近づいてきました。
シオン殿下ですわ。

「やあ、私の部屋の侍女が、あまりの気迫で掃除をしていると噂になっていてね。……って、なんだこれは」

入室したシオン殿下も、自分の部屋の変わりように絶句していました。
彼は恐る恐る自分の机に指を触れようとし、あまりの輝きに反射的に手を引っ込めました。

「リオナ……これ、本当に私の部屋か? どこかの展示場に迷い込んだ気分なんだが」

「殿下、おかえりなさいませ! 窓掃除、終わりましたわよ。ついでに、机の右から二番目の引き出しに入っていた、三年前の腐ったリンゴも処分しておきましたわ。衛生管理がなっていませんわね!」

「……あ、あれは、その、実験用で……」

シオン殿下は顔を赤くして視線を逸らしました。
どうやら、王子という生き物はどこの国でも少しだけズボラなようですわね。

「殿下、次はどこを磨けばよろしい? 庭園の噴水? それとも、この王宮の屋根瓦一枚一枚を磨いて、太陽光を反射させて隣国まで眩しくして差し上げましょうか?」

「……やめてくれ。それだと私の国が、文字通り『輝きすぎて』滅びてしまう」

シオン殿下は苦笑しながら、私のエプロンについたわずかな埃を払ってくれました。

「それにしても、驚いたよ。君を雇ったのは正解だった。……だが、無理はしないでくれ。君がいきなりこんなに働くと、他の侍女たちが職を失うと泣きついてくる」

「あら、それなら彼女たちも私の『スパルタ式・時短掃除術』を伝授して差し上げますわ! まずはスクワット百回から始めますのよ!」

「……リオナ。彼女たちは侍女であって、騎士団員じゃないんだよ」

シオン殿下と侍女長が顔を見合わせて溜息をつきました。
ですが、私の情熱は止まりません。

労働! なんて素晴らしい響き!
自分の力で環境を変え、誰かに感謝(あるいは畏怖)される。
公爵令嬢として、ただ座っていた頃には得られなかった万能感が、私の体を駆け巡っています。

「さあ! 次の獲物はどこですの!? 埃のあるところ、リオナあり! 汚部屋の救世主、リオナ、参りますわ!」

私はバケツを振り回しながら、次の戦場を求めて廊下へと駆け出しました。
背後でシオン殿下が「誰か彼女を止めてくれ……いや、やっぱりそのまま磨かせておけ」と呟く声が聞こえましたが、私の耳にはもう、埃の断末魔しか届いていなかったのでした。
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