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「……おい。この、山積みになっている『何か』は一体なんだ」
ヴィンス王子は、引きつった笑みを浮かべながら、かつては整然としていたはずの執務机を指差した。
そこには、報告書、請願書、条約の草案、さらには誰のものかも分からない食べかけの焼き菓子が、地層のように重なり合っていた。
「殿下、それは……ミリア様が『可愛いリボンで結んだら書類も楽しくなるわ!』とおっしゃって、一度バラバラにしてから結び直した書類群でございます」
近衛騎士が、遠い目をして答えた。
「リボンで結ぶ? そんな暇があるなら、日付順に並べろと言ったはずだ! おかげで、一週間前に返答すべきだった隣国の親書が、今朝、お菓子のクズの中から発見されたではないか!」
ヴィンスは執務室に響き渡る声で叫んだ。
あまりのストレスに、自慢の金髪も少し脂ぎっているように見える。
そこへ、ふわふわとしたピンク色のドレスを揺らしながら、ミリアが花を持って現れた。
「ヴィンス殿下! 見てくださいまし、お庭に綺麗なお花が咲いていましたの。殺風景なお部屋に飾って差し上げますわ!」
「ミリア……。今、私はそれどころではないのだ。この書類の山を見てくれ。君がリボンを結んだせいで、中身が全く分からなくなっている」
「あら、酷いですわ! 私、殿下がお仕事を楽しく進められるようにって、一生懸命選んだリボンなのに! リオナ様なら、もっと『あら、いい趣味ね』って皮肉の一つでも言って、すぐに片付けてくださったはずですわよ!」
ミリアはぷくっと頬を膨らませて、花瓶に花をドサリと活けた。
勢い余って、花瓶の水が重要な予算案の上にバシャリと飛び散る。
「……あ。濡れちゃいましたわ。でも、お水なら乾けば大丈夫ですわよね?」
「ミリアァァァ!! それは先ほど書き直したばかりの、国防費の最終案だぞ!」
ヴィンスは椅子から転げ落ちんばかりに立ち上がり、濡れた書類を必死に扇いだ。
しかし、上質な紙は水を吸って無残にふやけ、文字は滲んで解読不能になっていく。
「……殿下。失礼ながら、リオナ様がいらっしゃった頃は、このような事態は一度もございませんでした」
近衛騎士が、淡々と事実を告げた。
「分かっている! 言われなくても分かっている! ……あのアリのような勤勉女め、いなくなってからというもの、この城の機能が目に見えて低下しているではないか!」
ヴィンスは苛立ちを隠さず、机を叩いた。
かつては、彼が朝、執務室に来る頃には、全ての書類が「重要度別」に色分けされたファイルに収められていた。
インクが切れていることもなければ、ペン先が汚れていることもない。
彼がやるべきことは、リオナが要約したメモを読み、最後に署名をするだけだったのだ。
「なぜだ……。なぜ、あんな嫌味な女がやっていたことが、この私にできない! 掃除一つとってもそうだ。なぜ、床がこんなにベタついているんだ!」
「それは、ミリア様がお掃除の最中に『いい香りがした方が素敵よ!』と、床に大量の香油を撒かれたからでございます」
「……だから、さっきから滑って歩きにくいのか」
ヴィンスは頭を抱えた。
「リオナなら、私の歩幅に合わせて絨毯の毛並みまで整えていたというのに……。くそっ、あいつは今頃どこで何をしている! 公爵家も『行方不明だ』の一点張りだし、追跡すらままならん!」
「殿下。風の噂では、リオナ様は隣国へ向かったという話もございますが……」
「隣国だと!? あんな可愛げのない女、隣国の野蛮な連中に使いこなせるはずがない! 今頃は道端で野垂れ死んでいるか、泣きながら私の名前を呼んでいるに決まっている!」
ヴィンスは自分に言い聞かせるように叫んだ。
しかし、彼の心にあるのは、勝利感ではなく、正体不明の「焦燥感」だった。
リオナがいれば、この書類も、このベタつく床も、このうるさいミリアも、全て完璧に処理してくれたはずなのだ。
「ヴィンス殿下ぁ、お腹が空きましたわ。お仕事なんて放り出して、一緒にケーキを食べに行きましょう?」
ミリアが王子の腕に絡みつく。
以前なら「可愛い奴め」と鼻の下を伸ばしていたヴィンスだったが、今はその甘い声が、耳元で鳴る蚊の羽音のように不快だった。
「……ミリア。悪いが、私はこの書類を書き直さなければならない。一人で行ってこい」
「まあ! 殿下が私に冷たくするなんて! もう、大嫌いですわ!」
ミリアは再び足を踏み鳴らして部屋を出て行った。
扉が閉まる大きな音が、ヴィンスの頭痛をさらに悪化させる。
「……おい。今の大きな音で、机の上の書類の山が崩れたぞ」
「……左様でございますね。……あ、一番下から、先月の赤字決済の報告書が出てきました」
「見せるな! 今は見たくない!」
ヴィンスは椅子に深く沈み込み、天井を見上げた。
天井の隅に、小さな蜘蛛の巣が張っている。
リオナがいれば、あんなものは存在すら許されなかっただろう。
「……リオナ。貴様、どこまで私に恥をかかせれば気が済むのだ……」
ヴィンス王子のイライラは、もはや沸点を超えようとしていた。
彼が本当の意味で「リオナという存在の大きさ」を知るには、もう少しだけ時間が必要だったが、その時には既に、全てが手遅れになっていることにも、彼はまだ気づいていない。
執務室には、ただ、崩れ落ちた書類の雪崩の音だけが虚しく響いていた。
ヴィンス王子は、引きつった笑みを浮かべながら、かつては整然としていたはずの執務机を指差した。
そこには、報告書、請願書、条約の草案、さらには誰のものかも分からない食べかけの焼き菓子が、地層のように重なり合っていた。
「殿下、それは……ミリア様が『可愛いリボンで結んだら書類も楽しくなるわ!』とおっしゃって、一度バラバラにしてから結び直した書類群でございます」
近衛騎士が、遠い目をして答えた。
「リボンで結ぶ? そんな暇があるなら、日付順に並べろと言ったはずだ! おかげで、一週間前に返答すべきだった隣国の親書が、今朝、お菓子のクズの中から発見されたではないか!」
ヴィンスは執務室に響き渡る声で叫んだ。
あまりのストレスに、自慢の金髪も少し脂ぎっているように見える。
そこへ、ふわふわとしたピンク色のドレスを揺らしながら、ミリアが花を持って現れた。
「ヴィンス殿下! 見てくださいまし、お庭に綺麗なお花が咲いていましたの。殺風景なお部屋に飾って差し上げますわ!」
「ミリア……。今、私はそれどころではないのだ。この書類の山を見てくれ。君がリボンを結んだせいで、中身が全く分からなくなっている」
「あら、酷いですわ! 私、殿下がお仕事を楽しく進められるようにって、一生懸命選んだリボンなのに! リオナ様なら、もっと『あら、いい趣味ね』って皮肉の一つでも言って、すぐに片付けてくださったはずですわよ!」
ミリアはぷくっと頬を膨らませて、花瓶に花をドサリと活けた。
勢い余って、花瓶の水が重要な予算案の上にバシャリと飛び散る。
「……あ。濡れちゃいましたわ。でも、お水なら乾けば大丈夫ですわよね?」
「ミリアァァァ!! それは先ほど書き直したばかりの、国防費の最終案だぞ!」
ヴィンスは椅子から転げ落ちんばかりに立ち上がり、濡れた書類を必死に扇いだ。
しかし、上質な紙は水を吸って無残にふやけ、文字は滲んで解読不能になっていく。
「……殿下。失礼ながら、リオナ様がいらっしゃった頃は、このような事態は一度もございませんでした」
近衛騎士が、淡々と事実を告げた。
「分かっている! 言われなくても分かっている! ……あのアリのような勤勉女め、いなくなってからというもの、この城の機能が目に見えて低下しているではないか!」
ヴィンスは苛立ちを隠さず、机を叩いた。
かつては、彼が朝、執務室に来る頃には、全ての書類が「重要度別」に色分けされたファイルに収められていた。
インクが切れていることもなければ、ペン先が汚れていることもない。
彼がやるべきことは、リオナが要約したメモを読み、最後に署名をするだけだったのだ。
「なぜだ……。なぜ、あんな嫌味な女がやっていたことが、この私にできない! 掃除一つとってもそうだ。なぜ、床がこんなにベタついているんだ!」
「それは、ミリア様がお掃除の最中に『いい香りがした方が素敵よ!』と、床に大量の香油を撒かれたからでございます」
「……だから、さっきから滑って歩きにくいのか」
ヴィンスは頭を抱えた。
「リオナなら、私の歩幅に合わせて絨毯の毛並みまで整えていたというのに……。くそっ、あいつは今頃どこで何をしている! 公爵家も『行方不明だ』の一点張りだし、追跡すらままならん!」
「殿下。風の噂では、リオナ様は隣国へ向かったという話もございますが……」
「隣国だと!? あんな可愛げのない女、隣国の野蛮な連中に使いこなせるはずがない! 今頃は道端で野垂れ死んでいるか、泣きながら私の名前を呼んでいるに決まっている!」
ヴィンスは自分に言い聞かせるように叫んだ。
しかし、彼の心にあるのは、勝利感ではなく、正体不明の「焦燥感」だった。
リオナがいれば、この書類も、このベタつく床も、このうるさいミリアも、全て完璧に処理してくれたはずなのだ。
「ヴィンス殿下ぁ、お腹が空きましたわ。お仕事なんて放り出して、一緒にケーキを食べに行きましょう?」
ミリアが王子の腕に絡みつく。
以前なら「可愛い奴め」と鼻の下を伸ばしていたヴィンスだったが、今はその甘い声が、耳元で鳴る蚊の羽音のように不快だった。
「……ミリア。悪いが、私はこの書類を書き直さなければならない。一人で行ってこい」
「まあ! 殿下が私に冷たくするなんて! もう、大嫌いですわ!」
ミリアは再び足を踏み鳴らして部屋を出て行った。
扉が閉まる大きな音が、ヴィンスの頭痛をさらに悪化させる。
「……おい。今の大きな音で、机の上の書類の山が崩れたぞ」
「……左様でございますね。……あ、一番下から、先月の赤字決済の報告書が出てきました」
「見せるな! 今は見たくない!」
ヴィンスは椅子に深く沈み込み、天井を見上げた。
天井の隅に、小さな蜘蛛の巣が張っている。
リオナがいれば、あんなものは存在すら許されなかっただろう。
「……リオナ。貴様、どこまで私に恥をかかせれば気が済むのだ……」
ヴィンス王子のイライラは、もはや沸点を超えようとしていた。
彼が本当の意味で「リオナという存在の大きさ」を知るには、もう少しだけ時間が必要だったが、その時には既に、全てが手遅れになっていることにも、彼はまだ気づいていない。
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※※※
冤罪で父と共に殺された少女が、巻き戻った先で復讐を果たす物語(大団円に非ず)
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
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