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「……このワイン、市場価格でボトル一本金貨五枚ですね。原価率を考えると、この店の利益率は約三百パーセント。暴利です」
王都を見下ろす丘の上に建つ、最高級レストランの個室。
眼下には宝石箱をひっくり返したような夜景が広がっているが、私はグラスの中の液体と、メニュー表の数字を交互に見比べていた。
向かいに座るクラウス公爵は、苦笑しながらカトラリーを置いた。
「アイーダ。せっかくのディナーだ。計算機を一度鞄にしまわないか?」
「できません、閣下。数字を見ると自動的に計算してしまうのは、私の職業病(OSの仕様)ですので」
「……ムードも何もないな」
「ムードで料理の味が変わるわけではありません。重要なのはコストパフォーマンスです」
私は冷静に切り返しながら、フォアグラのソテーを口に運んだ。
美味しい。
悔しいけれど、金貨五枚分の価値はある。
今日は週末。
突然クラウスに「重要な商談がある」と呼び出され、連れてこられたのがこの店だった。
商談というからには、国の予算案か、あるいは隣国との貿易協定の話だと思っていたのだが……。
「……で、商談とは何です? まさか、この店の買収計画ですか?」
私が尋ねると、クラウスは真剣な眼差しで私を見つめた。
その瞳の奥には、いつも以上の鋭い光が宿っている。
「いや。もっと大規模で、長期的なプロジェクトの話だ」
「ほう?」
「単刀直入に言おう。……我がベルンシュタイン家と、君のローゼンバーグ家の『合併(M&A)』についてだ」
私はフォークを止めた。
「合併……? 両家の資産統合ですか? それは法的に複雑な手続きが必要ですが」
「法的な手続きの名称は『婚姻届』と言うらしいがな」
「…………はい?」
私は数秒間、フリーズした。
脳内の検索エンジンがフル稼働する。
婚姻届。合併。資産統合。
「……つまり、プロポーズですか?」
「広義にはそうなる」
クラウスはグラスを揺らし、まるで明日の天気の話でもするように続けた。
「アイーダ。私はこの一ヶ月、君の働きぶりを観察してきた。その結果、ある結論に達したんだ」
「結論?」
「君と私は、似ているようで異なるスキルセットを持っている。私は『守り』の資産管理が得意だが、君は『攻め』の収益化に長けている。この二つが組み合わされば、どうなると思う?」
「……相互補完によるシナジー効果が生まれますね」
「その通りだ」
クラウスは身を乗り出した。
「シミュレーションを行ってみた。もし私が君と結婚し、家計および領地経営を共同で行った場合……我が家の資産運用益は、現在の二百パーセント向上するという試算が出た」
「に、二百パーセント……!?」
私は目を見開いた。
通常、企業の合併でも一二〇パーセントいけば大成功だ。
それが二百パーセント。
驚異的な数字である。
「さらに、配偶者控除による節税効果、両家の政治的基盤の統合による影響力拡大、そして何より……君という優秀なパートナーを独占できることによる、私の精神的安定(メンタルヘルス)の向上。これらを金額換算すると、天文学的な数字になる」
クラウスは熱っぽく語る。
愛の言葉は一つもない。
あるのは「利益」と「効率」と「数字」だけだ。
しかし、なぜだろう。
今まで聞いたどんな詩や口説き文句よりも、私の胸が高鳴っているのは。
「……メリットは提示されました」
私は震える声を抑え、努めて冷静に問い返した。
「ベルンシュタイン家にとっての利益は理解しました。では、私(被買収側)への配当は?」
「配当?」
「ええ。合併にはリスクも伴います。私が自由を失う対価として、貴方は何を支払ってくれるのですか?」
クラウスはニヤリと笑った。
待っていましたと言わんばかりの表情だ。
「第一に、ベルンシュタイン家の全資産の管理権限を君に譲渡する」
「全資産!? 国一番の資産家の財布を、私が握るのですか?」
「ああ。君の好きなように運用してくれ。私が口を出すことはない。君の方が上手いからな」
「ごくり……」
私は喉を鳴らした。
それは投資家にとって、垂涎の餌だ。
「第二に、君の事業『黒字屋』への無制限の出資。さらに、王家の権力を使ったバックアップも約束しよう。邪魔する者がいれば、私が宰相権限で排除する」
「な、なんて魅力的な……」
「そして第三に」
クラウスは席を立ち、私の椅子の前で片膝をついた。
周囲の客が「きゃあ!」と騒ぎ出すが、彼は気にしない。
彼は私の手を取り、その冷たい指先で私の手の甲を撫でた。
「……私は、君以外の人間には興味がない。私の人生という『時間資産』を、君だけのために投資すると誓おう」
その瞳が、至近距離で私を射抜く。
「他の女にうつつを抜かすような無駄なコストは一切発生しない。君だけを見て、君だけを愛し、君と共に数字を積み上げていく。……どうだ? 悪い取引(ディール)ではないだろう?」
完璧だ。
ロベルトの薄っぺらい「真実の愛」とは比べ物にならない。
ここには「確実性」と「将来性」、そして揺るぎない「信頼」がある。
私は計算機をテーブルに置いた。
そして、彼の手を強く握り返した。
「……利益率、測定不能(エラー)。ですが、極めて高利回りの優良物件と判断しました」
「ということは?」
「独占交渉権を認めます。……ただし」
私はふふっと笑い、彼の顔に顔を寄せた。
「まずは『デューデリジェンス(資産査定)』からです。お試し期間として、まずは婚約から。実際に生活してみて、本当に二百パーセントの利益が出るか、厳しくチェックさせていただきますよ?」
「望むところだ。私の帳簿に隠し事はない」
クラウスは満足げに微笑むと、私の手の甲に口付けた。
「契約成立(アグリー)だ。……愛しているよ、私の計算機(パートナー)」
「ええ。私も好ましく思っていますわ、私の金庫(スポンサー)」
私たちは見つめ合い、優雅に微笑んだ。
ロマンチックな夜景も、高級なワインも、今の私たちには単なる背景(BGM)に過ぎない。
これから始まる、国一番の富豪カップルによる「最強の資産形成プロジェクト」。
その未来予想図(バランスシート)は、黄金色に輝いていた。
……その直後、ウェイターが震えながら伝票を持ってきた。
「お、お会計を……」
クラウスが払おうとする手を、私はバシッと制した。
「待って。この請求書の『サービス料』、計算が合わないわ。一〇パーセントのはずが、一二パーセントになってる。……店長を呼びなさい」
「……あ、アイーダ。今はいいじゃないか」
「公私混同はしません。一円の誤差も許さない。それが私の、そして将来のベルンシュタイン公爵夫人の流儀ですから」
「……ふっ。やはり君には敵わないな」
クラウスは呆れつつも、どこか誇らしげに私を見ていた。
こうして、私たちの「愛のM&A」は、店長への厳重注意と請求額の訂正から幕を開けたのだった。
王都を見下ろす丘の上に建つ、最高級レストランの個室。
眼下には宝石箱をひっくり返したような夜景が広がっているが、私はグラスの中の液体と、メニュー表の数字を交互に見比べていた。
向かいに座るクラウス公爵は、苦笑しながらカトラリーを置いた。
「アイーダ。せっかくのディナーだ。計算機を一度鞄にしまわないか?」
「できません、閣下。数字を見ると自動的に計算してしまうのは、私の職業病(OSの仕様)ですので」
「……ムードも何もないな」
「ムードで料理の味が変わるわけではありません。重要なのはコストパフォーマンスです」
私は冷静に切り返しながら、フォアグラのソテーを口に運んだ。
美味しい。
悔しいけれど、金貨五枚分の価値はある。
今日は週末。
突然クラウスに「重要な商談がある」と呼び出され、連れてこられたのがこの店だった。
商談というからには、国の予算案か、あるいは隣国との貿易協定の話だと思っていたのだが……。
「……で、商談とは何です? まさか、この店の買収計画ですか?」
私が尋ねると、クラウスは真剣な眼差しで私を見つめた。
その瞳の奥には、いつも以上の鋭い光が宿っている。
「いや。もっと大規模で、長期的なプロジェクトの話だ」
「ほう?」
「単刀直入に言おう。……我がベルンシュタイン家と、君のローゼンバーグ家の『合併(M&A)』についてだ」
私はフォークを止めた。
「合併……? 両家の資産統合ですか? それは法的に複雑な手続きが必要ですが」
「法的な手続きの名称は『婚姻届』と言うらしいがな」
「…………はい?」
私は数秒間、フリーズした。
脳内の検索エンジンがフル稼働する。
婚姻届。合併。資産統合。
「……つまり、プロポーズですか?」
「広義にはそうなる」
クラウスはグラスを揺らし、まるで明日の天気の話でもするように続けた。
「アイーダ。私はこの一ヶ月、君の働きぶりを観察してきた。その結果、ある結論に達したんだ」
「結論?」
「君と私は、似ているようで異なるスキルセットを持っている。私は『守り』の資産管理が得意だが、君は『攻め』の収益化に長けている。この二つが組み合わされば、どうなると思う?」
「……相互補完によるシナジー効果が生まれますね」
「その通りだ」
クラウスは身を乗り出した。
「シミュレーションを行ってみた。もし私が君と結婚し、家計および領地経営を共同で行った場合……我が家の資産運用益は、現在の二百パーセント向上するという試算が出た」
「に、二百パーセント……!?」
私は目を見開いた。
通常、企業の合併でも一二〇パーセントいけば大成功だ。
それが二百パーセント。
驚異的な数字である。
「さらに、配偶者控除による節税効果、両家の政治的基盤の統合による影響力拡大、そして何より……君という優秀なパートナーを独占できることによる、私の精神的安定(メンタルヘルス)の向上。これらを金額換算すると、天文学的な数字になる」
クラウスは熱っぽく語る。
愛の言葉は一つもない。
あるのは「利益」と「効率」と「数字」だけだ。
しかし、なぜだろう。
今まで聞いたどんな詩や口説き文句よりも、私の胸が高鳴っているのは。
「……メリットは提示されました」
私は震える声を抑え、努めて冷静に問い返した。
「ベルンシュタイン家にとっての利益は理解しました。では、私(被買収側)への配当は?」
「配当?」
「ええ。合併にはリスクも伴います。私が自由を失う対価として、貴方は何を支払ってくれるのですか?」
クラウスはニヤリと笑った。
待っていましたと言わんばかりの表情だ。
「第一に、ベルンシュタイン家の全資産の管理権限を君に譲渡する」
「全資産!? 国一番の資産家の財布を、私が握るのですか?」
「ああ。君の好きなように運用してくれ。私が口を出すことはない。君の方が上手いからな」
「ごくり……」
私は喉を鳴らした。
それは投資家にとって、垂涎の餌だ。
「第二に、君の事業『黒字屋』への無制限の出資。さらに、王家の権力を使ったバックアップも約束しよう。邪魔する者がいれば、私が宰相権限で排除する」
「な、なんて魅力的な……」
「そして第三に」
クラウスは席を立ち、私の椅子の前で片膝をついた。
周囲の客が「きゃあ!」と騒ぎ出すが、彼は気にしない。
彼は私の手を取り、その冷たい指先で私の手の甲を撫でた。
「……私は、君以外の人間には興味がない。私の人生という『時間資産』を、君だけのために投資すると誓おう」
その瞳が、至近距離で私を射抜く。
「他の女にうつつを抜かすような無駄なコストは一切発生しない。君だけを見て、君だけを愛し、君と共に数字を積み上げていく。……どうだ? 悪い取引(ディール)ではないだろう?」
完璧だ。
ロベルトの薄っぺらい「真実の愛」とは比べ物にならない。
ここには「確実性」と「将来性」、そして揺るぎない「信頼」がある。
私は計算機をテーブルに置いた。
そして、彼の手を強く握り返した。
「……利益率、測定不能(エラー)。ですが、極めて高利回りの優良物件と判断しました」
「ということは?」
「独占交渉権を認めます。……ただし」
私はふふっと笑い、彼の顔に顔を寄せた。
「まずは『デューデリジェンス(資産査定)』からです。お試し期間として、まずは婚約から。実際に生活してみて、本当に二百パーセントの利益が出るか、厳しくチェックさせていただきますよ?」
「望むところだ。私の帳簿に隠し事はない」
クラウスは満足げに微笑むと、私の手の甲に口付けた。
「契約成立(アグリー)だ。……愛しているよ、私の計算機(パートナー)」
「ええ。私も好ましく思っていますわ、私の金庫(スポンサー)」
私たちは見つめ合い、優雅に微笑んだ。
ロマンチックな夜景も、高級なワインも、今の私たちには単なる背景(BGM)に過ぎない。
これから始まる、国一番の富豪カップルによる「最強の資産形成プロジェクト」。
その未来予想図(バランスシート)は、黄金色に輝いていた。
……その直後、ウェイターが震えながら伝票を持ってきた。
「お、お会計を……」
クラウスが払おうとする手を、私はバシッと制した。
「待って。この請求書の『サービス料』、計算が合わないわ。一〇パーセントのはずが、一二パーセントになってる。……店長を呼びなさい」
「……あ、アイーダ。今はいいじゃないか」
「公私混同はしません。一円の誤差も許さない。それが私の、そして将来のベルンシュタイン公爵夫人の流儀ですから」
「……ふっ。やはり君には敵わないな」
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