悪役令嬢の請求書は青天井!婚約破棄されたので請求しました!

黒猫かの

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「いらっしゃいませ。……おや、一見さんですね」

『黒字屋』のカウンター席。

私がそろばん(最近導入した東方の計算器具)を弾いていると、店内に鼻につく香水の匂いと共に、派手な身なりの男が入ってきた。

脂ぎった顔に、これみよがしな宝石の指輪。
見るからに「私は胡散臭いです」という看板を背負っているような男だ。

「ヒッヒッヒ……。お噂はかねがね、アイーダ嬢。いや、『黒字屋』のオーナー殿」

男は下卑た笑みを浮かべ、私の向かいの席にドカッと座った。

「私は隣国の貿易商、ゴルドフと申します。本日は、貴女様に『ビッグな儲け話』をお持ちしました」

「……儲け話、ですか」

私はそろばんを置いた。

通常、向こうからやってくる儲け話の九割九分は詐欺だ。
残りの一分は、ハイリスク・ローリターンの博打だ。

「結構です。うちは堅実な経営(ローリスク・ハイリターン)を旨としておりますので」

「まあまあ、そう言わずに。……これを見ても、断れますかな?」

ゴルドフは懐から、一粒の宝石を取り出した。

七色に輝く、美しい石だ。

「これは『虹色金剛石(レインボー・ダイヤモンド)』。我が国の鉱山で最近発見された新種の宝石です。これを貴女の店で独占販売してみませんか? 市場に出せば、現在の相場の十倍……いや、百倍の値がつきますぞ」

「……ほう」

私は宝石を手に取り、ルーペで観察した。

カットは完璧。輝きも本物だ。
もしこれが本当に新種の宝石なら、巨万の富を生むだろう。

「条件は?」

「単純です。我が商会と『独占販売契約』を結んでいただきたい。初期投資として金貨一万枚を出資いただければ、今後入荷する全ての虹色金剛石を、貴女の店に優先的に卸しましょう」

「金貨一万枚……」

「高いと思われますか? ですが、リターンは億単位ですぞ? あの『氷の宰相』をも手玉に取った貴女なら、この価値がお分かりでしょう?」

ゴルドフは挑発するようにニヤリと笑った。

私は少し考え込むふりをして、言った。

「……契約書を見せていただけますか?」

「おっと、さすがは慎重派だ。準備しておりますとも」

ゴルドフが鞄から取り出したのは、辞書のように分厚い羊皮紙の束だった。

「こちらが契約書の全文です。まあ、形式的な条文ばかりですがね。サインはこちらへ」

彼はペラペラとページをめくり、最後の署名欄だけを示した。

普通の人間なら、この分厚さに辟易して、中身を読まずにサインするだろう。
あるいは、読んだとしても専門用語の羅列に頭がパンクするはずだ。

だが。

「……読ませていただきます」

私は契約書を最初からめくり始めた。

「えっ? い、いや、全部読むのですか? 日が暮れてしまいますよ?」

「契約とは、署名する前が一番重要(クリティカル)な時間です。……お茶のおかわりを」

私はミシェルにお茶を頼み、猛烈な速度で読み始めた。

パラパラパラパラ……!

私の目はスキャナーのように文字を追う。

第一条、甲は乙に対し……問題なし。
第十条、利益配分率は……妥当。
第五十条、輸送コストの負担区分は……ふむ、少しこちらの負担が大きいが許容範囲。

一時間後。

私は最後のページまで読み終えた。

ゴルドフは欠伸を噛み殺しながら、「どうです? 問題ないでしょう?」と言った。

「……ええ。表面上は、ね」

私は最後のページの、署名欄の下。
余白にしか見えない白い部分を指差した。

「ゴルドフさん。ここの『シミ』のような点……これ、何ですか?」

「へ? あ、ああ、それはインクの汚れでしょう。気にせずサインを……」

「いいえ。ミシェル、特製ルーペを持ってきて」

「はーい!」

ミシェルが持ってきたのは、宝石鑑定用の高倍率ルーペだ。

私はそれを「シミ」に当て、ゴルドフに突きつけた。

「……これ、文字ですよね?」

「っ……!?」

ゴルドフの顔が引きつった。

ルーペ越しに見えたのは、極小の、それこそフォントサイズ2pt程度の文字で書かれた、とんでもない条文だった。

『※特記事項:本契約の締結と同時に、甲(アイーダ)は乙(ゴルドフ)に対し、虹色金剛石の採掘権維持費として、毎月金貨五千枚を支払う義務を負う。また、乙が破産した場合、甲はその全負債を肩代わりするものとする』

「……随分と可愛い文字で、可愛くないことを書いていますね」

私は冷ややかな声で読み上げた。

「毎月金貨五千枚の維持費? さらに負債の肩代わり? ……これが『ビッグな儲け話』の正体ですか?」

「ち、違う! それは印刷ミスだ! 誤植だ!」

ゴルドフが慌てて言い訳をする。

「誤植でこんな具体的な数字が入りますか。……要するに、貴方は採掘権の維持費で首が回らなくなって、その負債を私に押し付けるために来た。違いますか?」

「ぐぬぬ……!」

図星だったようだ。
ゴルドフは開き直り、ふてぶてしく笑った。

「……ふん! バレたなら仕方がない。だが、契約は成立しないだけだ。私は帰らせてもらう!」

彼は契約書をひったくり、席を立とうとした。

「おっと、逃がしませんよ」

ガシッ!

私の合図で、店長と元商会員たちがゴルドフを取り囲んだ。

「な、なんだ! 暴力沙汰か!? 憲兵を呼ぶぞ!」

「呼ぶのはこちらです。……詐欺未遂現行犯でね」

私はゆったりと紅茶を飲んだ。

「それに、貴方は一つ大きなミスをしました」

「ミスだと?」

「先ほど貴方が提示したその『虹色金剛石』。……それ、偽物ですよね?」

「なっ……!?」

「ルーペで見た時、気泡が入っていました。それはガラス玉を加工し、着色魔法をかけただけの模造品。……原価、銅貨一枚といったところかしら」

私はニッコリと笑った。

「偽物を本物と偽り、不当な契約を結ばせようとした。これは立派な『詐欺罪』。さらに、極小文字による有利誤認を誘う契約書……これは『国際商取引法』違反です」

「そ、そんな法律、この国には……!」

「ありますよ。私が昨日、クラウス公爵に進言して作ってもらいましたから」

「なにぃぃっ!?」

「法の遡及適用はできませんが、本日の施行には間に合っています。……さて、どうしますか?」

私は懐から、別の契約書を取り出した。

「警察に突き出されて、鉱山の権利も何もかも没収されて牢屋に入るか。……それとも、この『和解契約書』にサインして、私に慈悲を乞うか」

「わ、和解……?」

ゴルドフは縋るようにその契約書を見た。

そこには、デカデカとしたフォントサイズでこう書かれていた。

『甲(ゴルドフ)は、乙(アイーダ)に対し、迷惑料として現在保有する全財産(鉱山採掘権、商船、および着ている服)を譲渡する。これにより、乙は甲の詐欺行為を不問とする』

「ぜ、全財産だとぉぉぉ!?」

「おや、嫌ですか? 牢屋暮らしの方がお好きなら、ご自由に」

私はチラリと入り口を見た。

そこには、通報を受けた憲兵たちが到着しつつあった。

「ひぃぃぃ! わ、わかった! サインする! サインするから助けてくれぇ!」

ゴルドフは泣きながらペンを握り、震える手で署名した。

「……契約成立(ディール)です」

私は契約書を回収し、満足げに頷いた。

「これで貴方の鉱山も船も、私のものです。……ああ、服も置いていってくださいね。生地は悪くないので、古着として売れますから」

「そ、そんなぁぁぁ……!」

数分後。

『黒字屋』から、パンツ一丁の男が放り出された。

かつてロベルト王子が味わった屈辱を、隣国の商人も味わうことになったのだ。

「……ふふ。大漁ね」

私は手に入れた「鉱山の権利書」と「商船の登記簿」を眺め、ほくそ笑んだ。

「あの鉱山、虹色金剛石は出なくても、普通の金は出るはずよ。調査費用をかけても十分元は取れるわ」

「……恐ろしいな、君は」

一部始終を見ていたクラウスが、呆れたように、しかしどこか誇らしげに言った。

「詐欺師をカモにして、逆に資産を増やすとは。……我が国の貿易黒字は、君一人で支えられているのかもしれん」

「お褒めにあずかり光栄です、閣下」

私は手に入れたばかりの(ゴルドフが置いていった)指輪を光にかざした。

ガラス玉だが、磨けば綺麗だ。

「これ、ロベルト殿下のアクセサリー作りの練習台にあげましょうか。彼、最近手先が器用になってきたので」

「……ロベルトも、君のおかげで逞しくなったな」

「ええ。再利用(リサイクル)はエコですから」

こうして、隣国からの刺客は、私の資産を増やすための「養分」として処理された。

契約書はよく読むこと。
特に、読めないほど小さな文字には、悪魔が潜んでいる。

それは商売の基本中の基本。

……もっとも、私という「悪役令嬢」の前では、どんな悪魔も裸足で逃げ出すだろうけれど。
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