悪役令嬢の請求書は青天井!婚約破棄されたので請求しました!

黒猫かの

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「――いいですか、アラン。これは『おもちゃ』ではありません。『資産』です」

数年後のベルンシュタイン公爵邸、温室。

柔らかな日差しが降り注ぐ中、私は膝の上に一歳半になる息子、アランを抱え、熱心に教育を行っていた。

アランの手には、ガラガラではなく、純金のコインが握られている。

「あー、うー」

アランは無邪気にコインをかじろうとしている。

「ダメですよ。金は柔らかいので歯型がつきます。資産価値が下がりますよ」

私は優しくコインを取り上げ、代わりに札束(新札)を持たせた。

「こっちにしなさい。紙幣の匂いを覚えるのです。これが世界を動かす香りですよ」

「きゃっきゃっ!」

アランは札束を振り回して喜んでいる。
素晴らしい。将来有望だ。

「……アイーダ。英才教育もいいが、ほどほどにしておけ」

背後から、呆れたような声がした。
宰相であり、私の夫であるクラウスだ。

彼は目尻に少しシワが増え、以前より柔和な雰囲気になったが、その美貌は相変わらずだ。

「何を言うのです、あなた。三つ子の魂百までと言います。今から複利計算の概念を叩き込んでおかないと、この家の膨大な資産を守れません」

「まだ一歳だぞ。まずは『パパ』『ママ』を教えるのが先だろう」

クラウスは苦笑しながら、アランの頬をツンと突いた。

「アラン。パパだぞー。パ、パ」

「あうー」

アランはクラウスの指を握り返す。
その愛らしさに、氷の宰相もデレデレだ。

「……可愛い。私の全財産を贈与したい」

「課税されますよ。年間百十万までの暦年贈与にしなさい」

「君は本当に変わらないな」

私たちは平和な午後を過ごしていた。

そこへ、騒がしい来客たちが現れた。

「アイーダ様~! 遊びに来ましたよぉ~!」

「オーナー! ……あ、今は奥様か。お久しぶりです!」

牧場の肝っ玉母ちゃんへと進化したミシェルと、すっかり板についたエプロン姿のロベルト(『黒字屋』店長代理に昇格)だ。

ミシェルの腕には、丸々と太った赤ちゃんが抱かれている。

「あら、いらっしゃい。……手土産は?」

「もちろんです! 朝採れミルクと、特製チーズですぅ!」

「ロベルトは?」

「新作のポエム集第五巻『オムツ替えの憂鬱』と、店の売上金です!」

「よろしい。通りなさい」

二人はテラス席に座り、子供たちを遊ばせ始めた。

「いやぁ、アラン君も大きくなりましたねぇ! 目がクラウス様にそっくり!」

ロベルトがアランをあやそうと変顔をするが、アランは冷ややかな目(私に似たらしい)で見ている。

「……ロベルトおじちゃん、スベってるわよ」

「うっ……! 赤子に見下された……!」

ミシェルが笑いながら言った。

「でも、そろそろお喋りする時期じゃないですか? うちの子は昨日『マンマ』って言いましたよぉ」

「そうなの。アランも何か言いたそうに口を動かしているんだけど……」

私が言うと、クラウスが身を乗り出した。

「そうなんだ。昨日も『マ……』と言いかけていた。きっと『ママ』か『パパ』と言おうとしているに違いない」

クラウスは期待に満ちた目で息子を見つめた。

「さあ、アラン。言ってみろ。パパだぞ?」

「いいえ、ママよ。アラン、ママと言いなさい」

私とクラウス、そしてロベルトとミシェルが固唾を飲んで見守る。

アランはクリクリとした瞳で私たちを見回し、小さな口を開いた。

「……マ」

「おっ!」

クラウスが色めき立つ。
ママか? それともマンマ(ご飯)か?

アランは一度息を吸い込み、私の顔を見て、そして私の手にある「札束」を見て――。

はっきりと、こう言った。

「……マ……マネー(Money)!!」

「…………」

時が止まった。
温室に完全な静寂が訪れる。

「……ま、まねー?」

ロベルトがポカンとして繰り返す。

アランは嬉しそうに札束を掲げ、もう一度叫んだ。

「マネー! マネー!」

「ぶっ……!」

ミシェルが吹き出した。

「あはははは! すごい! ママじゃなくてマネー!? さすがアイーダ様の子ですぅ!」

「……嘘だろう」

クラウスが膝から崩れ落ちた。

「私の……感動の瞬間が……。息子が最初に呼んだ名前が、私でも妻でもなく『金』だとは……」

「……ふっ、ふふふふふ!」

私は高笑いをした。
アランを抱き上げ、頬ずりをする。

「でかしたわ、アラン! その通りよ! この世で一番信じられるのは『マネー』! よくぞ心理を看破したわ!」

「きゃっきゃっ! マネー!」

「ああ、なんて賢い子! 将来は財務大臣か、それとも大銀行の頭取か! お母様が投資の極意を全部教えてあげるわね!」

「アイーダ……教育方針を見直そう……頼むから……」

クラウスが涙目で訴えるが、私の耳には入らない。

「見てなさい、クラウス。この子は貴方を超えるわ。ベルンシュタイン家の資産を、さらに百倍にする器よ!」

「百倍……。末恐ろしいな……」

「僕のポエムも読んでくれるかなぁ……」

「無理ね。非生産的だもの」

庭園に、私たちの笑い声(と、アランの「マネー!」という叫び声)が響き渡る。

数年前、婚約破棄されたあの日。
まさかこんな未来が待っているとは、計算高い私でも予測できなかった。

でも。

私の腕の中には、重たい金貨よりもずっと温かい、愛しい命がある。
隣には、呆れながらも私を愛してくれる、最高のパートナーがいる。
そして周りには、腐れ縁の友人たちがいる。

(……悪くないわね)

私は空を見上げた。

私の人生のバランスシートは、計算不能なほどの「黒字」で埋め尽くされていた。

「さあ、アラン。次は『利息(インタレスト)』と言ってみましょうか?」

「やめろぉぉぉ!!」

クラウスの絶叫と共に、平和で騒がしい一日は過ぎていくのだった。
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