朝凪の海、雲居の空

朝霧沙雪

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顔のない女

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 紗雪は何故か、その友達の顔を全く覚えていない。たった数年前の事なのに。
『え~、三十過ぎて彼氏もいないなんておかしいよ』
 渋谷の人が行き交うカフェで、ピンクのジェルネイルが丁寧に施された指を組みながら彼女は舌っ足らずに言った。
『そ、そうかな・・・・・・』
 紗雪は小太りで田舎じみた容姿を馬鹿にされる事も多く、まともに彼氏がいた事も無かった。この日も、自分の灰色のシャツに深緑のワイドパンツという出で立ちが、都会のお洒落なカフェから浮いているような気がして、クロッキー帳にスケッチをしながらショートカットの髪をせわしなくいじった。
『あたしが彼氏紹介してあげる!一緒に映画とか行きなよ!』
 甘ったるい声で彼女はそう宣言し、LINEで早速どこかに連絡を取り始めた。
 彼女と出会ったのは、有明のイベントだった。似顔絵に好きな動物の要素を入れて描く、という即興のデッサンをする紗雪を彼女が何故か気に入り、別の日にカフェで自分の彼氏の絵も写真から描いてくれ、と半ば強引に約束させられた。
『ね、来週の水曜日空いてる?空いてるでしょ?』
『え、え・・・・・・金曜日なら』
 そうしてデッサンしている間に、紗雪は面識のない男と二人で映画に行く事になった。絵の代金は、『彼氏を紹介したから』と無しになった。

 数日後に越谷の待ち合わせ場所に来た男は、よれた鼠色のTシャツを着て、小柄でずんぐりしていて、背を丸めて歩いた。紗雪が勇気を出してたまに話し掛けると、まれに野太い声で適当な相槌を繰り返した。
(あんまり面白くないな)
 バリボリとポップコーンを食べ、ハリウッドのアクション大作にのめりこむ男を横目で見ながら、紗雪は絵を描きたいなあとぼんやり思った。デートってどんなものか興味はあったけれど、これなら一人で好きな映画を観た方が良い。
(私、誰かと付き合うの、やっぱり向いてないな)
 まあ、これも経験かなあと思いつつ、効き過ぎた映画館の冷房に両腕をさすった。

 夕方前に映画館を出た二人は、男が行き着けだという赤提灯の居酒屋に入った。年季の入ったテーブル席でメニュー表を見ながら酒を勧められたが、飲めないので断った。ポテトサラダとチーズ揚げをつまみながら、ナイターの流れる店でサワーと日本酒を飲んで愚痴と自慢話をする男に、二時間程付き合った。
 男は、無職だった。
『それじゃ、行こうか』
 少し怪しい呂律で男が言い、紗雪の肩に手を回そうとした。紗雪が反射的に首をすくめてよけると、舌打ちをされた。
『え、何?これってデートじゃないの?』
『………わ、わたしもう帰らなきゃ』
 なんとか紗雪はそう言うと、礼をして踵を返し、駅に向かって歩き出した。辺りはどんよりとした闇に包まれていた。
『送るよ』
『大丈夫です、遠いので』
 乗換えを合わせると二時間近くある。
『いいからいいから』
 追いつかれて腕を摑まれた。強い力だった。酒臭い呼気を感じる。紗雪は仕方なく、そのまま電車に乗った。電車の中でも男はずっと腕を離さず、立川で乗り換える時、紗雪は知り合いに見られるんじゃないかとひやひやした。
『じゃ、じゃあここで。ありがとうございました』
 最寄り駅で紗雪が腕を振りほどこうとしたけれど、男はまだ離さなかった。
『危ないから家まで送ってくし』
 酔いは少し醒めたようだった。
『いえ、ここで………』
『紗雪ちゃん可愛いよね。俺、紗雪ちゃんときちんと付き合いたいなあ』
 私はもう会いたくない、と言いたいのをこらえて、紗雪は摑まれた腕をむなしく振った。
 無言で家まで俯いて歩いた。身体が震えるような恐怖を感じたけれど、誰にも助けを求める事なんて出来なかった。
『もう、ほんとうに、ここで』
 アパートの前で紗雪は精一杯強くそう言った。
『……俺、トイレ行きたいんだよね』
『駅に行けばあります。あと途中コンビニも』
『あ―――――モレそう!』
 男は紗雪にぎりぎりまで顔面を近づけ、怒鳴った。唾が飛ぶ。
(汚い)
 紗雪は両手を滅茶苦茶に振った。その動作を男は嘲け笑い、
『早く鍵開けろよ』
 と凄んだ。
『嫌です。帰って!』
『あ~~、近所迷惑!あ~あ~あ~!』
『や、やめて!』
 男は怒鳴り続け、他の部屋の住人から苦情が来そうな気がして紗雪は焦った。
『…………じゃ、じゃあ、トイレ行ったらすぐに帰って下さい』
 紗雪は自由な左手で鍵を開けた。開けてしまった。
 男は紗雪を部屋の中に押し込むと、両腕で抱きすくめた。
『いやっ』
『部屋に入れてくれたってそういう事じゃん?』
 言うなり男は舌を絡ませるキスをしてきた。
(臭い!)
 紗雪は両手を突っ張って振りほどこうとしたが、なんの効果も無かった。
 ブチブチとボタンを破られる様にブラウスとワイドパンツが脱がされ、乱暴にブラジャーもはがされた。紗雪の服を隅に投げると、そのまま部屋の奥にあるシングルベッドへ押し飛ばした。衝撃に紗雪の身体が跳ねた。
『い……いや………』
 恥ずかしさと恐怖に震えながら紗雪は呟いた。男は紗雪を片手で押さえつけながら、自分の服を全部脱いだ。荒い呼気も突き出た腹も体毛も勃起した黒ずんだ性器も何もかもが汚かった。
『いやっ』
 紗雪が男を突き飛ばそうとすると、男はイラついて紗雪の頬を平手で二発殴った。頭がクラクラした。
『わ………わたし……経験ないから………やめて………いやだ』
『処女?だと思った。ラッキー』
 頬の痛みと、ゴツゴツした手が強く胸を揉む不快さに紗雪は泣き出した。男は構わず、紗雪のショーツを脱がし、両足を持って大きく広げた。
『やっ……いやだ……いやだ!』
 指が紗雪の入口をまさぐり、性器を押し付けられる。恐怖に紗雪は声も出ず、ギュッと眼をつぶった。
 勢いを付けて男が侵入してくる。
『痛い!痛い!!いやあ!!』
 無理矢理膣を押し広げられる痛み。腹が裂ける様なビリビリとした激烈な痛みが全身を貫いて、紗雪は絶叫した。
『うっさいなあ。近所迷惑だろ?』
 両足を摑んで、グイッグイッと男が入ってくる。両手でシーツを強く握り締め過ぎて血管が浮き出る。痛みに身体を捩り、涙を流しながら紗雪は耐えた。
(こんな男とはじめてしたくなかった)
『なんだ、意外と簡単に入るじゃん』
 男はそのまま酒臭い息を紗雪にかけながら腰を激しく動かした。動く度に激痛が走り、ぐちゃっぐちゃっと濁った音が室内に響く。やがて膣から流れ出た血がシーツに染み出て、薄紅い花弁を散らした。
『いた………いたい………』
 意識が朦朧とする。段々と強く打ち付けられた腰は、男の「うっ」という声と共に動きを止めた。腹の中に、生温かい感触がする。
 男はしばらく息を整えると、シーツで体液を拭き取り、服を着始めた。紗雪は膣の痛みが収まらず、放心したままそれを見た。
『じゃあな。お前みたいなデブスのババア、他の男なんて相手にしてくれないし、良い記念になっただろ?』
 そう吐き捨てると、男は帰って行った。

 それから数日間、紗雪は動く事が出来なかった。男の匂いの澱んだ部屋の中、裸で寝転んだままだった。店も臨時休業にしたが、あの日着ていた服もシーツも全部捨てて、翌週からなんとか店を開けた。あんな目に遭ったのに、普通に店を開けて仕事をしている自分が不思議な感じがした。
(引っ越すお金も無いしな)
 店番の途中、ふと久しぶりにスマフォを見ると、あの友達からLINEが来ていた。
『デートどうだった?実はね~、向こうがあんまり紗雪の態度が良くなかったってモンク言われて~、飲みに行っても無愛想だったって~、そういう所、直した方が良いと思うよ?そんで、別の男紹介出来るけどどうする?』
 紗雪は思わずLINEをブロックした。
 あれ以来、その「友達」とも連絡を取っていない。
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