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ふたり
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それから年末までの日々は、限りなく穏やかに過ぎた。タキは月に二~三日程、予定の合う時に、さゆの古本市や、時には店番を手伝った。商店街や同業者の人々もタキと知り合い、そのほとんどの者が誠実なタキを好意的に迎え入れた。特に商店街の年配の店主達は「いやあ良かった良かった」と、もう結婚するような勢いだ。
そう、ほとんどの人が穏やかで人当たりの良いタキを認めてくれている。
(あれ、なんだったんだろう)
数週間前、珍しく千葉まで遠征して、イベントにタキと参加した。津田沼にある、内装の素敵な古本屋の女性店主にその日会えるのを、さゆは楽しみにしていた。いつも朗らかな彼女は、芸術への造詣も深かった。
しかし。
彼女は挨拶後にタキをまじまじと見た後、さゆをブースの端に引っ張っていった。
「ね、さゆさん彼と付き合ってるの?」
「え、え、いやまだ正式にそんな感じじゃないけど………」
「じゃ、辞めといた方が良いよ、あの人は」
いつも人に何かを押し付ける事の無い彼女のきっぱりとした物言いに、さゆは戸惑った。俯いてブースに戻ると、タキは強張った顔で、
「ごめん、俺、邪魔かな?」
「ううん、そんな事ないよ!」
さゆが精一杯首を振るとタキは安心した顔をした。
(でも、私もう……)
タキは現金を受け取るのを嫌がるので、さゆは簡単なおにぎりや弁当を昼食に作り、夕食は奢る事にしていた。タキの腎臓はそこまで病状が進んでいるわけではなく、減塩とたんぱく質、そしてカリウムの過剰摂取に気を付ければ問題無さそうだった。タキはいつもとても嬉しそうに弁当を完食してくれるから、さゆは段々弁当を作るのが平気になっていった。
その日も、二人で神田の古本市に出掛ける予定だった。街を挙げての大規模なイベントで、さゆは前日店を臨時休業にして(と言っても常連客がノックすれば開けていたが)アパートと店から持っていく本を厳選した。そして夕方、ダイソーとニトリをはしごして、可愛らしいアーネストやピックを買った。
(タキ、こういうの好きかな)
タキの事を考えている時間が幸せだった。その後、商店街で懇意にしている衣料品店で男物の上着を眺めていると、「彼ならこれが似合うんじゃない?」と店主が紺色のカーティガンをどこからか持って来てくれたので、奮発してそれも買ってしまった(大分値引きしてくれた)。
(でも、いつも手伝ってくれてるの考えれば、全然足りない位だ)
タキの為に用意したドラクロワの画集と一緒に服を折り畳みながら、さゆは朝からぼんやりしていた。「サンナダパールの死」が好きだというタキの言葉を思い出しながら。
(私、もう、タキの事が好きかも)
今まで誰かを好きになった事なんて無くて、恋愛は小説の中だけだったけれど。このフワフワした感情が「好き」という事なのかも知れなかった。
(でも、私なんかが好きになっていいのかな)
そんな事を思っていると、
「さゆ、おはよう」
カランコロンとベルを鳴らして、タキが入って来た。
「あ、おはよう」
とさゆは笑顔を返した。
(いや、幸せだな)
助手席にさゆを乗せて神田に向かいながら、タキは今までにない日々の幸福を噛み締めていた。こんな平和な恋愛は、今までした事が無かった。痩せ細っていた身体は、ここ三ヶ月で二キロ増えた。
「あ、タキ、見て!水鳥」
さゆはこの頃、自分を自然に「タキ」と呼んでくれる。最初は「タキさん」と呼んでいたのだけれど、「江戸時代みたいだよ」と吹き出すと、ぎこちなく呼び捨てで呼んでくれた。それがたまらなく可愛かった。
『タキ、その後どうよ?』
その日、昼食の休憩で一人、公園にてさゆの作ってくれた弁当を開いた。
(すごい。どんどん豪華になってる)
ディズニーとサンリオが好きというさゆは、薄味の煮物中心にピックを工夫してキャラ弁を作れるようになっていた。写真を撮って感動していると、湊からLINEが来た。さゆのお店を手伝っている事は伝えていた。
『今日も手伝いに来てる』
『いいね。順調?』
『………全部が可愛すぎて、困る』
湊は爆笑する熊のスタンプを送って来た。
『何、もう付き合ってるの?』
『いや、そうじゃない、と思う』
『じゃあキスもしてない?』
『手も繋いでないよ』
偶然手が触れると、さゆは赤くなって手を引っ込める。
『なんだよ~煮え切らないな』
タキは返す言葉もなく、しばらく返信出来なかった。
『あのさ、タキ。もし色々気にしてるなら、タキのタイミングで話せば良いと思うよ。まあ、気にする人はいるかもだけど』
しばらくして、湊からLINEが来た。思案の末に送ってきたのを窺わせる文だった。
『エッチな事するかどうかとか、そこから二人で話し合えば良いじゃん?無責任だけど、タキが最初から全部諦める事、無いと思う』
『うん、ありがと』
(俺はルークと静かに暮していようと思っていたのに、いつからこんなに欲深くなったんだろうな)
もう恋愛なんて、しないと思っていたのに。
『念の為、色々検査しようと思う。二~三万位掛かるらしいけど』
『うん。タキがずっと一人でいいならそれでいいけど、そうじゃないならこれって最後のチャンスかもじゃん?頑張りなよ。応援してる。出来る事あったら言って』
タキはもう一度湊に、丁寧に『ありがとう』と送った。
そう、ほとんどの人が穏やかで人当たりの良いタキを認めてくれている。
(あれ、なんだったんだろう)
数週間前、珍しく千葉まで遠征して、イベントにタキと参加した。津田沼にある、内装の素敵な古本屋の女性店主にその日会えるのを、さゆは楽しみにしていた。いつも朗らかな彼女は、芸術への造詣も深かった。
しかし。
彼女は挨拶後にタキをまじまじと見た後、さゆをブースの端に引っ張っていった。
「ね、さゆさん彼と付き合ってるの?」
「え、え、いやまだ正式にそんな感じじゃないけど………」
「じゃ、辞めといた方が良いよ、あの人は」
いつも人に何かを押し付ける事の無い彼女のきっぱりとした物言いに、さゆは戸惑った。俯いてブースに戻ると、タキは強張った顔で、
「ごめん、俺、邪魔かな?」
「ううん、そんな事ないよ!」
さゆが精一杯首を振るとタキは安心した顔をした。
(でも、私もう……)
タキは現金を受け取るのを嫌がるので、さゆは簡単なおにぎりや弁当を昼食に作り、夕食は奢る事にしていた。タキの腎臓はそこまで病状が進んでいるわけではなく、減塩とたんぱく質、そしてカリウムの過剰摂取に気を付ければ問題無さそうだった。タキはいつもとても嬉しそうに弁当を完食してくれるから、さゆは段々弁当を作るのが平気になっていった。
その日も、二人で神田の古本市に出掛ける予定だった。街を挙げての大規模なイベントで、さゆは前日店を臨時休業にして(と言っても常連客がノックすれば開けていたが)アパートと店から持っていく本を厳選した。そして夕方、ダイソーとニトリをはしごして、可愛らしいアーネストやピックを買った。
(タキ、こういうの好きかな)
タキの事を考えている時間が幸せだった。その後、商店街で懇意にしている衣料品店で男物の上着を眺めていると、「彼ならこれが似合うんじゃない?」と店主が紺色のカーティガンをどこからか持って来てくれたので、奮発してそれも買ってしまった(大分値引きしてくれた)。
(でも、いつも手伝ってくれてるの考えれば、全然足りない位だ)
タキの為に用意したドラクロワの画集と一緒に服を折り畳みながら、さゆは朝からぼんやりしていた。「サンナダパールの死」が好きだというタキの言葉を思い出しながら。
(私、もう、タキの事が好きかも)
今まで誰かを好きになった事なんて無くて、恋愛は小説の中だけだったけれど。このフワフワした感情が「好き」という事なのかも知れなかった。
(でも、私なんかが好きになっていいのかな)
そんな事を思っていると、
「さゆ、おはよう」
カランコロンとベルを鳴らして、タキが入って来た。
「あ、おはよう」
とさゆは笑顔を返した。
(いや、幸せだな)
助手席にさゆを乗せて神田に向かいながら、タキは今までにない日々の幸福を噛み締めていた。こんな平和な恋愛は、今までした事が無かった。痩せ細っていた身体は、ここ三ヶ月で二キロ増えた。
「あ、タキ、見て!水鳥」
さゆはこの頃、自分を自然に「タキ」と呼んでくれる。最初は「タキさん」と呼んでいたのだけれど、「江戸時代みたいだよ」と吹き出すと、ぎこちなく呼び捨てで呼んでくれた。それがたまらなく可愛かった。
『タキ、その後どうよ?』
その日、昼食の休憩で一人、公園にてさゆの作ってくれた弁当を開いた。
(すごい。どんどん豪華になってる)
ディズニーとサンリオが好きというさゆは、薄味の煮物中心にピックを工夫してキャラ弁を作れるようになっていた。写真を撮って感動していると、湊からLINEが来た。さゆのお店を手伝っている事は伝えていた。
『今日も手伝いに来てる』
『いいね。順調?』
『………全部が可愛すぎて、困る』
湊は爆笑する熊のスタンプを送って来た。
『何、もう付き合ってるの?』
『いや、そうじゃない、と思う』
『じゃあキスもしてない?』
『手も繋いでないよ』
偶然手が触れると、さゆは赤くなって手を引っ込める。
『なんだよ~煮え切らないな』
タキは返す言葉もなく、しばらく返信出来なかった。
『あのさ、タキ。もし色々気にしてるなら、タキのタイミングで話せば良いと思うよ。まあ、気にする人はいるかもだけど』
しばらくして、湊からLINEが来た。思案の末に送ってきたのを窺わせる文だった。
『エッチな事するかどうかとか、そこから二人で話し合えば良いじゃん?無責任だけど、タキが最初から全部諦める事、無いと思う』
『うん、ありがと』
(俺はルークと静かに暮していようと思っていたのに、いつからこんなに欲深くなったんだろうな)
もう恋愛なんて、しないと思っていたのに。
『念の為、色々検査しようと思う。二~三万位掛かるらしいけど』
『うん。タキがずっと一人でいいならそれでいいけど、そうじゃないならこれって最後のチャンスかもじゃん?頑張りなよ。応援してる。出来る事あったら言って』
タキはもう一度湊に、丁寧に『ありがとう』と送った。
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