朝凪の海、雲居の空

朝霧沙雪

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月が

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駅舎までお洒落な八月の鎌倉駅の東口に降り立つと、タキはそっと、さゆの手に自分の手を滑り込ませた。
(あ)
「混んでるからね」
 さゆが見上げると、タキは穏やかな笑顔を向ける。
 立川の商店街を手を繋いで歩いていると、知り合いの店主に微笑まれてとても恥ずかしかったけれど、ここには誰も自分達の知り合いはいない。それでも何だかやっぱり恥ずかしくて、指を絡めながらさゆは頬を蒸気させた。それを見て、タキは一層笑みを深くした。
 夏の小町通りを、二人でゆっくり歩いた。さゆは今日の為にしまむらで新しく白いノンスリーブワンピースを買っていた。肩を出した服なんて、初めてだ。タキは深い海の色のシャツを着ている。真夏でも長袖だった。ジブリグッズや鳩サブレ、着物やお菓子のお店を覗く。タキは虹色の軽いストールを見つけて、さゆにプレゼントしてくれた。店員の女性も「可愛いお嬢さんにぴったりね」と褒めてくれる。
(えへへ、うれしい)
「ありがと」
「うん」
 途中から裏路地に入って、趣のある喫茶店でランチを食べた。タキはサラダ、さゆはオムライスだ。食後のアイスミルクティーを飲み干すと、暑さで火照った身体がほっと一息吐ける気がする。さゆはいちごのショートケーキ、タキはチーズケーキを頼んだ。
「ルークがね、毛糸のボールで遊ぶのを覚えたんだ」
 タキがスマフォで動画を見せてくれる。ルークが必死にボールにじゃれついている。たまにどちらがボールか分からなくなる。
「か、かわいい……」
「ふふ」
 タキが良くみせるルークは、いつも幸せそうだ。
(私ももしタキと暮らしたら、きっと幸せなんだろうな)
 ふとそんな想いが脳裏を過ぎったけれど。
 その未来は、今のままの生活の先には、決してない事も分かっていた。
(なにより私の不安定さが、きっとタキの迷惑になる)
「さゆ、いつかさ」
「ん?」
 タキがサラッと、何気ない会話の続きで、言った。
「いつかルークに会いに来てよ」
「う…………うん」
 少し迷って、けれど結局こころのままに、さゆは頷いた。
 
 鶴岡八幡宮には沢山のカップルがいて、二人は他のカップルにお願いして、お互いツーショットを撮って貰った。鎌倉国宝館で仏像などをじっくり鑑賞した後は、段葛を歩いて、海までゆったり散歩をした。天気は少し曇り気味になって来て、そこまで過酷な暑さは感じなかった。
「さゆ、平気?」
「うん」
 途中「やっぱり飲み物をもう一本買おう」と言って、タキがグーグルマップも見ずに脇道に逸れ、セブンイレブンでポカリを二本買ってくれた。お礼を言いながらさゆは、タキは前にもここに来た事があるんだな、と複雑な思いに駆られる。たまにタキは観光地のお手洗いの位置やコンビニの位置にやたら詳しい事がある。
(誰と来たんだろうな)
 なんとなく、女のひとなんじゃないかと、予感がした。
「どした?」
「ううん」
 首を横に振って顔を上げると、タキの後ろに、海が見えた。さゆの視線に気付いたタキが「行こう」と手を繋ぎ直した。

 ザラついたアスファルトの階段を急いで下りると、さゆは薄ピンクのミュールを脱ぎ捨て、麦わら帽子を手で押さえて、波間に足を浸した。
(広い)
 潮の匂いがする。遠くにサーファーの姿が見える。海の家は海水浴客で賑わっていたが、今日はお盆明けのせいかそこまで人がごった返しているわけでも無かった。
「私、あんまり海に来たことないから、すごく新鮮」
 さゆは水平線を見ながら呟く。タキはさゆの靴を持ったまま頷いた。そう言えば、さゆは森を描く事は結構あるけれど、海を描いた絵はあまり見た事がない。
「さゆ、今度、海の絵も書いてよ」
「うん」
 波間でひとしきりはしゃいださゆは、砂浜に上がって来てミュールを履くと、タキの隣に腰掛けた。
「開放的で、ゆったりしていて、すごく良い場所だね。昔は『鎌倉文士』っていう言葉もあった位だから、文学も盛んで。黒田清輝とか、鏑木清方とか画家も大勢住んでいたし。本当に良いところ。私、いつか、鎌倉に住んじゃいたいくらい」
「いいね」
 隣に座ったタキも微笑み、そっと、さゆに手を伸ばした。少し身体を固くしたさゆの、背中に手を当てた。
「大丈夫?」とタキが囁いた。不快な気分にはならなかったので、さゆは頷く。タキに触れられる事に、段々恐怖が無くなって来ている。
 しあわせ、とさゆは呟いた。
「タキと出会って、もう1年ぐらい経つんだね。その間、ずっと、幸せだったよ。ありがとう」
 夕方の海岸は、人もまばらになって来た。さゆの頬が夕陽に照らされて、ピンク色の唇が輝いていた。
「俺も。あの日、さゆに出会えて本当に良かった。これから先もずっと、そう思ってるよ」
 段々と暮れ始めた空を、二人並んでゆったりと眺めた。
 ふと、タキが右手をスウッと上へ移動させて、首筋に軽く触れた。どうしたんだろう、とさゆがタキを見返る、と。
(うわあああ)
 タキの顔が眼前に迫る所だった。びっくりして思わず眼を閉じると、唇に柔らかい感触と、チュッという音がした。
 タキはそのまま帽子の上からさゆの頭を撫でた。「はあ、可愛いな」と、ため息の様に呟いた。
(わわわわわわキス、キスしちゃった!)
 さゆは真っ赤になって俯く。
 夕方の淡いオレンジの空に浮かぶ白い月を眺めながらタキは、「つきが、きれいですね」とささやいた。
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