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第十一話 裁判に備えて

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ここは家令・ジェームスの執務室。
私を中心に、下男のジョン、メイドのアニー、そしてジェームスが一堂に会している。
いよいよ明日は貴族院裁判。そのための対策を、あらかじめ講じるためだ。

ただ、私には一つ気になっていることがあった。それを確かめなければならない。

「皆、私に力を貸してくれてありがとう。
でも、その前に一つ確認しなければいけないことがあるわ」

「確認……ですか?」

アニーが戸惑いながらつぶやく。

「ええ、見たところ、ジョン以外の二人の姿は、普通の人の目には映らないようだわ。
そして三人とも声を出しても誰にも聞こえず、物に触れようとしても、素通りして触れることができない。
そういう状態よね?
もしできていたら、これまでに自分が殺されたと、何らかの形で訴えることができたはずだから」

「その通りです。どれだけ歯がゆい思いをしてきたことか……」

ジェームスが答える。

「私があなた達に、姿の現し方や、物の触り方や動かし方を教えるわ」

「そ、そんなことが、できるんで?」

ジョンが目を見開く。

「できるわ。じゃあ、まずアニー。こっちにいらっしゃい」

私は近くに会ったソファに腰掛け、トン、と右足を踏み鳴らすと身体から抜け出た。

「アニー、両手を出して」

おずおずと差し出された彼女の両手首をそっと握ると、自分の感覚と彼女の感覚を同調させた。
自分が二重になったような感覚の中で、姿を実体化させた時のイメージを浮かべる。
そして、生きた人に聞かせるように声帯を震わせてみる。

「あっ」

アニーが小声を上げた。
そのまま、子どもが遊ぶような小さなボールを持って、その感触を確かめ、持ち上げ、投げる。
そんなイメージを連続して浮かべる。言葉ではなく、感覚をそのまま伝える。
彼女の中で、全てが繋がるような感覚がして、私はそっと手を離した。

「わ、私……私……」

眼を見開いたアニーの声が部屋に響いた。
半透明ではあるけれど、しっかり輪郭を持つ姿になり、ガラス窓にはその姿が映っている。
これなら普通の人間の目にも見えるだろう。おそらく声も聞こえるはずだ。

「それを持ってごらんなさい」

執務用の机上に置いてある、小さな丸い文鎮を指さす。
アニーがおそるおそる手を伸ばすと、触れ、すっと持ち上げた。

「も、持てます……ああっ……良かった!
私、もう何もできない、ただ見ているだけの存在じゃないんですね!?」

アニーが潤んだ目で笑顔になる。

何もできない自分……
私もついこの間まで、ずっとそう思っていたから、その辛さがよく分かる。
彼女の為に何もしてあげられなかったけれど、ほんの少しだけ恩を返せた気分になった。

でも、今は感傷に浸っていられない。
他の二人とも感覚を繋げて、力を解放してあげなくては。



***



三人の感覚を解放し終わり、私達は改めて作戦を練ることにした。
まず、ジェームスが口火を切る。

「明日の裁判、ハリー様の有罪はまず揺るがないと予想しています。
あの方が平民の愛人を囲って、マリーゼ様を蔑ろにしてきたのは、社交界でも有名です。
先日、騎士たちが行った家宅捜索では、ハリー様を受取人にしたマリーゼ様の生命保険証書が見つかっております」

あの夜、よほど幽霊に驚いたのか、ハリーは保険金殺人の重大な証拠を処分することなく逃げ出した。

「加えて、屋敷にはハンター医師が処方した湿布薬の明細なども残されており、彼の診療所のカルテには『虐待の可能性あり』との書き込みもありました。それも重要な証拠となるでしょう」



不意にハンター先生の名前が出て、私は胸を強く締め付けられた。
彼はいなくなった後も私を助けてくれている。
先生……ずっと生きていて欲しかった。
できれば……ずっと側にいたかった。
たとえ思いを通わせられなくても。



私の胸の内を知ってか知らずか、ジェームスは話を続ける。

「ただ、問題は判決の後です。

……このスレア伯爵家の不動産以外の目ぼしい財産は、すでにシェアリアによって持ち出されました。
慰謝料、及び、国が没収できる財産は、領地と、領地の奥の方にあるスレア家本邸と、私達がいるこの屋敷のみだと思われます。どちらも売られることになるでしょう。

ただ……これまでの裁判の事例を見るに、マリーゼ様に支払われる慰謝料は三百万セン(1セン=1円)前後。
せいぜい平民が三年暮らせる程度です」

「なんだか、安くねえですか?」

「そうですよ! 奥様は命まで狙われていたのに」

ジョンとアニーが憤慨した。

「まあ、国としては、己の財政を潤したいのが本音でしょうね。
しかし、マリーゼ様が受けた精神的肉体的苦痛や、これから先、離縁歴が付くことを鑑みても、これは安すぎます。

……そこで、この屋敷をまるまるマリーゼ様への慰謝料として受け取れる方向で、話が進むようにいたしましょう。スレア伯爵家のタウンハウスと言えば、この国きっての美邸です。その価値は計り知れないでしょう」

「わ、私は離婚したら平民になるつもりだから、そこまでお金に拘りは無いのだけど……」

私は、ついそんな返事をしてしまった。
平民になって、旅に出て、シェアリアを探し出す。五年分の生活費があれば、五年間は旅を続けられる。
そう思ったのだけれど……

「奥様。あなたは、ご自分一人でシェアリアを探せると思ってらっしゃいますか?
今、騎士団が総力を挙げて彼女を探していますが、見つかっていません。
おそらく国にはすでにいないでしょう。あれは例を見ないほどの狡猾な人間です。

平民になるのは考え直してください。
本気で復讐を考えるのならば、手持ちのカードは一枚でも離してはいけません。
手に入れられるものは手に入れ、基盤を作り上げてから臨まなければ。

それに我々もここを失うと、行き場が無くなってしまいます。
あの女に鉄槌を下したいのは私も、ジョンも、アニーも同じなのです」

「分かったわ……ごめんなさい」

私は俯き、自分の甘さを恥じた。確かにジェームスの言う通りだった。
冷静に考えれば、貴族社会を出たこともない私が、海千山千のシェアリアを一人で探し出せる可能性は、限りなく低い。
それに三人とも天に昇ることができないのに、この屋敷を失ったら……
皆の居場所を奪うようなことはできない。

「でも、どうやったら、この屋敷を失わずに済むの?」

「この屋敷に瑕疵を作るのです。国が手に入れても持て余すような、誰も欲しがらないような瑕疵を……」

ジェームスは少し悪そうな笑みを浮かべた。
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