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第二十九話 スカウトと町外れの焼け跡
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私はレンの涙が滲んだ手紙を、そっとジョンに渡す。
受け取った便箋をじっくり呼んだジョンは嗚咽を上げ始めた。
「ワシがもっと早く気付いていれば……ああ、レン、すまなかった……」
私はレンの養母の方に向き直って、視線を合わせた。
「ヘレンさんだったわね。あなた、レンがどこに連れていかれたか、心当たりはある?」
「いえ、ごめんなさい、分からないです……ただ、連れて行った人買いは男女一組でした。
男は三十代の茶髪茶目で、背がそこそこ高くて、女は二十代前半で亜麻色の髪に黒っぽい目です。
背は高くなかったと思います。
二人ともフード付きのマントを羽織っていたので、服装や体型はよく分かりませんでした。
幌付きの馬車にレンを乗せて、表通りを首都の方向に走って行ったのは覚えています」
「ちょっと待って、今メモするわ」
私がメモを取っていると、隣でしばらく恐怖の幻影にのたうっていたハンスが、小さな悲鳴を上げて気絶してしまった。それを見たヘレンが困惑の表情を浮かべる。
「あの、夫は二十年もあんな状態なんですか?」
「まさか。反省の色が見えなかったから、脅しただけよ。幻はそのうち見えなくなるわ。
黒い考えを手放せば幻は消える。でも悪心を起こせば、再び何度でも幻影に付き纏われるの。
そんなことを繰り返せば、まあ、この人も心を入れ替えるんじゃないかしら」
「ああ、だったら私、心置きなくあの人と離れられます。
さすがにあのままの状態で放っていくのは、気が咎めたので……」
「離れる?」
「私、ハンスとは離縁します。つくづく嫌になったんです。暴力を振るわれるのも、嫌なことでも嫌と言えないのも。レンのことも、本当はちゃんと守ってあげたかったのに……本当にすみません」
「そう……」
私は改めてヘレンの魂を観察した。ねじれの少ない、滑らかな魂。しかも、この人は魂から感情が読みやすい。
今は薄紫の、悲し気な色を帯びている。魂に感情が乗る人は少ないけれど、間違いなく信用できる。
ジョンの葬儀での黒ずみも、夫の暴力を思って悲観したのだろう。
「ところでヘレン、あなた達夫婦は、なぜ私とジョンを恐れなかったの?
どう見ても霊体なのに」
「それはその……レンが『見える』子だったので、我が家に時折、霊が寄って来ることがありまして。
私達のような霊感のない人間にもハッキリ見えるレベルのも、たまにいるんです。
でもその霊に『帰って』って言うと、普通に帰ったりしてたから、慣れてしまったんでしょうね」
「なるほど……あなた、離縁したらどうするの? 実家に戻る?」
「いえ、うちはもう両親とも亡くなっています。
だから夫のいない町に移って、仕事を探して、一からやり直したいと思ってるんです」
私はヘレンに向かって一歩近付き、両手を腰に当て、顔を斜めに傾けながら尋ねた。
「ねえ、あなたに紹介できる仕事があるんだけど、どうかしら? 話を聞く?」
***
「いや、まさか、マリーゼ様がヘレンをスカウトするとは思いませんでしたねぇ。
『次に来る時までに、荷物をまとめておいてちょうだいね!』
なんて……」
「ジョン、右手がお留守になってるわよ?」
左手で手綱を握りながら、残った右手でクネクネと私の身振りや手振り、声真似までするジョンに、怒った口調で釘を刺す。
そりゃ、ちょっと性急だったかもしれないけれど……
幽霊に慣れていて、思ってることが分かり易く、うちの屋敷に住み込みで来てくれる、生きた人間。
そこまで条件がピッタリな人、そうそういないんだもの。
それはさておいて、昨日、ハンスたちの家を後にしてから、私は近所の幽霊達から聞き込みをした。
レンと仲良くしていた霊が多く、声を掛けると、たちまち数人の霊が集まって来た。
まるで井戸端会議のように、情報が実にスムーズに、集まること集まること。
(あんな良い子がドナドナされるなんて)
(南の方にあるセルナ住宅街に行くって言ってたわ)
(あの高級住宅街か!? 金持ちだらけの?)
(あたしゃ悔しくて、一緒に幌馬車に乗り込んで、町の端っこまで着いてったのよ。
それ以上は行けなかったけど)
(あっ……じゃあ、焼け跡の前を通ったの?)
(そうそう、あそこはねえ……無理だわ。近寄れない、気持ち悪くて)
「!! 焼け跡ですって?」
私は思わず会話に口を挟んでしまった。
(ええ、この街の外れにあるのよ。
昔はすごく有名な幽霊屋敷だったんだけど、焼けちゃったのよね。
だけど皆、怖がっちゃって、片付ける人もなく、二十年位前からずっと焼けたままになってるのよ)
(えーと、名前は…………)
(忘れたのかい? 『グランデ人形館』だろ?)
(そうそう! 人形好きな貴族様が建てた、自宅と人形博物館とを兼ねた、えらく立派な屋敷だったんだぜ?)
(ヤバいのが出るけどな?)
多分、多分、それは、私……
人形好きな貴族……博物館……
あああ……何か思い出せそうなのに、頭痛が……!!
(お、おい、あんた、大丈夫か? 顔色が悪いぞ?)
(マリーゼ様! どうしました!?)
昨日はそのまま体調を崩して、ジョンに体を支えられ、宿に戻った。
あれは、何だったんだろう。
あんな風に具合が悪くなることなんて、私は滅多にないのに。
そして今、この馬車は町の端の方に近付いている。
問題の焼け跡がある、町外れに。
……あまり良い予感がしない。
大丈夫だろうか。
受け取った便箋をじっくり呼んだジョンは嗚咽を上げ始めた。
「ワシがもっと早く気付いていれば……ああ、レン、すまなかった……」
私はレンの養母の方に向き直って、視線を合わせた。
「ヘレンさんだったわね。あなた、レンがどこに連れていかれたか、心当たりはある?」
「いえ、ごめんなさい、分からないです……ただ、連れて行った人買いは男女一組でした。
男は三十代の茶髪茶目で、背がそこそこ高くて、女は二十代前半で亜麻色の髪に黒っぽい目です。
背は高くなかったと思います。
二人ともフード付きのマントを羽織っていたので、服装や体型はよく分かりませんでした。
幌付きの馬車にレンを乗せて、表通りを首都の方向に走って行ったのは覚えています」
「ちょっと待って、今メモするわ」
私がメモを取っていると、隣でしばらく恐怖の幻影にのたうっていたハンスが、小さな悲鳴を上げて気絶してしまった。それを見たヘレンが困惑の表情を浮かべる。
「あの、夫は二十年もあんな状態なんですか?」
「まさか。反省の色が見えなかったから、脅しただけよ。幻はそのうち見えなくなるわ。
黒い考えを手放せば幻は消える。でも悪心を起こせば、再び何度でも幻影に付き纏われるの。
そんなことを繰り返せば、まあ、この人も心を入れ替えるんじゃないかしら」
「ああ、だったら私、心置きなくあの人と離れられます。
さすがにあのままの状態で放っていくのは、気が咎めたので……」
「離れる?」
「私、ハンスとは離縁します。つくづく嫌になったんです。暴力を振るわれるのも、嫌なことでも嫌と言えないのも。レンのことも、本当はちゃんと守ってあげたかったのに……本当にすみません」
「そう……」
私は改めてヘレンの魂を観察した。ねじれの少ない、滑らかな魂。しかも、この人は魂から感情が読みやすい。
今は薄紫の、悲し気な色を帯びている。魂に感情が乗る人は少ないけれど、間違いなく信用できる。
ジョンの葬儀での黒ずみも、夫の暴力を思って悲観したのだろう。
「ところでヘレン、あなた達夫婦は、なぜ私とジョンを恐れなかったの?
どう見ても霊体なのに」
「それはその……レンが『見える』子だったので、我が家に時折、霊が寄って来ることがありまして。
私達のような霊感のない人間にもハッキリ見えるレベルのも、たまにいるんです。
でもその霊に『帰って』って言うと、普通に帰ったりしてたから、慣れてしまったんでしょうね」
「なるほど……あなた、離縁したらどうするの? 実家に戻る?」
「いえ、うちはもう両親とも亡くなっています。
だから夫のいない町に移って、仕事を探して、一からやり直したいと思ってるんです」
私はヘレンに向かって一歩近付き、両手を腰に当て、顔を斜めに傾けながら尋ねた。
「ねえ、あなたに紹介できる仕事があるんだけど、どうかしら? 話を聞く?」
***
「いや、まさか、マリーゼ様がヘレンをスカウトするとは思いませんでしたねぇ。
『次に来る時までに、荷物をまとめておいてちょうだいね!』
なんて……」
「ジョン、右手がお留守になってるわよ?」
左手で手綱を握りながら、残った右手でクネクネと私の身振りや手振り、声真似までするジョンに、怒った口調で釘を刺す。
そりゃ、ちょっと性急だったかもしれないけれど……
幽霊に慣れていて、思ってることが分かり易く、うちの屋敷に住み込みで来てくれる、生きた人間。
そこまで条件がピッタリな人、そうそういないんだもの。
それはさておいて、昨日、ハンスたちの家を後にしてから、私は近所の幽霊達から聞き込みをした。
レンと仲良くしていた霊が多く、声を掛けると、たちまち数人の霊が集まって来た。
まるで井戸端会議のように、情報が実にスムーズに、集まること集まること。
(あんな良い子がドナドナされるなんて)
(南の方にあるセルナ住宅街に行くって言ってたわ)
(あの高級住宅街か!? 金持ちだらけの?)
(あたしゃ悔しくて、一緒に幌馬車に乗り込んで、町の端っこまで着いてったのよ。
それ以上は行けなかったけど)
(あっ……じゃあ、焼け跡の前を通ったの?)
(そうそう、あそこはねえ……無理だわ。近寄れない、気持ち悪くて)
「!! 焼け跡ですって?」
私は思わず会話に口を挟んでしまった。
(ええ、この街の外れにあるのよ。
昔はすごく有名な幽霊屋敷だったんだけど、焼けちゃったのよね。
だけど皆、怖がっちゃって、片付ける人もなく、二十年位前からずっと焼けたままになってるのよ)
(えーと、名前は…………)
(忘れたのかい? 『グランデ人形館』だろ?)
(そうそう! 人形好きな貴族様が建てた、自宅と人形博物館とを兼ねた、えらく立派な屋敷だったんだぜ?)
(ヤバいのが出るけどな?)
多分、多分、それは、私……
人形好きな貴族……博物館……
あああ……何か思い出せそうなのに、頭痛が……!!
(お、おい、あんた、大丈夫か? 顔色が悪いぞ?)
(マリーゼ様! どうしました!?)
昨日はそのまま体調を崩して、ジョンに体を支えられ、宿に戻った。
あれは、何だったんだろう。
あんな風に具合が悪くなることなんて、私は滅多にないのに。
そして今、この馬車は町の端の方に近付いている。
問題の焼け跡がある、町外れに。
……あまり良い予感がしない。
大丈夫だろうか。
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