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第二十八話 恐怖のエッセンス

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戸建ての玄関の前で、拳を握り締め、眉も目も口元も、限界まで吊り上がったジョンに声を掛ける。

(ジョン、いい?
私は最初姿を消して、家の中に残っているレンの痕跡を探すわ。
あなたは姿を見せたまま、二人にレンの居場所を聞き出して。
場合に寄っちゃ、好きなだけ暴れてもいいわ)

(がってんです!)

ジョンは勢いよく返事すると、玄関をそのまま通り抜けて、中に入っていく。
数秒置いて、男女の悲鳴が上がった。
私は屋根を通り抜けて二階まで降り、子ども部屋を探す。

二階には部屋が4つ。そのうち主寝室が夫婦の部屋だとして、残りは三部屋。
一つはおそらく養父の商売用の事務室。
事務室の中央にある事務机には、一枚の紙が置かれている。

(これは……!)

私はそれを手に取ったまま、次の部屋へと移る。

(ここは物置ね)

最後の部屋のドアを開けると、うっすら子どものオーラの痕跡があった。
(だけど……この部屋、一カ月は使われてないわね、オーラが消えかかっているわ)
だけど、ベッドに枕はなくシーツは剥がされている。クロゼットにも何ひとつ置かれていない。
机の引き出しも空だった。

最後に残った古びたチェストの引き出しを開けたが、やはり何も入っていない。
ガッカリしながら引き出しを押し込むと……

(ん……?)

何かが奥に引っ掛かっている。私は一番下の引き出しを引っ張り出して奥を見た。
そこには、一通の手紙が落ちている。取り出すと、それはジョンが出した最後の手紙。
そして途中まで書きかけの返事が、同じ封筒に入れられている。拙い筆跡の、おそらく子どもが書いたものだ。

(よし! これでレンの痕跡を追えるようになったわ!)

屋敷に届いていた手紙では、古過ぎて本人の居場所を追えなかったのだ。
私がしめしめと手紙を懐にしまった、その瞬間。



「キャ――――!!」
「やめろ!」

ガシャーン!!
バーン!!

下から悲鳴や物が倒れる音が、続けざまに響いてきた。

……あの二人、やはりジョンを怒らせるようなことをしたのね。
それならそれで、こちらにもやり方というものがあるわ。

私は眉間を寄せると、そのまま下を向いて床をすり透け、下の階をこそっと覗き込んだ。



***



私が顔を出したのは、一階の居間の真ん中辺り。
部屋の右端にジョンが、左側に夫婦がいる。誰も私には気付いてないようだ。

よく見ると、ジョンは泣いている。

「ハンス、お前、レンを人買いに売ったのか!?」

「仕方ないさ、商売が左前になっちまったんだから。
爺さん、アンタだって、飢饉で人様の物に手を出したんだろう?
入れ墨持ちが偉そうに、人に説教できる立場か?
天国でも地獄でもいいから、とっとと帰ってくれ!」

ジョンが一瞬ひるむのが見えた。
すると今度は、奥さんの方が後ずさりしながら、何か叫び始めた。

「だ、だから気が進まなかったのよ! あの子を引き取るのは!
レンは良い子だったけど、妻を殴る男は、子どもだって殴るのよ!」

「うるせえ、ヘレン、お前は黙ってろ」

「人買いって言っても、奴隷じゃないわ。
賢くて見た目の良い子どもを、子どものできない裕福な夫婦に仲介する業者よ?
うちなんかにいるより、よっぽどイイじゃないの!
だから、ジョンさん! もううちに来ないで! あの世に戻って!」

ああ……大体の事情が飲み込めてきた。
うん、重い罰は夫の方だけで十分ね。

私は天井から逆さまに降りてくると、途中で宙返りをしながら着地した。

「こんばんは」

「ヒッ!」
「なんだなんだ今度は……」

「私達はレンに会いに来た者ですわ。
でも、この様子だと、ハンスさん、あなたはあの子を売ってしまったようね」

私は冷たい瞳でハンスを睨みつける。

「あなたはジョンに文句を付けていたけれど……
飢饉でパン一つ盗むのと、商売が上手く行かないからと預かった子供を売るのを一緒にするのはどうかしら?

しかも、あなた……その後もマリーゼ準子爵からレンへの仕送りを貰おうとしてたわね?
こんな物まで用意して」

私はハンスの目の前に、さっき事務机から回収した紙を突きつけた。
そこには大人が子どもの筆跡を真似た、拙い手紙のような文章が書かれている。

「そんなにお金が欲しいのなら、これでもあげるわ」

私は手の中から、黒く輝くものを取り出した。
赤や緑の小さな光が混ざった黒い石だ。大きさはマスカット一粒ほどもあり、ブラックオパールに似ている。

「な……! ちょ、ちょっと、それを見せてくれ」

ハンスは石を引ったくるように奪うと、右手の人差し指と親指でつまみ、ランプの光越しに眺め始めた。

「凄い……こんな宝石があれば一生楽に……楽に……??」

宝石と思われたそれは、シュルシュルと煙と化し、ハンスの眼に飛び込んでいく。
それと同時に、彼はいきなり叫び、怯え出した。

「あ、うわあああああああ!!」

ジョンもヘレンもあっけに取られ、その場に立ちすくんでいる。

「私が三百年、この世に留まっていた頃の恐怖と悲嘆を混ぜ込んで、濃縮したエッセンスよ。
私のこともジョンのことも怖がっていないようだったから、本物の絶望の片鱗を味わってもらうことにしたの。

これで、この人は、時折現れる恐怖の幻影から逃れることはできないわ。
二十四時間ずっとじゃないけど、そうね、一日十時間以上ね。
命までは取らないけれども……そう、二十年くらいは怯えながら生活することになると思うわ」

「マリーゼ様……な、なんかこう、さり気なく、えらい罰を下したんじゃないですか?」

ジョンが怯えたような眼差しでこちらを見ながら言う。

「そうかしら」

私は書きかけだったレンの手紙を取り出した。
便箋には、オーラを見るまでもなく、涙の跡が点々と沁みて滲んだ文字が書かれていたのだった。
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