三百年地縛霊だった伯爵夫人、今世でも虐げられてブチ切れる

村雨 霖

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第五十二話 牙を持つ魂

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幽体離脱している私の姿を見て、少年の姿をしたシェアリアが目を丸くした。

「ええ……?
誰かと思えば、ハリーの奥さんじゃないの。
なんで、こんな場所にいるの?
その様子じゃ、死んじゃってるみたいだけど」

その声は少年の声色ではなく、ハリーにしなだれかかっていた頃の甘ったるい声でもない。
私の目の前で吊り橋のロープを切り落とした時の、悪女然とした声だった。
間違いない、あのシェアリアだ。

「私は生きてるわ。あんたをどうにかするまで、絶対に死んだりしない!」

ポルターガイストの力を使って、周囲にあったドレッサーのスツールや、サイドテーブルのランプなどをシェアリアに次々と投げ付ける。それを素早く避けた彼女に向かって、私は勢いよく拳を振り下ろした。

バン!!

私の拳骨はシーツとスプリングマットの表面を突き破って、肘まで中にめり込んだ。
バネがガシャガシャ巻き付くマットから、ゆっくり拳を引き抜く。
それをすんでのところで避けたシェアリアは、さすがに青褪めていた。

「次は逃さないわ、覚悟しなさい!」

私がシェアリアに飛びかかろうとした時、彼女はいきなりロビンを抱き起こし、首元に何か光る物を突き付けた。

「この子の命が惜しければ、今すぐやめなさい」

部屋に響く、冷徹なシェアリアの声。
ロビンの首に当てられた注射器の針先が、夕陽を反射して光る。

「……!!」

拳を振り上げたまま、私は動きを止めた。
さすがに人質を取られた状態では手を出すことができない。

「手品だかなんだか知らないけど、ずいぶん面白い芸当を覚えたものね」

ベッドの端に座り、ロビンに注射針を突き付けたままのシェアリアが顎を少し上げ、こちらを見下しながら言う。

「その子をどうするつもり?」

「さあ……?
どうしようかしら?」

互いに相手の出方を待つような形になって、沈黙が訪れる。
そうなって初めて、背後のドアから誰かの声と、ダン、ダンと人が体当たりする音がするのに気が付いた。

バン!

ドアが開き、転がり込むように入ってきたのは、アールとディアスだった。

「何してるんだ! 中に入ったら鍵くらい開けておけ!」

アールが怒鳴る。

「失礼、キミがマイケル……いや、シェアリアか?」

ディアスが彼女に向かって冷静な口調で尋ねた。

「それ、答える必要があるかしら?」

シェアリアは鼻で笑うと、ジャケットの袖口から何かを取り出し、床に叩き付けた。
パン! と何かが爆ぜる音と共に、足元から白い煙が吹き出す。
それはみるみる辺りに広がり、その場にいる者の視界を奪っていった。

「不味い! 煙玉だ!」

ディアスが叫んだ。

「煙玉!?」

あとからあとからわいてくる白煙に思わずゲホゲホとむせ返った。
霊体の私は本来むせることがないが、ドアのところに置いてきた本体が煙に巻かれているのだ。
いや、今はそんなのどうでもいい。急いでシェアリアを見つけなければ。
ここは一階だ。窓からでも逃げられる。

私は急いで壁をすり抜けて、屋敷の外に出た。
すると、誰かが建物の門に向かって、全速力で駆けていくのが見えた。

「シェアリア!」

途中まで追ったが、途中でまた、引っ張られるような感覚がして、前に進めなくなってしまった。
身体から二十メートル離れてしまったのだ。

そんな!
せっかく、先生や……ジェームスやアニーやジョンの仇を討てそうだったのに……
悔しさが胸に満ちる。

だが、次の瞬間、あり得ないものを目に入った
屋敷の門を走り出るシェアリアから見えた魂。
彼女の歪なあの魂に、スッと切れ目が入って、開いたのだ。

それは、口だった。
牙がギザギザに生えたその口が、こちらを向いてニヤリと笑ったのだ。

前の人生と、三百年幽霊だった時間と、今世での二十年。
その時間で、生きた人間も、死んだ人間も大勢見てきた。
魂も、霊体も、肉体も。

だけど、あんな魂、見たことがない。
おぞまし過ぎて、鳥肌が立つ。
あれは……あれは……何なの……!?



シェアリアを取り逃がした私がすごすご戻ると、ルサール邸は大騒ぎになっていた。
煙は屋敷の他の部屋にも広がり、火事だと思われたようだ。

バケツを持った使用人や、護衛でごった返す傍ら、私とロビンは別の客室で寝かされていた。
ロビンにはアールが付き添って、何か浄化の儀式のようなものを行っている。

身体に戻った私は上半身を起こす。

「アール、ロビンがどうかしたの? まさかあの時、首に注射を……」

「それは大丈夫だ。
だが、強い瘴気に当てられていた」

「瘴気……
ねえ、アール。
あなたは仕事で、いろいろと『人ならざる者』と出会っているでしょう?
魂に牙が生えた人間を、見たことはある?」

「はあ!? いや、すまない。そんな物は見たことがない。
しかし……あり得ないことだが、人間以外の力を得た者なら、そんなこともあるかもしれない」

「人間以外……」

「そう、たとえば、悪魔とか」

「悪魔……」

背筋を悪寒が走る。
地縛霊の力と記憶を取り戻してから、私に怖いものなんて、何一つ無い。
そう思って来た。

けれど、私は今、心底震えている。
シェアリアは、もしかしたら人間じゃない……?
そんな相手と、どう戦ったらいいの……?
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