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「ベアトリーチェ様のタキシード、とても素敵です」
「本当に。あぁ、惚れ惚れしてしまいますねぇ」

 二人の妃からそう褒められ、王妃はまんざらでもなさそうに扇で口元を隠して目を細める。すらりとした体型に、仕立てられた錆鼠色のタキシードが非常に似合っている。ズボンの裾には白い蔦の刺繍がささやかに入っている。

「クリスとマリアも格好いいじゃないの。髪もきっちりと結い上げるなんて、気合が違うわねぇ」
「髪飾りをつけるのは何だか違う気がしましたので、控えてみました」
「そう。でも、華やかさは欲しいので、こんなふうに結ってみましたの」

 男装をした三妃はきゃあきゃあと互いを褒めながら特別席のソファへ座る。いつもよりざわめきが大きいのは、『王と精霊の恋物語』最終日だからなのか、現れた王家の妃たちが皆男装をしているからなのかは、不明だ。しかし、目ざとい夫人や令嬢は目を丸くして、三人を見つめている。次の流行は「男装」なのだと目に焼き付けるかのように。

「それにしても、アウトゥリア侯爵は愚かでしたねぇ」
「あら、もう侯爵ではなくてよ」
「そうでしたね」

 ふふふ、と三妃は微笑む。
 アウトゥリア侯爵家の三男はここ二ヶ月の間に、第五王子の婚約者に葡萄水をかけ、第三王女の愛猫に怪我を負わせ、第五王子を拐かして暴行をした。その父侯爵は息子を諌めるどころか、第五王子の婚約に異を唱えたという。
 被害を受けた二人の母であるクリスティーナ妃が卒倒したため、ベアトリーチェ王妃とマリアンナ妃は結託して国王に侯爵家の奪爵を求めた。その求めに応じる代わり、国王は三妃から「緋色の魔獣に呪われた原因を隠していたこと」を許してもらおうとした。王家の秘密を公にするかは未定ではあるものの、国王と妃たちは取引をしたのだ。
 奪爵だけでは生ぬるいと言う貴族もいたが、結局は爵位と領地を取り上げ、侯爵一家の面々をミレフォリア公爵家が責任をもって監督することで決着した。公爵家嫡男の妻であり、第五王子の婚約者の姉でもあるアリーチェが、「我が家で厳しく監督できることを、とても、とぉっっても楽しみにしています」と請願したためだ。彼女の微笑みで公爵家の空気が凍ったというが、真偽のほどは定かではない。

「でも、いいのですか? 領地をジラルド王子とフィオリーノで分けてしまっても」
「構わないのではありませんか。他の子たちにはもう領地がありますもの」
「そうですよねぇ。とは言っても、フィオリーノ王子は星の別邸が気に入っている様子ですけれど……あら、二人はどこへ? せっかくの男装茶会だというのに」

 特別席にリーナとルーチェの姿はない。しかし、三妃が気にしたのは一瞬だ。
 明かりとざわめきが消える。舞台上に明かりが灯り、浮かび上がった「王」コルヴォの姿に三妃の視線は釘付けとなる。

『……あぁ、退屈だ。国は栄え、手に入れられぬ女などいない。世界はすべて私のもの』

 現れた看板役者に、三人は小声できゃあきゃあと言い合うのだった。



 連れてきた犬を劇場の外に座らせて、女は赤と黒の薔薇の入った花かごとチケットを受付嬢に手渡す。エントランスには大量の差し入れと花が飾ってあるため、慣れている受付嬢は「ありがとうございます」と事務的に受け取る。
 女は一階の長椅子席へ向かおうとしたが、途中で歩みを止める。その進路を塞ぐようにして、二人の人間がいたからだ。菜の花色の髪の女に、暗紅色の髪の女。不思議なことにどちらも男物の服を着ている。

「お待ちしておりました、黒髪の魔女様」
「あら」

 黒髪の魔女は、声をかけてきた女のほうには魔法がかかっていることに気づく。それはどうやら、自分の恋人がかけたもののようだ。
 かつて愛した男の面影が、女にはある。その瞬間に、魔女はすべてを理解した。

「困ったわね。わたくしはお芝居を観たいのだけれど」
「お手間は取らせません。緋色の魔獣様に、父の不始末を詫びたいだけですので」
「なら構わないわよ。劇場の外でわたくしを待っているわ。話していらっしゃい」
「ありがとうございます」

 魔女の了承を取りつけて、女二人は劇場の入り口へと向かっていく。その二人の背中をちらと見て、魔女は小さく微笑んだ。「来年はわたくしも男装してみようかしら」と。



 黒髪の魔女が言った通り、劇場の外の目立たない場所に、緋色の犬が目を閉じて利口そうに座っている。ラルドのふにゃふにゃした姿とは異なり、何とも凛々しく威厳がある。

「緋色の魔獣様。魔女様からお話しをしてもよいと許可をいただいてまいりました」

 リーナがそう話しかけると、魔獣は薄っすらと目を開けて二人を睨んだ。凄まじい威圧感だとルーチェは思う。アディとジラルドがここにいたら逃げていってしまいそうだ。

『……何用だ?』
「わたくしは……いえ、僕はヴェルネッタ王国の第五王子フィオリーノです」
『あの人間の子どもか?』
「はい。この国の王は、僕の父です」

 魔獣はガバと大きな口を開ける。思わず、ルーチェがリーナの前に立っていた。食べられるのかと思って身構えたのだ。

『ハッハッハ! なるほど、そういうことか。我にかけられた魔法を解いてくれと頼みに来たのだな?』

 魔獣はルーチェのかげに隠れるリーナをジロジロと見て、笑う。自分のかけた魔法で王子が女の姿になっていると、すぐに気づいたようだ。
 リーナは一瞬怯んでルーチェの手を握ったものの、「いいえ」と魔獣の言葉を否定する。

「僕は、父のことを謝りに来ただけです。父があなたから大切な人を奪ったこと、心からお詫び申し上げます」
『我の魔法は、謝罪ごときでは解けんぞ』
「ですから、解いていただかなくても構いません」

 魔獣は不思議そうな顔をしてリーナを見上げる。本当に謝罪に来ただけとは思わなかったらしい。

「もうご存知かもしれませんが、僕は昼と夜で性別が変わってしまいます。けれど、それでも構わないと、彼女が言ってくれたので――」

 リーナはぎゅうとルーチェの手を強く握る。少しだけ汗ばみ、震えているのを、ルーチェもしっかりと握り返す。大丈夫だと伝えるように。

「僕は、あなたから受けた呪いと一緒に、生きていきます」
『……不便な体でもよいと? 呆れた。お前は大変な変わり者だな』

 魔獣は心底驚いているかのように目を丸くしている。リーナはそんな魔獣に向けて深々と頭を下げる。

「父のこと、申し訳ございませんでした。黒髪の魔女様の子どもは、この花鳥歌劇団の看板役者であるオルテンシア様です」
『ああ、そうだ』

 魔獣はこともなげにそう肯定した。今度はリーナとルーチェが驚く番だ。まさかもう知っていたとは――そんな表情で魔獣を見つめる。

「ご存知だったのですか?」
『もちろん、知っているとも。とは言っても、気づいたのは最近のことだが』
「魔女様が、毎年観劇にいらっしゃるからですか?」
『それもあるが、この声だな。この美しい声、昔とちっとも変わっておらぬ』

 舞台でオルテンシアが歌う声が、劇場の外にも漏れ聞こえてくる。魔獣は目を閉じ、この歌声を堪能しているようだ。

「オルテンシア様に、会っていかれないのですか?」
『あれはもう人間に慣れておる。魔女や魔獣との生活にはもう戻れんよ。こちらで過ごすほうがいいのであろう』
「でも」
『もう邪魔をしないでもらえるか。あれの歌声が聞こえぬ』

 魔獣の迫力の中から少しの寂しさを感じ取って、リーナとルーチェは顔を見合わせる。

「また、来ます」
『もう来るな。魔法の解き方を教えてやる』
「僕たちには必要ないので結構です。もしかしたら、兄と妹は来るかもしれませんが」
『……ふん』

 魔獣はそっぽを向いて、しかし耳だけはピクピクと動かしながら目を閉じる。リーナとルーチェは顔を見合わせたあと、劇場へと戻っていくのだった。


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