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043.初夜

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 夕刻に始まった結婚披露宴は、真夜中になる前に、ルーチェが想像していたよりもずっと早くに終わった。昼間から葡萄酒を浴びるように飲んでいた出席者たちが、軒並み潰れて花と蔦の宮殿の客室へと引き上げていったためだ。

 酔っ払ったコレモンテ伯爵が「娘を幸せにしてやってくださいぃぃ」と泣きながらフィオに縋っていたのを見て、ルーチェはほんの少し目頭が熱くなったものだ。その父は、母と兄セヴェーロに引きずられるようにして会場をあとにした。
 ヴァレリオとアデリーナはいつの間にか会場から消えており、久々に再会したアリーチェとロゼッタは楽しそうに、不穏な会話に花を咲かせていた。
 国王と王妃は親族たちと語らっていたものの、そのうちクリスティーナとマリアンナが加わり、三妃と王子妃・王女たち、夫人方が集って男装話で盛り上がり始めたため、国王は息子たち――呪いを受けていない王子たちに慰められながら退場した。

 フィオとルーチェは非常に楽しい時間を過ごした。皆を見送ったあとは、「片付けは明日にしよう」と使用人たちに告げて、それぞれの部屋へと戻っていった。
 花嫁の部屋として準備されていた応接室で、婚礼ドレスを脱ぎ、化粧を落とし、髪に飾ってあった生花を取り、ようやくルーチェは「はぁぁ」と深い溜め息を吐き出す。「疲れましたね」とエミリーに声をかけられて、ルーチェは力なく頷く。

 ――でも、これは、心地の良い疲れだな。

 準備された香茶を飲みながら、使用人たちがテキパキと片付けていくのを見つめていると、「お部屋に戻ってください」とエミリーがガウンを手渡してくれる。今日中に片付けるべきことだけを終えたら、すぐに彼女たちは就寝するのだろう。自分がここにいては邪魔になると判断して、ルーチェはエミリーの指示に従う。

「皆、私たちのために尽力してくれてありがとう。とても素晴らしい時間を過ごすことができたよ。私は幸せ者だね」

 ガウンを羽織り、星の別邸の主人として彼女たちを労う。使用人たちは一瞬手を止め、ルーチェの気だるげな表情と仕草を目に焼き付ける。色っぽくて手を止めざるを得ない。

「これからも、よろしく頼むよ」

 バチンとウインクをすると、使用人たちは目をキラキラさせて元気よく返事をするのだった。星の別邸で働けることを誇りに思いながら。



 三階の自分の部屋まで戻り、浴室で汗を流す。支度室に準備されている寝間着を確認して、ルーチェは目を丸くする。
 今まで着ていた、すとんとしたワンピースが一着もない。代わりに置いてあるのは、布の面積が非常に少ないものや、総レースの可愛らしい下着ばかりなのだ。どうやって身につけるのかわからないものもある。

 ――エミリー。こんな小さな下着だと風邪を引いてしまうじゃないか。

 衣装棚の中にもいつもの寝間着がなかったため、ルーチェは適当に総レースの橙色の下着を身につける。そして、その上からガウンを羽織る。

 ――香茶でも淹れて、暖まってから寝ようかな。

 支度室にあるポットに水を入れ、湯沸かし用の魔石を調整しようとしたときだ。突然、コンコンとノックの音がして、扉の向こうからフィオの声がする。

「ルーチェ、起きている? 入ってもいいかな?」
「いいよ。今ちょうど香茶の準備をしようとしていたところなんだ」

 支度室の扉を開けて入ってきたフィオは、ボサボサの髪のままガウンを羽織っただけのルーチェを見て、微笑む。

「髪を梳かしてあげるよ、ルーチェ」

 持ってきたトレイをテーブルに置き、フィオがブラシを手に取って手招きしたため、ルーチェは準備の手を止めてフィオのそばの椅子に座る。フィオは浴巾タオルで水気を吸いながら、ゆっくりとした動作でブラシを動かす。

「ドレス姿、とても綺麗だった」
「針子さんたちが頑張ってくれたからね」
「ルーチェが綺麗だった、って言っているんだけどね、僕は」

 落ちてくる苦笑いの声に、ルーチェは反省する。ドレスを見たときにフィオが綺麗だと言っていたのは、ルーチェのことだったのだと今さら気づいたのだ。ドレスのことを褒めているのだとばかり思っていた。

「フィオも、格好良かったよ。とても。すごく」
「ふふ。ありがとう」

 するり、と首を撫でられると、何だか落ち着かない。くすぐったい気持ちになる。それをごまかそうと思って、ルーチェは少し早口になる。

「ヴァレリオとアデリーナはどこに行ったのかな? またあの温室で語り合っているのかな?」
「さあ。どうだろう」
「ジラルド王子はいつエミリーに想いを打ち明けるんだと思う? 早いほうがいいとは思うんだけれど、あんまり結婚が早すぎると寂しくなってしまうんだろうなぁ。だって、エミリーとはずっと一緒だったから」
「そうだね」

 フィオの冷たい指が、首筋をなぞる。変な声を上げそうになってしまって、ルーチェは唇を引き結ぶ。

「そういえば、フィオは何を持ってきたんだ?」
「飴玉だよ。食べる?」
「うん、食べる」

 ガラスの瓶に、小さな丸い飴玉が入っている。赤色の可愛らしい飴だ。そのうちの一つをフィオがつまんで持ってきて、ルーチェの口に運ぶ。飴玉、という割にしゅわしゅわと口の中で溶けてすぐになくなってしまう。甘い泡が口の中いっぱいに広がったような感じだ。

「不思議な飴だね。こんなに溶けるのが早いもの、食べたことないや」
「そう……美味しかった?」
「うん。王室御用達なのかな? 流通しているの、見たことないなぁ」

 今まで、同じような飴玉を食べたことがない。大抵は、口の中でゆっくり溶け、長く味わうことができるものだ。

「それはルーチェが意識したことがないからだよ。薬屋には必ず売っているはずだから」
「くすり?」

 ブラシと浴巾を置いて、フィオがルーチェの手を取る。ルーチェは促されるまま立ち上がり、手を引かれるままに隣室――寝室へと向かう。

「……わ、あ」

 蓄光魔石があちこちに置かれた寝室は、ぼんやりと輝いる。誰が準備したのか、とても幻想的な空間となっている。シャンデリアをつけようとしたルーチェの手を、フィオが止める。

「フィ、オ?」
「明るいほうがいいと言うのなら、僕は止めないけれど」
「フィオが準備してくれたんだ? すごく綺麗だよ」
「まぁ、初めての夜だからね」

 ――初めての、夜?

 フィオの指が、ルーチェの指にゆっくりと絡む。もう片方の手が、ルーチェの頬を撫でる。

「ルーチェ」

 眼前で名前を呼ばれ、ルーチェは混乱する。夫婦となって初めての夜にすることが何なのか、わからないほどうぶではない。だが、心の準備がまだできていない。

「え、ええと、その」

 フィオはそっとルーチェの頬に口づける。そして、ルーチェの緊張を理解しているのか、困ったように微笑む。

「夜は長いんだ。距離を縮めるのを急ぐことはないよ」

 ルーチェは即座に頷く。心の準備ができるまでしばらくかかりそうだ。

「でも、ルーチェに触れたいという僕の気持ちを受け入れてくれると、嬉しいかな」

 その一言で、ルーチェは簡単に真っ赤になってしまうのだった。


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