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59.黒白の告白(八)
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鮭とほうれん草のお粥、シラス入りのだし巻きと大根のスープを作り、寝室からゼリーの容器とコップを引き取って台所を片付けたところで、帰る予定だった。
書き置きを残し、帰る支度をして、最後にもう一回だけ先生の顔を見に寝室へ入った。
薄暗い寝室のベッドの上で、湯川先生は眠っている。呼吸はだいぶ穏やかになってきている気がする。ちゃんとご飯を食べて、栄養をつけてくれるといいんだけど。
ふと、サイドボードの写真立てを見てぎょっとした。中に入っていたのは、村上叡心の描いた裸婦像のポストカードだったのだ。箱根で見た、縁側に横たわる私の姿。綺麗な一枚だ。
このポストカードは、いつ買ったものだろう。薄暗くてはっきりとはわからないけれど、少し色褪せているような気がする。まさか、高校生のときに買ったものだろうか。
先生は、こんなものを大事に大事に持っていてくれたのか。何年も、十何年も。
先生は、私のことが好きですか?
こんな愚かな女でも、まだ、好きだと思ってくれますか?
結婚するときに、ポストカードは持っていってくれますか? 飾ってくれますか?
……私のことを、忘れないでいてくれますか?
ダメだなぁ。
涙が溢れてきてしまう。先生の顔が滲んでよく見えない。
いつの間に、こんなに好きになっていたのか。別れを惜しむくらいの情を、いつの間に抱いていたのか。
「……せんせ、好き」
零れた言葉が届かないことくらいはわかっている。わかっているのに、溢れてしまう。
掛け布団からはみ出た左手を直そうとして、そのまま握る。熱くはなく暖かい。ゴツゴツしているけど、変なタコができているけど、長くて繊細な指が好きだった。
「好きだったよ、望」
額に、頬に、マスク越しの唇にそれぞれキスをして、離れようとしたときだ。ぐいと手を引かれ、バランスを崩して先生の上に乗ってしまい、さらに顔をしたたかにシーツにぶつけてしまう。
うぅ、痛い。痛いです、湯川先生。
「……そば、に」
寝ぼけた先生が無意識のうちに手を引いたのだろう。体の上に乗られたというのに、先生が目を覚ました様子はない。手はがっちりと握られており、解けそうもない。眠っているのに、なんて力。
……まぁ、不可抗力、だよね。
いい、よね、最後くらい。
いそいそと掛け布団の中に潜り込み、先生の隣に寝転ぶ。熱のある先生は暖かい。暖かいのは、好き。
ぎゅうと抱きついて、先生の熱を堪能する。香水の匂いはもうしない。そう、消えてしまえばいい。他の女の痕跡なんて、必要ない。
「望、好きだよ……大好き」
……あ、ダメだ。眠くなってきた。昨夜遅くまでケントくんの相手をしていたから、かなり疲れていたんだった。
「……あいしてる……」
湯川先生はまだセフレだけど、聞こえていないなら、言ってもいいよね。翔吾くんには黙っていよう。
これが最後だから。
少しくらい、触れ合っても、いいよね。
最後に、するから。もう少しだけ、このままでいさせて……。
好きな人の隣で、眠らせて……。
◆◇◆◇◆
ザアア、という水の音に気づいて目を開けると、目の前で眠っているはずの湯川先生がいなかった。ベッドには、寝室には、私しかいなかった。
「せんせ!?」
慌ててベッドから降りてリビングへ向かうと、あたりはすっかり薄暗くなっている。時計を確認して愕然とする。十七時……かなり寝てしまっていたらしい。寝過ごしてしまった。
しかも、窓の外は一面灰色の世界。雨だ。しまった。傘を持ってきていないのに。
ガチャン、とどこかで音がした。奥から音が聞こえるドアを開けてみると、脱衣所。バスタオルで体を拭いている先生と目が合い、「うわっ」と声を上げられる。
あの、裸は見慣れているので、バスタオルで隠さなくてもいいです。女子高生か。
「あかりのえっち!」
「だって、先生がいないから!」
「あ、ごめん、探した? 寂しかった? あかりはかわいいなぁ」
明るく笑う湯川先生。しんどそうな気配はそこまで感じられない。
「大丈夫なの?」
「うん、熱も下がった。よく寝たからかな、調子はいいよ。あ、お腹空いたから、ご飯食べたいな」
「……準備する」
「うん、ありがとう」
シャワーを浴びることができるくらいまで回復したなら、良かった。食欲があるなら、良かった。
お粥とスープを温めながら、ホッとする。本当に、良かった。
ただ、寝過ごしてしまったせいで、私が帰るタイミングをかなり外してしまった。困ったなぁ。別れ話、あんまりしたくないんだけどなぁ。
「あー、いい匂い! 何? 何作ったの?」
「お粥とスープとだし巻きだよ」
「すごいな! あかりはいい奥さんになれるなぁ!」
パジャマではなく、Tシャツにジャージ姿で現れた先生に、さらにホッとする。あのパジャマは着てもらいたくなかったから。
……私、意外と独占欲強かったみたいだ。
「あかり」
「ん」
後ろから抱きすくめられて、ドキドキしてしまう。耳の後ろあたりにキスをされ、ペロリと舐められると、ゾクリと背中が粟立つ。
「せんせ、ダメ」
「なんで? 熱が危ないから? 吹きこぼれちゃう? それとも」
体のラインを優しく撫でられる。壊れ物に触れるように、優しく。
「俺が結婚するって思い込んでいるから?」
「!?」
ぐいと顔を先生のほうに向けられ、唇を塞がれる。先生にしては乱暴なキス。すぐに舌を挿れられ、口内を犯される。
「んんんっ!」
パチンとIHの電源を切られて、せっかく温めていたのに、と非難の視線を向けようとして、やめた。先生の目が、とても穏やかで優しかったからだ。
「ごめん、いろいろと心配かけて。でも、熱は引いたし、結婚するつもりもないから、安心して」
「……ほんと?」
「本当」
湯川先生にぎゅうと抱きついて、キスを求める。応じてくれる唇と舌は、優しい。
「その代わり、就職活動しないといけなくなったけど」
「病院、辞めるの?」
「ま、病院長の娘との縁談を断るってことは、そういうことだよ。病院にはいられないからね」
先生は、お父様を超えたいんじゃなかったの? 縁談さえうまくいけば、地位も名誉も、手に入れることができたはずなのに。
「朝、来ていた女の人が、病院長の娘さん?」
「そう。あぁ、すれ違ったんだね。参ったよ、こんな状態なのに押しかけられちゃって。もちろん、きちんとお断りして、帰ってもらったよ」
「なん、で?」
ぐ、と体重がかけられ、その場に倒れ込む。マットの上で押し倒され、湯川先生だけを視界に映す。
「なんで、って……俺が結婚したいのは、あかりだけだからね」
「……ほんと?」
「嘘ついてどうするの。セフレだとわかっているけど、願うことは自由でしょ。俺は諦めていないから。十年たっても諦めないから」
諦めない、って聞こえた。それは聞き間違いではない? 本当に?
私は諦めようとしたのに、先生は。
「フラれる、と、思っ」
「あかりはそう思っていたみたいだけどね」
「……あ!」
「手紙だけ置いてサヨナラは、傷つくなぁ、俺」
帰る前に、テーブルの上に短い書き置きを残しておいたのだ。面と向かってさようならを言えないくらい、落ち込んでいたから。
「ごめ、なさ……卑怯、だった」
「いいよ。不安にさせた俺も悪い。水森のせいでもあるけど。ごめん、あかり」
思わず、体を起こして湯川先生を抱きしめる。熱い体を抱きしめる。
やっと、向き合えた……。
キスをして、お互いの体温を感じ合って、理性のタガが外れそうになるのを何とか押し留めている。
先生が好き。
伝えられないと思っていた気持ちが、むくむくと大きくなってくる。このままだと爆発してしまう。
「あかり」
太腿に押しつけられているものの存在に、私の体が喜ぶ。熱を帯びた雄を、早く受け入れろ、と喚く。
「ごめん、あかり。今すぐここで抱きたい」
「せんせ、待っ」
「待てない」
「待って!」
強い声に、湯川先生が手を止める。ワンピースのボタン、いつの間にそんなに外していたのか。気づかなかった。油断も隙もありゃしない。
「ベッドがいい?」
「違う、違うの。そうじゃなくて。私、先生に言わないといけないことが」
「ん、何?」
ボタンを外そうとする先生の右手をやんわりと包んで、言葉を探す。けれど、適切な言葉が見つからない。
なんて言えば、先生に伝わるだろうか。
なんて言えば、私の気持ちが伝わるだろうか。
探したけれど、一つしかなかった。
「せんせ、好き」
驚いて目を見開く先生の顔。珍しく、先生が動揺している。
「好きなの。望のことが好き」
先生が息を呑むのがわかった。ごくりと喉が鳴った。
「愛してるの」
湯川先生の目に私だけ映して。私だけを見て。私だけに触れて。私だけを抱いて。
「望を、愛してる」
湯川先生は長々と息を吐き出して、ゆっくりと深呼吸をした。
「……戻れないよ?」
「いいよ」
「夢じゃない、よな?」
「うん。夢じゃない」
「あかりをぜんぶ、もらっていいってこと?」
「……あ、半分、じゃダメ?」
「あー……なるほどね」
参ったな、と湯川先生は小さく呟いて、苦笑した。
二月のあの日、先生は、同じようにそう言って笑ったような気がした。忘れかけていた記憶だ。
「残酷な選択肢だな、これは」
「ご、ごめんなさい」
「その半分の中に、心は含まれる?」
「うん。心と体を半分こ」
翔吾くんもだったけど、湯川先生も理解が早い。全部を説明しなくても理解してくれる。ただ、納得できるかどうかは、別みたいだけど。
「なるほど、あかりの心と体を、もう一人と共有するわけね……こんなに独り占めしたくて仕方ないのに。本当にこんな残酷な選択肢、聞いたことないよ」
ごめんなさい、と再度謝ろうとした瞬間に、唇が塞がれる。優しく労るようなキス。ゆっくりと緊張を解していくキスだ。
「覚悟を決めろってことでしょ。わかってる」
湯川先生は、深い深い溜め息をついたあとに私の頬にそっとキスをして。
「あかり、結婚しよう」
耳元で、甘く痺れるような言葉を囁いた。
書き置きを残し、帰る支度をして、最後にもう一回だけ先生の顔を見に寝室へ入った。
薄暗い寝室のベッドの上で、湯川先生は眠っている。呼吸はだいぶ穏やかになってきている気がする。ちゃんとご飯を食べて、栄養をつけてくれるといいんだけど。
ふと、サイドボードの写真立てを見てぎょっとした。中に入っていたのは、村上叡心の描いた裸婦像のポストカードだったのだ。箱根で見た、縁側に横たわる私の姿。綺麗な一枚だ。
このポストカードは、いつ買ったものだろう。薄暗くてはっきりとはわからないけれど、少し色褪せているような気がする。まさか、高校生のときに買ったものだろうか。
先生は、こんなものを大事に大事に持っていてくれたのか。何年も、十何年も。
先生は、私のことが好きですか?
こんな愚かな女でも、まだ、好きだと思ってくれますか?
結婚するときに、ポストカードは持っていってくれますか? 飾ってくれますか?
……私のことを、忘れないでいてくれますか?
ダメだなぁ。
涙が溢れてきてしまう。先生の顔が滲んでよく見えない。
いつの間に、こんなに好きになっていたのか。別れを惜しむくらいの情を、いつの間に抱いていたのか。
「……せんせ、好き」
零れた言葉が届かないことくらいはわかっている。わかっているのに、溢れてしまう。
掛け布団からはみ出た左手を直そうとして、そのまま握る。熱くはなく暖かい。ゴツゴツしているけど、変なタコができているけど、長くて繊細な指が好きだった。
「好きだったよ、望」
額に、頬に、マスク越しの唇にそれぞれキスをして、離れようとしたときだ。ぐいと手を引かれ、バランスを崩して先生の上に乗ってしまい、さらに顔をしたたかにシーツにぶつけてしまう。
うぅ、痛い。痛いです、湯川先生。
「……そば、に」
寝ぼけた先生が無意識のうちに手を引いたのだろう。体の上に乗られたというのに、先生が目を覚ました様子はない。手はがっちりと握られており、解けそうもない。眠っているのに、なんて力。
……まぁ、不可抗力、だよね。
いい、よね、最後くらい。
いそいそと掛け布団の中に潜り込み、先生の隣に寝転ぶ。熱のある先生は暖かい。暖かいのは、好き。
ぎゅうと抱きついて、先生の熱を堪能する。香水の匂いはもうしない。そう、消えてしまえばいい。他の女の痕跡なんて、必要ない。
「望、好きだよ……大好き」
……あ、ダメだ。眠くなってきた。昨夜遅くまでケントくんの相手をしていたから、かなり疲れていたんだった。
「……あいしてる……」
湯川先生はまだセフレだけど、聞こえていないなら、言ってもいいよね。翔吾くんには黙っていよう。
これが最後だから。
少しくらい、触れ合っても、いいよね。
最後に、するから。もう少しだけ、このままでいさせて……。
好きな人の隣で、眠らせて……。
◆◇◆◇◆
ザアア、という水の音に気づいて目を開けると、目の前で眠っているはずの湯川先生がいなかった。ベッドには、寝室には、私しかいなかった。
「せんせ!?」
慌ててベッドから降りてリビングへ向かうと、あたりはすっかり薄暗くなっている。時計を確認して愕然とする。十七時……かなり寝てしまっていたらしい。寝過ごしてしまった。
しかも、窓の外は一面灰色の世界。雨だ。しまった。傘を持ってきていないのに。
ガチャン、とどこかで音がした。奥から音が聞こえるドアを開けてみると、脱衣所。バスタオルで体を拭いている先生と目が合い、「うわっ」と声を上げられる。
あの、裸は見慣れているので、バスタオルで隠さなくてもいいです。女子高生か。
「あかりのえっち!」
「だって、先生がいないから!」
「あ、ごめん、探した? 寂しかった? あかりはかわいいなぁ」
明るく笑う湯川先生。しんどそうな気配はそこまで感じられない。
「大丈夫なの?」
「うん、熱も下がった。よく寝たからかな、調子はいいよ。あ、お腹空いたから、ご飯食べたいな」
「……準備する」
「うん、ありがとう」
シャワーを浴びることができるくらいまで回復したなら、良かった。食欲があるなら、良かった。
お粥とスープを温めながら、ホッとする。本当に、良かった。
ただ、寝過ごしてしまったせいで、私が帰るタイミングをかなり外してしまった。困ったなぁ。別れ話、あんまりしたくないんだけどなぁ。
「あー、いい匂い! 何? 何作ったの?」
「お粥とスープとだし巻きだよ」
「すごいな! あかりはいい奥さんになれるなぁ!」
パジャマではなく、Tシャツにジャージ姿で現れた先生に、さらにホッとする。あのパジャマは着てもらいたくなかったから。
……私、意外と独占欲強かったみたいだ。
「あかり」
「ん」
後ろから抱きすくめられて、ドキドキしてしまう。耳の後ろあたりにキスをされ、ペロリと舐められると、ゾクリと背中が粟立つ。
「せんせ、ダメ」
「なんで? 熱が危ないから? 吹きこぼれちゃう? それとも」
体のラインを優しく撫でられる。壊れ物に触れるように、優しく。
「俺が結婚するって思い込んでいるから?」
「!?」
ぐいと顔を先生のほうに向けられ、唇を塞がれる。先生にしては乱暴なキス。すぐに舌を挿れられ、口内を犯される。
「んんんっ!」
パチンとIHの電源を切られて、せっかく温めていたのに、と非難の視線を向けようとして、やめた。先生の目が、とても穏やかで優しかったからだ。
「ごめん、いろいろと心配かけて。でも、熱は引いたし、結婚するつもりもないから、安心して」
「……ほんと?」
「本当」
湯川先生にぎゅうと抱きついて、キスを求める。応じてくれる唇と舌は、優しい。
「その代わり、就職活動しないといけなくなったけど」
「病院、辞めるの?」
「ま、病院長の娘との縁談を断るってことは、そういうことだよ。病院にはいられないからね」
先生は、お父様を超えたいんじゃなかったの? 縁談さえうまくいけば、地位も名誉も、手に入れることができたはずなのに。
「朝、来ていた女の人が、病院長の娘さん?」
「そう。あぁ、すれ違ったんだね。参ったよ、こんな状態なのに押しかけられちゃって。もちろん、きちんとお断りして、帰ってもらったよ」
「なん、で?」
ぐ、と体重がかけられ、その場に倒れ込む。マットの上で押し倒され、湯川先生だけを視界に映す。
「なんで、って……俺が結婚したいのは、あかりだけだからね」
「……ほんと?」
「嘘ついてどうするの。セフレだとわかっているけど、願うことは自由でしょ。俺は諦めていないから。十年たっても諦めないから」
諦めない、って聞こえた。それは聞き間違いではない? 本当に?
私は諦めようとしたのに、先生は。
「フラれる、と、思っ」
「あかりはそう思っていたみたいだけどね」
「……あ!」
「手紙だけ置いてサヨナラは、傷つくなぁ、俺」
帰る前に、テーブルの上に短い書き置きを残しておいたのだ。面と向かってさようならを言えないくらい、落ち込んでいたから。
「ごめ、なさ……卑怯、だった」
「いいよ。不安にさせた俺も悪い。水森のせいでもあるけど。ごめん、あかり」
思わず、体を起こして湯川先生を抱きしめる。熱い体を抱きしめる。
やっと、向き合えた……。
キスをして、お互いの体温を感じ合って、理性のタガが外れそうになるのを何とか押し留めている。
先生が好き。
伝えられないと思っていた気持ちが、むくむくと大きくなってくる。このままだと爆発してしまう。
「あかり」
太腿に押しつけられているものの存在に、私の体が喜ぶ。熱を帯びた雄を、早く受け入れろ、と喚く。
「ごめん、あかり。今すぐここで抱きたい」
「せんせ、待っ」
「待てない」
「待って!」
強い声に、湯川先生が手を止める。ワンピースのボタン、いつの間にそんなに外していたのか。気づかなかった。油断も隙もありゃしない。
「ベッドがいい?」
「違う、違うの。そうじゃなくて。私、先生に言わないといけないことが」
「ん、何?」
ボタンを外そうとする先生の右手をやんわりと包んで、言葉を探す。けれど、適切な言葉が見つからない。
なんて言えば、先生に伝わるだろうか。
なんて言えば、私の気持ちが伝わるだろうか。
探したけれど、一つしかなかった。
「せんせ、好き」
驚いて目を見開く先生の顔。珍しく、先生が動揺している。
「好きなの。望のことが好き」
先生が息を呑むのがわかった。ごくりと喉が鳴った。
「愛してるの」
湯川先生の目に私だけ映して。私だけを見て。私だけに触れて。私だけを抱いて。
「望を、愛してる」
湯川先生は長々と息を吐き出して、ゆっくりと深呼吸をした。
「……戻れないよ?」
「いいよ」
「夢じゃない、よな?」
「うん。夢じゃない」
「あかりをぜんぶ、もらっていいってこと?」
「……あ、半分、じゃダメ?」
「あー……なるほどね」
参ったな、と湯川先生は小さく呟いて、苦笑した。
二月のあの日、先生は、同じようにそう言って笑ったような気がした。忘れかけていた記憶だ。
「残酷な選択肢だな、これは」
「ご、ごめんなさい」
「その半分の中に、心は含まれる?」
「うん。心と体を半分こ」
翔吾くんもだったけど、湯川先生も理解が早い。全部を説明しなくても理解してくれる。ただ、納得できるかどうかは、別みたいだけど。
「なるほど、あかりの心と体を、もう一人と共有するわけね……こんなに独り占めしたくて仕方ないのに。本当にこんな残酷な選択肢、聞いたことないよ」
ごめんなさい、と再度謝ろうとした瞬間に、唇が塞がれる。優しく労るようなキス。ゆっくりと緊張を解していくキスだ。
「覚悟を決めろってことでしょ。わかってる」
湯川先生は、深い深い溜め息をついたあとに私の頬にそっとキスをして。
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