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第三夜
083.聖女と総主教
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扉の前には屈強な武官が二人立っている。けれど、確かにオーウェンから連れて行くように頼まれたイーサンのほうが体格がいいものだから、国境の近くにいる武官と中央にいる武官の差を思い知る。オーウェンやイーサンはマッチョ、中央の武官は細マッチョな感じ。
寡黙なイーサンに扉の前で待つように指示をして、ノックして入っていく。
「あぁ、お呼び立てして申し訳ありません。査問会が結審しましたのでその報告をと思いまして」
室内にいたのは、総主教。秘書みたいな人は今日はいない。人払いをしているのだろう。促されるまま、ソファに座る。
「ラルスの処分は聞きました。彼は非常に優秀な宮文官です。彼を聖女宮に据え置くことはできませんか」
「査問会での結審を覆すことはできません。残念ですが、ラルスには紫の国の聖樹殿で勤めてもらうことになります」
わかっていたけど、やっぱり聖女の力は政治には及ばないみたい。嘆願書を送りつけるだけで精一杯だった。
エレミアスは去勢の上、黄の国の聖樹殿で幽閉。エレミアスに加担した武官と文官も強制送還、レナータも同様の処分となった。妥当な処罰だと思う。
「ラルスを黒翼地帯に追放しないよう取り計らってくださって、ありがとうございます」
「聖女様の嘆願書が、判事の胸に響いたことは確かですよ。ラルスは文字を教えていないと言っていましたが、どなたに習われました?」
「リヤーフです。緑の君、黒の王子と言ったほうがいいですか」
「なるほど、緑の君が」
緑の国の国王夫妻はリヤーフには手を焼いていたと聞いている。あの性格だもんね。気持ちはよくわかる。
けれど、少しは丸くなってきていると思う。わたしが彼を変えたとまでは言えないけれど、悪い影響は及ぼしていないと思う。
「手本が良かったのか、大変読みやすい嘆願書でございました。ご夫君方にもそうするように促したのは聖女様ですか?」
「はい。ですが、強制はしていません。リヤーフとウィルフレド、ベアナードは乗り気ではありませんでしたので、夫たちの判断で書いてもらえればと」
「なるほど。それは興味深いですね」
総主教はテーブルを挟んで向かい側のソファに座る。もちろん、飲み物も食べ物も出てこない。
「査問会一日目、ラルスに重い処罰を望んだのは、黄と紫と緑、茶の国でしたが、二日目になると紫と緑だけになり、結審の際にはどこの国も極刑を望むものではありませんでした」
「え」
ウィルフレドが紫の国の大主教を脅したことは知っていたけれど、他の国の副主教と大主教も考えを改めたということだ。他国の意見を聞いて判断したのか、夫たちからの圧力に屈したのかはわからないけれど。
「茶の君と緑の君からは、礼を尽くした手紙が届いたということです」
「ベアナードと、リヤーフが……?」
「失礼ながら、二方ともそのような行動をなさる印象がありませんでしたから、二国の判事たちは大変驚いたようです」
わたしもビックリだよ。ベアナードとリヤーフが手紙を書いていたなんて。一言も教えてくれなかった。わたしも聞かなかったけれど。
「あなたは……ご夫君方に愛されておられるのですね」
総主教の言葉に、真っ赤になる。
以前のわたしならきっと「聖女ですから」と微笑んだだろう。白澤和泉として愛してくれるわけがないと思い込んで、そんなふうに夫たちからの愛情を素直に受け取ることができずにいただろう。
今は違う。
「わたしは……幸せ者です。七聖教の皆様が選んでくださった夫たちは、とても頼り甲斐があって、優しくて、賢くて、格好いい人たちです。結婚をしてよかったと、思います」
総主教は「それは良うございました」と微笑む。
先代の聖女はそうではなかったのだろうか。七人から愛されていなかったのだろうか。それとも、一人だけの愛を望んだのだろうか。
それを総主教に尋ねるのは、きっと酷なことだろう。
「明けぬれば暮るるものとは知りながら、なほ恨めしきあさぼらけかな……ですね」
「懐かしい。先代がよく呟いていた、故郷の詩歌です」
「前の聖女様は、オレール様のことを愛していたのですね。好きな人と過ごす夜が明けてしまうことが恨めしい……その気持ち、よくわかります」
七人の夫たちは、もっとそう思っているだろう。七日後までわたしに会えないのだから。
わたしは、テーブルの上に書庫から持ち出した便箋を置く。総主教の手の届かないところに。
「総主教様。お願いがございます」
「何でしょう?」
「七色の扉の鍵を、夫たちに渡していただけませんか」
昨夜もヒューゴと話をしたけれど、もっと夫たちが自由に行動できたらいいのに、という思いが強くなった。四つ時から二つ時まで決められた夫と過ごしたあと、昼の間は自由に夫が出入りできないだろうか、と。
そうすれば、扉越しにセルゲイとベアナードが会話することもなくて直接意見が言えるだろうし、ヒューゴから毎日歴史を学ぶことだってできる。好きなときにオーウェンから武術を、リヤーフから文字を習うことだってできる。
「しかし、あれは聖女様を守り、また夫君たちを守るためのものですよ」
「わかっています。ですから、鍵をなくすのではなく、鍵を夫たちに手渡したいのです。そうすれば、夫たちの判断で、自由にわたしの居室まで来られると思うので」
総主教の口ぶりから、やっぱり先代までは夫たちのいざこざがあったんだろうなということはわかる。ヒューゴも先代の夫たちの仲が悪かったと言っていた。聖女をめぐり、総主教の椅子をめぐり、政治的な争いが起きたとしても仕方がない。そういうシステムなんだもの。
夫たちがいがみ合い、憎み合うことがあったとしたら、鍵は必要だ。でも、わたしの夫たちは……そうならないような気がしている。
「今すぐにとは言いません。夫たちの意見も聞いたあとで、検討していただけると嬉しいです」
たぶん、夫たちは顔を合わせたくらいで争ったりはしないだろう。ヒューゴの言う通り、嫉妬することはあるかもしれないけど、他国の夫と喋ることも息抜きになるんじゃないかな。従者とわたしとしか話すことができないのなら、夫たちは息が詰まるんじゃないかな。それは甘い考えだろうか。
「……わたしが、寂しいんです」
「ほう?」
「大聖樹会のとき、一人でやることがなくて、本当につらくて寂しかったんです。毎日、二つ時から四つ時まで、暇を持て余しているのも事実です。ラルスがいなくなってしまうのなら、余計に寂しくなります」
ラルスと話をするのは楽しくて好きだったんだけど、トマスとじゃちょっとしんどいんだよねぇ。いちいちわたしの意図を説明しないといけないから、めっちゃ疲れる。
「それに、毎日夫に会えるのなら、毎日聖樹の花が咲いて、命の実がたくさんできると思います」
「……なるほど」
七日に一回会うよりは、毎日会ってキスしたほうがよくない? まぁ、ヒューゴのように毎日会いに来てくれる夫がいれば、の話だけど。
「検討してみましょう」
「ありがとうございます!」
「愛しい人と夜明けを見て寂しい思いをさせるつらさは、私もよく知っていますからね」
総主教は便箋を受け取る。彼にとっては、大切なものだ。愛する人との思い出だ。紛失してしまっては大変だもの。
すぅ、と深呼吸をして、総主教を見つめる。あともう一つ、お願いがある。こちらはあまり希望がない。トマスには絶対に無理だと言われたんだもの。
「総主教様、あの、あと一つ」
「何でしょう?」
「ラルスに、会わせていただけませんか」
総主教が睨んだような気がして、わたしは肩を縮こまらせる。とは言っても、先日のウィルフレドと比べると全然怖くはない。あれはマジ怖かった。
「ラルスに会って、今までのお礼を言いたいんです。わたしがここでやってこられたのは、彼のおかげなんです。だから、ありがとうって、一言お礼を言いたくて……っ」
ぼとりと涙が落ちる。
違う。本当は違う。
お礼なんかが言いたいんじゃない。そんなことを望んでいるんじゃない。
ぎゅって抱きしめて、キスをして、「わたしを拐って欲しい」って我が儘を言いたい。夫たちのことは大事に思っている。でも、同じくらいラルスのことも大切に思ってる。
だから、潔く、フラれたい。「そんなこと無理です」「拐うことなんてできません」って、溜め息混じりの声で、困ったように言われたいんだ。
そうしたら、きっと、忘れられるから。夫たちのことだけを愛することができると思うから。
「難しいなら、ひと目見るだけでも構いません。遠くから見守るだけでも構いません。聖女宮からは出ないので、せめて窓からだけでも……お願いします」
「本当にそれだけでいいのですか? 本当はどうしたいのですか?」
「本当は……」
わたしはバカだなぁ。今さら、気づく。ウィルフレドの問いにすぐには答えられなかった。彼にはそれが「答え」だとわかっていたんだろう。
「本当は、好きだと伝えて、ちゃんと失恋したいんです」
「ふむ。失恋、ですか」
「だって、わたしには夫たちがいるし、ラルスの気持ちなんてわかんないし、うまくいっても、遠距離恋愛なんてしたことないですから。真面目で不器用で頭ガチガチのラルスが、紫の国でずっと想っていてくれるなんて、絶対にそんなこと、そんな夢みたいなこと……ないじゃないですかぁぁ」
涙がボタボタ落ちる。拭っても拭っても落ちてくる。滝だ。洪水だ。目ぇ真っ赤になるやつだ。
滲む視界の隅で、総主教が微笑む。うぅ、そんなに笑うことないのに。どうせわたしはバカな聖女ですよぅ。
「……頭ガチガチで悪かったですねぇ」
背後から聞こえたのは、懐かしい、呆れたような声。まさか。いや、まさか。そんなまさか。あまりの展開に、ソファに座ったまま振り向くことができない。
総主教は席を立ち、にっこり微笑んでまたあの扉の奥へと消えていく。聖樹殿に通じているらしい、扉のほうへ。
その扉が閉まり総主教が見えなくなった瞬間に、背後から抱きすくめられる。見かけによらず筋肉質な、腕の中に。
「お久しぶりです、イズミ様」
ずっと聞きたかった声。ずっと探していた温もり。ずっと、ずっと、欲しかった言葉。
「ラルス!」
わたしは、振り向いて、すぐに彼に抱きついた。
寡黙なイーサンに扉の前で待つように指示をして、ノックして入っていく。
「あぁ、お呼び立てして申し訳ありません。査問会が結審しましたのでその報告をと思いまして」
室内にいたのは、総主教。秘書みたいな人は今日はいない。人払いをしているのだろう。促されるまま、ソファに座る。
「ラルスの処分は聞きました。彼は非常に優秀な宮文官です。彼を聖女宮に据え置くことはできませんか」
「査問会での結審を覆すことはできません。残念ですが、ラルスには紫の国の聖樹殿で勤めてもらうことになります」
わかっていたけど、やっぱり聖女の力は政治には及ばないみたい。嘆願書を送りつけるだけで精一杯だった。
エレミアスは去勢の上、黄の国の聖樹殿で幽閉。エレミアスに加担した武官と文官も強制送還、レナータも同様の処分となった。妥当な処罰だと思う。
「ラルスを黒翼地帯に追放しないよう取り計らってくださって、ありがとうございます」
「聖女様の嘆願書が、判事の胸に響いたことは確かですよ。ラルスは文字を教えていないと言っていましたが、どなたに習われました?」
「リヤーフです。緑の君、黒の王子と言ったほうがいいですか」
「なるほど、緑の君が」
緑の国の国王夫妻はリヤーフには手を焼いていたと聞いている。あの性格だもんね。気持ちはよくわかる。
けれど、少しは丸くなってきていると思う。わたしが彼を変えたとまでは言えないけれど、悪い影響は及ぼしていないと思う。
「手本が良かったのか、大変読みやすい嘆願書でございました。ご夫君方にもそうするように促したのは聖女様ですか?」
「はい。ですが、強制はしていません。リヤーフとウィルフレド、ベアナードは乗り気ではありませんでしたので、夫たちの判断で書いてもらえればと」
「なるほど。それは興味深いですね」
総主教はテーブルを挟んで向かい側のソファに座る。もちろん、飲み物も食べ物も出てこない。
「査問会一日目、ラルスに重い処罰を望んだのは、黄と紫と緑、茶の国でしたが、二日目になると紫と緑だけになり、結審の際にはどこの国も極刑を望むものではありませんでした」
「え」
ウィルフレドが紫の国の大主教を脅したことは知っていたけれど、他の国の副主教と大主教も考えを改めたということだ。他国の意見を聞いて判断したのか、夫たちからの圧力に屈したのかはわからないけれど。
「茶の君と緑の君からは、礼を尽くした手紙が届いたということです」
「ベアナードと、リヤーフが……?」
「失礼ながら、二方ともそのような行動をなさる印象がありませんでしたから、二国の判事たちは大変驚いたようです」
わたしもビックリだよ。ベアナードとリヤーフが手紙を書いていたなんて。一言も教えてくれなかった。わたしも聞かなかったけれど。
「あなたは……ご夫君方に愛されておられるのですね」
総主教の言葉に、真っ赤になる。
以前のわたしならきっと「聖女ですから」と微笑んだだろう。白澤和泉として愛してくれるわけがないと思い込んで、そんなふうに夫たちからの愛情を素直に受け取ることができずにいただろう。
今は違う。
「わたしは……幸せ者です。七聖教の皆様が選んでくださった夫たちは、とても頼り甲斐があって、優しくて、賢くて、格好いい人たちです。結婚をしてよかったと、思います」
総主教は「それは良うございました」と微笑む。
先代の聖女はそうではなかったのだろうか。七人から愛されていなかったのだろうか。それとも、一人だけの愛を望んだのだろうか。
それを総主教に尋ねるのは、きっと酷なことだろう。
「明けぬれば暮るるものとは知りながら、なほ恨めしきあさぼらけかな……ですね」
「懐かしい。先代がよく呟いていた、故郷の詩歌です」
「前の聖女様は、オレール様のことを愛していたのですね。好きな人と過ごす夜が明けてしまうことが恨めしい……その気持ち、よくわかります」
七人の夫たちは、もっとそう思っているだろう。七日後までわたしに会えないのだから。
わたしは、テーブルの上に書庫から持ち出した便箋を置く。総主教の手の届かないところに。
「総主教様。お願いがございます」
「何でしょう?」
「七色の扉の鍵を、夫たちに渡していただけませんか」
昨夜もヒューゴと話をしたけれど、もっと夫たちが自由に行動できたらいいのに、という思いが強くなった。四つ時から二つ時まで決められた夫と過ごしたあと、昼の間は自由に夫が出入りできないだろうか、と。
そうすれば、扉越しにセルゲイとベアナードが会話することもなくて直接意見が言えるだろうし、ヒューゴから毎日歴史を学ぶことだってできる。好きなときにオーウェンから武術を、リヤーフから文字を習うことだってできる。
「しかし、あれは聖女様を守り、また夫君たちを守るためのものですよ」
「わかっています。ですから、鍵をなくすのではなく、鍵を夫たちに手渡したいのです。そうすれば、夫たちの判断で、自由にわたしの居室まで来られると思うので」
総主教の口ぶりから、やっぱり先代までは夫たちのいざこざがあったんだろうなということはわかる。ヒューゴも先代の夫たちの仲が悪かったと言っていた。聖女をめぐり、総主教の椅子をめぐり、政治的な争いが起きたとしても仕方がない。そういうシステムなんだもの。
夫たちがいがみ合い、憎み合うことがあったとしたら、鍵は必要だ。でも、わたしの夫たちは……そうならないような気がしている。
「今すぐにとは言いません。夫たちの意見も聞いたあとで、検討していただけると嬉しいです」
たぶん、夫たちは顔を合わせたくらいで争ったりはしないだろう。ヒューゴの言う通り、嫉妬することはあるかもしれないけど、他国の夫と喋ることも息抜きになるんじゃないかな。従者とわたしとしか話すことができないのなら、夫たちは息が詰まるんじゃないかな。それは甘い考えだろうか。
「……わたしが、寂しいんです」
「ほう?」
「大聖樹会のとき、一人でやることがなくて、本当につらくて寂しかったんです。毎日、二つ時から四つ時まで、暇を持て余しているのも事実です。ラルスがいなくなってしまうのなら、余計に寂しくなります」
ラルスと話をするのは楽しくて好きだったんだけど、トマスとじゃちょっとしんどいんだよねぇ。いちいちわたしの意図を説明しないといけないから、めっちゃ疲れる。
「それに、毎日夫に会えるのなら、毎日聖樹の花が咲いて、命の実がたくさんできると思います」
「……なるほど」
七日に一回会うよりは、毎日会ってキスしたほうがよくない? まぁ、ヒューゴのように毎日会いに来てくれる夫がいれば、の話だけど。
「検討してみましょう」
「ありがとうございます!」
「愛しい人と夜明けを見て寂しい思いをさせるつらさは、私もよく知っていますからね」
総主教は便箋を受け取る。彼にとっては、大切なものだ。愛する人との思い出だ。紛失してしまっては大変だもの。
すぅ、と深呼吸をして、総主教を見つめる。あともう一つ、お願いがある。こちらはあまり希望がない。トマスには絶対に無理だと言われたんだもの。
「総主教様、あの、あと一つ」
「何でしょう?」
「ラルスに、会わせていただけませんか」
総主教が睨んだような気がして、わたしは肩を縮こまらせる。とは言っても、先日のウィルフレドと比べると全然怖くはない。あれはマジ怖かった。
「ラルスに会って、今までのお礼を言いたいんです。わたしがここでやってこられたのは、彼のおかげなんです。だから、ありがとうって、一言お礼を言いたくて……っ」
ぼとりと涙が落ちる。
違う。本当は違う。
お礼なんかが言いたいんじゃない。そんなことを望んでいるんじゃない。
ぎゅって抱きしめて、キスをして、「わたしを拐って欲しい」って我が儘を言いたい。夫たちのことは大事に思っている。でも、同じくらいラルスのことも大切に思ってる。
だから、潔く、フラれたい。「そんなこと無理です」「拐うことなんてできません」って、溜め息混じりの声で、困ったように言われたいんだ。
そうしたら、きっと、忘れられるから。夫たちのことだけを愛することができると思うから。
「難しいなら、ひと目見るだけでも構いません。遠くから見守るだけでも構いません。聖女宮からは出ないので、せめて窓からだけでも……お願いします」
「本当にそれだけでいいのですか? 本当はどうしたいのですか?」
「本当は……」
わたしはバカだなぁ。今さら、気づく。ウィルフレドの問いにすぐには答えられなかった。彼にはそれが「答え」だとわかっていたんだろう。
「本当は、好きだと伝えて、ちゃんと失恋したいんです」
「ふむ。失恋、ですか」
「だって、わたしには夫たちがいるし、ラルスの気持ちなんてわかんないし、うまくいっても、遠距離恋愛なんてしたことないですから。真面目で不器用で頭ガチガチのラルスが、紫の国でずっと想っていてくれるなんて、絶対にそんなこと、そんな夢みたいなこと……ないじゃないですかぁぁ」
涙がボタボタ落ちる。拭っても拭っても落ちてくる。滝だ。洪水だ。目ぇ真っ赤になるやつだ。
滲む視界の隅で、総主教が微笑む。うぅ、そんなに笑うことないのに。どうせわたしはバカな聖女ですよぅ。
「……頭ガチガチで悪かったですねぇ」
背後から聞こえたのは、懐かしい、呆れたような声。まさか。いや、まさか。そんなまさか。あまりの展開に、ソファに座ったまま振り向くことができない。
総主教は席を立ち、にっこり微笑んでまたあの扉の奥へと消えていく。聖樹殿に通じているらしい、扉のほうへ。
その扉が閉まり総主教が見えなくなった瞬間に、背後から抱きすくめられる。見かけによらず筋肉質な、腕の中に。
「お久しぶりです、イズミ様」
ずっと聞きたかった声。ずっと探していた温もり。ずっと、ずっと、欲しかった言葉。
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わたしは、振り向いて、すぐに彼に抱きついた。
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