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第三章
⑧ あい
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藤田と石走から協力を要請され、跳は郵便配達の仕事を調節し、事件の聞き込みを始めた。
殺された消防団員の名前は、乾、富岡、垣原。三人共家族はなく一人暮らし。消防団に属してはいたが、活動するのは火災が起きただけで、普段は鳶の仕事をしていた。全員死の直接の原因は火傷ではなく、首を絞められたり、刺されたりした後に火をかけられている。
乾は住んでいた家ごと焼かれていたが、富岡と垣原は外で殺されている。火が上がるのだからかなり目立つと思われ、実際に死体が燃えている状況は、何人もの人が見ている。しかし、犯人の目撃情報は寄せられていない。
不可思議なところが多い事件だが、偽札製造場所の爆発炎上にしても、火の扱いに長けた三廻部焔膳なら、たやすく出来る所業だ。
幼い日に植え付けられた三廻部焔膳への恐怖心、服従心を払拭したいと思いつつも、気持ちばかり焦って、進展が見られない。事件解決の糸口がつかめぬまま、日を重ねていった。
そんな中、銀座の三十間掘付近を歩いていると、るまと遭遇した。
るまも跳に気付き、驚いた顔を見せる。
「るまさん。何故こんなところに?」
跳の質問に、るまはすぐそばの建物を指差した。
「私、今ここにいるのです」
るまが指差したのは、新しく原胤昭が創設した三十間堀女学校だ。
「るまさん。本当に学問を始めたのですか?」
跳は驚きで大声を出してしまう。
るまは視線をそらして、気まずそうに押し黙り、跳が失言を取り繕うかと思い始めた頃、静かに口を開いた。
「女学校に来ているのは、学問の為ではなく、仕事の為です。カトリック神田教会にはお暇を頂き、ここで掃除や雑用をしています。通っているのは、良家の子女ばかり。家に経済的余裕もありますし、ある程度読み書き出来る状態で入学してきます。私とは、生まれも育ちも違います」
政府が四民平等などと掲げたところで、長い年月かけて形作られた高低差を、一朝一夕で平らにならすことなど出来ないのだ。
「それに、女学校ではキリスト教の教えも受け、皆それを受け入れていますが、本来の教義から離れてしまった私達隠れ切支丹には、冷たい視線が向けられるのです。私は、皆さんの中にはなかなか入れてもらえそうにありません……」
異国の宣教師には、新しい文明の匂いを感じ、隠れ切支丹からは、迫害され続けた邪教を嗅ぎ取る。人の心などそんなものだろうが、身近な人がその棘で傷つけられるのは、悲しいものがある。
跳が、何と声をかければ良いのかわからずうつむいていると、るまは、無理に笑顔をつくって話を続けた。
「跳さん。そんなに気を使わなくても大丈夫です。私はそれなりに幸せです。仕事の合間に授業をのぞき見ることも出来ます。良くわからないことも多いですが、世界が広がるような気がします」
ぎこちないるまの笑顔にあわせ、跳も笑顔をつくるが、内心は暗いままだ。
るまが、良家の子女と肩を並べて学問することはないだろう。例え出来て、知識を手に入れたとしても、その力を活かす役職に就けるわけもなく、そのまま人生を終えるだけだろう。もがいてみても、人生そう変わるものでもないのだ。
本人も薄々勘付いているのだろう。それでもるまは健気に笑顔をつくり、語りかけてくる。
「授業をこっそりのぞいていて学びました。西洋の人には、〝ラブ〟が大事なのです」
「ラブ……、ですか……」
「そうですラブです。人を好きになるということです。日本語に直すと、〝あい〟になるそうです」
「あい……、ですか……」
「そうです。あいです。人が親兄弟、仲間、恋人、そして神を好くことを、あい、というそうです」
〝あい〟とはどういう漢字を書くのだろう、と跳は思ったが、字を読み書き出来ないるまに訊くことも出来ず、疑問に頭を支配されまま、さらに続くるまの話を聞き続けた。
「日本が開国して、色々なものが外国から入ってきました。鉄道。ガス灯。電信…。その中でも〝あい〟は一番重要なものだそうです」
西洋人にとっては重要な概念なのかもしれないが、跳には今一つ理解出来ない。
「親と子なら〝好き〟で良いですし、恋人なら〝慕っている〟で良いと思います。ましてや神に対しても同じ言葉を使うのは、少し大雑把な気がしますね」
率直な跳の意見を聞いて、るまはもどかしさに顔を歪めた。
「いえ。そういうことではないと思います…。上手く説明出来ないのですが、違うと思います」
自分が思っていることを、上手く伝えられないのだ。
跳は、前島が言っていた教育の重要性を思い出す。しっかり教育が行き届いていれば、るまの言わんとしていることが、自分に伝わったのだろうか。そもそも、日本語が統一されていないのに、外国語が容赦なく入り込んでくるから事態が難しくなるのだ。前島達は頑張っているが、形がなく刻々と変化するものに、無理矢理形を与えようとする困難さがある。人と人とが、しっかりとわかり合える日が来るのか。
居心地の悪さを誤魔化すように、るまが言葉を発する。
「勉強して読み書きが出来るようになったら、手紙を書きます」
前にもしたやり取りではあるが、跳は精一杯の笑みを浮かべて言った。
「地の果てまででも届けます」
殺された消防団員の名前は、乾、富岡、垣原。三人共家族はなく一人暮らし。消防団に属してはいたが、活動するのは火災が起きただけで、普段は鳶の仕事をしていた。全員死の直接の原因は火傷ではなく、首を絞められたり、刺されたりした後に火をかけられている。
乾は住んでいた家ごと焼かれていたが、富岡と垣原は外で殺されている。火が上がるのだからかなり目立つと思われ、実際に死体が燃えている状況は、何人もの人が見ている。しかし、犯人の目撃情報は寄せられていない。
不可思議なところが多い事件だが、偽札製造場所の爆発炎上にしても、火の扱いに長けた三廻部焔膳なら、たやすく出来る所業だ。
幼い日に植え付けられた三廻部焔膳への恐怖心、服従心を払拭したいと思いつつも、気持ちばかり焦って、進展が見られない。事件解決の糸口がつかめぬまま、日を重ねていった。
そんな中、銀座の三十間掘付近を歩いていると、るまと遭遇した。
るまも跳に気付き、驚いた顔を見せる。
「るまさん。何故こんなところに?」
跳の質問に、るまはすぐそばの建物を指差した。
「私、今ここにいるのです」
るまが指差したのは、新しく原胤昭が創設した三十間堀女学校だ。
「るまさん。本当に学問を始めたのですか?」
跳は驚きで大声を出してしまう。
るまは視線をそらして、気まずそうに押し黙り、跳が失言を取り繕うかと思い始めた頃、静かに口を開いた。
「女学校に来ているのは、学問の為ではなく、仕事の為です。カトリック神田教会にはお暇を頂き、ここで掃除や雑用をしています。通っているのは、良家の子女ばかり。家に経済的余裕もありますし、ある程度読み書き出来る状態で入学してきます。私とは、生まれも育ちも違います」
政府が四民平等などと掲げたところで、長い年月かけて形作られた高低差を、一朝一夕で平らにならすことなど出来ないのだ。
「それに、女学校ではキリスト教の教えも受け、皆それを受け入れていますが、本来の教義から離れてしまった私達隠れ切支丹には、冷たい視線が向けられるのです。私は、皆さんの中にはなかなか入れてもらえそうにありません……」
異国の宣教師には、新しい文明の匂いを感じ、隠れ切支丹からは、迫害され続けた邪教を嗅ぎ取る。人の心などそんなものだろうが、身近な人がその棘で傷つけられるのは、悲しいものがある。
跳が、何と声をかければ良いのかわからずうつむいていると、るまは、無理に笑顔をつくって話を続けた。
「跳さん。そんなに気を使わなくても大丈夫です。私はそれなりに幸せです。仕事の合間に授業をのぞき見ることも出来ます。良くわからないことも多いですが、世界が広がるような気がします」
ぎこちないるまの笑顔にあわせ、跳も笑顔をつくるが、内心は暗いままだ。
るまが、良家の子女と肩を並べて学問することはないだろう。例え出来て、知識を手に入れたとしても、その力を活かす役職に就けるわけもなく、そのまま人生を終えるだけだろう。もがいてみても、人生そう変わるものでもないのだ。
本人も薄々勘付いているのだろう。それでもるまは健気に笑顔をつくり、語りかけてくる。
「授業をこっそりのぞいていて学びました。西洋の人には、〝ラブ〟が大事なのです」
「ラブ……、ですか……」
「そうですラブです。人を好きになるということです。日本語に直すと、〝あい〟になるそうです」
「あい……、ですか……」
「そうです。あいです。人が親兄弟、仲間、恋人、そして神を好くことを、あい、というそうです」
〝あい〟とはどういう漢字を書くのだろう、と跳は思ったが、字を読み書き出来ないるまに訊くことも出来ず、疑問に頭を支配されまま、さらに続くるまの話を聞き続けた。
「日本が開国して、色々なものが外国から入ってきました。鉄道。ガス灯。電信…。その中でも〝あい〟は一番重要なものだそうです」
西洋人にとっては重要な概念なのかもしれないが、跳には今一つ理解出来ない。
「親と子なら〝好き〟で良いですし、恋人なら〝慕っている〟で良いと思います。ましてや神に対しても同じ言葉を使うのは、少し大雑把な気がしますね」
率直な跳の意見を聞いて、るまはもどかしさに顔を歪めた。
「いえ。そういうことではないと思います…。上手く説明出来ないのですが、違うと思います」
自分が思っていることを、上手く伝えられないのだ。
跳は、前島が言っていた教育の重要性を思い出す。しっかり教育が行き届いていれば、るまの言わんとしていることが、自分に伝わったのだろうか。そもそも、日本語が統一されていないのに、外国語が容赦なく入り込んでくるから事態が難しくなるのだ。前島達は頑張っているが、形がなく刻々と変化するものに、無理矢理形を与えようとする困難さがある。人と人とが、しっかりとわかり合える日が来るのか。
居心地の悪さを誤魔化すように、るまが言葉を発する。
「勉強して読み書きが出来るようになったら、手紙を書きます」
前にもしたやり取りではあるが、跳は精一杯の笑みを浮かべて言った。
「地の果てまででも届けます」
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