サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ

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第7話 呉の巨人

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1
 呉市——かつて東洋一の軍港として栄えたこの街は、今も海上自衛隊の重要拠点として機能している。
 市の南部、海沿いに広がる広大な更地。ここは、かつて大手製鉄メーカーの工場があった場所だ。しかし、産業構造の変化により工場は閉鎖され、長年放置されていた。
 その跡地に、今年の春から新しい施設の建設が始まっていた。
 フェンスに掲げられた看板には、こう書かれている。
『海上自衛隊呉地方総監部 新倉庫施設建設工事』
 しかし、地元住民の間では、様々な憶測が飛び交っていた。「ただの倉庫にしては、警備が厳重すぎる」「夜中に怪しいトラックが出入りしている」——噂は尽きなかった。
 工事現場は約十ヘクタールという広大な敷地で、まだほとんどが更地状態だった。しかし、海に面した一角に、一際目を引く巨大な構造物が建設されていた。
 高さ約三十メートル、幅五十メートル、奥行き二百メートル——まるで巨大な格納庫のような建物だ。その規模は、大型タンカーでも余裕で収納できるほどだった。
 建物は完成間近で、すでに屋根も壁も取り付けられている。しかし、その内部で何が行われるのかは、一切公表されていなかった。
2
 七月中旬のある夜、午前二時過ぎ。
 工事現場に、一台の大型トレーラーが入ってきた。ヘッドライトを最小限に絞り、エンジン音も極力抑えている。
 荷台には、巨大な白い布で覆われた物体が載せられていた。その形状は、円筒形——直径約十二メートル、長さ約二十メートルほどに見える。
 トレーラーは、海沿いの格納庫に横付けされた。作業員たちが、手際よく荷降ろしの準備を始める。全員が無言で、決められた動作を正確に実行していく。
「慎重に。絶対に傷をつけるな」
 現場監督らしき男が、低い声で指示を出した。
 大型クレーンが動き出し、布で覆われた物体をゆっくりと持ち上げる。月明かりの下、白い布が風にわずかに揺れた。
 物体は格納庫の中へと運ばれていく。すでに、同様の物体がいくつか格納庫内に置かれていた。どれも同じように白い布で覆われ、その正体は隠されている。
「これで、第八ブロック搬入完了」
「残りは四ブロック。予定通りだ」
 作業員たちの会話が、静かな夜に響く。
 トレーラーは荷降ろしを終えると、音もなく現場を去っていった。
3
 それから三日後、再び深夜の搬入作業が行われていた。
 この夜は十一個目のブロック——これまでで最も大きな構造物の搬入だった。
 トレーラーの荷台に載せられたそれは、長さ約三十メートル。円筒形というよりは、やや扁平な楕円形に近い形状をしていた。
 作業は順調に進んでいた。クレーンが構造物を持ち上げ、格納庫へと運ぶ。
 その時、突然、強い風が吹いた。
 瀬戸内海から吹き込む夜風が、覆っていた布の一部を捲り上げた。
「まずい!」
 作業員が叫んだ。数人が慌てて布を押さえようとする。
 しかし、一瞬だけ——ほんの数秒間だけ、構造物の一部が露出した。
 月明かりの下で見えたその表面は、通常の船舶や潜水艦とは明らかに異なっていた。
 滑らかな曲面。継ぎ目のほとんどない表面。そして、何よりも奇妙だったのは——外部に突き出た構造物が一切ないことだった。
 通常の潜水艦であれば、スクリュー、舵、各種センサー、様々な突起物がある。しかし、この構造物には、それらが見当たらなかった。まるで巨大な魚の胴体のような、完全に流線形の形状だった。
「早く隠せ!」
 監督の怒号が響き、作業員たちが必死に布をかけ直す。
 数十秒後、構造物は再び完全に覆われた。そして、何事もなかったかのように、格納庫の中へと運び込まれていった。
 しかし、その一瞬の露出を——誰かが見ていた。
4
 工事現場から約五百メートル離れた丘の上に、住宅地がある。
 呉市内を見下ろすことのできる、眺めの良い場所だ。戦前からの古い家屋と、新しく建てられた住宅が混在している。
 その中の一軒——築三年ほどの二階建ての家に、四ヶ月前、田中夫妻が引っ越してきた。
 田中弘美、四十代半ばの主婦。明るく社交的な性格で、近所の人々とすぐに打ち解けた。ゴミ出しの時間には必ず外に出て、近隣の主婦たちと世間話をする。地域の行事にも積極的に参加し、今では地元の情報通として知られていた。
 夫の田中健二は、外資系の貿易会社に勤めているという。四十代後半で、物静かな印象の男性だ。仕事の都合で頻繁に海外出張があり、家を空けることが多かった。
「田中さんのご主人、また出張なの?」
 近所の主婦が、ゴミ出しの際に声をかけてきた。
「ええ、今週はシンガポールですって。忙しい人なんですよ」
 弘美は明るく答えた。
「大変ねえ。でも、奥さんは寂しくない?」
「もう慣れっこですよ。その分、帰ってきた時は優しくしてもらってますから」
 弘美は笑いながら、近所の人々と会話を続ける。
 しかし、その笑顔の裏に、何かを隠しているようには見えなかった。
5
 その夜——田中健二が帰宅した日の夜だった。
 健二は二階の書斎にこもり、パソコンに向かっていた。部屋の窓にはカーテンが引かれ、外からは中の様子が見えない。
 しかし、窓際には三脚に固定されたカメラが置かれていた。高性能な望遠レンズを備えた一眼レフカメラで、レンズは工事現場の方を向いている。
 健二はパソコンの画面で、過去数日間に撮影された画像を確認していた。
 トレーラーの出入り。布で覆われた巨大な構造物。そして——三日前の夜、風で布が捲れた瞬間に撮影された、決定的な一枚。
 画像を拡大すると、異質な構造物の表面が鮮明に映し出されていた。
 健二は画像をUSBメモリにコピーし、それを小型の金庫にしまい込んだ。
 そして、スマートフォンを取り出し、暗号化されたメッセージアプリを開いた。テキストだけの短いメッセージを入力する。
『新規画像取得。対象物の特徴確認。次回接触時に詳細報告』
 送信ボタンを押す。メッセージは、遠い場所へと送られていった。
 健二は立ち上がり、窓のカーテンをわずかに開けて外を見た。
 眼下には、ライトに照らされた工事現場が見える。巨大な格納庫が、闇の中に浮かび上がっていた。
 あの中に、何が隠されているのか。
 それは、通常の潜水艦ではない。全く新しい何か——日本が秘密裏に開発している、革新的な技術だ。
 健二は、それを確信していた。
6
 翌朝、弘美は近所のスーパーで買い物をしていた。
 レジに並んでいると、後ろから声をかけられた。
「田中さん、おはようございます」
 振り向くと、同じ住宅地に住む高齢の女性だった。
「あら、山田さん。おはようございます」
「昨夜、また工事現場が騒がしかったわね」
「ああ、そうでしたね。夜中に大きなトラックが何台も通って」
 弘美は、何気ない様子で答えた。
「一体、何を作ってるのかしら。ただの倉庫にしては、大袈裟すぎるわよね」
「本当に。でも、自衛隊の施設だから、私たちには分からないことも多いんでしょうね」
「そうねえ……」山田は声を潜めた。「うちの主人がね、あれは普通の倉庫じゃないって言うのよ。潜水艦を作ってるんじゃないかって」
「まあ、そうなんですか」
 弘美は驚いた表情を作った。
「でも、主人は昔、造船所で働いてたから、そういうのが分かるみたい。あの格納庫の大きさは、大型潜水艦を収容できるサイズだって」
「へえ……そうなんですか」
 会話を終えて家に戻った弘美は、すぐに健二にその話を伝えた。
「地元の人も、気づき始めているみたいよ」
「そうか」健二は無表情で答えた。「まあ、遅かれ早かれ、噂にはなるだろう」
「大丈夫なの? 私たち、バレたりしない?」
「大丈夫だ。俺たちは、ただの普通の夫婦だ。誰も疑わない」
 健二は弘美の肩に手を置いた。
「もう少しだ。この任務が終われば、俺たちは帰れる」
「……帰れるって、本当?」
「ああ。約束する」
 二人は、しばらく無言で向かい合っていた。
7
 その夜、再び工事現場では搬入作業が行われていた。
 十二個目のブロック——前回と同様の大型構造物だ。
 今回は前回の失敗を教訓に、より厳重に布で固定されていた。風で捲れる心配はない。
 作業は順調に進み、構造物は格納庫の中へと運び込まれた。
 格納庫の内部では、これまで搬入された十一個のブロックが、巨大なパズルのように配置されていた。それらを組み合わせると——おそらく、大型の潜水艦二隻分になるだろう。
 しかし、その形状は通常の潜水艦とは大きく異なっていた。
 司令塔(セイル)と思われる突起はあるものの、極端に小さく、流線形に統合されている。スクリューの代わりに、船尾には円形の開口部があった。そこから、おそらく電磁推進システムによる水流が噴出するのだろう。
 舵や安定翼も、従来のものとは異なる。可動式で、使用しない時は船体に収納できる設計になっているようだった。
 完全なステルス性を追求した設計——それは、海中の幽霊となるための形だった。
 現場監督が、無線で報告した。
「第十二ブロック、搬入完了。残り三ブロック。予定通り、来週中には全て揃います」
 無線の向こうから、安藤の声が返ってきた。
「了解。引き続き、細心の注意を払って作業を進めてくれ。このプロジェクトは、絶対に外部に漏らしてはならない」
「了解しました」
 通信が切れた。
 格納庫の巨大な扉が閉まり、再び闇が訪れた。
 しかし、丘の上の住宅地では——田中健二の部屋の窓から、今夜もカメラのレンズが、じっと工事現場を見つめていた。
 その視線は、冷徹で、そして執拗だった。
 呉の夜は静かだった。しかし、その静けさの中で、二つの巨大な力が、互いを監視し合っていた。
 日本の秘密計画。そして、それを暴こうとする影。
 やがて、この均衡は崩れる時が来る。
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