アガルタ・クライシス ―接点―

来栖とむ

文字の大きさ
10 / 84

10

しおりを挟む
 夜明け前の東シナ海上空は、まだ薄暗い闇に包まれている。西の空に沈みかけた月が最後の光を海面に投げかけ、代わりに東の地平線がうっすらと明るくなり始めていた。
「艦影補足。十時の方角」
 P-3C哨戒機の機内に響く冷静な声。操縦席では、ベテランパイロットの田島三佐が計器を確認しながら機体を安定させている。
「今日で七十六日連続だな。よし、高度五百で右から回り込む」
 田島の声には疲労の色が滲んでいる。七十六日間、毎日同じ海域で同じような監視任務を続けている。最初の頃は緊張感もあったが、今では半ば機械的に作業をこなしているような状態だった。
「機内記録、撮影の用意はいいか」
「もちろんです」
 後部座席の若い隊員、佐藤二尉が機材を確認しながら答える。彼はまだこの任務に就いて三か月ほどしか経っておらず、毎回の飛行に真剣に取り組んでいる。
「よし、艦籍を確認次第呼びかけを行う。記録開始」
「記録開始しました」
「撮影用意……」
 P-3Cは高度を五百メートルまで落とし、ゆっくりと右旋回を始めた。下方の海面には、灰色の船体が朝の薄明かりに浮かび上がっている。見慣れたC国の調査船『海龍号』だった。
 田島は窓の外を見下ろしながら、ため息をついた。毎日毎日、同じ船が同じ海域で同じような活動を続けている。一体何を調査しているのか、正式な発表はない。だが、現場の人間として感じる違和感は日に日に強くなっていた。
「今日もまた、例の船ですね」
 佐藤が写真を撮りながらつぶやく。
「ああ、もうすっかり顔馴染みだ。向こうも俺たちの顔を覚えてるかもしれんな」
 田島は苦笑いを浮かべながら答えた。確かに、毎日のように上空を飛ぶ日本の哨戒機を、船の乗組員たちも見慣れているだろう。時々、甲板にいる人影がこちらを見上げているのが見える。
「でも、今日は何か様子が違いませんか?」
 佐藤の言葉に、田島は改めて下方を見た。確かに、いつもと違う装置のようなものが見える。
「甲板に何かワイヤーのようなものが……」
「ああ、俺も気になってた。いつもより船の動きも違うな。定点で停止してる時間が長い」
 P-3Cは海龍号の周りを大きく旋回しながら、詳細な観察を続けた。今日の海龍号は確かにいつもと違っていた。甲板には見慣れない機材が設置され、船体から海中に向かって太いワイヤーが伸びているのが確認できる。
「佐藤、あのワイヤー、しっかり撮れてるか?」
「はい、バッチリです。それに……甲板に潜水服を着た人がいますね」
「潜水服?」
 田島は眉をひそめた。調査船に潜水士が乗り込んでいるということは、海底での作業を行うということだ。しかし、この海域で一体何を……。
「司令部に報告する。何か大きな動きがあるかもしれん」
 田島は通信機に向かい、基地への報告を開始した。いつもとは違う今日の調査船の様子を、詳細に伝えなければならない。

 東京の防衛省では、吉澤一等海佐が控え室で待たされていた。手には今朝方自衛隊機から上がってきた報告書が握られているが、先客があるという理由で三十分近く待たされている。
 吉澤は焦りに似た感情を覚えていた。毎日のように同じような報告が上がってくるため、上層部も緊急性を感じていないのかもしれない。しかし、今朝もたらされたC国艦の動きは明らかにこれまでとは違っていたのだ。
 潜水装備の確認、海底探査機と思われる機材の搭載、そして定点での長時間停泊。これらは全て、海底での本格的な調査活動を示唆している。
「一体何を探しているんだ……」
 吉澤は報告書を見つめながらつぶやいた。公式には「海洋資源調査」ということになっているが、七十六日間も同じ海域で調査を続ける必要があるのだろうか。
 やがて、わずかな話し声とともに扉が開いた。そして、吉澤の予想もしなかった人物が姿を現した。
「安藤?」
 吉澤は驚きを隠せずに声をかけた。
「ああ、吉澤じゃないか。久しぶりだなあ」
 室内に向けて一礼した後、扉を閉めて安藤は笑顔で答えた。しかし、その笑顔はどこか作り物のように見えた。
「やっぱり安藤だよな。お前、どうしてここにいるんだ。文科省にいたはずじゃないか」
「なに、野暮用さ」
 安藤は曖昧に答えると、二言三言秘書官と話をした後、吉澤を振り返った。
「俺は今、地方に出向中なんだ。今日も会議を済ませたら、すぐ戻らなければならない。……ああ、でもな、来週はまた東京に来る。その時は一杯やろうや」
 それだけ言うと、安藤は吉澤の返事も聞かず、秘書官から手渡された紙袋を手にして出て行った。
 安藤は吉澤の高校時代の同級生だった。関西の進学校を卒業後、二人とも同じ大学へ進み、そして国家公務員となった。学生時代はよく一緒に過ごしたものだが、年齢が上がるとともに二人とも忙しくなり、最近は何年も会うことがなかった。
 そんな安藤に防衛省で出会うとは。文部科学省にいるはずの彼が、なぜこんなところにいるのか。しかも、その手に持っていた紙袋の中に「機密」の文字が見えたような気がする。
 吉澤は胸のざわめきを押し殺しながら、安藤が出て行った扉を見つめていた。友人の思わぬ登場に困惑を隠せずにいると、怪訝な顔をした秘書官に促された。
「どうぞ、お入りください」
 吉澤は慌てて執務室へと向かった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

異世界へ行って帰って来た

バルサック
ファンタジー
ダンジョンの出現した日本で、じいさんの形見となった指輪で異世界へ行ってしまった。 そして帰って来た。2つの世界を往来できる力で様々な体験をする神須勇だった。

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

​『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』

月神世一
SF
​【あらすじ】 ​「補給がなければ、戦場に立つ資格すらない」 ​ 坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。  かつてイージス艦長として鉄壁の防空網を指揮し、現在は海上自衛隊で次世代艦の兵站システムを設計する男。  背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。 ​ 目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。  鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。 ​ しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。  部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。 ​ (……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?) ​ 現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。  すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。  精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。 ​ これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。

優の異世界ごはん日記

風待 結
ファンタジー
月森優はちょっと料理が得意な普通の高校生。 ある日、帰り道で謎の光に包まれて見知らぬ森に転移してしまう。 未知の世界で飢えと恐怖に直面した優は、弓使いの少女・リナと出会う。 彼女の導きで村へ向かう道中、優は「料理のスキル」がこの世界でも通用すると気づく。 モンスターの肉や珍しい食材を使い、異世界で新たな居場所を作る冒険が始まる。

【しっかり書き換え版】『異世界でたった1人の日本人』~ 異世界で日本の神の加護を持つたった1人の男~

石のやっさん
ファンタジー
12/17 13時20分 HOT男性部門1位 ファンタジー日間 1位 でした。 ありがとうございます 主人公の神代理人(かみしろ りひと)はクラスの異世界転移に巻き込まれた。 転移前に白い空間にて女神イシュタスがジョブやスキルを与えていたのだが、理人の番が来た時にイシュタスの顔色が変わる。「貴方神臭いわね」そう言うと理人にだけジョブやスキルも与えずに異世界に転移をさせた。 ジョブやスキルの無い事から早々と城から追い出される事が決まった、理人の前に天照の分体、眷属のアマ=テラス事『テラスちゃん』が現れた。 『異世界の女神は誘拐犯なんだ』とリヒトに話し、神社の宮司の孫の理人に異世界でも生きられるように日本人ならではの力を授けてくれた。 ここから『異世界でたった1人の日本人、理人の物語』がスタートする 「『異世界でたった1人の日本人』 私達を蔑ろにしチート貰ったのだから返して貰いますね」が好評だったのですが...昔に書いて小説らしくないのでしっかり書き始めました。

【第一部完結】科学で興す異世界国家

Lihito
ファンタジー
正しいデータを揃えた。論理も完璧だった。 それでも、組織の理不尽には勝てなかった。 ——そして、使い潰されて死んだ。 目を覚ますとそこは、十年後に魔王軍による滅亡が確定している異世界。 強国の第三王子として転生した彼に与えられたのは、 因果をねじ曲げる有限の力——「運命点」だけ。 武力と経済を握る兄たちの陰で、継承権最下位。後ろ盾も発言力もない。 だが、邪魔する上司も腐った組織もない。 今度こそ証明する。科学と運命点を武器に、俺のやり方が正しいことを。 石炭と化学による国力強化。 情報と大義名分を積み重ねた対外戦略。 準備を重ね、機が熟した瞬間に運命点で押し切る。 これは、理不尽に敗れた科学者が、選択と代償を重ねる中で、 「正しさ」だけでは国は守れないと知りながら、 滅びの未来を書き換えようとする建国譚。 ※1話から読んでも大丈夫。ただ、0話を読むと「あのシーン」の意味が変わります。

処理中です...