アガルタ・クライシス ―接点―

来栖とむ

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 夏休みも終盤に差し掛かった八月下旬のある日、結衣は祖父の家の縁側で本を読んでいた。今年の夏はいつもと違って、なんとなく落ち着かない気分が続いている。
 花巻吾郎が訪れてから一週間ほど経っていたが、あの時の指輪に触れた時の不思議な感覚は、まだ結衣の記憶に鮮明に残っていた。体の中を何かが流れるような、今まで経験したことのない感覚。
「あれは一体何だったんだろう……」
 結衣は本を閉じて、庭の向こうに広がる空を見上げた。夏の雲がゆっくりと流れている。いつもの平和な風景なのに、どこか違って見える気がする。
 その時、玄関の方からチャイムの音が聞こえてきた。
「結衣、お客さんだよ」
 祖父の声が聞こえて、結衣は立ち上がった。まだ午前中だし、祖父の知り合いが訪ねてくることは珍しくない。でも、なぜか今日は違う予感がしていた。
 玄関に向かうと、そこには花巻吾郎と、見知らぬ女性が立っていた。
「あ、結衣ちゃん。久しぶり」
 花巻が優しい笑顔で手を挙げた。相変わらず整った顔立ちで、結衣は少しドキッとしてしまう。
「こちらは鮎川翔子さん。僕の……同僚です」
 紹介された女性は、二十代後半と思われる知的な印象の人だった。スーツ姿で、手には四角い金属製のケースを持っている。
「初めまして、結衣さん。鮎川翔子と申します」
 鮎川は丁寧にお辞儀をしながら自己紹介した。その声は落ち着いていて、どこか安心感を与える。
「あの、今日はどうして……?」
 結衣が戸惑いながら聞くと、祖父が現れた。
「まあ、立ち話もなんだ。中に入ってください」

 書斎に案内された三人は、祖父を含めて四人で向かい合うように座った。鮎川は持参したケースから小型の機械とノートパソコンを取り出し、セットアップを始める。
「結衣ちゃん、前回のことで、少し詳しくお話を聞かせてもらいたくて来たんです」
 花巻が口火を切った。
「前回のこと……指輪のことですか?」
「ええ、それもありますが、もう少し詳しく。鮎川さんは専門家なので、いくつか質問させてもらいます」
 鮎川が顔を上げて、優しい笑顔を向けた。
「結衣さん、まず基本的なことから聞かせてください。子供の頃から、病気をしたことはありますか?」
「えっと……あまりないと思います。風邪もほとんどひいたことがないですし」
「怪我はどうですか? 大きな怪我をして、治るのに時間がかかったことは?」
「それも……かすり傷程度しかしたことがなくて、しかもすぐに治ってしまいます」
 鮎川はノートに何かを書き留めながら頷いた。
「体力的にはいかがですか? 同年代の人と比べて」
「多分、普通よりは体力があると思います。陸上部でも記録はいい方ですし」
「そうですね。それと、前回花巻先生から聞いたのですが、古い指輪に触れた時、何か感じましたか?」
 結衣は少し躊躇してから答えた。
「はい……なんというか、体の中を何かが流れるような感覚がありました」
「具体的には?」
「暖かくて、でも同時に電気が走ったような……今まで経験したことのない感覚でした」
 鮎川と花巻が視線を交わした。

「わかりました。それでは、いくつか簡単な検査をさせてもらいます。痛いことはしませんので、安心してください」
 鮎川は機械の準備を終えると、結衣に近寄った。
「まず、眼球の検査をします。この小さなライトを見てください」
 鮎川が手にした小型の機械から、青白い光が発せられた。結衣がそれを見つめていると、機械が小さな電子音を鳴らした。
「次に、髪の毛を少しいただきます」
 結衣の了承を得て、鮎川は髪を数本切り取り、機械に挿入した。またしても電子音が響く。
「最後に、血液のサンプルを少しだけ」
 鮎川は小さな針を取り出した。
「ちょっとチクッとしますが、すぐに終わります」
 針で指先を軽く刺すと、小さな血の滴ができた。鮎川はそれを特殊な器具で採取し、機械にセットした。
「少し時間がかかりますので、お待ちください」
 機械が分析を始めると、鮎川も自分の指を同じように刺して血液を採取した。
「比較のために、私の血液も調べます」
 しばらくすると、ノートパソコンの画面に何かが映し出された。
「では、説明させていただきます」
 鮎川は画面を結衣の方に向けた。
「こちらが私の血液を拡大したものです。そして、こちらが結衣さんの血液です」
 画面には二つの血液の映像が並んで表示されている。一見すると、どちらも同じような赤い細胞が見えるだけだった。
「通常の方法では、拡大してもこれ以上詳しく見ることはできないのですが、これに特殊なフィルターをかけます」
 鮎川がキーボードを操作すると、映像が変化した。

 そこに映し出された二つの血液には、明らかな違いが現れた。結衣の血液には、鮎川の血液中にない何かが動いていたのだ。
 微細な光る粒子のようなものが、血液の中を活発に動き回っている。まるで生きているかのように。
「これは何ですか?」
 結衣は驚きを隠せずに聞いた。
「これは人工的に作られた一種のナノマシンで、私たちはMedical Assistive Nanomachines for Adaptation(適応のための医療補助ナノマシン)、通称MANA(マナ)と呼んでいます」
 鮎川の答えに、結衣は息を呑んだ。
「マナ……?」
「はい。私にはありませんが、例えば、ここにいらっしゃる花巻先生はお持ちです」
 花巻が苦笑いを浮かべながら頷いた。
「僕の血液も調べてもらったことがあるんですが、結衣ちゃんと同じようなものがたーくさん見つかりました」
「でも、どうして私の血液にそんなものが……?」
 結衣の質問に、鮎川は深呼吸してから口を開いた。
「それを説明するためには、まず世界の真実についてお話しする必要があります」
 祖父が重々しく頷いた。
「結衣、よく聞きなさい。今から話すことは、一般の人々には知らされていない真実なんだ」
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