弟がいた時間(きせつ)

川本明青

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2 弟の彼女

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八時くらいには帰れると言っていたのに、勇樹が帰ってきたのは十時前だった。

「今日お隣の、雨宮さん? 回覧板持って来たよ。回覧板って今でもあるんだね。何かのお知らせが書いてあるからちゃんと見て、次の人に回すの忘れないでって。あと、今度町内の防災訓練があるからよろしくって」

「いつ?」

「わかんない。書いてあるんじゃない? そういうの出るの?」

「出たことないんだよなあ。仕事あるし」

「仕事なかったら出るの?」

「この辺古い住宅街だからみんな顔見知りでさ。行事とかあると声かけられるんだよね。うちだけ出ないのも悪いなあとは思ってるんだけど、なかなかね」

「ねえ、お隣の雨宮さんって、勇樹の大叔母さんなんだ?」

「そうだよ。じいちゃんの、一番下の弟の奥さん、だったかな」

「勇樹君の新しい恋人? って聞かれちゃった」

「マジで? 雨宮のおばさんらしいな。あの人一見上品だけど、ちょっと遠慮が無いっていうか、けっこう何でも思ったこと口にするんだよね」

「友達ですって言っといたんだけど、それで一緒に住むってちょっと納得いってない感じだった。まあ、わかるけど。でも説明のしようがないじゃない? 全く関係ない人なら、遠い親戚とかなんとか言えばごまかせるかもしれないけど、大叔母さんじゃそうもいかないし」

「ほっとけばいいよ。大丈夫だって」

「それとさ」

 自分の部屋へと向かう勇樹の後について行きながら話しかける。

「何?」

「今日ね、もう一人訪ねて来たの」

「誰?」

「女子高生」

 勇樹は一瞬ピクっと反応してから入り口のふすまを開けた。

「ねえ勇樹、わたしが口出すことじゃないのはわかってるけど、やっぱり女子高生はちょっとマズいんじゃない? ほら、条例? とかいろいろあるじゃない。青少年育成なんとかみたいな。だからお互い好きなんだとしても、つき合うのはもう少し待ってからにした方が……」

「そんなんじゃないよ」

「じゃああの子は何なの?」

「何なのって……。あの子が何か言ったの?」

「言ってないけど……。でも一人暮らしの男の家に訪ねて来るって……」

「ただの知り合いだよ」

「もしかしてモデルさんか何か? 撮影を通じて知り合ったとか」

「そんなんじゃない」

「だったら。普通に生活してて女子高生とただの知り合いになることってある?」

 勇樹はスプリングコートのポケットから何か取り出すと、脱いでハンガーに掛けた。そして奈瑠の方に向き直り「ホントにただの知り合い」と念を押すように言うと部屋を出た。

「この前すごく久しぶりに会ったんだ。偶然。大学生の頃、家庭教師のバイトしてた時期があってさ。教えてたのはあの子のお兄ちゃんなんだけど、あの子とも仲良くなって。あの子がまだ小学生の頃だよ」

「その子が今頃なんで一人で家まで来るの?」

「それは……」

 勇樹は言い淀んだ。

「何かあるの?」

「ない、よ」

 わかりやすくて腹が立つ。

「ダメだって。相手は高校生だよ?」

「だから違うって。そういうんじゃない」

「じゃあどういうの?」

「だから……」

「胸を張って何にもないって言いきれるの?」

「……」

「手、出しちゃったの?」

「そんな言い方……。本当にそんなんじゃなくて、キス……」

「キス? キスならいいと思ってるわけ!?」

「そうじゃない。されたんだ。向こうから。いきなり」

「向こうから……」

「そう。再会っていうのも、あの子が偶然俺を見かけて、もしかしたら昔お兄ちゃんの家庭教師だった勇樹先生じゃないかって、面白半分で家までつけて来たんだ。俺は全然気づいてなかったんだけど、家に入ろうとしたときにいきなり声をかけられて、最初は誰かわからなくて、すごくびっくりして……」

「それで家に入れたの?」

「俺だって迷ったよ。でもここまで来て、何年かぶりに会ったのに門前払いっていうのも悪い気がして……。ちょっと話をしながらコーヒー飲んだだけなんだ。だけど、帰るときにいきなりキスされて……。でも、また来ていい? って聞かれたから、もう来ちゃダメだってちゃんと言ったんだ。なのに……。だいたい、俺だってわかってるよ。高校生とみょうなことになったらまずいってことぐらい。っていうか別にあの子に対してどうこうとか思わないから。だから心配するなって。それより姉ちゃん、これ」

 差し出されたのは家の鍵だった。さっき勇樹がコートのポケットから取り出したものだ。

「帰りに気づいてさ。慌てて合鍵作ってきた」

 受け取った鍵を見つめる。勘違いとはいえ、勇樹を疑ってしまったことがことさら申し訳なく思えた。勇樹はこんなにやさしく、奈瑠を受け入れようとしてくれているのに。

「二人で一本じゃ不便だし、もし今日みたいに俺がうっかり持って出ちゃったら出かけるに出かけられないもんな。そうなると部屋探しもできないし」

 ハッとして、気持ちがくるっと暗転した。勘違いして勝手に浮ついた気持ちを突き放された感じだった。

「姉ちゃん? どうかした?」

「ううん。鍵ありがと。早く部屋探さなきゃね。勇樹すぐお風呂入る?」

「いや、まだちょっとやることあるから」

「じゃあわたし先に入るね」

 そそくさと居間を出て行こうとした奈瑠に、勇樹は言った。

「そういう意味じゃないから」

「え?」

 目が合う。

「別に、早く部屋を探せって言ってるんじゃないから。ただ単に出かけられないと困るだろってこと。新しい部屋は、姉ちゃんが探す気になったら探せばいい。何があったのか知らないけど、しばらくここでゆっくりすればいいよ」

 急に目の奥が熱くなるのを悟られないように、奈瑠は目を逸らした。

「何よ。勇樹のくせにかっこいいこと言っちゃって。ずうっと居座ったって知らないからね」

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