弟がいた時間(きせつ)

川本明青

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2 弟の彼女

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数日後、勇樹が「会ってほしい人がいる」と言って来た。

「彼女?」

「うん」

「大人?」

「当り前だろ。同い年。向こうがぜひ姉ちゃんに会いたいって」

歯ブラシや化粧水の主はその人だったか、と思う。

はっきり言って気は進まなかった。決して勇樹にもその彼女にも迷惑をかけるつもりはない。けれど、姉だ弟だと言っても血が繋がっているわけではないし、彼女にしてみれば、十五年ぶりに会った赤の他人の女が自分の彼氏の家に勝手に転がり込んでいるとしか思えないだろう。彼女の歯ブラシや化粧水は、きっと奈瑠と勇樹が再会する前から置いてあったのだろうが、なんとなく、牽制されているように思えた。

「どうしても会わなきゃダメ?」

「なんか都合悪い?」

「そうじゃないけど……。わたし、けっこう人見知りだし……」

「大丈夫だって。向こうは全然人見知りじゃないし」

そんなことは関係ない。

「今度の金曜の夜はどう? 三人で飯食おうよ。店探しとくから」

 鈍感な勇樹に内心ちょっとイラつきつつ、いい口実もないままあまり頑なに拒むわけにもいかず、しぶしぶオーケーした。

金曜の午後八時、指定された店へ行くと、二人はまだ来ていなかった。

勇樹の名前で予約された席に、一人ぽつんと座って待つ。

緊張する。

彼女がどんな態度で臨んでくるのか。会って何を言うつもりなのか。

奈瑠自身、他の女に婚約者を横取りされた身だ。自分の彼氏にちょっかいを出される女性の気持ちは痛いほどわかる。わかるどころか、考えただけで吐き気がする。もっとも、奈瑠は勇樹の姉なのであって、ちょっかいを出しているわけではないのだけれど。手持無沙汰なので適当にスマホでネットニュースを開いてみたものの、内容は一切入ってこなかった。

「あの、奈瑠さん、ですか?」

ふいに名前を呼ばれ、顔を上げた。立っていたのは若い女性だった。

「初めまして。安藤知世ともよと言います」

彼女はそう名乗り、奈瑠が慌てて立ち上がろうとするのを止めた。そしてテーブルを挟んで奈瑠の向かい側に腰を下ろしながら、申し訳なさそうに「すみません。お待たせしちゃって」と言った。

「いえ。わたしも今来たところで」

「勇ちゃんまだ来てないんですね」

その時、彼女の携帯の通知音が鳴った。「ちょっとすみません」と言って知世はスマホを取り出した。

「勇ちゃん遅れるみたいです」

仕事が長引いて少し遅れるから、先に始めておいて、ということらしい。急にそんなことを言われても、と内心焦ったが、知世は意外とあっさり「じゃあ、そうしましょうか」と言った。

早速店員を呼んで、生ビールを二つと、料理を二、三注文した。

「奈瑠さん、けっこういける口なんですか?」

メニュー表を元の位置に戻しながら知世が聞いた。

「え? まあ、普通に」

「普通かあ。でも普通って人によって基準が違いますからね。勇ちゃんもけっこう強いから、お姉さんもそうなのかなあと思って」

勇ちゃんも強いから、お姉さんも? ちょっと引っかかったけれど、適当に笑ってそのまま流した。

緊張しているのはこっちだけなのか、知世の態度は落ちついている。もしかして、自分こそが勇樹の彼女なのだという余裕の表れなのだろうか。

ジョッキをコチッと合わせて乾杯し、喉に流し込む。知世は何口か飲んだあとふーっと息を吐き、「美味しいっ」と言って笑顔を見せた。

しばらく話をしていても、いわゆるマウンティングされているような感じはしないし、敵意を抱いているようにも思えない。ぜひ会いたいと言ったのが釘を刺すためだったのなら、勇樹のいない今が絶好のチャンスのはずなのに、一向にその気配はない。だが気を許せばその途端に噛みついてこられそうで、奈瑠は探り探り会話をしていた。

「奈瑠さんと勇ちゃんって、やっぱりあんまり似てないですね」

「え?」

「勇ちゃんにはお姉さんが一人いて、事情があってずっと会ってないっていうのは前に聞いたことがあったんです。勇ちゃんは全然似てないって言ってたんですけど、当人同士はわからないもんじゃないですか。だから本当は似てるんじゃないのかなあって思ってたんですけど、実際会ってみたらやっぱり似てなかった」

知世は笑ってビールを口にした。そして「勇ちゃん、あんまり家族のことは話さないんですけど、奈瑠さんのことはやさしいお姉さんだって言ってたんですよ」と付け加えた。

頭が混乱する。もしかして勇樹は、奈瑠のことを実の姉として知世に話していたということか。しかも今回のことよりも前に。それで知世はおそらく、二人を本当の姉弟だと思い込んでいる――。

それで納得がいった。家庭の事情で離れ離れになった姉弟が十五年ぶりに再会し、わけあってしばらく一緒に住むことになった――。そんな背景があるからこそ、知世は心穏やかに奈瑠に接することができるのだ。つまり、奈瑠に会いたいと言ったのは釘を刺すためではなく、純粋に彼氏のお姉さんに会ってみたいということだったのだろう。ならば奈瑠の口からわざわざ真実を言ってことを荒立てる必要はない。どうせ新しい部屋が見つかればすぐに出て行くのだ。このままにしておいた方が誰のためにもいいに決まっている。それにしても、それならそうと勇樹もひとこと言っておいてくれるべきだと、腹立たしくもあった。

少し遅れるという連絡が来てから四十分たっても、勇樹は現れなかった。その間二人で話してみると、知世は明るくさっぱりして感じのいい子だった。つき合い出してからもう六年近くになるという。インテリアデザイン関係の仕事をしているということで、身なりもセンス良くまとまっている。すらりとスタイルもよくて、長身の勇樹ととてもお似合いだ。

「ねえ奈瑠さん、勇ちゃんて、小さい頃はどんな子供だったんですか?」

「そうだなあ。あんまり、わんぱくとかきかん坊って感じではなかったかな。やさしい子だったよ。うち複雑だから、あんまり長いこと一緒にいたわけじゃないんだけどね」

「でも、一緒にいた時間の長さじゃないですよね。家族の絆って」

奈瑠はなんとなく後ろめたくて、うつむきがちに笑った。

「ねえ知世ちゃん、わたし十五年も会ってなかったからあれなんだけど、勇樹ってさ、わりと天然だよね?」

知世はぷっと吹き出して、可笑しそうに何度もうなずいた。

「たまに真面目な顔してとぼけたこと言います」

「わたしにここのお店の場所を説明するのにね、『駅から二つ目の角を右に曲がったら、次は行き当たりばったりを左』とか言うんだよ?」

知世は声を上げて笑った。

「そう言えば勇ちゃん、この前は黒いラブラドールのことを『和牛みたいな犬』って言ってました」

「わぎゅううぅ!?」

「あと、鶏のささ身を一匹二匹って数えてたこともあった」

「魚か! あ、じゃああれは? 『魚の顔事件』」

「何ですかそれ!?」

ゲラゲラと笑いながら話をしている奈瑠と知世のことを、周りの客は絶対に初対面だとは思わないだろう。勇樹の天然恐るべし、だ。

「やだもう涙出ちゃう。子供の頃の勇ちゃんは、あんなじゃなかったんですか?」

「うーん……子供の頃ってみんなそれなりにとぼけたこと言うからねぇ。気が付かなかったなあ。それともこの十五年の間にああなっちゃったのかなあ。ずっと一緒にいて疲れない?」

「そんなことないです。楽しいですよ。ああ見えてけっこうしっかりしてるし」

飲み始めてから一時間ほどしてトイレに立つと、店の入り口に、入って来たばかりの勇樹の姿が見えた。奈瑠は慌てて近づいて行って勇樹をつかまえ、知世の席からは見えない通路の角に引っ張って行った。

「ごめんごめん。仕事長引いちゃってさ」

「そんなのはいいのよ。それより勇樹、知世ちゃんにわたしのこと実のお姉ちゃんだって言ってるでしょ」

「ああ……実の姉ちゃんとは言ってないけど、そうじゃないとも言ってない」

「だからつまり、知世ちゃんはわたしたちが本当の姉弟だと思ってるってことでしょ?」

「多分」

「なんでそれをわたしに言っとかないのよ! わたしは知世ちゃんは全部知ってると思って来たんだから」

「本当の姉弟じゃないって話したの?」

「話してない。本当の姉弟だとも言ってないけど。だからこのまま通すのよ。勇樹だってその方がいいと思ったから本当のこと言わなかったんでしょ。わたしトイレ行ってくるから先に席に着いてて。くれぐれも変なこと言わないでよ。天然なんだから」

勇樹に念を押すと、トイレに行ってから席に戻った。


三人揃って改めて乾杯した。

隣同士に座った勇樹と知世は、やはりとてもお似合いだった。長くつき合っているだけあって何気ないやり取りも自然で、そんな二人を見ていると、自分が孤独であることを改めて思い知らされた。そして、ちょっと前までは自分も保之の隣にああやって座っていたのに、と胸が痛んだりもした。



「知世ちゃんいい子だね。勇樹にはもったいないくらいだよ」

帰りのタクシーの中で奈瑠は言った。勇樹は少し笑っただけだった。

「ねえ、勇樹の部屋に貼ってある写真あるじゃない? 大学生の頃、友達と一緒に写ってるやつ。あの女の子、知世ちゃんだよね? あの写真もかわいかったけど、今は大人の女性って感じで素敵だよね」

アルコールには強い方だという勇樹だが、少し酔ったのか、あるいは疲れているのか、目を閉じて、黙ったままヘッドレストに頭をもたれている。

「でもさ、なんかやっぱりちょっと心苦しいね。騙してるみたいで。わたしたちが本当の姉弟だって」

勇樹は静かに一つ息を吐いた。

「血は繋がってなくても、俺にとって姉ちゃんは本当の姉ちゃんだよ」

思いがけない言葉だった。

勇樹は、やはりちょっと酔っているのかもしれなかった。けれどその言葉は素直にうれしかったし、そんなことを言う勇樹がかわいくもあった。


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