泣き虫殿下はクールを装いすぎている

みるくコーヒー

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第一話

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『今日こそ、今日こそはハッキリと言うのよ』

 歴史深いアーリア王国の王城をコツコツと歩きながら、エマ・シャロル子爵令嬢は心に決めていた。

 アーリア王国には有名な王太子がいる。
 レイモンド・アーリア。
 彼は容姿端麗、頭脳明晰、クールで飄々としていてどこまでも完璧な王太子だ。

 女性人気も高く、当たって砕けた令嬢は数知れず。

 エマはそんな王太子の婚約者だった。

「僕が聞きたいのは、これは一体どこから出てきた数字なのかということだ」
「えっと、あの、それは……」

 エマがレイモンドの執務室へ辿り着いたところで中から声が聞こえてきた。
 どうやらレイモンドが部下のミスを指摘しているらしい。

「僕は怒っているのではない、純粋に問いかけているだけだ」

 口調から責めているように思われるが、彼には叱咤する気は少しもない。あくまでも問題点を理解し改善出来るように促しているのだ。

 エマは、ひょこりと扉から顔を覗かせる。
 レイモンドはエマの姿を捉えると「もうそんな時間か」と呟いて再び部下へと目を向けた。

「見直して後ほど僕のところへ再度提出に来るように」
「……はい」

 部下はしょんぼりと肩を落として部屋を出て行った。

「エマ、もう君が来る時間だとは気が付かなかった」

 レイモンドはエマを出迎えるために扉へと近づき、婚約者である彼女の手を取った。
 そしてソファーへとエスコートして、自身もエマに対峙するように正面へと座る。

「相変わらず殿下は評判通りの装いですね」
「評判通り……とは」

 エマの皮肉はどうやらレイモンドに通用しなかったらしい。
 『クールで完璧な王太子』という評判についてエマは言及したのだが、レイモンドは一体どのような評判のことを言っているのかという疑問を抱いた。

 『厳格な王太子』『鬼』など、レイモンドの頭を駆け巡った考えはマイナスなものだ。

「それで、僕に何か用事があったのだろう? わざわざ時間を合わせるほどに」
「えぇ、今日は殿下にお伝えしたいことがあるのです」

 エマは深呼吸をして気持ちを整えた。
 それから、ジッとレイモンドの目を見てハッキリと口にする。

「私との婚約を解消して頂きたいのです」
「……婚約、解消?」

 レイモンドはエマの言っていることが上手く理解出来ていないのか、言葉を反芻して目を見開いたまま硬直している。

「はい、私では殿下の婚約者として相応しくないので」
「な、なんで……」

 ハッキリと告げるエマ。
 彼女は目の前の王太子の様子を見て『あぁ、また始まった』と内心で呆れた感情を抱いた。

「い、嫌だ、僕は婚約解消なんかしない」

 レイモンドはボロボロと涙を零しながら否定した。

 『クールで完璧な王太子』
 そんな評判を得ている彼は、その実泣き虫な王太子であった。それを知っているのは近しい者のみ。
 エマは彼の泣き虫な側面を何度も見ているため、目の前で涙を流されても特段驚くことはしない。

「だ、だって、僕たちは上手くやってるじゃないか」

 ぐすぐすと泣くレイモンドに、エマはいつも通りというようにハンカチを出して渡す。
 きゃあきゃあと騒ぎ立てている令嬢たちに、この姿を見せてやりたいものだとエマは冷静に考える。

「良いですか、私は子爵家の令嬢なんです。どう考えても殿下の婚約者としては身分が低いのです」

 エマの母親と当時貴族令嬢であったレイモンドの母親は学生時代からの友人であった。それが関係して二人は幼馴染のように育ったわけだ。

 表ではクールを装っている彼の本性をエマは知っている。これはレイモンドの希望によって成された婚約だ。エマは自分が彼の幼馴染で、実は泣き虫なことを知っているから彼は自分と婚約したのだと思っている。
 だからこそ、厳しい王妃教育を受けることも周りから相応しくないと言われ続けることにも耐えられなかった。早々に逃げ出してやるのだと決め込んでいた。

「身分なんて関係ない……僕はエマと結婚する」
「子爵家では殿下の大きな後ろ盾にはなれないのです! 後ろ盾を得るためにも、ロザリオ公爵家のご令嬢と結婚することが最も良い判断と言えるでしょう」

 エマがロザリオの名を出した瞬間にレイモンドは眉間に皺を寄せた。
 ロザリオ公爵家のご令嬢であるカミーユは、家柄や教養共に申し分ない相手だ。多少性格のキツい一面があることは否めないが。

「カミーユ・ロザリオは苦手だ」
「えぇ、そうでしょうとも」

 エマはレイモンドの言葉を受けて深く頷いた。
 レイモンドが彼女を得意としていないことをエマは知っていた。だが、それがカミーユを婚約者など推さない理由にはならない。
 仲が良ければ王妃が務まるのか? 答えは否だ。

「とにかく、この話は前向きに検討して頂かないと困ります」
「僕は……僕は絶対にエマと結婚する」

 潤んだ瞳で真っ直ぐにレイモンドはエマを見つめる。
 普通であれば、ときめきを感じても良い状況なはずだがエマの心はぴくりとも動かなかった。

 涙を見せられると、どうしても可哀想な気持ちになってしまっていたが、今回に限っては絆されず、少しも譲らないという強い意志を持っていた。

「レイモンド様、今よろしいでしょうか」

 コンコン、と扉がノックされ声をかけられる。

「入れ」

 レイモンドは先ほどまでの様子とは打って変わり、キリリとした表情を装う。
 エマは、良くこうも上手く切り替えられるものだとある種感心する。しかしながら良く見ると目の周りが濡れていて、それが何だか面白くも感じられた。

「では、私はこれにて失礼いたします。殿下、良いお返事を期待しておりますわ」

 エマはぴしりと正しい姿勢でお辞儀をして、従者と入れ替わりで部屋を後にする。
 
『はぁ、想像以上に苦戦しそうだわ……でも、これでやっとスタートラインには立てたわけね』

 エマは大きくため息をつく。
 だが、やっと彼に婚約解消について伝えられたことに対しては肯定的に捉える。

『絶対に首を縦に振らせてやるんだから』

 すんなりと上手くいくとは少しも思っていなかった。
 だが、逆境に立たされると俄然やる気が湧く。

 エマ・シャロルはそういう類の女である。

 自らを奮い立たせ、背筋を伸ばしきびきびと歩く。
 その様子を王城のメイドたちは不思議そうに見つめていた。
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