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第二話

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 ある日の昼下がり、エマは一人の女性と対峙していた。
 カミーユ・ロザリオ公爵令嬢だ。

「何度言われても首を縦に振るつもりはないの、残念ながらね」

 カミーユは固い意思でぴしゃりと断りを入れた。

 カミーユとエマは事あるごとに縁があった。
 幼児期の習い事から、学園のクラスや委員会、社交界の交友関係などその縁は多岐に渡る。
 所謂"くされ縁"というものだ。

 その縁では、時にレイモンドも登場する。
 しかしながら、レイモンドとカミーユの相性はあまり良くは無いようだが。

「もう数えるのも疲れてしまったわ」

 カミーユはわざとらしくため息をついて見せた。
 エマがレイモンドとの婚約についてカミーユに打診する回数は優に二桁を超えている。

「だけど、私では殿下の婚約者としては力不足なの。わかるでしょう?」
「確かに、歴代の王妃を見ても子爵家出身の女性はいないわ。その殆どが伯爵家以上の身分を持つ女性ね」

 カミーユはエマの言いたいことも良く理解している。
 そして、それが理にかなっている主張であることも。

 だが、彼女は頑としてその申し出を受け入れるつもりはなかった。

「それで、伯爵家以上の年相応の女性で未婚且つ婚約者がおらず、殿下に相応しい人物がわたくししかいないということも良く理解しているわ。本当に、残念ながら」

 カミーユは先ほども発した"残念ながら"という言葉を再び繰り返して強調する。
 彼女は簡単に折れる相手ではないことはエマも良く知っていたが、そこで簡単に諦めるつもりもない。

 いつもは『やっぱりだめか』という調子で話を切り上げていたが、既にレイモンドにも婚約解消について話した所為か、今回は食い下がった。

「でもカミーユ、国のためよ。国をより良くすることは貴族の務めでもあるでしょう」

 大義名分をちらつかせたエマに対して、カミーユはムッと顔を顰めた。
 飄々としている彼女が感情を露わにすることは珍しいことだった。

「国のため、ね……あなたのその自己犠牲の精神は素晴らしいけれど、あいにくわたくしはその理論には賛同いたしかねるわ。貴族であろうが、王族であろうが平民であろうが、人それぞれ自由に夢を持っていいはずよ。貴族に生を受けただけで、国のために人生を投げ打たなければならない、というのはいかがなものかしらね」

 自分の意見を全て伝えたカミーユはスッキリとした表情でお茶を口に含む。

 彼女の言っていることは確かに理にかなっているとエマは納得をする。
 だが、頭でわかっていても心の中はもやもやとしていた。

 エマの表情を見たカミーユの頭には疑問が浮かんだ。
 自身がレイモンドと結婚することを頑なに拒んでいる、というよりは、本心からより良い状況を求めているように思えた。
 何が彼女をそこまでさせているのだろう。

 その疑問は、エマの言葉で解消される。

「カミーユの言っていることは、きっと正しいのだと思う。だけど、一つ間違っているよ……レイモンドには自由がない。王太子として生まれた彼は、国の王になるという使命が生まれながらにして付き纏ってる。その重責から逃げる道は彼に与えられていない。そして、レイモンドは必死に自分の責務に立ち向かってる」

 カミーユもレイモンドとは小さい頃から見知った仲だ。
 彼女もレイモンドが本来は打たれ弱く良く泣いていることを知っている。

 だから、ふたりの脳裏に浮かぶ幼少期のレイモンドの姿は一致していた。
 泣きながらも果敢に努力をして、苦労を経験してきた彼の様子。

「確かに彼は泣き虫だけれど、心根はとても強いことも知っているわ。努力も苦労もいつか報われることを心の底から願う度に、そのとき彼の隣にいるべきは私ではないと感じているの」

 カミーユは彼女がなぜそこまで自分にレイモンドとの婚約を打診してくるのか理解した。
 それから、エマがレイモンドを1人の人間として尊重していることも明白であり、幼少期からの縁もあってどうにか助力したいとも思った。

 だからこそ、カミーユは婚約を頑として受け入れるつもりはなかった。

「わたくしは、話を聞いて尚更あなたが彼の隣に立つべきだと感じたけれどね」

 その言葉がエマには良く理解が出来なかった。
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