65 / 85
65 混沌とした記憶と第二王子と
しおりを挟む
わたくしが目が覚めると、見覚えのある天蓋が見守るように待ち受けていた。
「シャーロット!!」
目の前には、アルバートお兄様。酷く疲れているような様相で、心配そうにわたくしを見つめていた。
「あの、わたくしは……」
今の状況をよく呑み込めずに、お兄様に訊いてみる。でも酷く喉が乾燥して上手く声が出なくて、蚊の鳴くような声で囁いた。
お兄様がわたくしの手を強く握る。じんわりと温かさが広がって、落ち着いた気分になった。
「シャーロットは三日前に学園で階段から落ちたんだ。覚えている?」
「………………」
頭の中がそろそろと撹拌されたみたいに、ごちゃごちゃと記憶が蘇る。それらは点と点の塊で、全体像が見えずになんだかよく分からなかった。
そのうちこめかみが痛くなって、思わず両手で押さえる。
「シャーロット!? ごめん、無理に思い出さなくていいんだ。今はゆっくり休んでくれ」と、お兄様が頭を撫でてくれた。
掌から発せられる優しさが額に伝わって、心地良さに瞳を閉じる。
とっても安心する。しばらく規則正しい手の動きに身を任せた。
「父上も母上も凄く心配していたんだよ。昨日領地へ向かったけど、二人とも本邸に残りたいってずっと言ってたんだ」
「お父様とお母様が……?」
わたくしはびっくりして思わずパチリと目を開けた。
そう言えば、朝食も摂らずに朝早くお屋敷を抜け出して学園に向かったから挨拶をしていないわ。前日もお兄様の態度に怒って晩餐を欠席したことだし、お二人に最後に挨拶をしたのはいつかしら……。
「大丈夫だよ。すぐに戻って来るさ」
お兄様はわたくしの不安顔で察したのか、元気付けるように笑顔を見せた。
「なぜ……領地へ……?」
「あぁ、ちょっと領地で問題が起こったみたいだ。まぁ、一月以内には帰って来るだろう。――さ、薬を飲んだらもう寝なさい。医師もしばらく安静にと言っていた」
「はい、お兄様……」
わたくしは再び瞳を閉じる。まだ頭の中で情報が散らばっていて、それらを整理しようとすると鈍痛がする。
だから、お兄様の言う通りに大人しく眠っていたほうが良いだろう。
「おやすみ、ロッティー」
「おやすみなさい…………」
翌日は、普段と同じように朝早くに目覚めた。
医師からの簡単な健康診断を受けて、スープだけの軽い朝食を摂ってから用意された薬を飲む。
それからお兄様が様子を見に来てくれて、健康状態のことを聞かれただけですぐに去って行った。
お兄様を見送るとき、わたくしは胸にになにか引っかかっているかのように、不安な気持ちになった。お兄様になにか言わなければいけないような……。
それから午前中はまた睡眠を取って、お昼に起きる。
すると、花瓶に見事なピンク色の薔薇が飾られているのが目についた。鮮やかでとても良い香りがして、部屋がパッと一段明るくなった気がした。
早速、部屋に来たお兄様に訊いてみると、なんとダイアナ様がお見舞いにくださったそうだ。今朝、彼女自ら摘んできてくれたらしい。
「ダイアナ様が……」
彼女の名前を口にした途端、またもや頭に痛みが広がって「うっ……」と、こめかみを押さえた。
「ロッティー?」お兄様はしゃがみこんでわたくしの顔を覗き込む。「大丈夫か?」
「お兄様……」なぜか分からないけど涙が込み上げてきて泣きそうな顔で兄様の顔を見上げる。「わたくし……ダイアナ様に謝らなければいけないことがあるような……。でも……思い出せなくて…………」
お兄様は頷いて、
「大丈夫だよ。ゆっくりでいいんだ。まずは自分の身体のことだけを考えるんだ」
静かにわたくしを再び横たえた。
そのまま眠りに入り、夜に起きる。
そして再び朝。次に昼、夜……という生活を数日間続けて、身体の調子もだんだんと戻りつつあるとき、急な訪客がやって来た。
「シャーロット、君に会いたいと仰っている方がいらっしゃったのだが……」と、お兄様が少し畏まった様子でわたくしに尋ねた。
その緊張感の混じった様相にわたくしは首を傾げつつも、
「どうぞ、お通しください。ソファーへ移動したほうが宜しいでしょうか?」
「いや、そのままで大丈夫だ。――では、お通しするよ」
「はい」
お兄様の落ち着かない妙な様子が伝播して、わたくしは思わず背筋を正した。
なぜだか緊張する。きっと大切なお客様なんだわ。
もしかして、ダイアナ様? それとも、お父様たちが帰ってきたとか?
「殿下、どうぞ」
「悪いね。失礼するよ」
次の瞬間、わたくしは驚いて目を剥いた。
お兄様と一緒に部屋に入って来たのは……ヘンリー・グレトラント第二王子だったのだ。
記憶の破片が急激にわたくしの脳髄を突き刺して来る。
身体中に電撃が走ったようにビリビリと痺れた。
そうだった……思い出したわ……!
わたくしは、アーサー様から前回の人生を真実を聞かされて、お兄様と喧嘩をして、朝早く屋敷を抜け出して学園へ向かって、第一王子やダイアナ様と口論になって、そして――……。
「お兄様っ!」わたくしは矢庭に気色ばんで二人をきっと睨み付ける。「帰っていただいてください! 第二王子とお話することなんて、なにもありませんわ!」
「シャーロット、落ち着きなさい!」
「だって! 彼は――」
お兄様はわたくしの両肩を強く掴んで、睨み付けるように瞳を見据える。
「いいか、よく聞きなさい。ヘンリー殿下は階段から滑り落ちたシャーロットのことを助けてくださったんだ。殿下が抱き留めてくださらなければ、今よりも大怪我をしたり……最悪は命を落としていたかもしれない」
「えっ……!?」
わたくしは目を見張る。にわかに身体が強張って、ふつふつと鳥肌が立った。
衝撃のあまり時間が止まったみたいに動けなくなる。驚異、歓喜、困惑……いろんな感情がつむじ風みたいにぐるぐると頭を駆け巡って、胸がきゅっと締め付けられるようだった。
第二王子が、わたくしを……?
どういうこと……?
「ヘンリー殿下はロッティーの命の恩人なんだよ。だから、そんな冷酷なことを言わないでくれ」
「………………」
わたくしは羞恥心でどうしようもなくなって俯いた。第二王子に投げ付けた心ない言葉に自責の念が襲い掛かる。
彼は……命の、恩人、なのね……?
でも……そうね、仮にも命を救ってくださった方に対して、こんな無礼な仕打ちはあり得ないわ。わたくしを助けてくださった方に、なんて言葉を……。
「あの……」
おずおずと、第二王子殿下を見る。お礼を言わないといけないのに、なかなか言葉が出ない。さっきまでの自分の言動を嫌悪するあまり、彼の顔をまっずぐに見るのが怖かった。
「体調はどうだい? もう大分良くなった?」
殿下はニコリとわたくしに笑顔を向けた。途端に胸に火が灯ったように、温かい気持ちになった。
優しい顔……わたくしは、この笑顔が大好きだった。彼の側で一緒に笑っている時間が大好きだったわ。
でも…………、
前回の人生で、彼は………………。
静謐な時間がわたくしたちの周りに流れた。にわかに心細くなって、お兄様の手をぎゅっと掴む。お兄様は強く握り返してくれた。
そして少しの沈黙のあと、第二王子殿下が口火を切った。
「ロッ――シャーロット嬢が怒るのも仕方がないと思っている。その……、僕は…………」
殿下の握りしめた拳がぷるぷると震えていた。とても不安げな表情で、全身が深い悲しみに包まれているようだった。
そして殿下は絞り出すように、ゆっくりとこう言った。
「ドゥ・ルイス公爵令息の言う通りに……僕は、前回の人生で…………シャーロット嬢を裏切っていたんだ………………僕が君への断罪に加担したのも同然なんだよ」
「シャーロット!!」
目の前には、アルバートお兄様。酷く疲れているような様相で、心配そうにわたくしを見つめていた。
「あの、わたくしは……」
今の状況をよく呑み込めずに、お兄様に訊いてみる。でも酷く喉が乾燥して上手く声が出なくて、蚊の鳴くような声で囁いた。
お兄様がわたくしの手を強く握る。じんわりと温かさが広がって、落ち着いた気分になった。
「シャーロットは三日前に学園で階段から落ちたんだ。覚えている?」
「………………」
頭の中がそろそろと撹拌されたみたいに、ごちゃごちゃと記憶が蘇る。それらは点と点の塊で、全体像が見えずになんだかよく分からなかった。
そのうちこめかみが痛くなって、思わず両手で押さえる。
「シャーロット!? ごめん、無理に思い出さなくていいんだ。今はゆっくり休んでくれ」と、お兄様が頭を撫でてくれた。
掌から発せられる優しさが額に伝わって、心地良さに瞳を閉じる。
とっても安心する。しばらく規則正しい手の動きに身を任せた。
「父上も母上も凄く心配していたんだよ。昨日領地へ向かったけど、二人とも本邸に残りたいってずっと言ってたんだ」
「お父様とお母様が……?」
わたくしはびっくりして思わずパチリと目を開けた。
そう言えば、朝食も摂らずに朝早くお屋敷を抜け出して学園に向かったから挨拶をしていないわ。前日もお兄様の態度に怒って晩餐を欠席したことだし、お二人に最後に挨拶をしたのはいつかしら……。
「大丈夫だよ。すぐに戻って来るさ」
お兄様はわたくしの不安顔で察したのか、元気付けるように笑顔を見せた。
「なぜ……領地へ……?」
「あぁ、ちょっと領地で問題が起こったみたいだ。まぁ、一月以内には帰って来るだろう。――さ、薬を飲んだらもう寝なさい。医師もしばらく安静にと言っていた」
「はい、お兄様……」
わたくしは再び瞳を閉じる。まだ頭の中で情報が散らばっていて、それらを整理しようとすると鈍痛がする。
だから、お兄様の言う通りに大人しく眠っていたほうが良いだろう。
「おやすみ、ロッティー」
「おやすみなさい…………」
翌日は、普段と同じように朝早くに目覚めた。
医師からの簡単な健康診断を受けて、スープだけの軽い朝食を摂ってから用意された薬を飲む。
それからお兄様が様子を見に来てくれて、健康状態のことを聞かれただけですぐに去って行った。
お兄様を見送るとき、わたくしは胸にになにか引っかかっているかのように、不安な気持ちになった。お兄様になにか言わなければいけないような……。
それから午前中はまた睡眠を取って、お昼に起きる。
すると、花瓶に見事なピンク色の薔薇が飾られているのが目についた。鮮やかでとても良い香りがして、部屋がパッと一段明るくなった気がした。
早速、部屋に来たお兄様に訊いてみると、なんとダイアナ様がお見舞いにくださったそうだ。今朝、彼女自ら摘んできてくれたらしい。
「ダイアナ様が……」
彼女の名前を口にした途端、またもや頭に痛みが広がって「うっ……」と、こめかみを押さえた。
「ロッティー?」お兄様はしゃがみこんでわたくしの顔を覗き込む。「大丈夫か?」
「お兄様……」なぜか分からないけど涙が込み上げてきて泣きそうな顔で兄様の顔を見上げる。「わたくし……ダイアナ様に謝らなければいけないことがあるような……。でも……思い出せなくて…………」
お兄様は頷いて、
「大丈夫だよ。ゆっくりでいいんだ。まずは自分の身体のことだけを考えるんだ」
静かにわたくしを再び横たえた。
そのまま眠りに入り、夜に起きる。
そして再び朝。次に昼、夜……という生活を数日間続けて、身体の調子もだんだんと戻りつつあるとき、急な訪客がやって来た。
「シャーロット、君に会いたいと仰っている方がいらっしゃったのだが……」と、お兄様が少し畏まった様子でわたくしに尋ねた。
その緊張感の混じった様相にわたくしは首を傾げつつも、
「どうぞ、お通しください。ソファーへ移動したほうが宜しいでしょうか?」
「いや、そのままで大丈夫だ。――では、お通しするよ」
「はい」
お兄様の落ち着かない妙な様子が伝播して、わたくしは思わず背筋を正した。
なぜだか緊張する。きっと大切なお客様なんだわ。
もしかして、ダイアナ様? それとも、お父様たちが帰ってきたとか?
「殿下、どうぞ」
「悪いね。失礼するよ」
次の瞬間、わたくしは驚いて目を剥いた。
お兄様と一緒に部屋に入って来たのは……ヘンリー・グレトラント第二王子だったのだ。
記憶の破片が急激にわたくしの脳髄を突き刺して来る。
身体中に電撃が走ったようにビリビリと痺れた。
そうだった……思い出したわ……!
わたくしは、アーサー様から前回の人生を真実を聞かされて、お兄様と喧嘩をして、朝早く屋敷を抜け出して学園へ向かって、第一王子やダイアナ様と口論になって、そして――……。
「お兄様っ!」わたくしは矢庭に気色ばんで二人をきっと睨み付ける。「帰っていただいてください! 第二王子とお話することなんて、なにもありませんわ!」
「シャーロット、落ち着きなさい!」
「だって! 彼は――」
お兄様はわたくしの両肩を強く掴んで、睨み付けるように瞳を見据える。
「いいか、よく聞きなさい。ヘンリー殿下は階段から滑り落ちたシャーロットのことを助けてくださったんだ。殿下が抱き留めてくださらなければ、今よりも大怪我をしたり……最悪は命を落としていたかもしれない」
「えっ……!?」
わたくしは目を見張る。にわかに身体が強張って、ふつふつと鳥肌が立った。
衝撃のあまり時間が止まったみたいに動けなくなる。驚異、歓喜、困惑……いろんな感情がつむじ風みたいにぐるぐると頭を駆け巡って、胸がきゅっと締め付けられるようだった。
第二王子が、わたくしを……?
どういうこと……?
「ヘンリー殿下はロッティーの命の恩人なんだよ。だから、そんな冷酷なことを言わないでくれ」
「………………」
わたくしは羞恥心でどうしようもなくなって俯いた。第二王子に投げ付けた心ない言葉に自責の念が襲い掛かる。
彼は……命の、恩人、なのね……?
でも……そうね、仮にも命を救ってくださった方に対して、こんな無礼な仕打ちはあり得ないわ。わたくしを助けてくださった方に、なんて言葉を……。
「あの……」
おずおずと、第二王子殿下を見る。お礼を言わないといけないのに、なかなか言葉が出ない。さっきまでの自分の言動を嫌悪するあまり、彼の顔をまっずぐに見るのが怖かった。
「体調はどうだい? もう大分良くなった?」
殿下はニコリとわたくしに笑顔を向けた。途端に胸に火が灯ったように、温かい気持ちになった。
優しい顔……わたくしは、この笑顔が大好きだった。彼の側で一緒に笑っている時間が大好きだったわ。
でも…………、
前回の人生で、彼は………………。
静謐な時間がわたくしたちの周りに流れた。にわかに心細くなって、お兄様の手をぎゅっと掴む。お兄様は強く握り返してくれた。
そして少しの沈黙のあと、第二王子殿下が口火を切った。
「ロッ――シャーロット嬢が怒るのも仕方がないと思っている。その……、僕は…………」
殿下の握りしめた拳がぷるぷると震えていた。とても不安げな表情で、全身が深い悲しみに包まれているようだった。
そして殿下は絞り出すように、ゆっくりとこう言った。
「ドゥ・ルイス公爵令息の言う通りに……僕は、前回の人生で…………シャーロット嬢を裏切っていたんだ………………僕が君への断罪に加担したのも同然なんだよ」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
3,017
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる