歪んだ愛はお断りします ~断罪ルートを回避した悪役令息は、鬼畜寮長に囚われる~

南 コウ

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2章

23.他人のために涙なんて流すな

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 ブラッドリー公爵との話し合いがまとまり、資金調達という第二関門をクリアできた。ホッと胸を撫で下ろしながらお手洗いを出たところで、ダミアンの待つ正面玄関へ向かった。

 早足で廊下を歩いていると、階段の手前で小さな女の子が立っていることに気付く。ウェーブがかった紫色の髪に薔薇色の頬。瞳は月のような金色だ。
 年齢は五歳前後だろうか。人形のような愛らしい姿に目を奪われていると、ふわりと微笑みかけられる。

「こんにちは。ダミアンにいさまのお友達ですか?」

 にいさまと呼んでいることから、彼女がダミアンの妹であると察した。彼女と目を合わせるように跪いて、にっこりと微笑みかける。

「はい。ダミアン寮長と同じ学校に通っているアレンです」
「そうなんですね。よかったぁ」

 少女は嬉しそうに微笑むと、後ろに隠していた紙袋を見せた。

「クッキーを焼いたので、ダミアンにいさまと一緒に召し上がってください」

 無垢な笑顔で紙袋を差し出してくる。
 こんなに可愛らしい妹がクッキーを焼いてくれるなんて、ダミアンは幸せ者だ。微笑ましく思いながら、紙袋を受け取った。

「ありがたく頂戴します」

 クッキーを受け取ると、少女は上機嫌にくるりと一回転してから、スカートの裾を少し持ち上げる。

「馬車に乗ったら、召し上がってくださいね。では、失礼します」

 立派な淑女らしい振る舞いに感心しながら、僕も胸に手を添えて紳士らしくお辞儀をする。

「失礼します」

 別れの挨拶をかわすと、少女は軽やかな足取りで僕の隣を通り過ぎた。

 さすがはブラッドリー公爵家の娘。幼いながらも、淑女教育が行き届いている。
 改めて格の違いを思い知らされながら、階段を下って正面玄関に向かった。

 見送りに来てくれたメイドに挨拶をしてから、僕らは屋敷をあとにする。雲ひとつない青々とした空を眺めながら、公爵家の庭園をのんびりと歩いていた。

「いまさらですけど、僕、今日来た意味がありましたかね?」

 先ほどのブラッドリー公爵との話し合いを思い出しながら、前を歩くダミアンに尋ねる。ダミアンは前を向いたまま、ふっと鼻で笑った。

「父の前では、ブリキ人形のように固まっていたからな」
「そ、それは……仕方ないじゃないですか。相手はブラッドリー公爵ですよ? 身構えてしまうのは当然じゃないですか」

 咄嗟に言い返すと、ダミアンは再び小さく笑った。
 また馬鹿にされた。顔が熱くなるのを感じながら俯いていると、立ち止まったダミアンがぽんっと僕の頭に手を乗せる。

「父の反応から察するに、最後の決め手は貴様の存在だったように思える」

 思いがけない言葉が飛んできて顔を上げると、ダミアンは赤い目を細めながら微笑んでいた。

「俺に協力者がいると分かったから、増額を決めたんだと思う。父は昔から言っていた。物事を成し遂げるには、他者との協力が必要だと」

 それってつまり、ブラッドリー公爵は僕をダミアンの協力者として認めてくれたということか? それは光栄な話だけど、ちょっと荷が重い。

「ああ、それと、信頼できる協力者は徹底的に囲い込め、とも言っていたな」
「うええっ!?」

 うっかりおかしな声をあげてしまう。
 僕も囲い込まれてしまうのか? それは勘弁してくれ!

 心の中で慄いていると、ダミアンは口元に手を添えながらおかしそうに笑った。
 本気なのか冗談なのか、よく分からない。苦笑いを浮かべていると、ダミアンが僕の抱えている紙袋に気付いた。

「それはなんだ?」
「お土産をクッキーを持たせてくれたんです。帰りの馬車でどうぞって」

 紙袋を差し出すと、ダミアンは悩まし気に額を押さえる。

「メイドのハンナがまた焼いたのか……。以前美味しいと伝えたら、屋敷に戻るたびに焼くようになったんだ。もう結構だと伝えたのに……」

 ダミアンはメイドからの頂きものだと思っているようだ。実際には、妹からの贈り物なんだけど……。
 先ほどの紫色の髪の少女を思い出した途端、ダミアンは額を押さえていた手を離し、まじまじと僕を見つめる。

「妹……だと?」
「はい。紫色の髪をした可愛らしい女の子が、ダミアンにいさまと召し上がってくださいと」

 言い終わるや否や、ダミアンは勢いよく紙袋を奪い、真横に放り投げる。芝生の上に紙袋が転がると、中に入っていたクッキーが散らばった。その一瞬の出来事に、驚きを隠せない。

「な、何するんですか? せっかく妹さんが作ってくれたのに……」

 抗議した直後、ダミアンは血相を変えて僕の肩を掴む。

「口にしたのか?」
「は、え? 寮長への贈り物を勝手に食べるような真似はしませんよ。そこまで行儀が悪くありません」

 正直に伝えたものの、ダミアンは僕の口元をぺたぺたと指で揺れる。当然のことながら、僕の口元にはクッキーのカスは付いていない。それでも信じられなかったのか、ダミアンは僕の口の中に指を突っ込んで、大口を開けるように促した。そこまでして、ようやく僕がクッキーを食べていないと信じてくれた。

 ダミアンは、大きく息を吐き出すと、憔悴したように額を押さえる。

「危ないところだった……」

 一体何なんだ? 首を傾げながら、放り投げられたクッキーを眺めると、木にとまっていた小鳥たちが集まって、クッキーをついばんでいた。

「あの、説明をしてもらっても?」

 恐る恐る尋ねると、ダミアンは額を押さえたまま口を開く。

「恐らくアレは、毒入りクッキーだ」

 体温が急速に低下していく。いや、まさか、そんなはずは……。
 咄嗟にクッキーに群がる小鳥たちに視線を向けると、何羽かが地面に伏していた。その光景を見て、ゾッと寒気が走った。

 あれは、本当に毒入りクッキーなのか? もしも僕が、何も考えずにダミアンに渡していたら……。

 地面に伏せる小鳥の中で、ダミアンが倒れている光景を想像すると、すっと力が抜けてしまった。立っていることすらできなくなり、芝生の上でぺしゃんとしゃがみ込む。

 その間に、ダミアンはクッキーに群がる小鳥を追い払い、残ったクッキーと小鳥の死骸を火魔法で燃やした。
 クッキーを処分したところで、ダミアンはようやく落ち着きを取り戻す。

「立てるか?」

 眉根を下げながら、こちらに手を差し伸べるダミアン。その手に触れた瞬間、張り詰めていたものが切れたかのように涙があふれ出した。

「お、おい。なぜ貴様が泣く?」

 ダミアンはギョッと目を見開いた後、戸惑いを露わにしながら尋ねる。みっともないと分かっていたけど、涙を止めることはできなかった。

「だ、だって、もし僕がクッキーを渡していたら、寮長は今頃……」

 それ以上は、口にすることができなかった。想像するだけでも、恐ろしい。
 ボロボロと溢れ出す涙を拭っていると、ダミアンは僕の手を強く握り直した。

「来い」

 そう告げられた直後、周りの景色が一変する。美しい庭園にいたはずなのに、今は白を基調とした部屋の中にいた。

 ここには見覚えがある。ダミアンの部屋だ。ダミアンの転移魔法で、僕らは寮まで戻ってきたようだ。

 ブラッドリー公爵家から離れても、涙は収まりそうにない。泣くことしかできない自分が情けない。声を押し殺しながら泣いていると、ダミアンは戸惑いの色を浮かべたまましゃがんだ。

「他人のために涙なんて流すな」
「そ、そんなこと言ったって、溢れて、止まらないんです」

 顔を上げて訴えると、ダミアンの赤い瞳と目が合う。滲んだ視界の中で、ダミアンは苦し気に顔をゆがめた。
 繋がれた手を強引に引っ張られると、ダミアンの腕の中に収まる。

「こっちを見るな。貴様の泣き顔を見ていると、おかしな気分になってくる」

 ダミアンの肩に顎を乗せた状態で、強く抱きしめられる。触れ合った場所から伝わる熱が心地良くて、余計に泣けてきた。
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