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2章
35.貴様は自分が誰のものか分かっていないようだな
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シリルの不正が明るみになったことで一時は騒然としていたが、学園側で招いた人気オペラ歌手が現れたことで空気が一変する。透き通るような歌声が響くと、荒んだ空気は嘘のように消えていった。
美しい歌声に耳を傾けていると、隣に立つダミアンが小さくため息をついていることに気付く。先ほどまでは毅然とした面持ちだったが、今は疲れたようにげっそりとしていた。
ダミアンも一日中気を張っていて疲れたのだろう。僕は演奏の邪魔をしないように、声を潜めて伝える。
「何か飲み物を取ってきますね」
「ああ、ありがとう」
礼を言われたところで、僕はその場から離れた。
グラスを持って戻ってくると、ダミアンが年配の紳士に声をかけられていることに気付く。断片的に聞こえてきた会話から、彼が魔道具を扱う商会の人間だと察する。
この場に僕がいたら、商談の邪魔になってしまう。ダミアンにグラスを渡してから、僕はさりげなく彼らのもとから離れた。
壁際に移動すると、ふぅっとため息をつく。
ダミアンほどではないにしろ、僕も疲れてしまった。筋肉痛のせいで手足が悲鳴をあげている。料理を少し頂いたら、ひと足先に寮に戻ろう。
テーブルに並ぶ料理を取り分けて黙々と食べていると、赤毛の女性が遠慮がちに近付いてきた。
「あ、あの……」
思いがけず声をかけられたことで、ごくんっと肉を飲み込む。
「あ、すいません。ここで食べていたら邪魔ですよね。すぐに退きます」
テーブルの前から退散しようとすると、女性は頬を赤らめながら首を振る。
「いえ、お料理を取りに来たのではありません。貴方とお話をしたくて……」
「僕と?」
女性は頬を赤らめて、こくりと頷く。
「ドラゴンレースでご活躍されている姿を見て、お話してみたいなぁと思いまして……」
ドッキリかと疑ったが、周りには僕を嘲笑っている生徒はいない。それに、顔を赤らめて緊張したように話す彼女を見れば、冗談ではないことが伝わってきた。
ここで断ったら、彼女を傷つけてしまう。きっと勇気を出して僕に声をかけてくれたのだろうから。
「お誘いありがとうございます。少しお話しましょうか」
紳士的に微笑みながら告げると、彼女は花が綻ぶような可憐な笑みを浮かべた。
壁際に並んでお喋りをする。どうやら彼女は子爵家の令嬢のようで、今日は兄の応援で来たそうだ。学園での生活にも興味があるようで、寮やクラスでの出来事を語ると目を輝かせていた。
可憐で純粋で、花の妖精のような人だ。こんな人を生涯の伴侶に迎える男性は、きっと穏やかに暮らせるんだろうなとも想像してしまった。
しばらく歓談していると、華々しい音楽が流れる。その音に引き寄せられるように、男女のペアが中央に躍り出た。
ダンスが始まるようだ。男子生徒は、ゲストの女性の手を引いてエスコートをしている。他人事のように広間に集まる男女を眺めていると、隣にいた女性が躊躇いがちに僕の顔を覗き込んだ。
「失礼ですが、婚約者の方は?」
「婚約者? そのような方は僕にはいませんよ」
正直に答えると、女性はほっと胸を撫でおろす。すると、頬を赤らめながら上目遣いで僕を見つめた。
「よろしければ、私と踊っていただけませんか?」
まさかダンスに誘われるとは思わなかった。ダンスなんて躍ったことがないから、上手く踊れる自信がない。
「僕なんかで良いんですか?」
遠慮がちに尋ねると、女性は真っ赤な顔でこくりと頷いた。
「貴方がいいです」
純粋な彼女の気持ちを踏みにじったら罰が当たる。僕はそっと手を差し伸べた。
「では、一曲踊りましょうか」
* * *
宣言通り一曲踊ってから、僕は迎賓館をあとにした。後夜祭はまだ続いているが、これ以上は僕の気力が持ちそうにない。ひと足先に寮に戻ることにした。
手のひらには、先ほどの女性の手の感触が残っている。白魚のような手は、驚くほど柔らかかった。
可憐な女性とダンスを踊ったのだ。男なら舞い上がってしまうシチュエーションだけど、僕の心は平静を保ったままだった。
むしろ、ダミアンに触れられた時の方がずっと――。
ダミアンに額を寄せられて、名前を呼ばれた時のことを思い出すと、胸が締め付けられる。自分でも、なぜこんな気持ちになっているのか分からない。先ほどの女性に触れたいとは微塵も思わないのに、ダミアンにはもっと触れられたいと思っていた。
一度触れられて、快楽を知ってしまったからか? いや、そんな短絡的な欲求からくる感情ではない。もっと純粋に、彼のぬくもりを欲していた。
涼しい風が、庭園の草花を揺らす。風に煽られても、顔の火照りが消えることはなかった。
恥ずかしさを追い払おうと、足元に落ちていた石ころを蹴飛ばす。前方に転がった石は、コツンと誰かの革靴にぶつかった。顔を上げると、ダミアンが正面に佇んでいた。
「寮長……。どうしてここに?」
ダミアンはゲストから代わる代わる声をかけられていた。彼とダンスを踊りたい女性だって大勢いただろう。それなのに会場から抜け出して、僕なんかに構っていていいのか?
声をかけたものの、ダミアンからの反応はない。眉間には深く皺を刻み、赤い瞳は射るように僕を見据えていた。
風がそよぎ、ダミアンの長い髪が揺れる。金糸のような髪に見惚れていると、ダミアンが口を開いた。
「随分と楽しそうに踊っていたんだな」
「え?」
意外な言葉が飛んできて、戸惑いの声が漏れる。もしかして、先ほどのダンスを見られていたのか?
「あ、えっと、あの子から誘われて……。だけど僕、ダンスなんて初めてだから、全然上手く踊れなくて……。あれではいい笑いものですよね」
苦笑いを浮かべながら、言い訳をする。別に悪い事をしたわけでもないのに、妙な後ろめたさを感じていた。
視線をあちらこちらに彷徨わせていると、コツコツと足音を立ててダミアンが迫ってくる。顔を上げると、獣のような鋭い眼光で見据えられた。喰われそうな予感がして、ぞくりと肌が粟立つ。
「貴様は、自分が誰のものか分かっていないようだな」
肩に手を添えられる。その直後、噛みつくように唇を奪われた。
「んっ……」
――なんで僕、ダミアンにキスをされているんだ?
思考はまるで追い付かないけど、触れ合った場所から伝わる熱が全身を駆け巡り、ジリジリと脳が焼かれた。
美しい歌声に耳を傾けていると、隣に立つダミアンが小さくため息をついていることに気付く。先ほどまでは毅然とした面持ちだったが、今は疲れたようにげっそりとしていた。
ダミアンも一日中気を張っていて疲れたのだろう。僕は演奏の邪魔をしないように、声を潜めて伝える。
「何か飲み物を取ってきますね」
「ああ、ありがとう」
礼を言われたところで、僕はその場から離れた。
グラスを持って戻ってくると、ダミアンが年配の紳士に声をかけられていることに気付く。断片的に聞こえてきた会話から、彼が魔道具を扱う商会の人間だと察する。
この場に僕がいたら、商談の邪魔になってしまう。ダミアンにグラスを渡してから、僕はさりげなく彼らのもとから離れた。
壁際に移動すると、ふぅっとため息をつく。
ダミアンほどではないにしろ、僕も疲れてしまった。筋肉痛のせいで手足が悲鳴をあげている。料理を少し頂いたら、ひと足先に寮に戻ろう。
テーブルに並ぶ料理を取り分けて黙々と食べていると、赤毛の女性が遠慮がちに近付いてきた。
「あ、あの……」
思いがけず声をかけられたことで、ごくんっと肉を飲み込む。
「あ、すいません。ここで食べていたら邪魔ですよね。すぐに退きます」
テーブルの前から退散しようとすると、女性は頬を赤らめながら首を振る。
「いえ、お料理を取りに来たのではありません。貴方とお話をしたくて……」
「僕と?」
女性は頬を赤らめて、こくりと頷く。
「ドラゴンレースでご活躍されている姿を見て、お話してみたいなぁと思いまして……」
ドッキリかと疑ったが、周りには僕を嘲笑っている生徒はいない。それに、顔を赤らめて緊張したように話す彼女を見れば、冗談ではないことが伝わってきた。
ここで断ったら、彼女を傷つけてしまう。きっと勇気を出して僕に声をかけてくれたのだろうから。
「お誘いありがとうございます。少しお話しましょうか」
紳士的に微笑みながら告げると、彼女は花が綻ぶような可憐な笑みを浮かべた。
壁際に並んでお喋りをする。どうやら彼女は子爵家の令嬢のようで、今日は兄の応援で来たそうだ。学園での生活にも興味があるようで、寮やクラスでの出来事を語ると目を輝かせていた。
可憐で純粋で、花の妖精のような人だ。こんな人を生涯の伴侶に迎える男性は、きっと穏やかに暮らせるんだろうなとも想像してしまった。
しばらく歓談していると、華々しい音楽が流れる。その音に引き寄せられるように、男女のペアが中央に躍り出た。
ダンスが始まるようだ。男子生徒は、ゲストの女性の手を引いてエスコートをしている。他人事のように広間に集まる男女を眺めていると、隣にいた女性が躊躇いがちに僕の顔を覗き込んだ。
「失礼ですが、婚約者の方は?」
「婚約者? そのような方は僕にはいませんよ」
正直に答えると、女性はほっと胸を撫でおろす。すると、頬を赤らめながら上目遣いで僕を見つめた。
「よろしければ、私と踊っていただけませんか?」
まさかダンスに誘われるとは思わなかった。ダンスなんて躍ったことがないから、上手く踊れる自信がない。
「僕なんかで良いんですか?」
遠慮がちに尋ねると、女性は真っ赤な顔でこくりと頷いた。
「貴方がいいです」
純粋な彼女の気持ちを踏みにじったら罰が当たる。僕はそっと手を差し伸べた。
「では、一曲踊りましょうか」
* * *
宣言通り一曲踊ってから、僕は迎賓館をあとにした。後夜祭はまだ続いているが、これ以上は僕の気力が持ちそうにない。ひと足先に寮に戻ることにした。
手のひらには、先ほどの女性の手の感触が残っている。白魚のような手は、驚くほど柔らかかった。
可憐な女性とダンスを踊ったのだ。男なら舞い上がってしまうシチュエーションだけど、僕の心は平静を保ったままだった。
むしろ、ダミアンに触れられた時の方がずっと――。
ダミアンに額を寄せられて、名前を呼ばれた時のことを思い出すと、胸が締め付けられる。自分でも、なぜこんな気持ちになっているのか分からない。先ほどの女性に触れたいとは微塵も思わないのに、ダミアンにはもっと触れられたいと思っていた。
一度触れられて、快楽を知ってしまったからか? いや、そんな短絡的な欲求からくる感情ではない。もっと純粋に、彼のぬくもりを欲していた。
涼しい風が、庭園の草花を揺らす。風に煽られても、顔の火照りが消えることはなかった。
恥ずかしさを追い払おうと、足元に落ちていた石ころを蹴飛ばす。前方に転がった石は、コツンと誰かの革靴にぶつかった。顔を上げると、ダミアンが正面に佇んでいた。
「寮長……。どうしてここに?」
ダミアンはゲストから代わる代わる声をかけられていた。彼とダンスを踊りたい女性だって大勢いただろう。それなのに会場から抜け出して、僕なんかに構っていていいのか?
声をかけたものの、ダミアンからの反応はない。眉間には深く皺を刻み、赤い瞳は射るように僕を見据えていた。
風がそよぎ、ダミアンの長い髪が揺れる。金糸のような髪に見惚れていると、ダミアンが口を開いた。
「随分と楽しそうに踊っていたんだな」
「え?」
意外な言葉が飛んできて、戸惑いの声が漏れる。もしかして、先ほどのダンスを見られていたのか?
「あ、えっと、あの子から誘われて……。だけど僕、ダンスなんて初めてだから、全然上手く踊れなくて……。あれではいい笑いものですよね」
苦笑いを浮かべながら、言い訳をする。別に悪い事をしたわけでもないのに、妙な後ろめたさを感じていた。
視線をあちらこちらに彷徨わせていると、コツコツと足音を立ててダミアンが迫ってくる。顔を上げると、獣のような鋭い眼光で見据えられた。喰われそうな予感がして、ぞくりと肌が粟立つ。
「貴様は、自分が誰のものか分かっていないようだな」
肩に手を添えられる。その直後、噛みつくように唇を奪われた。
「んっ……」
――なんで僕、ダミアンにキスをされているんだ?
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