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しおりを挟む声をかけてきたアイリスに従い、バルコニーに出た。
朝夕は涼しくなってきた季節のため、他に人影はない。
おそらく彼女は、人目を避けるためにこの場所を選んだのだろう。
「お話とは何でしょう?」
「⋯⋯エリアーシュのことです」
セシリアが尋ねると、硬い表情のままアイリスが答えた。
「これからお話することは、セシリアさまに対してたいへん失礼なものになってしまうかと思います。それでも、お聞きくださいますか?」
その一言に嫌な予感がしたものの、断ることなどは考えられず、セシリアは覚悟をこめて頷いた。
それから彼女が話したのは──エリアーシュ兄弟とティレット伯爵家の、婚約に関わる話だった。
「⋯⋯もともと、エリアーシュはわたしと婚約する予定だったのです」
アイリスの一言目から、セシリアは息を呑む。
胸に走った痛みに手をやることでやり過ごし、黙って続きを促した。
「ティレット伯爵家も騎士の家系なのですが、残念なことに父と母には女ばかりしか産まれませんでした。だから長女のわたしが婿を取る必要があったのです。⋯⋯そこで候補に挙がったのが、従兄で幼い頃から交流のあったエリアーシュでした」
アイリスとエリアーシュの婚約は、調おうとした。
しかし、そこに思いもしない横槍が入ったという。
「わたしたちの婚約に反対したのは、エリアーシュの二番目のお兄さまでした。⋯⋯より優秀な自分の方が、ティレット伯爵家の婿にふさわしいと」
その言葉に、セシリアの脳裏にいつだったかのラザル子爵の言葉が蘇った。
二番目は優秀だった、という言葉だ。
「結局、二番目のお兄さまの主張が認められ、わたしの婚約者はお兄さまになることになりました。──ですが⋯⋯」
アイリスが目を伏せる。
「⋯⋯今度は、プライセル公爵家への養子入りのお話が出ました。公爵家は優秀なお兄さまを望まれたようですし、お兄さまも伯爵家よりも公爵家に惹かれたようで⋯⋯幸い、お兄さまはわたしとの婚約を結ぶ前でしたので、そのままお話はなかったことになり、お兄さまは公爵家へ養子に入ることが決まったのです」
次期騎士団長と目されるラザル子爵の、有能な息子。
ラザル子爵家の次男はそういう評価をされていた。
現プライセル公爵であるセシリアの祖父も、子爵が騎士団長になった跡を養子入りする次男が継いでくれればいいと期待していたのだ。
「その後、婚約はもともとの話に戻すことになり、改めてわたしとエリアーシュの婚約の話が出ていたのですが⋯⋯──二番目のお兄さまが亡くなり、セシリアさまが公爵家を継がれることになり⋯⋯」
──そして、セシリアとエリアーシュとの婚約話が発生した。
セシリアは何も言えなかった。
一人の女性の一生に関わるかという結婚の話が、ここまで二転三転としたのだ。
アイリスの心中を思うと、やるせなかった。
「⋯⋯以前、セシリアさまにお話ししたことを憶えていらっしゃいますか?──エルは、周りに気を遣い過ぎてしまう、と」
「⋯⋯えぇ、憶えているわ」
そしてそれは、エリアーシュと交流を深める上でセシリア自身も実感したことだった。
よくここまで気が利くと思うほどに、彼は細々と気を回してくれるのだ。
「エルは、二番目のお兄さまの方が優秀だからと、最初にわたしの婚約者候補から外されたことをとても気にしていました。改めてわたしとの婚約話が出たのに、すぐに調わなかったのもそのためです。⋯⋯本当に、自分はふさわしいのかと──」
──もちろん、俺はまだ実績も何もない、ただの平の騎士です。貴女に釣り合うものなんて何も持ち合わせていません。
いつだったかのエリアーシュの台詞が、セシリアの脳裏に甦る。
確かに彼は、ふさわしいか、釣り合うかをとても気にしているようだった。
それに、と。アイリスの表情がさらに暗くなる。
「最近のエルの様子を父から聞きました。今まで以上に騎士団の訓練に必死に取り組んでいるそうですが⋯⋯それは、わたしには彼が無理をしているように見えるのです。⋯⋯もともと、騎士団は厳しい職場です。エルも以前までは、休みの日は自宅でしっかりと休んでいたようなのに、最近は休みの日も休むことなく出かけてしまっているとか⋯⋯。
⋯⋯エルは今、公爵家に釣り合おうと必死に思うあまり、とんでもなく無茶をしてしまっているのではないかと⋯⋯」
それは、セシリアも知らなかった。
休日に会う彼は、いつだって完璧に下調べをしていて、セシリアが楽しめるようにと気を遣ってくれていた。
勤務日は訓練に打ち込み、休日もセシリアのために心を砕いてくれていたのであったなら、果たして彼に心休まるときはあったのかと、指摘されて急に不安になった。
アイリスは顔を上げると、セシリアの顔を正面から見つめる。
「セシリアさま、わたしの身分から許されぬことを申し上げていること、重々承知しております。ですが⋯⋯ですが、このままではエルは潰れてしまいます。⋯⋯わたしは⋯⋯──ッ、わたしは、大好きな彼がそうなってしまうことに、耐えられません!」
涙の浮かんだ瞳に真正面から見つめられ、セシリアは雷に打たれたような衝撃を感じた。
大好き、と彼女は言った。
彼女は、エリアーシュのことが好きなのだ。
じわじわとその事実を理解するにつれ、セシリアの鼓動が嫌な風に速まっていく。
頭は熱いくらいなのに、顔からは血の気が引いていて、手も足も驚くほどに冷たくなっていた。
「⋯⋯最初にわたしと彼の婚約話がもち上がったとき、本当にうれしかったのです。エルも、とても喜んでくれました。
──政略の意味もある婚約だけれど、それでもわたしたちは、絶対に幸せになれると思ったのです⋯⋯」
アイリスの頬を涙が伝う。
それは、彼女の純粋な想いが溶け出したかのような雫だった。
そして彼女は、ぐっと唇を引き結んで溢れ出した感情を一度押し込めると、改めてセシリアを見据えた。
「セシリアさま、不躾なお願いになってしまうとは思っております。不敬だと切り捨てられても仕方がないと思います。
だけど、どうか⋯⋯──どうか、エリアーシュとの婚約をお考え直しいただけませんか?」
「⋯⋯っ、それは──」
セシリアは口を開いたものの、その先が続かなかった。
アイリスの願いを断るのは容易い。
婚約は、家と家との契約だ。
今回の場合、ラザル子爵の騎士団長就任のためにプライセル公爵家が彼の後ろ盾となるため、セシリアとエリアーシュの婚約が成るのだ。
そこに、エリアーシュやアイリス個人の事情などは関係ない。
頭ではわかっている。
セシリアの心も、彼女のお願いを断ってしまえと囁いてくる。
だけど──
──セシリア。私は貴女に幸せな結婚生活を送ってもらいたいと思っているの。だから、この人だという相手を、貴女が選ぶのよ。
同時に頭の中に響いたのは、何度も母がセシリアに言い聞かせてくれた言葉だった。
(⋯⋯私は、本当に幸せになれるの?アイリスやエルの気持ちを無視して、踏みにじって、それでも本当に幸せになれる?)
もう一度顔を上げる。
涙で化粧が少し流れてしまいながらも、それでもアイリスは凛としてセシリアを見つめ続けていた。
(⋯⋯私はこんな風に、胸を張って、自信をもって、この婚約の正当性を彼女や彼に主張できる?)
自身に問いかけた言葉には、いつまで経っても力強い答えは返って来てくれなかった。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
事前に書いていたストックが切れたので、この後は更新が不安定になってしまうかもしれないことを、事前にお断りしておきます⋯。
なるべく1日1話を目指して頑張ります!
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