もしも光源氏が絶世の美女だったら、在原業平も絶世の美女なので、ふたりとも夜這いをしますしイケメン貴族を囲い込みます。

あめの みかな

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​第5話:月下の狂宴、二つの執着

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​ 六条院の池のほとり、張り詰めた空気の中で、藤原実資は己の鼓動が耳元で鳴り響くのを感じていた。
 源輝子の指先が顎に触れている。ただそれだけのことなのに、彼がこれまで命懸けで守ってきた「公卿としての矜持」が、真夏の雪のように呆気なく溶けていく。

​「……何故、黙っておいでですの? 実資様。日記を綴る時の、あの淀みない筆運びはどこへ行きましたの」

​ 輝子の声は、夜風に溶ける蜜のように甘い。
 実資は必死に理性を繋ぎ止めようと、歯を食いしばった。ここで彼女に屈すれば、自分は自分ではなくなる。だが、彼女の瞳に見つめられるたび、心の奥底で眠っていた「壊されたい」という昏い欲動が、頭をもたげるのだ。

​「宮様……。貴女は、男を貶めることでしか、己の価値を証明できないのですか」

「あら、心外ですわ。私はただ、貴方のその重苦しい鎧を脱がせて、楽にして差し上げたいだけ。……そんなに苦しそうな顔をして、まだ『正しさ』にしがみつきたいの?」

​ 輝子がさらに一歩、距離を詰める。二人の吐息が重なる距離。
 実資の硬い肩から力が抜けた、その瞬間だった。

​「――宮様ッ!!」

​ 静寂を切り裂く、悲痛な叫び声。
 庭の暗がりに潜んでいた衛士たちを振り切り、一人の男が池のほとりへと転がり込んできた。
​ それは、輝子から下賜された縹(はなだ)色の直衣を、まるで命の綱のように握りしめた紀貫之であった。
 その顔は青白く、目は血走り、かつての才気溢れる面影はどこにもない。そこにあるのは、愛に、あるいは執着に焼き尽くされた「亡霊」の姿だった。

​「貫之……? 見苦しいわよ。許可なくここへ入るなと、あれほど言ったはずですが」

​ 輝子は実資から指を離し、氷のような視線を貫之へ向けた。
 貫之は膝をつき、泥のついた手で輝子の裾を掴もうとする。

​「お許しください……! ですが、聞き捨てなりませぬ。あのような、心も通わぬ堅物のどこが良いのですか! 私は……私は、貴女のために魂を削り、血を混ぜて歌を詠んだ! 貴女の『特別』は、私ではないのですか!?」

​ その叫びは、実資の心を冷や水で打ったように覚醒させた。

(これが、かつての紀貫之か……)

 自分よりも遥かに感性豊かで、将来を嘱望されていた男が、一人の女のためにここまで無様に崩れ果てている。実資はその光景に戦慄し、同時に猛烈な嫌悪感を抱いた。

​「紀内記。控えよ。宮様の前で、情けない声を出すな。貴殿の誇りはどこへ行った」

「黙れ! 藤原の鼻持ちならない小僧め! 貴様に何がわかる! 輝子様という『光』を知って、どうして今まで通りの自分でいられようか!」

​ 貫之は実資に掴みかからんばかりの勢いで立ち上がった。
 平安の夜、高貴な庭園で繰り広げられる、中級官僚と上級エリートの醜い言い争い。
​ それを、輝子は扇で口元を隠しながら、この世で最も贅沢な見世物でも見るかのように眺めていた。

​「ふふ……あはははは!」

​ 不意に、輝子が鈴を振るような笑い声を上げた。
 二人の男が、同時に動きを止める。

​「素敵だわ。貫之、貴方のその嫉妬に歪んだ顔、最高に醜くて……愛おしいわ。そして実資様、貴方のその、汚らわしいものを見るような蔑みの目。どちらも私を、最高に愉しませてくれる」

​ 輝子は、貫之の頬を優しく撫でたかと思えば、次の瞬間には実資の手を強く握りしめた。

​「ねえ、二人とも。今宵はせっかくですから、三人で語り明かしませんか? 貫之は、実資様がいかに規律を重んじ、いかに脆く私に屈しかけたかを歌に詠みなさい。実資様は、貫之がいかに無様に愛を乞うたかを、その『小右記』に克明に記しなさい」

​ それは、究極の拷問だった。
 プライドを懸けて競い合う男たちに、互いの敗北と恥辱を記録させる。
 輝子の美学において、男は「飾られるもの」である以上に、「壊れていく過程」を楽しむための消耗品に過ぎない。

​「……残酷な方だ」

 実資は絞り出すように言った。だが、その瞳からは、もはや逃げようとする意志は消えていた。

「ええ。その残酷さに、貴方は今、恋をしたのでしょう?」

​ 輝子の背後で、在原業子が暗闇から姿を現す。

「輝子様、これでは勝負になりませんわね。実資様はもう、半分以上貴女のもの。……ですが、まだ『日記』という最後の砦が残っている。彼が、あの中に貴女への愛の告白を書くまでは、私の負けは認めませんわよ?」

​ 夜は更けてゆく。
 池の面に映る月は、三人の男女の歪な関係を静かに見守っていた。
 一人、また一人と、輝子の「光」に焼かれ、理性を失っていく男たち。
​ 京の都に、新たなる伝説が生まれようとしていた。
 光る君――源輝子が、すべての男をひざまずかせるまでの、狂乱の記録が。
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