月読の塔の姫君

舘野寧依

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第一章:伝説の姫君と王と魔術師

第1話 目覚め

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 ……ん~……朝?
 まぶた越しに光を感じて、わたしは寝返りを打った。
 やわらかく体を支える布団の感触に違和感をふと覚える。
 うちのベッドのマットレスはこんなにやわらかくない。堅くて、長時間寝るともれなく腰が痛くなるというありがたくないオプション付きだ。
 それがなに、このふっかふか。

「……え?」

 そこでやっと家のベッドでないことに気づいて、わたしは飛び起きた。
 ……えーと、ここどこよ?
 ベッドの天井から透けるような薄い布が幾重にも垂れ下がっている。いわゆる|天蓋《てんがいというやつだろうか。
 天蓋付きのベッドなんて初めて見たよ、それだけじゃなくて寝ちゃったよ、うわあ。それも半端じゃない広さだし。
 知らないうちに気を失ってどこぞの金持ちが家のベッドに寝かせてくれたとか? ……いやいや、そういう場合、普通救急車呼ぶよね、などと、われながら寝ぼけたことを考えながらベッドの端まで移動しようとした時。

「……なにこの格好……」

 自分が中世ヨーロッパに出てくる人物ようなドレスを着ていることに今更ながらに気がついた。
 ……なんだ、これは。なにかのコスプレかなにか?
 ひらひらでふりふりでふわふわの衣装に、なんだかめまいがしてきた。
 普段ジーンズが多いわたしにはある意味拷問だ。
 それに、なんかさっきから視界に金色の髪がちらちらしてるんだけど、これってウィッグだよね。それも半端なく長い。間違いなく膝裏まであるだろう。なんでわたしはこんなもん被ってるんだ。
 鬱陶しくてしようがないので、思い切ってそのヅラを引っ張ってみた。

「うぁ」

 ──痛い。
 ちょっと涙目になりながら、わたしは地肌から抜けた数本の髪を見つめた。
 ひょっとしてこの髪は本物なのでは? という考えがよぎったが、わたしは頭を振ってそれを否定する。
 いやいや、間違いなくわたしは平均的な日本人。わたしの地毛は、染めてない黒髪のはずだ。
 なんだか妙なことに巻き込まれているような気がした。
 とにかく誰かに会ってこの状況を把握しないと。
 そう決心してベッドから降りる。
 部屋の中はベッドと同じくアンティークな家具が備えつけられていた。
 売ったらいったいいくらになるんだろう、と夢のないことを考える。
 いや、そんなことを考えてる場合じゃなかった。まず、この状況を分かる人を捜さなければ。

「あのー、誰かいませんかー?」

 ドアから顔を出して大声で叫んでみる。
 ……けれど、期待した返事はない。

「……しかたない、探しにいくかなあ」

 ドレスの裾を踏まないように注意しながら螺旋状らせんじょうの階段を降りていく。
 こんな所で下手に転んだら、絶対大怪我じゃすまない気がする。
 なんだろうこの建物、ひょっとして塔、なのかな……? 変に縦に長い気がする。
 それに窓がないのに妙に明るい。……なのに照明らしきものが見当たらないとはどういうことだ。
 不思議に思いながらも、わたしはどこまで続くか分からない階段を降り続けた。



「つ、疲れた……」

 いったいどのくらい時間がたっただろう。
 なんか変なコスプレしてるのもあって、神経使っていやに疲れた気がする。
 塔の出口らしいドアを開けると、幸運なことに庭師らしいおじさん(多分)の後ろ姿が見えた。
 自分が妙なコスプレをしているのは気になっていたけど、わたしは思い切ってそのおじさんに声をかけてみることにした。

「……あの~、すみません」

 ここはどこでしょうと聞こうとした時に、おじさんが振り向いた。

「……ひいぃっ!」
「うわあぁっ!」

 まるで幽霊を見たかのような反応をされて、ついつられて叫んでしまった。
 その反応はちょっと失礼じゃない? と思っておじさんを見る。
 あ、このおじさん、後ろから見たときは気がつかなかったけど、外人さんだ。
 日本語が通じるかは分からないけど、やっと会えた人だ、とりあえず話しかけてみよう。

「ちょっと聞きたいことがあるんですけど、あの、他に誰かいませんか?」

 この言いぐさは自分でもどうかと思ったけど、人の顔を見て腰を抜かしたおじさんではどう考えても話にならないだろう。
 おじさんは、ああ、とか、うう、とか意味不明なうめき声をあげながら震える手である方向を指差した。
 あ、日本語が通じる人みたい。よかった。
 内心ホッとしながら、おじさんが示した方向を見ると、一応舗装されてる小径がある。建物らしきものは見えないけど、多分その方向に人がいることは確かなんだろう。

「ありがとうございます。助かりました」

 軽く頭を下げて、その場を後にする。
 後ろからおじさんが神よ、とかなんとかつぶやくのが聞こえてきたけど、気のせいだと思いたい。

 まさかホラーなメイクでもされてるんじゃないだろうなと思って顔に触ってみる。
 ……すべすべだ。
 化粧してる感じはしないし、すっぴんとしか思えないんだけど、おじさんのあのおびえようはちょっと気になる。
 そんなことを考えながら、小径を歩いていたら。

「塔の結界が消えたと思ったら、まさかこんなことが起こるとはね」

 流暢りゅうちょうな日本語でそう言ったのは、超が上に付くような美形のお兄さん。なぜかこの人もわたしと同じファンタジー映画に出てくるような格好をしている。
 長い金髪に緑の瞳。この人も外人さんだ。
 なんか外人率高いな! と言っても出会ったのはお兄さんを入れて二人だけど。

 あのー、もしもし? 今あなた、どこから出てきましたか?
 なんだか突然現れたような気がするんですが。
 思わずぽかんとしていると、目の前のお兄さんはちょっと目を見開いてから、わたしをまじまじと見つめた。

「伝承通りだ、月光のような髪と青い瞳」

 はい? この人、今青い瞳って言わなかった?
 この鬱陶しいくらい長い髪がウイッグなのは分かるけど、わたしはカラコンまで入れてるのか? コスプレにしても、なにその徹底ぶり。
 わたしにこの格好をさせた人物の執念にちょっと青ざめていると、美形のお兄さんは私の前で片膝をついた。
 え、と思って見ていると、お兄さんはおもむろにわたしの手を取る。
 え? え? ちょっと、なにする気?
 これは、ひょっとして、ひょっとすると。

「まさかあなた様に出会える日が来るとは思いもしませんでした。わたしにとって、これ以上の幸福はございません」

 美形のお兄さんはそう言ってにっこりと微笑ほほえむと、うやうやしくわたしの手にキスをした!
 うわああああっ、まさかと思ったけど、この人本当にやってくれたよ!

「な」

 思わず固まるわたし。
 生粋の日本人であるわたしにこれは無理。
 恥ずかしい。恥ずかしすぎる。

「ああああの、あの……っ」

 ものすごくどもってしまったが、この場合これくらい動揺してもしかたないと思う。
 頬が熱い。きっと今わたしは真っ赤になってるだろう。
 わたしの手を離して立ち上がったお兄さんは不思議そうに首をかしげた。

「なにか変だな。君はイルーシャ姫だよね?」

 イルーシャ姫? 誰だ、それは。

「人違いですっ」

 ぶんぶんと首を横に振って否定したわたしに、お兄さんの質問が続く。

「でも、君、塔から出てきたよね。だとしたら、姫としか考えられないんだけど」
「確かに塔から出てきましたけど、わたしは姫とかじゃないですっ。わたしの名前は原田由希。日本人でただの一般庶民です!」
「ハラーダ・ユーキ? ニホン?」

 ちょっと、なんでいきなりカタコトになるんですか、お兄さん。
 それにハラーダ・ユーキって呼び方、なんか間抜けでやだ。

「いえ、ユーキじゃなくて、ユキ、由希です!」
「ユーキ」

 それからお兄さんとの攻防は少しばかり続いたけれど、結局わたしが折れる形で収束しゅうそくした。

「……もう、ユーキでいいです……」

 肩を落とすわたしに、お兄さんは苦笑してごめんね、と謝った。どうやらわたしの名前の発音は外人さんには難しいらしい。

「話を戻すけど、君は姿はイルーシャ姫だけど、中身はユーキっていう女の子なのか」
「さっきからイルーシャ、イルーシャって、誰ですか、それ」
「伝説の姫君。月読つくよみの塔の眠り姫だよ」
「はあ、でんせつのひめぎみ、ですか」
「なんでそこで棒読みになるのかな? 信じてないみたいだけど、僕はうそはついてないからね」

 お兄さんは苦笑するけど、こんな荒唐無稽な話、信じろというほうがむちゃだ。

「……ああ、そうか。君はまだその姿を見ていないんだね? なら、信じられないのも無理ないか」

 お兄さんはうなずきながらなにかをつぶやいた。
 そこ、一人で納得しないでください。そう言おうとした途端、周囲の風景が一変した。

「え……ええええっ!?」

 さっきまで外にいたはず。なのに今いるのは豪華な内装の室内。

「なんだか随分驚いてるようだけど、ひょっとして移動魔法を知らなかったりする?」

 ……移動は分かるけど、魔法ってなに。それって、ファンタジー小説とかでよく出てくるあの魔法?
 なんかいろいろと妙な展開ばかりで頭が痛くなってきた。

「魔法という言葉は聞いたことはありますけど、実際に見たのは初めてです」

 こめかみをおさえながら言うと、瞠目どうもくしたお兄さんに初めて? と聞き返された。
 なに、それ驚くようなこと?
 とりあえず頷き返すと、お兄さんはふうんとつぶやいてなにかを考えているそぶりをした。

「君がいたニッポンって国には、魔法の概念はあるのに実行はされてなかったのか。実に興味深いけど、今はそれを聞いてる場合じゃなかったね。……君もわけの分からない状況で大変だろうけど、まだしなければならないことが残ってるよ」

 そうだった、このコスプレがどうなっているのか確認しなきゃいけないんだった。
 お兄さんに促されて、華奢きゃしゃなデザインのいかにも高価そうな鏡の前に立つ。
 目に入ってきたのは、はかなげなお姫様。
 緩やかに波打つ淡い金の髪と、淡い青の瞳。年齢的には少女と女性の間といったところじゃないだろうか。
 小さな顔に、それぞれのパーツが絶妙に配置されている、絶世の美貌。
 傾国の美姫っていうのはこういう人のことを言うのね。……って、見とれている場合じゃなかった。
 これ、もしかしてわたし? いやいや、まさか、わたしがこんな美女のわけがない。顔の作りからして全然違うし。
 無理やり笑ってみる。お姫様がどこかぎこちない笑みを見せる。
 思い切り顔をしかめてみる。お姫様が難しい顔になる。
 右手を挙げてみる。お姫様もそれに合わせて手を挙げる。
 鏡の前でターンしてみる。お姫様もターンする。

 なんだこれは。なんだこれは。なんだこれは。
 これはもしかして、……わたし?

「なにこれえぇぇぇーっ!!」

 自分に起こった事態を理解した瞬間、わたしは喉も裂けんばかりに絶叫した。
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