月読の塔の姫君

舘野寧依

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第一章:伝説の姫君と王と魔術師

第2話 王との対面

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「ちょっと、笑いすぎ。失礼です!」

 腹を抱えて爆笑するお兄さんに、わたしは涙目になって抗議する。
 確かにさっきのわたしは端から見たら変な人だったかもしれないけれど。

「ごめん、ごめん。まさか叫び出すとは思わなくて。でも、これで状況は理解できたみたいだね」

 憮然としているわたしに、笑いをこらえているお兄さん。頼みますから、わたしのさっきの奇行は忘れてください。

「姫が目覚めたとなったら、王に知らせないとならないんだけど。僕は目通りの許可を貰ってくるから、君のことは侍女達に任せるけど、いいかな?」

 ちょっと待って、『おう』って、王様!?

「わたし、王様に会わないといけないんですか? それにここはどこなんですか? わたし、これからいったいどうなるんですか!?」

 わたしは浮かんでくる疑問を矢継ぎ早に出した。
 だって、いきなりこんな美女になってて、王に会わせるだなんて言われたら訳分からないよ!

「ここはガルディア王国。君から見ればたぶん異世界だよ。ここにはニホンなんて国は存在しないしね」
「異世界……?」

 あまりのことに呆然とお兄さんを見る。その顔は真面目そのものだ。
 確かに魔法なんてものがあるし、日常では考えられないことだけど。

「信じられないかもしれないけど、夢でもなんでもなくて、これは現実だよ。……君には気の毒だと思うけど」
「嘘……」

 嘘だよ、日本が存在しないなんて。じゃあ、わたしはどこに帰ればいいの?
 混乱のあまり涙が浮かんでくる。

「……ああ、泣かないで。酷かもしれないけれど、絶対に悪いようにはしないから」

 お兄さんが指を伸ばしてわたしの涙を拭いてくれる。

「そのためにも王に会うことは重要なんだ。……君がその姿でいることも関係あるしね。いきなり王と対面なんて不安かもしれないけれど、僕も同席するから我慢してね。それから王の名はカディスっていうんだけど、彼は僕と歳も近いし、そんなに緊張する人物でもないから大丈夫だよ」

 安心させるようにそっと頭を撫でてくれるお兄さんに頷くと、ほっとしたように彼は微笑んだ。
 わたしから離れて、じゃあまたね、と言ってその場を去ろうとしたお兄さんにわたしは慌てた。

 わたし、お兄さんの名前聞いてない!

「あのっ、お名前伺ってもいいですか?」

 今気づいたとばかりに、ああ、とお兄さんは立ち止まる。

「これは失礼しました。わたしはキース・ルグラン・レグ・アレギリア。ガルディア王国の魔術師師団長を務めています。以後よろしくお願いいたします」

 胸の前で右腕を掲げ、丁重にお兄さん、じゃなくてキースさんは言った。
 美形はなにをやっても絵になるなあなんて頭の隅で考えながら、わたしも慌てて言う。

「あ、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」

 キースさんはその言葉に微笑んで頷くと、それじゃあね、と部屋を出ていった。
 それから程なくしてドアを叩く音がしたので、はいと返事をしたら、キースさんが言った侍女と思わしき人が入室してきた。
 だいたい四十歳くらいだろうか。栗色の髪をひっつめた青い瞳のその人は、とても品の良い感じがした。

「失礼いたします。わたくしは侍女長を務めております、リイナと申します。僭越ながらわたくしがイルーシャ様のお世話をさせて頂きます。伝説の姫君にお仕えできるなんて、わたくしは果報者ですわ」

 ……侍女長といったら結構偉い人なんじゃないだろうか。そんな人に頭を下げられて、ここまでへりくだられると、逆にこっちが恐縮してしまう。

「こちらこそよろしくお願いします。目覚めたばかりで、事情がよく分からないのですが、よろしくご指導をお願いします」
「まあっ、わたくしのような者にそんなお言葉をかけて頂けるなんて。イルーシャ様はなんて素晴らしい方なのでしょう。わたくし、誠心誠意あなた様にお仕えさせて頂きますわ」

 ぺこりと頭を下げたわたしに、心底感激したようにリイナさんは言った。
 いや、中身は一般庶民なので、リイナさんの方が偉いんですとは、この場合、言わない方がいいんだろうな。

「それでは支度の準備をさせて頂きますね」

 リイナさんが手を叩くと、さらに二人の侍女が現れた。
 だいたいわたしと同じくらいの歳だろうか。二人はそれぞれシェリーとユーニスと名乗った。

「まずは、ご入浴して頂くことになります」

 ご入浴……お風呂!?
 リイナさんに手を取られてだだっ広いお風呂場に連れて行かれた。いや、お風呂場というより、立派な浴場と言った方が正しいかも知れない。
 その豪華さに見とれていると、ユーニスさんとシェリーさんがわたしの着ていたドレスを脱がしにかかった。
 ひいぃ、なにするの!?
 思わず二人の手を払いのけようとして、わたしははた、と我に返った。
 リイナさん達にとっては、あくまでもわたしはイルーシャ姫なんだ。姫はこんなところで暴れたりしないよね。
 耐えろ、わたし。温泉施設だと思えば恥ずかしくない……かもしれない。ただし、わたし以外の侍女さん達は服着てるけど。
 同性とはいえ、他人に衣装を剥かれる羞恥と戦っていると、リイナさん達に感嘆したような溜息をつかれた。

「まあっ、なんて魅力的なお体なんでしょう。輝くような白いお肌といい、どんな殿方もイルーシャ様の前では一撃ですわ」

 うっとりとそう言ったのは赤みがかった金髪に榛色の瞳のユーニスさん。リイナさんとシェリーさんも同意するように頷いている。

「そ、そう……」

 見下ろしてみると、確かに出るところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいる体つきをしている。
 こんなところまで完璧なのか。イルーシャ姫、恐るべし。

 その後のことはあまり思い出したくない。
 とりあえず、リイナさん達に体の隅々まで洗われてしまったことだけは言っておく。
 でもまあ、侍女さん達に洗ってもらって正解だったと思ったのは、髪。
 あまりにも長すぎるので、一人じゃ洗うのはきっと大変だったろう。
 いっそ切った方がと提案したら、侍女さん達に揃って「こんな見事な御髪おぐしをとんでもない!」と反対された。
 いやー、でも毎回侍女さん達に洗って貰うのもなあ。それにやっぱりお風呂は一人でゆっくり入りたいのよ。
 でも無理なんだろな、と今日一日でいろいろと諦めながら、お風呂からあがったわたしは、リイナさん達に手際よく着付けをされた。

「まあ、瞳と同じ色のドレスがよくお似合いですわ」

 淡い青色のドレスを身につけ、小さな白い花を髪に編み込んだ姿は、清楚で可憐と言うのにふさわしく、確かに似合ってる。
 それからリイナさんが、支度ができたことをキースさんに連絡しに行って、ようやく王様とご対面、という段になった。

 わたしを見たキースさんは瞳を見開いてから、少し眩しそうに目を細めた。

「とても綺麗だ」
「ありがとうございます」

 うん、イルーシャ姫がね。
 わたしは人に褒められるのがとても苦手なんだけど、本来と外見が違いすぎるせいか、どうも他人事のようにしか感じられないんだよね。だから、こんなふうにさらっと流せてしまう。

「本来なら謁見の間で行うのが正式なんだけど、執務室になってしまってごめんね?」
「いえ、その方がこっちも助かりますから」

 キースさんはいかにもすまなそうに言うけど、そんなに仰々しくやられてはこっちが困る。わたしはあくまでも一般庶民なのだ。

 キースさんが王の執務室のドアを叩くと「入れ」という返事が返ってきた。
 わたしはキースさんに促されて入室する。
 書類が積まれた立派な机の椅子に座っていたのは、肩を覆うくらいの漆黒の髪と、藍色の瞳の男性だった。
 キースさんが中性的な美形とすれば、王様はいかにも男性的な感じの美形。

 ──この人が王様。

 どうしよう、なにか挨拶したほうがいいのかな。

「あの……」

 なんとか絞りだそうとした声を王様が遮った。

「なぜ、よりによって俺の代になって目覚めるんだ、おまえは」

 言外になんてことをしてくれたんだという言葉を含みながら、王様は心底嫌そうな顔をした。

「いきなりそういうこと言うのは、どうかと思うよ」

 不機嫌を露わにする王様に、すかさずキースさんがフォローを入れる。が、既にわたしの中で王様の印象は最悪に近い。

「どう言い繕おうが、俺にとって迷惑な存在であることに変わりはない」
「あの、わたしはそんなに迷惑な存在なんですか?」

 つい、間の抜けた質問をしてしまうわたし。でもあの侍女さん達は少なくともわたしに好意的だった。

「ああ、迷惑だな。分かったら、とっとと塔に戻って眠りにつけ。そして二度と目覚めるな」

 その一方的な言い方に思わずムカッときた。

「いくらなんでも、そこまであなたに言われる筋合いはないですっ」
「俺にはそう言える権限がある。王だからな」
「へえ、そうなんですか。だとしたらとんでもない暴君ですね。こんな王様を上に戴いてる国民がかわいそう」
「なんだと、もう一度言ってみろ」
「何度だって言うわよ! 暴君! 暴君! 暴君! 暴君!」

 もう敬語とかどうでも良くなってきた。もうこいつに丁寧な言葉を使うのも嫌だ。

「きさま……」
「だいたいなに、目覚めたら見たこともない場所で、伝説の姫君とか言われて、あげくの果てには二度と目覚めるな? ふざけんじゃないわよ」

 やばい、感情が高ぶりすぎて止められなくなってきた。不覚にも涙が浮かんでくる。

「わたしだってね、好きでこんなとこにいるんじゃないのよ! 元の体に戻れるなら喜んで戻ってやるわ! 分かったか、この馬鹿王──っ!!」

 一瞬の沈黙の後。
 ぜいぜいと肩で息をするわたし。爆笑するキースさん。唖然とする王様。
 涙目でキッと睨むと、王様はなぜか後ろに少し仰け反った。
 その顔は反則だよね、とキースさんが呟くのが聞こえたけど、憤っているわたしはそれどころじゃない。

「キース、この女を追放しろ」
「お言葉だけどね、カディス。この国にとって貴重な観光資源をみすみす追放させる訳にはいかないね」

 観光資源て……珍獣扱いか!
 気がつかなかったけど、キースさんって結構いい性格してる。

「伝説の姫君が目覚めたことで、この国にもたらされる経済効果は計り知れない。それを他国に持って行かれるかも知れないけど、それでもいいのかい?」
「それは……」

 たたみかけるように言うキースさんに、王様の言葉が詰まる。

「じゃあ、わたしはこの国にとって大切な客人なわけね? じゃあ、せいぜい丁重に扱ってもらわなくちゃね。よろしくね、カディス!」

 今までの鬱憤を晴らすべく、嫌味たっぷりに王様を呼び捨てにしてやった。

「君もいい性格してるよなあ」

 感心したようにキースさんが笑う。

「カディスを呼び捨てにするなら、僕もキースと呼んでもらおうかな。丁寧な言葉もいらないから」
「え……と、キース?」
「うん、そう。カディスばかり親しげに名を呼ばれたら、ちょっと癪だしね」
「誰が親しげだ!」

 これに関してはカディスの言葉に賛成だ。
 どうやったらこれが親しげに見えるのキース。こいつはわたしの敵だよ。
 呆れていたその時、扉がノックされる音が響き、キースがその応対に出た。
 その間、わたしは天敵を睨みつけている。

「……可愛くない女だな」
「別にカディスなんかに可愛いなんて思われたくないし!」

 カディスとわたしが見えない火花を散らしていると、不意に呵々かかとした笑い声が響いた。
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