月読の塔の姫君

舘野寧依

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第八章:月読の塔の姫君

第95話 護身

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 それからしばらくは、比較的穏やかな日々が続いた。
 わたしは三日に一度アークのお墓参りに行きながら、ロズアルに防御魔法の細々したことについて学び、夜は夜で体調を崩さない程度に過去視で移動魔法を学ぶことに余念がなかった。

 ──移動魔法というのは、なかなか難しいものね。

 わたしは寝室でシェリーが淹れてくれたハーブティーを飲みながら、小さくため息をついた。
 キースが余りにも簡単に操るのを間近に見ていたため、わたしは移動魔法習得を少し楽観視していたところがあったことを勉強し始めてからつくづくと思い知らされた。

 まず、魔法で移動するのに移動先の状況が見えていることがこの魔法を使うことの第一条件だった。移動魔法を行使したら運悪く壁の中だったなんて当事者には笑えない状況も充分考えられるからだ。
 この魔法を扱うには、移動先の今現在の状況を素早く察知する必要がある。もちろん、わたしの過去視の能力はその情報の遅延から、まったくといって使えないと言ってもよかった。
 この魔法で大事なのは、咄嗟の判断である。移動先が安全であるか、そうでないか、乱暴な言い方だがそれだけだった。
 わたしは前途多難な移動魔法習得に対して、再びため息を付いた。

 ──わたしが移動魔法を勉強していると知ったらキースは反対したかしらね。

 ふいにそんな考えが浮かんできてわたしは小首を傾げた。
 ……多分、キースもカディスと同じく反対したかもしれない。彼もわたしに対しては過保護だったから。
 そう考えた途端に、ずきりとわたしの胸が痛んだ。
 やっぱりここに彼がいないのは寂しい。けれど、キースは国外追放処分になったのだ。もう二度と会うこともないだろう。
 そう思うと、とてつもない喪失感がわたしを襲った。
 それはなぜなのか、わたしにも分からない。

 キースはわたしとアークを引き離した人。そして、多分わたしを汚しただろう人だった。本来ならば、わたしは彼を憎んであまりある立場だ。
 それなのに、この胸の痛みはなんなのだろう。
 そうしている内にわたしはいつの間にか涙を流していた。
 これではいけないと思い、わたしは涙を寝間着の袖で拭う。
 そして、わたしはベッドのサイドテーブルにしまってある腕輪を取り出し、キースを呼び出す手順を踏んだ。
 けれど、これでキースがこちらに来ないのは昨日確認済みだ。それでもわたしは腕輪に向かって言葉を紡ぐ。

「……キース、今どうしてるの? 体を壊したりしていない? いきなりあなたがいなくなってしまって、わたしは寂しいわ。婚約誓約書のことは驚いたけれど、あなたをわたしは恨み切れない。どうしてかはわたしにもよく分からないけれど、それはきっと、あなたはわたしが一番に信頼していた人だからだと思うわ……。キース、どうしてこんなことになってしまったのかわたしはどうしても知りたいの。そうでなければ、到底納得できないわ。カディスはわたしに真実を話そうとしないし。……ごめんなさい、こんなこと言ってもあなたはわたしに会うわけにはいかないのよね。でもこのくらいの愚痴には付き合ってくれるでしょう……?」

 腕輪越しの問いには、もちろんいらえはない。
 わたしはため息を一つ付くと、もう時間も遅いことだし、素直に眠ることにした。

「もうわたしは寝るわね。……キース、おやすみなさい」

 相手に届いていないというのに、わたしは腕輪に話しかけ、そして通信機能を切った。
 そしてわたしはベッドに潜り込むと、先程沈んでいたことが嘘のように穏やかな眠りに落ちていった。



「この短縮魔法については、あなた様にお教えすることはもうないですね」

 翌朝、ロズアルから魔防壁と防御壁の短縮魔法についてわたしはお墨付きをもらうことができた。

「これ以上はもう、どれだけ速く呪文を出すことができるかどうかですね」
「そうなの。では咄嗟に呪文が出るように練習しておかないとね」

 わたしがそう言うと、ロズアルは真面目な顔で頷いた。

「そうですね。それがよいかと思われます」
「……次は隠匿魔法を覚えたいわ。ロズアル、教えてくれる?」
「はい、かしこまりました」

 これについてはあらかじめ予習してあったので、割とスムーズに呪文を唱えることができた。
 でも、自分にかけた隠匿魔法は消えているかどうか確認はできない。わたしには自分の姿が見えているからだ。

「イルーシャ様、大丈夫です。きちんと消えているように見えます」
「そう? ならよかった」

 わたしはほっとして、ロズアルに続いて解除の魔法を唱えた。

「成功です。イルーシャ様、随分と覚えがよろしいですね。しっかりと予習もされているようですし、非常に熱心に取り組まれていてわたしも教えがいがあるというものです」

 その言葉は素直に嬉しかったので、わたしは微笑んでお礼を言った。

「ありがとう。……でも自分にかけると鏡でもないかぎりこれは確認できないわね」

 わたしが少し困って言うと、ロズアルは微笑んだ。

「そうですね。隠匿魔法を習うと、初めのうちはそういう不安が出るものです。しかし、簡単に確認する方法はあります。防御壁か魔防壁に隠匿魔法を使うのです。これは本来なら順番を逆に使うものですがね」
「あ、確かにそれなら分かりやすいわね」

 わたしはすっかり安心して、肩の力を抜いて笑った。そしてわたしは早速自分で魔防壁を出してみる。
 そのままの魔防壁は薄い灰色をしているけれど、それに隠匿魔法をかけてみるとたちまち透明になって見えなくなった。

「! できたわ、ロズアル!」

 嬉しくなって、わたしは思わず歓声をあげてしまった。それを受けるロズアルも心なし嬉しそうだった。

「大変よろしいですよ、イルーシャ様。それでは隠匿魔法、防御壁の順に呪文を唱えてみましょうか」
「ええ」

 わたしは一端それを解除した後、ロズアルに言われたとおりの正規の手順で呪文を唱えた。
 たぶん目の前に見えない膜が張られていると思うのだけれど、どうかしら……?
 わたしは防御壁を張った辺りに手を伸ばすと球形の壁に触れた。どうやら魔法はうまく発動したらしい。

「お見事です」
「ありがとう」

 笑顔で褒めてくれるロズアルにわたしも笑顔で返すと、今度は魔防壁で試してみる。すると、これもうまくいった。

「隠匿魔法にも短縮形はあるのよね?」
「もちろんです。今お教えしてしまってもよろしいですか?」

 ロズアルは昨日わたしが疲れていたのを気遣ってくれているらしい。
 でもわたしは一刻も速く自分の身を守れるようになりたかったので、力強く頷いた。

「ええ、大丈夫よ。お願いするわ」
「それでは……」

 ロズアルはわたしを気遣う素振りを見せながらも、隠匿魔法の短縮形を教えてくれた。
わたしはそれを唱えながら、先程と同じように防御壁魔法を続けて唱えた。

「イルーシャ様、完璧です」

 ロズアルがわたしのかけた防御壁を確認した後、少し驚いたように言ってきた。
 それでわたしは防御壁と、隠匿魔法を解いて休憩することにした。
 ちょうどカディスがわたしを訪ねてきたこともある。

「それならば、わたしはこれで退出させていただきます」

 わたしに対するカディスの想いを知っているロズアルが遠慮するように言ってきたので、わたしは内心焦った。なにせ昨日の今日だったから。

「いや、いい。おまえにはイルーシャの魔法の習得状況を聞きたい」

 カディスがそう言ったので、わたしは思わずほっとしてしまった。
 それで、ユーニスにお茶を出してもらって休憩がてらカディスに状況報告をした。

「そうか、順調に習得しているのだな。……しかし、随分と習得が速いようだが、イルーシャ無理はしていないか?」
「大丈夫、無理はしていないわ。こうやって休憩もしているし」

 わたしがそう言ってもカディスはまだ心配そうな顔をしている。

「そうか? ならばよいのだが……。くれぐれも無理をするなよ」
「ええ、分かったわ。ありがとう、カディス」

 わたしはカディスに微笑むと、これからの魔法習得に想いを馳せた。

 ──なぜなら、わたしは一刻も速く自分の身を守れるようにならなければいけないのだから。
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