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17.反エヴァンジェリスタ筆頭家令嬢
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「マデリーン・アサートン! 待っていたぞ!」
──貴族の子息子女が通う王立学園。
その門の前で待ち伏せていたフェルナンドは、標的の令嬢を見つけると指をさして叫んだ。
相変わらず礼儀のなっていないさまに、通学途中の生徒たちが顔を歪めたが、興奮しているフェルナンドは気がつきもしない。
「……まあ、エカピット男爵家のデシリー様とのご成婚を理由に、この学園を退かれたフェルナンド様がわたくしになんのご用でしょう」
フェルナンドのぶしつけな呼び止めにもかかわらず、緩やかな金の巻き髪を持つ豪奢な令嬢は、扇子越しに嫣然と微笑んだ。
しかし、友好的な態度をとってはいるが、言っていることは「不義理したことでエヴァンジェリスタ家の支援を失って、学園に通う金が払えずに退学したんだろ」というはっきりとした皮肉だった。王太子とはいえ、いきなり淑女を公衆の面前で呼び捨てにし、あまつさえ指までさしたのだから、当然といえば当然の対応ではある。
だが、フェルナンドは彼女の遠回しの非難にも気づかずに、鼻息も荒く彼女に近づいた。
「そんなことはどうでもいい! おまえにとっても、アサートン侯爵家にとってもよい知らせを持ってきてやったぞ!」
「……まあ、よい知らせとはなんでしょう?」
この王太子のことだからどうせろくなことではないだろうと、周りの貴族子女たちはハラハラと見守っているが、貴族令嬢の鑑と言われるマデリーンは相変わらず穏やかに微笑んでいる。
それに気をよくしたのか、フェルナンドは鼻の穴を広げながら叫んだ。
「喜べ! おまえは王太子であるこのわたしの眼鏡にかなったのだ! この度おまえをわたしの愛人とすることにした! このわたしの元にはべることができるのだ、うれしいだろう!」
「…………」
あまりといえばあまりのフェルナンドのその言葉に、周りの空気が凍りついた。そして、言われた当人はといえば、微笑んだまま固まっている。
「……まあ」
社交界で理想の貴婦人と呼ばれていたマデリーンが、ややして反応した。しかし、相変わらず微笑んではいるが、その目は氷のように冷ややかだ。
「殿下には真実の愛をささやく方がいらっしゃるのでは? それですのに、わたくしが愛人になどなったら、運命のお相手のデシリー様がお気の毒ですわ」
正論を語るマデリーンに、さしものフェルナンドもたじろぐ。
ロクサーナとの婚約破棄の時に、あれだけ派手に宣言してしまったのだ。それを指摘されるのは当然のことだった。
「う……っ、それはそうかもしれないが、デシリーと盛大な式を挙げるにはしかたのないことなのだ! デシリーもきっと分かってくれるだろう!」
「……まあ、どういうことですの?」
にっこりと微笑みながら、マデリーンが小首をかしげ、先を促す。
「おまえを愛人とすることで、王家はアサートン侯爵家の支援を受けることができるのだ! その代わり、あの恩知らずのエヴァンジェリスタ家と敵対していたおまえの実家は、あの家の鼻を明かしてやることができるし一石二鳥、いや、おまえがこのわたしの寵愛を少しでも受けることができるから一石三鳥か! マデリーン、おまえは体つきも実にわたし好みであるし、その点、デシリーは物足りなくてな……」
マデリーンにもデシリーにも、実に失礼なことをフェルナンドがほざいた。それを聞いたギャラリーがあまりの気持ち悪さに「うわあ……」とドン引く。
「まあ、そうなんですの」
無礼すぎるフェルナンドを前にして、相変わらずにっこりと微笑むマデリーンは、まさに鉄壁の令嬢である。
そもそも、愛人の家から支援を受けられるというフェルナンドの考えがおかしすぎるのだ。
これが正妃なら話はわかるが、愛人などという日陰者になりたがる高位貴族の令嬢などいないだろう。
それなのに、なぜその令嬢の家がわざわざ金を王家に払うというのか。むしろ、王家が愛人となる令嬢の家に大金を支払わねばならない案件である。
「──マデリーン様」
あまりにひどいフェルナンドの言いぐさに、マデリーンと一緒にいた令嬢たちが気色ばんで彼女を守るように近寄った。
しかし、そうとは思わないフェルナンドは不遜に言い放った。
「ん? なんだ、おまえたちもわたしの愛人になりたいのか? おまえたちの家が王家を支援するというなら考えるが」
「……まあ!」
「なんてことを!」
当然のことだが、このフェルナンドの侮辱に対して令嬢たちが憤る。それを収めるかのように、マデリーンが閉じた扇子で令嬢たちを制した。
「皆様、落ち着かれてくださいな。……王太子様のお話は分かりましたわ。この度のお申し出、よく検討させていただきたいと存じます」
「マデリーン様!」
このような侮辱を受けてなお、にこやかに返事をするマデリーンに、令嬢たちが悲鳴のような声を上げる。対するフェルナンドは嬉々としてマデリーンに迫った。
「おお、そうか! さすがにアサートン侯爵家の令嬢、わたしの愛人という座がどのように尊いかよく分かっているな!」
「ええ、殿下のご威光は王都にもとどろいておりますから」
「ぶ……っ」
──ご威光というより、悪評か。
そこでようやくマデリーンの心情に気がついた周囲の人々は、吹き出すのをこらえるために口をそれぞれの手でふさいだ。
興奮してそれに気づかないフェルナンドは、開ききった鼻の穴からブヒブヒと音をさせながらマデリーンの手を取った。
「おお、そうであるな! だが、遠慮はいらぬぞ。心置きなく心身ともにわたしに仕えるといい!!」
ここまでされて笑顔でいられるマデリーンもすごいが、彼女の皮肉にも気づかないフェルナンドもまたすごい。
「……ですけれど、わたくし父にこのことを伝える必要がありますゆえ、これにて失礼してもよろしいでしょうか」
「おお、そうか! よい返事を期待しているぞ! このような好機をアサートン侯爵が見逃すとは思えんがな!!」
大得意でフェルナンドが胸を張るそばで、マデリーンが「はい、どうぞご期待くださいませ」とにこやかに微笑んだ。
「ですが、お願いがございますの。このことは両陛下やデシリー嬢にはしばらくご内密にしてくださいませんか。……そうですわね、明日の日没までがよろしいかと存じます」
「明日の日没まで? なぜだ?」
やんわりとフェルナンドの手から逃れ、そう言ったマデリーンに、フェルナンドは不思議そうな顔をする。
「恥ずかしながら、わたくしには婚約者もおりますし、なにかと対処を考えねばなりませんの。いろいろと準備もありますでしょうし」
「ああ、婚約者がいたのか! しかし、取るに足りないそんな者より、わたしの愛人のほうがずっといいだろうしな! まあいい、おまえの気持ちを汲んで、それまで待ってやろう!!」
「まあ、うれしいですわ」
マデリーンはにっこりと微笑むと、周囲にいた令嬢たちに目をやった。
「……そういうことですので、わたくしはお先に失礼いたしますわ。皆様どうぞお元気で」
その言葉に察することがあったのか、令嬢たちがはっとしたような顔になる。そして、マデリーンを取り囲んで口々に別れの言葉を口にした。
その様子をニタニタと眺めた後で、フェルナンドは大満足して帰城した。
──その翌朝。
始終締まりのない笑みを浮かべるフェルナンドの様子を不振に思った国王は彼を問いつめた。
「しかし、約束で日没までは口にできないのです」
そう言って、相変わらずニヤニヤするフェルナンドにろくでもないことを感じ取った国王は、どやしつけてどうにか聞き出すことに成功した。
しかしその内容は、予想どおりろくでもなかった。
「なっ、アサートン家の令嬢を愛人として迎えるだと!?」
「はい、むこうは乗り気ですし、これで王家も安泰かと」
得意げにふんぞり返る馬鹿息子を殴ってやりたい衝動にかられながら、国王はぎゅっと拳を握った。それがぶるぶると震えるのをフェルナンドが不思議そうに見やる。
「父上、どこかお加減でも悪いのですか?」
国王はしばらく絶句した後、ようやく口を開いた。
「ああ、ああ、具合が悪くもなるわ。よりにもよってアサートン侯爵家だと!? おまえの正気を疑うわ!!」
「ち、父上? いったいどうしたのです。反エヴァンジェリスタであるアサートン家にこの話は有用なはずで……ぎゃっ!?」
皆まで言わせずに国王に殴りつけられ、フェルナンドが床に転がった。それには目もくれず、国王が近衛を呼びつける。
「すぐにアサートン家へ使いをやれ! ……いや、そんな悠長なことはしていられん。わたしがじかに出向く!!」
なにが起こっているのか分からずに、頬をおさえながら呆然としているフェルナンドを尻目に国王が慌ただしく居室を出ていく。
──しかし、国王達が王都のアサートン侯爵邸に着いた時には、屋敷は既にもぬけの殻だった。
──貴族の子息子女が通う王立学園。
その門の前で待ち伏せていたフェルナンドは、標的の令嬢を見つけると指をさして叫んだ。
相変わらず礼儀のなっていないさまに、通学途中の生徒たちが顔を歪めたが、興奮しているフェルナンドは気がつきもしない。
「……まあ、エカピット男爵家のデシリー様とのご成婚を理由に、この学園を退かれたフェルナンド様がわたくしになんのご用でしょう」
フェルナンドのぶしつけな呼び止めにもかかわらず、緩やかな金の巻き髪を持つ豪奢な令嬢は、扇子越しに嫣然と微笑んだ。
しかし、友好的な態度をとってはいるが、言っていることは「不義理したことでエヴァンジェリスタ家の支援を失って、学園に通う金が払えずに退学したんだろ」というはっきりとした皮肉だった。王太子とはいえ、いきなり淑女を公衆の面前で呼び捨てにし、あまつさえ指までさしたのだから、当然といえば当然の対応ではある。
だが、フェルナンドは彼女の遠回しの非難にも気づかずに、鼻息も荒く彼女に近づいた。
「そんなことはどうでもいい! おまえにとっても、アサートン侯爵家にとってもよい知らせを持ってきてやったぞ!」
「……まあ、よい知らせとはなんでしょう?」
この王太子のことだからどうせろくなことではないだろうと、周りの貴族子女たちはハラハラと見守っているが、貴族令嬢の鑑と言われるマデリーンは相変わらず穏やかに微笑んでいる。
それに気をよくしたのか、フェルナンドは鼻の穴を広げながら叫んだ。
「喜べ! おまえは王太子であるこのわたしの眼鏡にかなったのだ! この度おまえをわたしの愛人とすることにした! このわたしの元にはべることができるのだ、うれしいだろう!」
「…………」
あまりといえばあまりのフェルナンドのその言葉に、周りの空気が凍りついた。そして、言われた当人はといえば、微笑んだまま固まっている。
「……まあ」
社交界で理想の貴婦人と呼ばれていたマデリーンが、ややして反応した。しかし、相変わらず微笑んではいるが、その目は氷のように冷ややかだ。
「殿下には真実の愛をささやく方がいらっしゃるのでは? それですのに、わたくしが愛人になどなったら、運命のお相手のデシリー様がお気の毒ですわ」
正論を語るマデリーンに、さしものフェルナンドもたじろぐ。
ロクサーナとの婚約破棄の時に、あれだけ派手に宣言してしまったのだ。それを指摘されるのは当然のことだった。
「う……っ、それはそうかもしれないが、デシリーと盛大な式を挙げるにはしかたのないことなのだ! デシリーもきっと分かってくれるだろう!」
「……まあ、どういうことですの?」
にっこりと微笑みながら、マデリーンが小首をかしげ、先を促す。
「おまえを愛人とすることで、王家はアサートン侯爵家の支援を受けることができるのだ! その代わり、あの恩知らずのエヴァンジェリスタ家と敵対していたおまえの実家は、あの家の鼻を明かしてやることができるし一石二鳥、いや、おまえがこのわたしの寵愛を少しでも受けることができるから一石三鳥か! マデリーン、おまえは体つきも実にわたし好みであるし、その点、デシリーは物足りなくてな……」
マデリーンにもデシリーにも、実に失礼なことをフェルナンドがほざいた。それを聞いたギャラリーがあまりの気持ち悪さに「うわあ……」とドン引く。
「まあ、そうなんですの」
無礼すぎるフェルナンドを前にして、相変わらずにっこりと微笑むマデリーンは、まさに鉄壁の令嬢である。
そもそも、愛人の家から支援を受けられるというフェルナンドの考えがおかしすぎるのだ。
これが正妃なら話はわかるが、愛人などという日陰者になりたがる高位貴族の令嬢などいないだろう。
それなのに、なぜその令嬢の家がわざわざ金を王家に払うというのか。むしろ、王家が愛人となる令嬢の家に大金を支払わねばならない案件である。
「──マデリーン様」
あまりにひどいフェルナンドの言いぐさに、マデリーンと一緒にいた令嬢たちが気色ばんで彼女を守るように近寄った。
しかし、そうとは思わないフェルナンドは不遜に言い放った。
「ん? なんだ、おまえたちもわたしの愛人になりたいのか? おまえたちの家が王家を支援するというなら考えるが」
「……まあ!」
「なんてことを!」
当然のことだが、このフェルナンドの侮辱に対して令嬢たちが憤る。それを収めるかのように、マデリーンが閉じた扇子で令嬢たちを制した。
「皆様、落ち着かれてくださいな。……王太子様のお話は分かりましたわ。この度のお申し出、よく検討させていただきたいと存じます」
「マデリーン様!」
このような侮辱を受けてなお、にこやかに返事をするマデリーンに、令嬢たちが悲鳴のような声を上げる。対するフェルナンドは嬉々としてマデリーンに迫った。
「おお、そうか! さすがにアサートン侯爵家の令嬢、わたしの愛人という座がどのように尊いかよく分かっているな!」
「ええ、殿下のご威光は王都にもとどろいておりますから」
「ぶ……っ」
──ご威光というより、悪評か。
そこでようやくマデリーンの心情に気がついた周囲の人々は、吹き出すのをこらえるために口をそれぞれの手でふさいだ。
興奮してそれに気づかないフェルナンドは、開ききった鼻の穴からブヒブヒと音をさせながらマデリーンの手を取った。
「おお、そうであるな! だが、遠慮はいらぬぞ。心置きなく心身ともにわたしに仕えるといい!!」
ここまでされて笑顔でいられるマデリーンもすごいが、彼女の皮肉にも気づかないフェルナンドもまたすごい。
「……ですけれど、わたくし父にこのことを伝える必要がありますゆえ、これにて失礼してもよろしいでしょうか」
「おお、そうか! よい返事を期待しているぞ! このような好機をアサートン侯爵が見逃すとは思えんがな!!」
大得意でフェルナンドが胸を張るそばで、マデリーンが「はい、どうぞご期待くださいませ」とにこやかに微笑んだ。
「ですが、お願いがございますの。このことは両陛下やデシリー嬢にはしばらくご内密にしてくださいませんか。……そうですわね、明日の日没までがよろしいかと存じます」
「明日の日没まで? なぜだ?」
やんわりとフェルナンドの手から逃れ、そう言ったマデリーンに、フェルナンドは不思議そうな顔をする。
「恥ずかしながら、わたくしには婚約者もおりますし、なにかと対処を考えねばなりませんの。いろいろと準備もありますでしょうし」
「ああ、婚約者がいたのか! しかし、取るに足りないそんな者より、わたしの愛人のほうがずっといいだろうしな! まあいい、おまえの気持ちを汲んで、それまで待ってやろう!!」
「まあ、うれしいですわ」
マデリーンはにっこりと微笑むと、周囲にいた令嬢たちに目をやった。
「……そういうことですので、わたくしはお先に失礼いたしますわ。皆様どうぞお元気で」
その言葉に察することがあったのか、令嬢たちがはっとしたような顔になる。そして、マデリーンを取り囲んで口々に別れの言葉を口にした。
その様子をニタニタと眺めた後で、フェルナンドは大満足して帰城した。
──その翌朝。
始終締まりのない笑みを浮かべるフェルナンドの様子を不振に思った国王は彼を問いつめた。
「しかし、約束で日没までは口にできないのです」
そう言って、相変わらずニヤニヤするフェルナンドにろくでもないことを感じ取った国王は、どやしつけてどうにか聞き出すことに成功した。
しかしその内容は、予想どおりろくでもなかった。
「なっ、アサートン家の令嬢を愛人として迎えるだと!?」
「はい、むこうは乗り気ですし、これで王家も安泰かと」
得意げにふんぞり返る馬鹿息子を殴ってやりたい衝動にかられながら、国王はぎゅっと拳を握った。それがぶるぶると震えるのをフェルナンドが不思議そうに見やる。
「父上、どこかお加減でも悪いのですか?」
国王はしばらく絶句した後、ようやく口を開いた。
「ああ、ああ、具合が悪くもなるわ。よりにもよってアサートン侯爵家だと!? おまえの正気を疑うわ!!」
「ち、父上? いったいどうしたのです。反エヴァンジェリスタであるアサートン家にこの話は有用なはずで……ぎゃっ!?」
皆まで言わせずに国王に殴りつけられ、フェルナンドが床に転がった。それには目もくれず、国王が近衛を呼びつける。
「すぐにアサートン家へ使いをやれ! ……いや、そんな悠長なことはしていられん。わたしがじかに出向く!!」
なにが起こっているのか分からずに、頬をおさえながら呆然としているフェルナンドを尻目に国王が慌ただしく居室を出ていく。
──しかし、国王達が王都のアサートン侯爵邸に着いた時には、屋敷は既にもぬけの殻だった。
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