34 / 63
3.何も変わっていない
救世の聖女なのだから
しおりを挟む
パラパラ、と何かが崩れ落ちる音がする。
その音に、私はハッとした。
(ここは……)
そうだ。ここは、神殿の執務室。
衝撃で、少しの間、意識が飛んでいたらしい。
ゆっくりと起き上がった私は、周囲の状況を確認した。
執務室はもはやその形を成しておらず、壁や天井が崩れ始めている。
先程のパラパラ、という音は瓦礫が落ちる音だったのだろう。
早くここから出ないと、そのうち天井が落ち、倒壊することだろう。
「う…………」
頭を激しく打ち付けたらしい。
くらくらと目眩がするので、額を抑えてそれを堪えながら立ち上がる。
部屋は酷い惨状だ。
間近で爆発を受けた調度品は転倒し壊れているし、家具は大破している。
「ご無事ですか、シャリゼ様……」
後ろから声が聞こえて、ハッとしてそちらを見る。
「ルイス……!」
ルイスは、ゆっくりと床に手をついて起き上がるところだった。
衝撃で髪紐が解けたのだろう。
彼の長髪がローブから零れている。
私はルイスの前に膝をついてから、なぜ私とルイスが軽傷──少なくとも、手榴弾の爆風を受けて五体満足でいられたかを理解した。
「……爆発する前に、扉を開けて直撃を避けたのね」
ルイスは、手榴弾が爆発する前に私の手首を掴んで引き寄せ、同時に執務室の扉を大きく開け放ったのだろう。
私と彼が、扉に隠れるように。
執務室の扉は重厚な作りで、繊細な意匠が施されている。恐らくはエイダン・リップスの趣味と執務室の防衛を兼ねているのだろうけれど、両開きの鋼鉄製でできている。
だからこそ、爆発の威力を軽減することができたのだろう。
……流石、近衛騎士だったひとだ。
とっさの判断力に助けられた。
「私は大丈夫よ。ノアとルーク……エイダン・リップスを探しましょう」
ルークは神官だ。
神官なら聖力を持っているはずなので、直撃の際、聖力を使用していればそこまで酷い怪我は負っていないはず。
問題は──。
ノアとエイダン・リップス。
ふたりは直撃を受けたはずだ。
そして、ふたりとも、既に傷を負っていた。
……嫌な予感が頭を掠めて、くちびるを噛む。
そんな私に、ルイスが言った。
「ノア殿下は悪運に強い方です。そうやすやすと死ぬとは……思えません」
「……そうね。そう、よね」
私とルイスは二手に分かれて彼らの姿を探した。
先程の爆発が原因だろう。廊下の向こうからひとの話し声と、足音がいくつも聞こえてくる。
だけど爆発の衝撃で執務室の扉が吹き飛び、廊下の壁が一部崩れてしまったのだろう。
瓦礫が邪魔をして、通行ができない状況になっているようで、神官たちは右往左往しているようだった。
瓦礫が除去される前に、何としてでもここを早く出なければならない。
ノアは──すぐに見つかった。
そして、カインも。
カインは、咄嗟にノアを庇ったのだろう。
ふたりは並ぶようにして壁際にころがっていた。
「ノア……!カイン!!」
カインの足は瓦礫に埋まっていたが、少なくとも手足が吹き飛ばされたり……ということは無さそうだった。
そのことに、安堵の息を漏らす。
聖力による治癒を行えば失った手足を取り戻すことも可能だ。
だけどかなり聖力を使用する上に、難易度がとても高い。
聖力の残りが僅かしかない今の私では、失敗する可能性があった。
駆け寄った私は、ふたりの頬にそれぞれ触れた。
意識は無いようだけれど、冷たくもないし、固くもない。
……大丈夫。
まだ、生きてる。
震えそうな手を抑え、荒くなる呼吸を懸命に整えて、私は手をかざした。
ぽたり、ぽたり、と床に水滴がこぼれた。
ちぎれ、破れたカーペットが水滴を受ける度に、その色を濃くしてゆく。
(……良かった。生きて、る)
生きてる。それなら、私が治癒できるはず。
治せるはず。命を、つなぎとめられるはず……!
手をかざし、聖力を行使した。
(どうか……お願い。女神様……)
懸命に、祈りを捧げるように聖力を巡らせた。
既に、聖力の残りは極わずかだ。
ウーティスの森で酷使し、既に底が見えた状況だった。
この短期間で完全回復とまでいかず、彼らの傷を治しきれるかは正直五分五分だった。
だけど、今全力をだしきらなければ絶対に後悔する。
(カインは……ルークは、ノアを庇ったのね)
おそらく、聖力を使用し爆発の被害を抑えたのだろう。
ルークは、神殿の間諜でノアを裏切っていた。
だけど、彼のこころは。彼の忠誠は──。
くちびるを噛み、涙を堪える。
ぐっと乱暴に目元を拭った私は、深く息を吐いて、ふたたび聖力を行使した。
その直後。
「シャ……リゼ、様?」
ルークの声が聞こえ、ハッとする。
見れば、彼は苦しそうに喘ぎながらも私を見ていた。
意識を取り戻したのだ。
「良かった……!意識が戻ったのね。痛いところは?今、治癒を施しているの。だから少し待っていて」
「私は……っ、大丈夫です。それより、ノア殿下を」
ルークが首を横に振る。
自分に聖力を使うのではなく、ノアの回復を急いで欲しい、とそう言っているのだろう。
彼の気持ちはよくわかる。痛いほどに。
それでも、頷くわけにはいかなかった。
「……これでも私は、救世の聖女と呼ばれていたのよ?だから、大丈夫。これくらい、何ともないわ。安心して任せて」
私は不敵に笑って見せた。
ウーティスの森でごっそり聖力を持っていかれていなければ、きっとその言葉は真実だった。
だけど、聖力の残りが僅かな今、その言葉は虚勢でしかない。
わかっていたが、虚勢も成し遂げれば真実となる。
できるか、できないか、ではない。
やるのだ、と。そういう気持ちで、私はさらに聖力を使っていく。
身体中から魂を根こそぎ持っていかれるような、体力、気力、血液、体温、全て奪われるように聖力が流れ込んでいく。
──いや、ように、ではない。
きっと、その通りなのだ。
不足した聖力を補填するために、その代わりになるものを探し、それを聖力に変換している。
だからこそ、私は。
「……大丈夫。ノアは……あなたたちは、私が死なせない」
その音に、私はハッとした。
(ここは……)
そうだ。ここは、神殿の執務室。
衝撃で、少しの間、意識が飛んでいたらしい。
ゆっくりと起き上がった私は、周囲の状況を確認した。
執務室はもはやその形を成しておらず、壁や天井が崩れ始めている。
先程のパラパラ、という音は瓦礫が落ちる音だったのだろう。
早くここから出ないと、そのうち天井が落ち、倒壊することだろう。
「う…………」
頭を激しく打ち付けたらしい。
くらくらと目眩がするので、額を抑えてそれを堪えながら立ち上がる。
部屋は酷い惨状だ。
間近で爆発を受けた調度品は転倒し壊れているし、家具は大破している。
「ご無事ですか、シャリゼ様……」
後ろから声が聞こえて、ハッとしてそちらを見る。
「ルイス……!」
ルイスは、ゆっくりと床に手をついて起き上がるところだった。
衝撃で髪紐が解けたのだろう。
彼の長髪がローブから零れている。
私はルイスの前に膝をついてから、なぜ私とルイスが軽傷──少なくとも、手榴弾の爆風を受けて五体満足でいられたかを理解した。
「……爆発する前に、扉を開けて直撃を避けたのね」
ルイスは、手榴弾が爆発する前に私の手首を掴んで引き寄せ、同時に執務室の扉を大きく開け放ったのだろう。
私と彼が、扉に隠れるように。
執務室の扉は重厚な作りで、繊細な意匠が施されている。恐らくはエイダン・リップスの趣味と執務室の防衛を兼ねているのだろうけれど、両開きの鋼鉄製でできている。
だからこそ、爆発の威力を軽減することができたのだろう。
……流石、近衛騎士だったひとだ。
とっさの判断力に助けられた。
「私は大丈夫よ。ノアとルーク……エイダン・リップスを探しましょう」
ルークは神官だ。
神官なら聖力を持っているはずなので、直撃の際、聖力を使用していればそこまで酷い怪我は負っていないはず。
問題は──。
ノアとエイダン・リップス。
ふたりは直撃を受けたはずだ。
そして、ふたりとも、既に傷を負っていた。
……嫌な予感が頭を掠めて、くちびるを噛む。
そんな私に、ルイスが言った。
「ノア殿下は悪運に強い方です。そうやすやすと死ぬとは……思えません」
「……そうね。そう、よね」
私とルイスは二手に分かれて彼らの姿を探した。
先程の爆発が原因だろう。廊下の向こうからひとの話し声と、足音がいくつも聞こえてくる。
だけど爆発の衝撃で執務室の扉が吹き飛び、廊下の壁が一部崩れてしまったのだろう。
瓦礫が邪魔をして、通行ができない状況になっているようで、神官たちは右往左往しているようだった。
瓦礫が除去される前に、何としてでもここを早く出なければならない。
ノアは──すぐに見つかった。
そして、カインも。
カインは、咄嗟にノアを庇ったのだろう。
ふたりは並ぶようにして壁際にころがっていた。
「ノア……!カイン!!」
カインの足は瓦礫に埋まっていたが、少なくとも手足が吹き飛ばされたり……ということは無さそうだった。
そのことに、安堵の息を漏らす。
聖力による治癒を行えば失った手足を取り戻すことも可能だ。
だけどかなり聖力を使用する上に、難易度がとても高い。
聖力の残りが僅かしかない今の私では、失敗する可能性があった。
駆け寄った私は、ふたりの頬にそれぞれ触れた。
意識は無いようだけれど、冷たくもないし、固くもない。
……大丈夫。
まだ、生きてる。
震えそうな手を抑え、荒くなる呼吸を懸命に整えて、私は手をかざした。
ぽたり、ぽたり、と床に水滴がこぼれた。
ちぎれ、破れたカーペットが水滴を受ける度に、その色を濃くしてゆく。
(……良かった。生きて、る)
生きてる。それなら、私が治癒できるはず。
治せるはず。命を、つなぎとめられるはず……!
手をかざし、聖力を行使した。
(どうか……お願い。女神様……)
懸命に、祈りを捧げるように聖力を巡らせた。
既に、聖力の残りは極わずかだ。
ウーティスの森で酷使し、既に底が見えた状況だった。
この短期間で完全回復とまでいかず、彼らの傷を治しきれるかは正直五分五分だった。
だけど、今全力をだしきらなければ絶対に後悔する。
(カインは……ルークは、ノアを庇ったのね)
おそらく、聖力を使用し爆発の被害を抑えたのだろう。
ルークは、神殿の間諜でノアを裏切っていた。
だけど、彼のこころは。彼の忠誠は──。
くちびるを噛み、涙を堪える。
ぐっと乱暴に目元を拭った私は、深く息を吐いて、ふたたび聖力を行使した。
その直後。
「シャ……リゼ、様?」
ルークの声が聞こえ、ハッとする。
見れば、彼は苦しそうに喘ぎながらも私を見ていた。
意識を取り戻したのだ。
「良かった……!意識が戻ったのね。痛いところは?今、治癒を施しているの。だから少し待っていて」
「私は……っ、大丈夫です。それより、ノア殿下を」
ルークが首を横に振る。
自分に聖力を使うのではなく、ノアの回復を急いで欲しい、とそう言っているのだろう。
彼の気持ちはよくわかる。痛いほどに。
それでも、頷くわけにはいかなかった。
「……これでも私は、救世の聖女と呼ばれていたのよ?だから、大丈夫。これくらい、何ともないわ。安心して任せて」
私は不敵に笑って見せた。
ウーティスの森でごっそり聖力を持っていかれていなければ、きっとその言葉は真実だった。
だけど、聖力の残りが僅かな今、その言葉は虚勢でしかない。
わかっていたが、虚勢も成し遂げれば真実となる。
できるか、できないか、ではない。
やるのだ、と。そういう気持ちで、私はさらに聖力を使っていく。
身体中から魂を根こそぎ持っていかれるような、体力、気力、血液、体温、全て奪われるように聖力が流れ込んでいく。
──いや、ように、ではない。
きっと、その通りなのだ。
不足した聖力を補填するために、その代わりになるものを探し、それを聖力に変換している。
だからこそ、私は。
「……大丈夫。ノアは……あなたたちは、私が死なせない」
914
あなたにおすすめの小説
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
【完結】以上をもちまして、終了とさせていただきます
楽歩
恋愛
異世界から王宮に現れたという“女神の使徒”サラ。公爵令嬢のルシアーナの婚約者である王太子は、簡単に心奪われた。
伝承に語られる“女神の使徒”は時代ごとに現れ、国に奇跡をもたらす存在と言われている。婚約解消を告げる王、口々にルシアーナの処遇を言い合う重臣。
そんな混乱の中、ルシアーナは冷静に状況を見据えていた。
「王妃教育には、国の内部機密が含まれている。君がそれを知ったまま他家に嫁ぐことは……困難だ。女神アウレリア様を祀る神殿にて、王家の監視のもと、一生を女神に仕えて過ごすことになる」
神殿に閉じ込められて一生を過ごす? 冗談じゃないわ。
「お話はもうよろしいかしら?」
王族や重臣たち、誰もが自分の思惑通りに動くと考えている中で、ルシアーナは静かに、己の存在感を突きつける。
※39話、約9万字で完結予定です。最後までお付き合いいただけると嬉しいですm(__)m
【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです
白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。
ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。
「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」
ある日、アリシアは見てしまう。
夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを!
「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」
「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」
夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。
自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。
ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。
※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。
旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~
榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。
ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。
別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら?
ー全50話ー
【完結】聖女になり損なった刺繍令嬢は逃亡先で幸福を知る。
みやこ嬢
恋愛
「ルーナ嬢、神聖なる聖女選定の場で不正を働くとは何事だ!」
魔法国アルケイミアでは魔力の多い貴族令嬢の中から聖女を選出し、王子の妃とするという古くからの習わしがある。
ところが、最終試験まで残ったクレモント侯爵家令嬢ルーナは不正を疑われて聖女候補から外されてしまう。聖女になり損なった失意のルーナは義兄から襲われたり高齢宰相の後妻に差し出されそうになるが、身を守るために侍女ティカと共に逃げ出した。
あてのない旅に出たルーナは、身を寄せた隣国シュベルトの街で運命的な出会いをする。
【2024年3月16日完結、全58話】
旦那様、政略結婚ですので離婚しましょう
おてんば松尾
恋愛
王命により政略結婚したアイリス。
本来ならば皆に祝福され幸せの絶頂を味わっているはずなのにそうはならなかった。
初夜の場で夫の公爵であるスノウに「今日は疲れただろう。もう少し互いの事を知って、納得した上で夫婦として閨を共にするべきだ」と言われ寝室に一人残されてしまった。
翌日から夫は仕事で屋敷には帰ってこなくなり使用人たちには冷たく扱われてしまうアイリス……
(※この物語はフィクションです。実在の人物や事件とは関係ありません。)
ある王国の王室の物語
朝山みどり
恋愛
平和が続くある王国の一室で婚約者破棄を宣言された少女がいた。カップを持ったまま下を向いて無言の彼女を国王夫妻、侯爵夫妻、王太子、異母妹がじっと見つめた。
顔をあげた彼女はカップを皿に置くと、レモンパイに手を伸ばすと皿に取った。
それから
「承知しました」とだけ言った。
ゆっくりレモンパイを食べるとお茶のおかわりを注ぐように侍女に合図をした。
それからバウンドケーキに手を伸ばした。
カクヨムで公開したものに手を入れたものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる