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3.何も変わっていない
暗黒の日 ②
しおりを挟む私たちは一度、外に出ることにした。
ここはどこなのだろうと思っていたけど、外に出てその場所を知る。
王都郊外の、森近くにある高台の一軒家。おそらくノアが個人的に購入した家なのだろう。隠れ家、拠点にしていたのかもしれない。
外に出て、私とノアはふたりして息を呑むこととなった。
王都の至る所に魔素──黒い煙霧が立ち込めている。あれに触れたら、聖力のない人間はたちまち魔素に汚染されてしまう。
汚染された人間の末路は悲惨だ。指先から腐敗が始まり、やがて手足は腐り落ちてしまう。
最終的には、魔素に汚染された人間は死に至る。緩やかな死は確定されていて、だからこそ魔素は人々に恐れられていた。
「なんてこと……」
呆然と、掠れた声で呟いた。
目の前の光景が、現実のものだとは思えなかった。
街門は既に用をなしておらず、開かれっぱなしだ。本来守る憲兵たちはみな逃げ出したのだろう。そこから、魔獣が雪崩込んでる。
黒の獣があちこちに塊となっていて、城下町はもはや廃墟のような有様だ。
愕然としていると、ノアがふらり、と一歩足を踏み出した。
「ノア……」
思わずノアを見る。
彼は、静かに城下町を見下ろしていた。
その瞳は、絶望や諦観に満ちていなかった。
ただ、力強い薄青の瞳で、見下ろしている。
それを見て、私は悟った。
ノアは、諦めていない。
諦めずに、打開策を考えている。
それなら、それなら。
私のすべきことは──。
私はもう一度、彼の名を呼んだ。
「ノア」
弾かれたようにノアが顔を上げる。
彼は私を見て、狼狽えたようにその瞳を揺らした。
私もまた、一歩踏み出した。
草を踏む音がする。
「あれらは、私が抑えるわ」
「何言っ──」
「だから、ノア。その間に、あなたは革命の下準備を終わらせて」
強い声で、彼の言葉をさえぎった。
ノアの瞳は、動揺に揺れていた。
「だけど、きみは病み上がりだ!まだ完全回復したわけじゃない。シャリゼ、きみは安全な場所で」
「ノア、分かってるでしょ?」
彼は必死にそう言い募っていたが、私がそう言うとぐっと言葉を呑んだ。
きっと、彼もわかっている。
私が、引かないことを。
私が、逃げないことを。逃げられないことを。
だからこそ、彼は必死に言い募ったのだろう。
僅かな逡巡の後、ノアはくちびるを噛んだ。
視線を落とし、まつ毛をふせ、彼は言う。
「魔獣の数は、今までの比じゃない。きみひとりじゃ無理だ」
「完全討伐は……難しいだろうけど。弱体化させ、追い払うくらいはできると思うわ。ノア、あなたが今すべきことは何?」
「シャリゼ、僕は」
「王になるんでしょ!ノア・ヴィクトワール!!」
まだ迷っている様子の彼に、私は強く言った。
怒鳴るような声に、ノアが息を呑み、目を見開いた。
鮮やかな、春の空のような薄青の瞳が私を見ている。
私は、彼の顔を、瞳を、しっかりと見つめながら言葉を続けた。
「あなたは、ヘンリーを倒し、王位を簒奪し、玉座に座るのでしょう!?それなら、迷っている暇はない。ヴィクトワールの王になるなら、これくらいのことで動揺し、判断を誤ってはいけないわ!!ノア、ヴィクトワールの王として今すべきことは何!?」
詰問すると、ノアは絶句したようだった。
まるで、頬を打たれかのような衝撃を覚えたようだった。
「──…………」
少しして、彼はまつ毛を伏せる。
「……ごめん、シャリゼ」
一言、そう言ったノアはふたたび私を見つめる。
その瞳を見て、私は確信した。
彼の意思は、既に定まっている。
「……これ以上、魔素の被害者を出すわけにはいかない。僕の名で、避難命令を出す」
「ええ」
「シャリゼは魔獣を抑えて。ただし、消滅させなくてもいい。奴らの動きを止めるか、あるいは追い払うことを第一に考えて。僕は神殿に掛け合って、聖女が残っていないか確認する。その上で」
ノアはそこで言葉を切った。
私も、頷いて答える。
ノアは強く私を見つめて言った。
「城に侵攻する。速やかに王位を得た後は、軍を動かして魔獣対策に打ち出す」
彼の薄青の瞳は、高い温度で燃える炎のようだ。
それに、私は笑みを浮かべた。
「今、僕に必要なのは時間だ。シャリゼ、僕はもう行くね。……僕は、きみを信じている」
きっと、それがノアの今の精一杯の言葉だ。
ほんとうは、逃げるよう言いたいのだろう。
ほんとうは、無理をするなと言いたいのだろう。
だけど、それはできない。
なぜなら、彼はヴィクトワールを統べる王になるのだから。
王ならば民のため、国のため、判断を誤ってはならない。
彼の気持ちは、気遣いは、嬉しいのだけど。
それでも、私にも王妃だったものとしての責務があるし、責任がある。
それに何より、私はこの国、ヴィクトワールが好きだから。
私もノアも、気持ちは同じなのだ。
国のため、ヴィクトワールを守るため。
動かなければならない。
「ええ、ノア。また、後で」
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