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7.毒を飲めと言われたので飲みました。
十四年前の約束を
しおりを挟むノアは、アルカーナ帝国との同盟を決めた。
互いに不可侵であることを誓う契約を交わし、正式にウーティスに眠る遺骸をアルカーナ帝国に引き渡した。
互いの国の混乱を避けるために、ウーティスに吸血鬼の遺骸が納められていたことは伏せられた。
そして私は──。
「親善大使?」
ノアに呼び出された私は、ひとり謁見の間にいた。
ノアは、やはり多忙も多忙なのだろう。
玉座には、書類が山のように並んでいる。
私と話しながらも、ノアは手にした書面に目を落としていた。
彼がやることは多い。
今までの王に散々搾取されたヴィクトワールは、疲弊している。
この国を癒すためには、膨大な時間と労力が要されることだろう。
聞き間違いかと思って問い返すと、ノアは持っていた書類を机に置いて、顔を上げた。
「……きみはもう王妃シャリゼは死んだと、そう言った。ゼーネフェルダー公爵家に生まれたシャリゼはもういない、と」
「……はい」
「だけど、きみはきみである限り、きっとヴィクトワールのために走り回ろうとするでしょう。だから、シャリゼ。きみに仕事を任せたい」
「それは……」
困惑していると、ノアが笑って言った。
それは、王子時代よりも疲労感の滲む表情だったけど、あの頃よりもずっと晴れやかな顔だった。
「ヴィクトワールの親善大使として、アルカーナ帝国に行って欲しい。アルカーナと同盟を結ぶにあたり、互いに親善大使を立てることになったんだ。向こうは、皇女を派遣するつもりらしい」
「そんな大役を、良いのですか?」
「きみは元は王妃だったひとだ。生まれも血筋も、何の問題も無い。それに、アルカーナ帝国はいわゆる、人外の国だ。並大抵の人間じゃ、やっていけない。……だけどきみには、頼れるひとがいるでしょう」
ノアの言葉に、私は彼が何を言おうとしているのか悟った。
ティノのことだ。
私はまつ毛を伏せて、僅かに沈黙した。
それから、ドレスの裾をつまんで淑女の礼を採る。
「……ありがとうございます。陛下のお言葉、有難くお受けいたします」
ノアは、親善大使を立てるにあたり、シャリゼが適任だと言ったけど──私は、彼の言葉に気遣いを、感じた。
私を慮ってそう言ってくれたのだろう。
親善大使を立て、それぞれの国に派遣する。
それは国王としての打算もあったとは思うが、私への配慮も多分にあると思う。
だから、感謝した。
ノアの優しさと、その心遣いに。
(ありがとう、ノア)
だから、私は願うのだ。
彼の幸せと、平穏を。
☆
そして、私は親善大使としてアルカーナ帝国に派遣されることになった。
名前は変えなかった。
私の【シャリゼ】という名前は、ヴィクトワールではよくあるものだ。
シャリゼ──由来は、シャンゼリゼ。
神話に登場する楽園の庭園の名前。
私の名前は、そこから来ている。
同じようにその名をつけているひとも多いため、特に偽名を使わずとも問題ないだろうと判断してのことだった。
アルカーナ帝国行きをティノに話すと、彼は既にその話を知っていた。
ティノは、私の手を取って、手の甲に口付けを落とした。
王侯貴族の挨拶だとは思っていても、なんだか落ち着かない。
「……来てくれるの?」
静かに、ティノがそう尋ねる。
それに私は笑みを浮かべて答えた。
「ええ。……約束、したでしょう?」
『ティノは寂しがり屋で、泣き虫だものね。だから私があなたの花嫁になってあげる!』
十四年前、あの花畑で。
ビオラの花にの前で、私はあなたに誓ったのだ。
(……ねえ、ティノ)
あなたは、知っているかしら。
ビオラの花言葉には、
【幸福な思い出】、【小さな幸せ】、【信頼】、【誠実】。
それ以外に──。
(【少女の恋】……というものがあるのよ)
あの花畑で、きっと、私は淡い初恋を彼に抱いた。
だから、私はあんなことを口にしたのだと思う。
そうじゃなければ、結婚、なんて口にはしなかっただろう。
私は、手の甲に口付けを落としたティノの手を逆に引っ張った。
そして、私もまた彼の、ひんやりとした手の甲にくちびるを落とすのだ。
「あなたは寂しがり屋で、泣き虫だもの。だから私があなたの花嫁になってあげる……って、そう言ったじゃない」
そこまで口にして、なんだか押し付けがましいような気がしてならない。
羞恥心が込み上げてきた私は、それを隠すように「忘れちゃった?」とティノに言った。
…………しかし、反応はない。
さすがに気になって、顔を上げると──。
彼の白い肌は、どこもかしこも赤くなっていた。
顔だけではなく、耳や首筋まで赤い。
ティノの空色の瞳は見開かれ、絶句したように息を呑んでいる。
あまりにも肌という肌を赤く染め上げているので私もまた驚いて彼を見ると、ハッとしたようにティノは私から視線を逸らした。
そして、口元を手で覆い、ティノが答えた。
「……うん」
それから、ティノはもごもごと何か言い始めた。
それは聞き取り難かったけれど、何とか聞き取ることが出来た。
「あなたは……聖女の力に目覚めたから。もう俺とは関わらない方がいいと思った。だけど、それでも俺はあなたを忘れられなくて……」
ぽたり、と彼の瞳から一粒涙が零れた。
十四年が経過して、ティノは皇族らしい品格と振る舞いをするようになった。
少なくとも、ノアやルイスは、ティノが怖がりで寂しがり屋な少年であったとは思いもしないだろう。
そして、こんなに綺麗な涙を流すひとだ、ということも。
私は、背伸びしてティノの頬を拭った。
それに、ティノが困ったように笑う。
「ごめん、シャリゼ」
「どうして謝るの?」
「俺は……あなたを諦められなかった。ずっと、ずっと、あなたの気配を探っていたんだ。忘れた方がいいと思ったし、兄にも、父にもそうした方がいいと言われた。だけど……あなたが処刑されると聞いて、思ったんだ」
ティノはそこで言葉を止め、ゆっくりと言った。
「それなら、俺がもらおうと」
「ティノ……」
「俺は、ヴィクトワールからあなたを奪う」
静かに、ティノはそう言った。
眉尻を下げて、困ったように。
それでいて、その瞳に静かな闘気を宿していた。
それを見て、私はなんだか肩の力が抜けてしまった。
苦笑を浮かべて、ティに言う。
「…………もう、どうして、そういう風に考えるの?」
まるで、いつの日かの会話を再現しているようだ。
昔も、彼は母の命を奪って生まれたことを悔やんでいた。
面倒なひとだな、と思う。
だけど、同時に愛しい、とも思うのだ。
だってそれは、彼が私を深く想ってくれている証だから。
「こうは考えてくれないの?あなたが、私を連れ出してくれる、って」
その言葉に、ティノが目を瞬いた。
それに、私は笑みを浮かべた。
「王妃シャリゼは死んだの。今、ここにいるのはただのシャリゼなのよ」
王妃シャリゼは、最期までヴィクトワールと共に在った。
だけど、今の私は──。
「私をアルカーナ帝国に連れて行って?それで──あなたのお母様が愛した、ビオラの花畑を、私にも見せて欲しいの」
毒を飲めと言われたから、飲んだ。
その時に、王妃シャリゼは死んだのだ。
残ったのは、ただのシャリゼ。
ただのシャリゼである私が望むのは、シャリゼ・ゼーネフェルダーが失ったもの。
それは、希望、とか、明るい未来を信じる心、とか、そういったものだ。
幼い頃は何の理由もなく、ただ明るい未来を信じられた。
あの時に戻れるなら、私は──。
あなたとの未来を、願いたい。
【毒を飲めと言われたので飲みました。 完】
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