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四章
それは幸福を呼ぶか
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そう思っていた、ある日の午後。
その日は、冬の終わりを知らせるような暖かさだった。ミュチュスカの所有するこの別邸もまた、その陽だまりによって雪解けが進んでいる。
それでもまだ、窓から見下ろす庭園は一面雪で覆われているが。
執事がシルバートレイに手紙を乗せて、ペーパーナイフを差し出してくる。
「聖女様からお手紙と、贈り物が届いております。こちらはロディアス王太子殿下より、おふたりに」
差し出されたペーパーナイフで、手紙の封を切る。中からは、一枚の手紙。
ずいぶん上達した字で、アカネの帰還の日が決まったことが書かれていた。
そして──
うっかり、涙がこぼれてしまいそうになった。
だけど隣にはミュチュスカも、そばには執事もいる。涙を見せるようなことは出来なかった。
しきりに瞬きを繰り返して、涙の飛沫を弾く。
私の様子をつぶさに見ていたのだろう。
ロディアス殿下からの手紙を受け取りながら、ミュチュスカが尋ねてきた。
「……なにか、良くないことが書かれていた?」
ミュチュスカの視線を受けて、執事が退室する。そうすると、部屋には私とミュチュスカだけになった。
「どうかしらね。……聖女様から、贈り物があるそうよ」
そして私はぴらりとミュチュスカに手紙を見せた。きっと、半分は読めないだろう。
なぜなら、後半はレーベルト語ではなく、日本語で書かれている。
アカネはレーベルトの言葉を話すことが出来る。
いや、アカネは日本語だと思っているのだろう。
だけど、彼女が話しているのはレーベルト語だ。
【異世界から訪れる聖女は話せるが、文字は書けない】
それは文献にも記されている周知の事実だった。
アカネがなぜ、日本語ではなくレーベルト語を話せるか、私には分からない。
だけど、それはこの国に冬解けの儀式などという不可思議な神秘がある以上、人間には解明できないことなのだろう。
レーベルトの四季が呪われたのはずっと前。
まだ人間と神々が共存していたと言われる、3000年以上前の話。
あまりにも昔過ぎて、その時代を残した資料は現存しておらず、あやふやな口伝と迷信しか残っていない。
それによれば、昔、レーベルトには四季を司る四柱の女神がいたらしい。
だが、そのうちのひとりが人間の青年に恋をした。
恋をして、役目を放棄した。
このあたりは諸説あって、真実は不明だ。
人間が女神をさらったのだとか、人間に恋をしたから女神は四季を司る力を失ったのだとか、乙女ではなくなったから女神の権能を失ったのだとか、様々な考察がある。
だけど結果として、春を司る女神はその役目を果たせなくなった。
それに怒ったのが、大地を創造したといわれる母神だ。
怒った彼女は、春を司る女神を追放し、人間に呪いをかけた。
この世界に生きている以上、地獄のような苦しみを受けるという呪いだ。
男は苦しみ、女神を連れてレーベルトをさまよった。
その先にあったのが、異世界への扉だった、とされているのが一般的な神話だ。
細かいところは学者によって異なると思うけど。
だけど、聖女が召喚され、聖力をもって季節を動かしているあたり、神秘の力は未だに存在しているのだろう。
であれば、アカネがこの国の言葉を話すことができてもおかしくないだろう。
文字の読み書きは出来なかったようだが。
だから最初は苦労した。
まずは、お礼書きの文章を写させて、響きと文字を一致させる。それを繰り返した。
新しい語学を強要されてアカネはさぞ苦労したことだろう。教える私たちも、慣れないことに四苦八苦だったが、お互い様だったわけだ。
いや、異世界からきて頼る人がいなかった分、アカネの方が絶望的な気持ちになっただろう。
そう思うと、ずいぶん上達したレーベルトの文字を見て、なんだか感慨深いような──寂寥感入り交じる、懐古の念に駆られた。
ミュチュスカに手紙を見せると、彼は静かに文面を読んでいるようだった。
そして、やはり読めなかったのだろう。
私に尋ねてくる。
「……聖女様の帰還の日は三日後か。その下は、異世界の文字か?見たことがない」
「……ええ。そうよ。前に聖女様が教えてくれたの。これはね」
私はすっと文面をなぞって、ミュチュスカに言った。
「素敵な贈り物を送ったから、ミュチュスカとどうぞ、って書いてあるのよ」
実際は、少し違う内容だったが。
私の言葉に、ミュチュスカは怪訝そうな顔をした。
その日は、冬の終わりを知らせるような暖かさだった。ミュチュスカの所有するこの別邸もまた、その陽だまりによって雪解けが進んでいる。
それでもまだ、窓から見下ろす庭園は一面雪で覆われているが。
執事がシルバートレイに手紙を乗せて、ペーパーナイフを差し出してくる。
「聖女様からお手紙と、贈り物が届いております。こちらはロディアス王太子殿下より、おふたりに」
差し出されたペーパーナイフで、手紙の封を切る。中からは、一枚の手紙。
ずいぶん上達した字で、アカネの帰還の日が決まったことが書かれていた。
そして──
うっかり、涙がこぼれてしまいそうになった。
だけど隣にはミュチュスカも、そばには執事もいる。涙を見せるようなことは出来なかった。
しきりに瞬きを繰り返して、涙の飛沫を弾く。
私の様子をつぶさに見ていたのだろう。
ロディアス殿下からの手紙を受け取りながら、ミュチュスカが尋ねてきた。
「……なにか、良くないことが書かれていた?」
ミュチュスカの視線を受けて、執事が退室する。そうすると、部屋には私とミュチュスカだけになった。
「どうかしらね。……聖女様から、贈り物があるそうよ」
そして私はぴらりとミュチュスカに手紙を見せた。きっと、半分は読めないだろう。
なぜなら、後半はレーベルト語ではなく、日本語で書かれている。
アカネはレーベルトの言葉を話すことが出来る。
いや、アカネは日本語だと思っているのだろう。
だけど、彼女が話しているのはレーベルト語だ。
【異世界から訪れる聖女は話せるが、文字は書けない】
それは文献にも記されている周知の事実だった。
アカネがなぜ、日本語ではなくレーベルト語を話せるか、私には分からない。
だけど、それはこの国に冬解けの儀式などという不可思議な神秘がある以上、人間には解明できないことなのだろう。
レーベルトの四季が呪われたのはずっと前。
まだ人間と神々が共存していたと言われる、3000年以上前の話。
あまりにも昔過ぎて、その時代を残した資料は現存しておらず、あやふやな口伝と迷信しか残っていない。
それによれば、昔、レーベルトには四季を司る四柱の女神がいたらしい。
だが、そのうちのひとりが人間の青年に恋をした。
恋をして、役目を放棄した。
このあたりは諸説あって、真実は不明だ。
人間が女神をさらったのだとか、人間に恋をしたから女神は四季を司る力を失ったのだとか、乙女ではなくなったから女神の権能を失ったのだとか、様々な考察がある。
だけど結果として、春を司る女神はその役目を果たせなくなった。
それに怒ったのが、大地を創造したといわれる母神だ。
怒った彼女は、春を司る女神を追放し、人間に呪いをかけた。
この世界に生きている以上、地獄のような苦しみを受けるという呪いだ。
男は苦しみ、女神を連れてレーベルトをさまよった。
その先にあったのが、異世界への扉だった、とされているのが一般的な神話だ。
細かいところは学者によって異なると思うけど。
だけど、聖女が召喚され、聖力をもって季節を動かしているあたり、神秘の力は未だに存在しているのだろう。
であれば、アカネがこの国の言葉を話すことができてもおかしくないだろう。
文字の読み書きは出来なかったようだが。
だから最初は苦労した。
まずは、お礼書きの文章を写させて、響きと文字を一致させる。それを繰り返した。
新しい語学を強要されてアカネはさぞ苦労したことだろう。教える私たちも、慣れないことに四苦八苦だったが、お互い様だったわけだ。
いや、異世界からきて頼る人がいなかった分、アカネの方が絶望的な気持ちになっただろう。
そう思うと、ずいぶん上達したレーベルトの文字を見て、なんだか感慨深いような──寂寥感入り交じる、懐古の念に駆られた。
ミュチュスカに手紙を見せると、彼は静かに文面を読んでいるようだった。
そして、やはり読めなかったのだろう。
私に尋ねてくる。
「……聖女様の帰還の日は三日後か。その下は、異世界の文字か?見たことがない」
「……ええ。そうよ。前に聖女様が教えてくれたの。これはね」
私はすっと文面をなぞって、ミュチュスカに言った。
「素敵な贈り物を送ったから、ミュチュスカとどうぞ、って書いてあるのよ」
実際は、少し違う内容だったが。
私の言葉に、ミュチュスカは怪訝そうな顔をした。
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