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しおりを挟むさちが亡くなって、三年が経った頃だった。
正妻であるさちが生きていた頃から、清三には二人目の妻がいた。彼女は妙といい、清三やさちとも幼い頃から兄妹のように仲が良かった。清三はさち以外に妻を娶る気はなかったが、最初に妻として迎えたさちが、自分は体が弱く、後継ぎを作れないかもしれないからと妙を望んだのだ。
妙は優しい女性で、結局のところさちが嫡男となる第一子を産んでも僻むこともせず、自分もその一年後に男子を産むと、さちの産んだ子とは異母兄弟だからと、さちの代わりにかいがいしく世話を焼いた。
そんな彼女は、さちが夭逝してからは、特にさちの忘れ形見になってしまった芹を可愛がっていた。芹には生まれながらの事情により、出自がよくわからないがらも主人である清三からの信頼も篤い非常に優秀な護衛がついている。それでも養母として、妙は芹を慈しんでいた。
その日も妙は、屋敷周りの巡回に出て行った蘇芳の代わりに、芹に寝物語を語っていた。
既に陽は傾いて山の向こうに消え、入れ替わりに上ってきた月は綿を薄く伸ばして引き裂いたような雲が浮かぶ夜空にぽかりと浮かんで、滲むような光を夜陰に沈む地上に投げている。
月明かりに浮かび上がるのは、整えられた庭で、昼間は子どもたちが走り回るそこも、今はしんと静まり返っていた。
妙の手のひらに撫でられている芹は蘇芳が離れた時はぐずって涙目になっていたが、寝物語を聞いているうちに瞼も落ちはじめている。もうやがて眠るだろうと上掛けを引き上げ、自分にしがみつく養子の背をとんとんと叩き、自分も眠気にあくびなど噛んでいた妙は、遠くから駆けてくる足音に気付いて閉じかけていた瞼をのろのろとあげた。
「芹様、妙様!」
駆けてきたのは、屋敷の内外だけに飽き足らず、村の周りも一周しているはずの蘇芳だった。
走ってきた彼は声に驚いて目を覚ました芹を上掛けごと抱き上げ、何事かと慌てる妙を急き立てて部屋から出ると、屋敷の裏口から出て、家の裏手にある山道を駆け上がった。
「蘇芳、どこへ行くの」
問いかける妙は振り返り振り返りして屋敷を伺っていたが、蘇芳は彼女の手を強く握り、芹をしっかりと抱いたまま裏山の中腹にある小さな祠へと向かった。
なにが起きたのかと、妙がちらりと屋敷を振り返ると、夜も遅い時間だというのに、手に手に松明を持った人々が駆けまわっていた。
「すおう」
「芹様、口を開かないでください。舌を噛みます」
「んん」
いつもは優しい蘇芳に厳しい声で言われて、芹は口を閉ざした。両手で口を押えながら山を駆け上がる蘇芳の腕の中で揺られていると、やがてついた祠の鳥居をくぐった。
屋敷の裏にある山の中腹の小さい祠は、三ヶ月に一度の参拝を欠かさない、藤村の家では大切にしている社だ。規模はそれほど大きくはなく、本殿代わりの三畳ほどの祠とこぢんまりとした鳥居があるだけが、中には御神体が奉納されていた。
つい先週も来た祠は、鬱蒼とした闇に包まれている。思わず蘇芳にしがみついた芹を一度見下ろすと、彼は妙の手をようやく離した。
「妙様、芹様と一緒に祠の中へ」
芹を抱いたまま、蘇芳は普段はきっちりと閉まっている祠の扉を躊躇なく開いた。
三ヶ月に一度と決められている参拝の時以外は開けてはいけないと普段から父に強く言われていただけに、驚いて蘇芳を見上げようとした芹だったが、それより早く祠の奥に押し込まれた。続けざまに妙も蘇芳に急かされて入ってきて、不安になった芹は義母の膝に乗り上げた。
「蘇芳、一体何が…」
「鬼が出ました」
蘇芳の言葉に、芹はきょとんとしたが、妙は小さく息を飲んだ。
「旦那様と男衆が立ち回っています。俺は加勢するために屋敷に戻りますが、騒ぎがやんだら迎えに来ます。迎えに来たら、戸を三回叩いたあと『白根草を迎えに来た』と言って、もう三度叩きます。そうしたら開けてください。それ以外、俺の声で話しかけてきても声を出さないでください」
「鬼…なんてこと、芹、芹…ああ、なんていうことかしら……」
義母に抱きしめられながら、芹は鬼という言葉を小さな頭の中でめまぐるしく巡らせた。幼い芹にとっても、鬼が恐ろしいということはわかっていた。実物を見たことはないが、父に何度も、お前が産まれた時も鬼が出て、それはそれは大変だったと言われていた。下男が何人か怪我を負ったし、芹の母は鬼の瘴気に中てられて儚くなってしまったとも聞いていた。更には、鬼たちは芹を攫おうとしたとも言われていた。こんな時にそんな話を思い出してしまった芹は、自分の薄い胸がどくどくと高鳴るのを感じた。
「芹様」
震える義母にしがみついて、気付かずその胸に顔をうずめていた芹は、蘇芳に呼ばれて振り返った。
彼は夜陰の中に月光を背負って立っていて、表情はわからない。けれど伸びてきた手が優しいことは誰よりも知っていたので、大きな掌が頭を撫でると、それだけでほっとした。
「いいですか、芹様。蘇芳と約束してください」
「やくそく?」
「扉が閉まったら、声を出してはいけません。俺が迎えに来て、妙様が扉を開けるまで、しゃべったらだめです」
「すこしも?」
「少しも。いいですか、芹様。これをお守りに持っていてください」
「おまもり…」
頭を撫でてくれた手が離れて、代わりに手首になにかを通される。夜の闇に沈んでしまうそれは、月明かりに浮かべてみると普段は蘇芳の手首にはまっている数珠だった。
「俺が来るまで、この珠を数えながら待っていてください」
「ぜんぶかぞえたら、蘇芳、むかえにきてくれるの」
「はい。十周数えた頃には。芹様、百まで数えられますか?」
蘇芳の手首にはまっているときは二重になっている数珠は、芹の細い手首にはだらりと下がってしまう。それを十周も数えるとなるとよほど時間がかかってしまうが、百と少しまでは、最近蘇芳に習って数えられるようになった。きっと出来ると、芹はこくんと頷いた。
「うん」
「それなら大丈夫だ。心の中で、数珠を十周ですよ。声を出したらだめです」
「わかった」
いつもは芹に甘い蘇芳が厳しく言うのだ。これは守らなければいけないと、数珠を握りしめてもう一度頷いた芹の頭を撫でた手は、すぐに離れて扉を外から押した。
ギィと古びた木が軋む音が祠中に響く。ぱたりと扉が閉じてしまうと、それまではさやさやと聞こえていた葉擦れや、そこかしこから響いていた虫の声が一気に遠くなった。
かたかたと震える義母の腕にもたれながら、芹は扉の格子に貼られた障子紙をわずかに白く浮かび上がらせる程度の月光のなかで珠を数えはじめた。始点は房のついた大きな珠からだ。色は見えなかったが、それが淡い青をしているのを、芹は知っている。閉じた瞼の裏にその色を思い浮かべながら、一つ数えるたびに、珠を進ませた。
(ひい…ふう…みい…よ…いつ…むう…なな…や…ここのつ…)
つるりとした珠を、ゆっくりと手のひらの中で滑らせていく。そうこうして、三十ほど数えてから芹の意識はそこで途切れた。
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