花と娶らば

晦リリ@9/10『死に戻りの神子~』発売

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 土の上に乗った枯葉の上を歩くさくさくという足音が砂利混じりの上を歩く音になった頃、芹はふと目を覚ました。蘇芳に背負われて下山している間に眠ってしまったらしかった。
 既に屋敷は近く、見慣れた門が見えた。
「……蘇芳、朝餉ってもう食べた?」
「起きましたか。朝餉は俺もまだです」
「じゃあ献立わからないかあ…」
 既にいつもの朝餉の時間は過ぎている頃だが、それで食事が抜かれてしまうことはない。うとうととしながら、そういえば昨日祠で食べた芋の甘煮は美味しかったと考えていた芹は、突然隣をかけて行った風に驚いて目を開いた。
 のんびりと帰途につく芹たちを追い抜いたのは、村の若者の背中だった。村人との交流がないため、どの家の誰かなどはわからなかったが、彼はそのまま藤村の屋敷に走っていくと、門の左右に立つ門番にしがみついた。
「鬼だ、鬼が出た! 藤村様に伝えてくれ!」
「なんだと…!」
 しがみつかれた門番はさっと顔色を変え、その相方が脚をもつれさせながら屋敷の中へ駆けて行く。何が起きているのかと体をこわばらせたまま芹がぎゅっと背にしがみつくと、蘇芳は逡巡するように立ち止まり、背後を振り返った。
「蘇芳、鬼が……鬼が出たって、今」
「……芹様、離れまで行ったら下ろします。閂をかけて、押し入れに隠れていてください」
「蘇芳は」
「俺は藤村様のところへ一旦行きます。それから、屋敷の周囲で奴らと対します」
 駆け足で門を潜り、母屋のある正面ではなく斜めに庭を横切った蘇芳は、連なる二つの門を潜ると芹を背中から下ろすと、芹の右手をとった。
「いいですか、芹様。俺の数珠を絶対に手放さないでください。祠参りの時と同じように、声を出さず、数珠を離さず、押し入れに隠れていてください。声を出したら、すぐに見つかります」
「う、うん」
 喧騒が、離れにまで響いてくる。鬼たちは余程足が早いのか、時折悲鳴も聞こえた。
 さっきまでの安穏とした雰囲気は一掃され、緊張感に満ちた空気に唾を飲んで頷くと、蘇芳はそれではと、小走りで門を潜っていった。一応と二つの門は重たげな音を立てて閉じられたが、閂はかかっていない。少しばかり開いた隙間から鬼が入ってくるような気がして、慌ててそこに走り寄った芹は、傍らに置かれている閂を持ち上げ、離れと母屋を遮断するための門二つを閉ざした。
 高い塀の向こうからは怒号と激しい物音、剣戟の音や悲鳴が漏れ聞こえてくる。鬼を見たことはないものの、地響きのような声が轟くと一気に恐怖が襲ってきて、弾かれたように離れの中に飛び込んだ芹は三和土を駆け上がって、私室にある押し入れに潜り込んだ。
 普段は上段に二組の布団が入り、下段に季節で必要になる衣類などをしまっている長持ちと、小さめの棚、冬場以外は使わない火鉢がしまわれている。下段にはみっしりと物が詰まっているため、上段によじ登って布団の合間に体をねじ込んだ芹は、がたがたと震えながら手首にはまったままの数珠を、確認するように手のひらで撫でた。
 ひんやりと冷たい数珠は、昨日から変わることなく芹の手首に絡まっている。幼い頃から祠参りの時以外も鬼や妖が出ればこれを手首に巻かれて祠や押し入れに隠されてきた芹にとって、数珠は心強いお守りでもある。
 これさえあればどうにかなると信じてしばらく息を潜めていた芹は、思ったよりも騒ぎが大きくなっていないことに気付いて、そろりと押し入れの襖を引いた。
 少しばかりの喧騒は遠くに聞こえるが、近くまで来ている様子はない。もしかせずとも、それほど大挙してでの襲撃ではなかったのだろうか。
 ずるりと布団の間から這い出た芹は、一応と白い敷布を頭からかぶり、普段なら絶対にひとりで出たりはしない離れの家屋の戸を恐る恐る開いた。
 つい先ほど通ってきた離れの小さな庭は、いつも通りの様相だ。騒ぎは聞こえるものの、近くはない。庭に出るだけなら大丈夫だろうかと一歩踏み出して、誰が見ているわけではないが、そろりそろりと門に近づく。
 先ほど自分でかけた閂に触れながら、芹はかすかに聞こえてくる剣戟の音に耳を澄ませた。
 どうやって、蘇芳は戦っているんだろうか。
 父の清三から、蘇芳はとても強いと聞いていた。鬼だろうが妖だろうが腰に佩いた一振りで怖れなく斬りかかっていき、一刀のもとに斬り伏せていくさまは凄まじく、鬼気迫る様子はどちらが鬼かわからないほどだとさえ聞かされていたが、芹はそれを見たことはなかった。
 鬼妖が出ればすぐに芹を隠して駆けて行ってしまうので、いつも穏やかで優しい蘇芳が刀を振りかざすさまなど、想像もできない。
 もしかして、今ならば見ることが出来るのではないだろうか。
 そんな思いが一瞬胸をよぎったかと思うと、いても立ってもいられない心持ちになった。
 芹自身にその自覚はないが、潤沢に備わった神気を目当てに襲ってくるという鬼妖たちは怖いものだ恐ろしいものだと教えられては来たが、姿かたちを見たことはない。大きいのか小さいのか、人と同じ形をしているのか、そうでないのか。蘇芳が戦っているもののことを何も知らないのだと思うと、途端に強い恐怖が芹の心臓をぎゅっと鷲つかんだ。
「…………」
 口腔が乾いて仕方ない。
 強い緊張と興奮のせいか、からからに干からびたようにすら感じる喉を潤すための水は、土間の水瓶にたっぷりある。けれども、そこに戻って一口だけでも水を飲み、心を落ち着けるという考えさえも浮かばないほど、なめらかに芹の手は先ほどかけたばかりの閂をあげた。
 普段ならば外側からかけられている閂は、今日は蘇芳の言いつけで内側にある。取ってしまえば、簡単に門は開いた。
 ぎいと重たげな音を立てる門を一枚開けば、もう一枚の門がすぐに見える。そこの閂を取ってしまえば、本宅の庭に出られる。
 隙間から少しだけ覗いて、危険なようならばすぐに顔を引っ込めて閂をかけてしまおう。そうして、さっきのようにまた押し入れに隠れて、蘇芳が戻るのを待とう。
 そう自分に言い聞かせ、手首に巻いた数珠を今一度確認して、芹は二本目の閂をあげた。重いそれを脇に置き、観音開きの扉の片側だけをそっと押した。そう古いものではないのだが、厳めしい赤褐色の扉は先ほどのものよりも更に重たげにぎぎいと軋みながら一寸ほど開いた。
(……誰も、いない?)
 僅かなすき間から垣間見える庭には、誰もいないようだった。
 さすがに一寸程度では見える範囲が狭いので、更にと押して開き、思い切って顔をひょこりと扉の外に出してしまっても、庭や、向こう側に見える本宅の廊下には人影がなかった。
 もっと人や、鬼妖が溢れているのではと思っていただけに拍子抜けして、芹は誰もいないのならと、扉の隙間からそろりと庭に出た。
 ここは静かなものだが、耳を澄ませると、遠くの方からはなにやら争う音が聞こえる。
 十年前で止まっている村の記憶を辿り、騒ぎが起きているのは村の真ん中にある大辻のあたりだろうかと検討をつけた芹は、そこまで行けるのなら行ってみたいと、一応は庭に生えた木の影に隠れながら、屋敷の門に視線をやった。
 庭に人はいなかったが、さすがに門には下男が二人いる。彼らに見つかってしまえばすぐに離れに戻されるのは必至で、芹はどうしようかと考えあぐねた結果、そういえばと踵を返した。
 馬小屋の近くには大きな樹が立っていたのを思いだしたのだ。塀を軽く超えるその樹は、馬小屋の避暑のために植えられている。夏になればその巨木が作り出す大きな影が、馬小屋だけでなく本宅のはずれにある厠にまで伸び、そのおかげで年中厠は涼しかったのだが、それが妙に怖くて、芹は本宅で過ごしていた五歳の歳まで、厠に行くときは必ず蘇芳についてもらっていたほどだった。
 切り倒したという話は聞かないから、まだ切り倒されていたりはしないだろうと踏んで馬小屋のある敷地のはずれに向かうと、やがてもせずに懐かしい巨木が見えた。
 風が吹くたびに枝を揺らし、びっしりと茂った濃い緑の葉をわさわさと揺らす樹は、普段は離れを囲む大きな壁や本宅の屋根などで邪魔されて見えないが、十年ぶりに見てもやはり大きくどっしりとしていた。
 太く力強い幹を軽くたたき、これなら折れそうもないと、芹は小袖の裾をまくりあげ、次いで袴の裾もたくし上げた。蘇芳に叱られるのであまりやったことはないが、木登りは好きだ。幹もそれなりに太く、洞や瘤もそこそこあるので登りやすそうだと、樹にしがみついた芹は、やがてもせずに本宅を取り囲む塀より高い位置まで登った。
(あれは…やっぱり辻の方だ)
 茂る緑に隠れながらも伸びあがって遠くを見やると、畑や家屋が点在する村の中の真ん中に位置する大きな辻のあたりで、小さな影たちがざわざわと動いていた。
 あの中に蘇芳はいるのだろうが、いかんせん遠すぎて、誰が誰やらわからない。それどころか、人と鬼妖の判別も難しかった。
(……叱られるかな)
 枝を伝って塀に移り、そこから路地におりればもう外だ。門番に見つからないように遠回りをする必要があるが、大辻までの道が変わっていなければ、それほど遠くはない。
 枝の上から門をちらりと見ると、門番たちは芹には気付いていない様子だった。
(少しだけ、……少しだけだから)
 見つかれば、散々に叱られるだろう。けれど、こんな機会は二度とないような気がした。
 枝からずり落ちないように慎重に動いて、塀の屋根に降りる。出来るだけ音をたてないようにと、後ろ向きになってずりずりと体を下ろした芹は、案の定身長が足りず、あと二尺で地面、というところで軒からぶら下がる形になり、そのまま地面に降りた。
 音を立てないように着地して、いま自分がぶら下がっていた軒を見上げる。手を伸ばしてみたが届くわけもなく、飛び上がっても容易には届きそうになかった。
 ここからは戻れないのだと自分に言い聞かせて、芹はその場を静かに離れた。


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