イセリック/クワイエット・テラー

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クワイエット・テラー

作倉暦 Ⅱ

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――作倉……先生……。

 その名前が広美先生の口から出た瞬間、教室内は歓喜の渦に包まれた。「よっしゃー!」と叫ぶ男子の声や、「キャーキャー!」という女子たちの黄色い悲鳴が飛び交う。それは、隣のクラスの授業妨害をするのに十分なほどの声量であった。

マイカはクラスメイトの反応にきょとんとした。マイカは作倉という教師に関して全くと言っていいほど知らなかった。クラスが盛り上がっている中、こっそりとみどりに確認する。

「双葉さん、作倉先生ってどんな先生なの?」

「えー!?マイカ知らないの?」みどりがマイカの問いかけに驚く。「作倉先生って目がきりっとしてて、超イケメンの先生だよ!物静かで何考えてるか分からないって言われるけど、そこがまた影があっていいのよね~」

「そんな先生いるんだ」マイカは自分の無知さにあきれた。

 マイカはざわつくクラス内から、女子生徒たちが「こよみちゃん」と口ぐちにしているのを聞いた。マイカは「こよみちゃん」という呼び名は聞いたことがあった。

「あ~。作倉先生ってこよみちゃんって言われている先生のことか!」

「そうだよ~。本当は暦って書いてレキって読むんだけど。みんなコヨミのほうがなじみのある読み方だからそういうあだ名がついちゃったんだよ。」みどりが丁寧に説明する。

 マイカは点と点がつながった気がして、ほんの少しだけ爽快感を覚えた。どうやら、皆が話しているのを聞く限り、作倉先生というのは、教え方もうまいということだった。「こよみちゃんマジ神だよ!」とあがめる生徒もいたぐらいだった。

――神か……。そんな完璧な先生いるのかな。

 マイカはやや作倉暦という教師に対して、懐疑的だ。

「はいはい!」広美先生がパンパンと手を叩いて皆の注意を引いた。「みんな、私がいなくなっちゃうのが残念じゃなかったの~?」

 喜びに沸く生徒たちに、広美先生はわざとらしくヤキモチを焼くフリをした。というのも、広美先生自身も作倉という教師を大いに認めていたため、全く気にしてはいなかったのである。

「ということで、あなたたちはラッキーだねぇ。作倉先生が明日からこのクラスの数学を担当します!実は私も、本当はあんなカッコイイ男と結婚したかったんだけどなぁ」

 広美先生は29歳に対して、作倉は26歳と、年齢が近いため、このジョークは生徒たちにとって妙にリアルにとられた。ひと笑いとったが、「そんなこと言うと、お腹の赤ちゃんによくないよ!」と気のきいたツッコミを入れる男子生徒もいた。

「それもそうね。ごめんね~」

 そう言って、広美先生は、細身なせいであまり妊婦らしくないお腹を優しくなでた。

 チャイムが鳴り、授業が終わると、多くの生徒が広美先生を囲んだ。皆が次々と先生に別れのあいさつを済ませるのをマイカはじっと見つめていた。自分も行かなくてはと、その様子を窺っているのである。

「マイカ、本当に大丈夫なの?」みどりがやはり心配そうにマイカに声をかける。

「あ、うん。本当はちょっと熱があるみたいなの。」マイカは白状した。ここまで耐えきったのだから、と若干気が緩んだ。

「やっぱり~!無理しちゃだめだよ!」みどりがマイカの額に手をやった。そして親が子供に叱るように言った。「あつい!すごい熱じゃない!はやく帰って休まないと!」

「う……、うん。そうするつもり」マイカはみどりの勢いに圧倒された。

「おうちまでひとりで帰れる?私、今日部活休むからおうちまで送ってこうか?」

 そういうみどりの表情は、いつにも増してとても真剣だった。

「ちょ、ちょっと!」とマイカは慌てて言った。「大げさだって!そんなことしてもらわなくても、私平気だから!ひとりで帰れるってば!」

「ダメダメ!」みどりはマイカに有無を言わせぬ勢いだ。「こんな熱があって、ひとりで帰るだなんて危なっかしくてしょうがないよ。私だって心配で部活に集中できないし」

 みどりは、弓道部に所属している。1年生で弓道部に入った中では、唯一の経験者らしく、腕も立ち、先輩たちも一目置く存在であるらしい。その部内における優位の立場が、みどりのこの大胆な提案に繋がったのであろう。

「大丈夫だって!」マイカはノリノリのみどりに懇願するように言った。「家だってすぐ近くだし、危ないことなんてないよ。それに双葉さんが部活休むなんて申し訳ないもの」

「水臭いこと言わないで!私、部活はいつも真剣にやってるから、一日ぐらい休んだって平気だよ」そう言うとみどりはスマートフォンをポケットからとりだした。「ちょっと待って。先輩に連絡するから」

「待って!」マイカはとっさにスマートフォンを操作するみどりの手をおさえた。「じゃあ、私を家まで送ったら、学校に戻って部活にでなよ。私の家すぐだから、部活が始まる時間までに学校に戻れると思うの」

みどりは、少し考えるそぶりを見せてから、納得したような表情で言った。

「じゃあ、行こっか!はやく帰らないと」

 みどりはにこっと笑ってスマートフォンをポケットにしまった。そして、机の横にかかっているマイカのかばんを机の上に置いた。さらに、マイカの机の中をあさりはじめた。

「英語は宿題があるから、ノートと教科書持って帰るよね?国語は明日ないから置いとく?」

「あ、あの、双葉さん……?」マイカは目がテンになった。

 みどりは、おせっかいにもマイカの帰り仕度をはじめたが、マイカには広美先生に最後の挨拶をするという重要なミッションが残されている。みどりはそんなことは知る由もなく、マイカのカバンを開けて、教科書・ノート類を綺麗に詰め込んでいる。マイカにとっては広美先生に挨拶するために無理して学校へ来たというのに、どうもみどりにはそうさせてくれないような雰囲気を醸し出していた。

 しかし、あたふたしているマイカに幸いにも助け舟が到着した。

「都さん」

 ひとしきり生徒たちと別れの挨拶を交わして、広美先生がマイカのとこまで来てくれた。すると、みどりも手を止めて、さっとマイカの後ろに下がった。

「広美先生……」マイカは申し訳なさそうに言った。「すいません。実は体調あんまりよくなくて。せっかく先生の最後の授業だったのに」

「わかってるわよ。」広美先生がいつもの優しい笑顔で言った。「半年間だったけど、あなたをずっと見てきたんだもの。今日も、私の授業を受けに無理して学校に来たんでしょう?体調悪いのを押してまで!」

「いや、それは、えっと……」マイカは言いあてられて、どぎまぎした。

「私、あなたが哲研に入って来たとき、びっくりしたのよ。」広美先生がマイカの反応をおもしろがって思い出話をし始めた。

「あなたみたいな可愛い子があんなむさくるしいマニアックな先輩ばっかの部活に入ってきて。たぶん、私はすぐ幽霊部員になると思ったんだけどね。毎週の読書会を欠かさず参加して、ちゃんと予習までしてきてね」

「でも、なんにも先輩たちを満足させられる議論なんてできなかったし……」マイカが恥ずかしそうに答える。

「そんなことないよ。先輩たち、みんな喜んでたんだよ。あなたが入ってきて、部内が華やかになったって。私もみんなもすぐにあなたのファンになっちゃったのよ」

 マイカはそれが体調のせいなのか、照れのせいなのか、一気に体温が上がった気がした。 マイカは広美先生から視線を外し、もじもじした。

「もっと、あなたといっしょに活動したかったけど、残念ながら、部活の顧問も交代することになったの」

「え?」マイカにとってそれは予想外で目を丸くした。「別の先生が顧問にくるんですか!?」

「そうよ。でも喜んでいいわよ。哲研も作倉先生が引き継いでくれることになったわ」

それを後ろで聞いていたみどりが「やったじゃん!マイカ!」と言いながら、マイカの両肩を優しくポンポンと叩く。

「は、はぁ……」マイカは気の抜けた返事をした。「でも部員2人しかいないですけど、作倉先生は活動に参加してくれるんですか?」

「そりゃあしてくれるでしょう!」広美先生は自信をもって言った。「だって、作倉先生からやらせてくれって言ってきたんだもの!」

「そうなんですか……」

マイカはあんな地味な部活の、地味な活動をどんな先生が参加したがるのだと思った。

「でもとってもかっこいい先生よ。惚れちゃわないように気をつけてね。それか……」

 そう言って、広美先生はニヤッとした。「あなたが惚れられないか心配だわ」

「先生!そんなこと言わないでください!」みどりが少し恥ずかしそうに言った。

「あはは」広美先生の甲高い笑い声が響く。「それじゃあ、そういうことだから。あなたとしばらく会えないのは残念だけど、楽しくやってちょうだいね」

「は、はい。先生もお元気で!」マイカも最後は元気よく声を発した。

広美先生は最後にもう一度ニコッと微笑み、踵を返してその場を立ち去ろうとした。マイカは、その笑顔がなんとなく、金髪の女性を思い起こさせた。姿かたちは全然違うのに、  現実にあの憧れの女性の笑顔が見られた気がして、マイカにも笑みがこぼれた。

 広美先生はそのまま教室を出て行くかと思われたが、教室の扉の前で、何かを思い出したかのように振り返り、皆が注目するぐらいの大声でマイカに言った。

「あの、キザ野郎にはあんまり部室に立ち寄るなって言っとくから!小宮山くんも恐がるだろうからね。ふふふ」

 広美先生はそう言い残して、ご機嫌で教室を出て行った。

「キザ野郎って誰?」みどりがマイカに尋ねた。

「たぶん、桐原先輩のことだと思う」マイカは自信なさげだったが、他に部室に立ち寄る者が思い浮かばなかった。

「え!?」みどりが両目を見開いて驚いた。「もしかして桐原先輩って、サッカー部のエースの?」

「そうだと思う」

「え?なんで桐原先輩が哲研の部室に来るの!?」

「さぁ」マイカは首をかしげて言った。「私にもさっぱり。私が知りたいぐらい」

「桐原先輩って、知ってると思うけど、イケメンですっごくモテるんだよ?」

「それは、知らなかった……。」

「ひょっとして、マイカに会いに来てるの?」みどりは興味津津だ。

「そうなのかな?私にやたら話しかけてくるってのはあるけど……」みどりと対照的にマイカは全く興味なさげだ。

「いったいマイカのまわりには何人イケメンが寄ってくるのよ!」

 興奮しているみどりをよそに、マイカは「あはは」と愛想笑いをしてやり過ごそうとした。すると、マイカのブレザーのポケットの中でスマートフォンが震えた。ロックを解除して、確認するとそれは哲学思想研究部の1年先輩の小宮山からだった。この日は、本来週一回の部活の日であったが、部員が2人しかいない上、顧問の先生である広美先生も産休に入るため、しばらく活動停止していた。それなのに、小宮山からのメールは、放課後部室に来てほしいという内容だった。

「今から部室に来てほしいみたい。」マイカは興奮がおさまらないみどりに言った。

「え~!ダメだよ。絶対ダメ!断りなよ。」みどりはマイカのスマートフォンをのぞき込みながら言った。マイカもさすがにこの体調で部室に行く気にはなれなかった。

「そうだよね。そう返事するね」マイカはみどりに監視されながら返信メールを打った。

To:小宮山先輩
Sub;すいません
今日は体調が良くないので、帰らせてください。すいません。

 メールの返事はすぐに来た。お互い、絵文字や顔文字を使わない淡泊なメールだ。

From:小宮山先輩
Sub:大丈夫ですか!?
でも、どうしても来てほしいです。すぐ終わるので!ちょっと立ち寄るだけでOKです。

 マイカは、そのメールを見て少し驚いた。気の弱い小宮山が「どうしても」と言うからにはよほどのことがあるのだろうと思った。何があるのかと返事するのも野暮だと思い、マイカはとりあえず部室に向かうことにした。みどりを自宅まで自分を送らせない口実にもなってよかった。

「どうしても部室に来てほしいみたい」マイカはみどりに言った。「双葉さんも部活に行って。私は大丈夫だから」

「本当に大丈夫なの?」

「大丈夫だって。じゃあ、ありがとね!また明日」

 マイカは重い腰をあげて、そそくさと教室を出て行った。みどりは、そんなマイカのうしろ姿を、目を細くして見送った。
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