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クワイエット・テラー
作倉暦 Ⅲ
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部室は、マイカの教室がある棟とは別の棟の、最上階である3階の隅にあった。本来、この高校には部室棟というものがあり、運動部の部室も文化部の部室もそこに集中しているのだが、マイカの所属する哲学思想研究部だけは違った。
万年廃部寸前のこの部活は、もともとは数学教師の物置だった狭い部屋を、部室として使わせてもらっている。そのため、顧問も数学教師が担当することが多い。
マイカは、3階の東側の渡り廊下を渡れば、すぐに部室があるので、いつもそこを通る。3階の渡り廊下は、連絡橋と言った方がいいかもしれない。壁も天井もなく、太陽の光が降り注ぎ、上を向けば青空だ。そのため「青空廊下」と呼ばれている。わざわざ3階まで登ってきて、ここでひなたぼっこをする女子生徒も多い。この日も、雲ひとつない快晴で、秋の風が心地よい。雨が多い季節だが、しばらく晴れが続いていた。
おしゃべりする女子生徒たちの間をすりぬけて、マイカは青空廊下を通り、部室までやってきた。ドアを2回ノックしてから、「入ります」と言うと、小宮山の「どうぞ」という上機嫌らしい声が聞こえてきた。
マイカがドアを開けると、狭い部屋に2つ並べられた長い机の片側に2人の男が座っていた。天然パーマの、メガネをかけた小柄な方の男は小宮山で、そのとなりにいるもう1人の男は知らない人物だ。
細身の体に黒いスーツがばっちり決まっている。やや短めの前髪と、切れ長の目が印象的だ。マイカはすぐにその男が新しい顧問の作倉ではないかと察した。
どうやら、小宮山は作倉に数学を教えてもらっていたらしい。机には数学Ⅱの教科書と几帳面にメモがとられたノートが広げられていた。小宮山は、マイカが部室に入ってくると、すぐに声をかけた。
「マイカさん、体調のほうは大丈夫?」
「はい、ご心配かけてすいません」マイカは軽く頭を下げた。
「ならよかった。まぁまぁ座ってよ」小宮山がマイカを手招きした。「こちら、今日から新しい顧問として僕たちを指導してくださる作倉暦先生だよ」
小宮山が作倉を紹介すると、マイカはその場で、今度は小宮山のとなりにいる作倉に深く2度頭をさげた。そして若干速足で小宮山とその男の向かい側に位置し、持っていたカバンを床に置いた。
「君が都さんか」そう言って作倉は立ちあがった。「評判は広美先生から聞いているよ。作倉です。よろしく」
作倉は、175cmほどの身長ですごく背が高いわけではなかったが、マイカはその男にオーラのようなものをひしひしと感じ、あたふたとしてしまった。
「み、都マイカです。よ、よろしくお願いします」マイカの声は裏返りそうであった。
どもることなんて、あまりないのだが、マイカは作倉を前にして、変に緊張していた。きりっとした目つきはまるで凄腕の殺し屋のようで、マイカは作倉の顔をあまり直視できなかった。顔色が悪く、作倉から不自然に目を逸らしているマイカを見て、小宮山が不思議そうに声をかける。
「マイカさん、どうしたの?」
「い、いや別に」そう言って、マイカは一回目をつむってから、おそるおそる作倉の顔へ視線をやった。そして、作倉と目が合った瞬間、マイカは熱で重たく感じていた身体が一気に軽くなるのを感じた。さらに、身体のあらゆるところがゾワゾワとした。
――え?なに?
その体の変化に気づくと同時に、一瞬、あの夢の世界がちらついた。
薄暗く変な形のビルがたくさん建っているあの夢の世界が!
部室という空間が完全にとってかわってしまったのだ。壁も、天井も、そして足元の床もなくなって……。部室の机も椅子も棚も、小宮山までも消える。とにかく、自分と作倉を囲いこむように、数秒という短い間であるが、暗闇をまといながら巨大な建築物が爆発的に広がった。
宇宙がぶわっと膨張するような、そんなイメージの衝撃をマイカは受けた。突然のことで、マイカは数秒間のトリップを満喫する余裕など全くなかったが、これまで見たのとは違う場所だと感じた。強いて言えば、フードの少女が登場する第二の場面の映像に近いような気がした。
そして、それはあっという間に消滅して、その空間に部室の風景が戻される。
「あれ?……あれ?」
マイカは、その一瞬であるが劇的な変化に衝撃を受け、体がよろめいて倒れそうになっていた。
――今、一瞬だったけど見えた……。あれって……。
「大丈夫!?マイカさん!」小宮山がとっさに立ち上がり、机を挟んで身を乗り出し、マイカの体を支えようとする。作倉もマイカに「大丈夫かい?」と声をかける。
マイカは、机に両手をつき、ひとつ深呼吸して、上目遣いでゆっくりと作倉を見た。作倉と目があったが何も起こらない。作倉は本当に心配してくれているのか分からないほど、表情一つ変えていなかった。また幻でも見てしまったのか、と思った。
「もう大丈夫です。」とマイカが言うと、小宮山が慌てて長い机をまわってマイカの側に来た。
「いやいや、大丈夫じゃないよ!どう見ても!」
「少し座れば楽になると思います。」
小宮山は、椅子を引いてマイカに座るように促すと、作倉が無表情のまま「いや」と言ってマイカの気を引いた。
「今日は挨拶だけしようと思って来たんだ。ここに来てもらうよう私が彼に言ったんだ。都さん、体調がすぐれないのに無理を言って申し訳なかった。今日はもう帰って休みなさい」
「先生、もう行かれるんですか?」小宮山が言う。
「ああ。ふたりに会えてよかった。それじゃあ」
そう言って、部室のドアを開けて、作倉は出て行った。小宮山は、数学の分からない問題を教えてもらったので、「ありがとうございます」だの「またお願いします」だの最後に元気よく言っていたが、マイカはただ黙ってじっと作倉の去り際を見つめている。
すると、一瞬だけ味わった、あの世界のライヴ感がフラッシュバックのように蘇ってくる。
――あれは……いったいなんだったの?
マイカはついさっき味わった現象が作倉のせいなのかを確かめないまま、彼を行かせるわけにはいかない、と直感的に判断した。授業中に見た石の悪魔とは明確に違う!さっきの現象はもっと生き生きとした迫力があった。まるで魔法によって、あの夢に一瞬飛ばされたかのような。
――確信はない……。でも、確かめないと!あの夢の世界のことを知る手がかりになるかもしれない!
万年廃部寸前のこの部活は、もともとは数学教師の物置だった狭い部屋を、部室として使わせてもらっている。そのため、顧問も数学教師が担当することが多い。
マイカは、3階の東側の渡り廊下を渡れば、すぐに部室があるので、いつもそこを通る。3階の渡り廊下は、連絡橋と言った方がいいかもしれない。壁も天井もなく、太陽の光が降り注ぎ、上を向けば青空だ。そのため「青空廊下」と呼ばれている。わざわざ3階まで登ってきて、ここでひなたぼっこをする女子生徒も多い。この日も、雲ひとつない快晴で、秋の風が心地よい。雨が多い季節だが、しばらく晴れが続いていた。
おしゃべりする女子生徒たちの間をすりぬけて、マイカは青空廊下を通り、部室までやってきた。ドアを2回ノックしてから、「入ります」と言うと、小宮山の「どうぞ」という上機嫌らしい声が聞こえてきた。
マイカがドアを開けると、狭い部屋に2つ並べられた長い机の片側に2人の男が座っていた。天然パーマの、メガネをかけた小柄な方の男は小宮山で、そのとなりにいるもう1人の男は知らない人物だ。
細身の体に黒いスーツがばっちり決まっている。やや短めの前髪と、切れ長の目が印象的だ。マイカはすぐにその男が新しい顧問の作倉ではないかと察した。
どうやら、小宮山は作倉に数学を教えてもらっていたらしい。机には数学Ⅱの教科書と几帳面にメモがとられたノートが広げられていた。小宮山は、マイカが部室に入ってくると、すぐに声をかけた。
「マイカさん、体調のほうは大丈夫?」
「はい、ご心配かけてすいません」マイカは軽く頭を下げた。
「ならよかった。まぁまぁ座ってよ」小宮山がマイカを手招きした。「こちら、今日から新しい顧問として僕たちを指導してくださる作倉暦先生だよ」
小宮山が作倉を紹介すると、マイカはその場で、今度は小宮山のとなりにいる作倉に深く2度頭をさげた。そして若干速足で小宮山とその男の向かい側に位置し、持っていたカバンを床に置いた。
「君が都さんか」そう言って作倉は立ちあがった。「評判は広美先生から聞いているよ。作倉です。よろしく」
作倉は、175cmほどの身長ですごく背が高いわけではなかったが、マイカはその男にオーラのようなものをひしひしと感じ、あたふたとしてしまった。
「み、都マイカです。よ、よろしくお願いします」マイカの声は裏返りそうであった。
どもることなんて、あまりないのだが、マイカは作倉を前にして、変に緊張していた。きりっとした目つきはまるで凄腕の殺し屋のようで、マイカは作倉の顔をあまり直視できなかった。顔色が悪く、作倉から不自然に目を逸らしているマイカを見て、小宮山が不思議そうに声をかける。
「マイカさん、どうしたの?」
「い、いや別に」そう言って、マイカは一回目をつむってから、おそるおそる作倉の顔へ視線をやった。そして、作倉と目が合った瞬間、マイカは熱で重たく感じていた身体が一気に軽くなるのを感じた。さらに、身体のあらゆるところがゾワゾワとした。
――え?なに?
その体の変化に気づくと同時に、一瞬、あの夢の世界がちらついた。
薄暗く変な形のビルがたくさん建っているあの夢の世界が!
部室という空間が完全にとってかわってしまったのだ。壁も、天井も、そして足元の床もなくなって……。部室の机も椅子も棚も、小宮山までも消える。とにかく、自分と作倉を囲いこむように、数秒という短い間であるが、暗闇をまといながら巨大な建築物が爆発的に広がった。
宇宙がぶわっと膨張するような、そんなイメージの衝撃をマイカは受けた。突然のことで、マイカは数秒間のトリップを満喫する余裕など全くなかったが、これまで見たのとは違う場所だと感じた。強いて言えば、フードの少女が登場する第二の場面の映像に近いような気がした。
そして、それはあっという間に消滅して、その空間に部室の風景が戻される。
「あれ?……あれ?」
マイカは、その一瞬であるが劇的な変化に衝撃を受け、体がよろめいて倒れそうになっていた。
――今、一瞬だったけど見えた……。あれって……。
「大丈夫!?マイカさん!」小宮山がとっさに立ち上がり、机を挟んで身を乗り出し、マイカの体を支えようとする。作倉もマイカに「大丈夫かい?」と声をかける。
マイカは、机に両手をつき、ひとつ深呼吸して、上目遣いでゆっくりと作倉を見た。作倉と目があったが何も起こらない。作倉は本当に心配してくれているのか分からないほど、表情一つ変えていなかった。また幻でも見てしまったのか、と思った。
「もう大丈夫です。」とマイカが言うと、小宮山が慌てて長い机をまわってマイカの側に来た。
「いやいや、大丈夫じゃないよ!どう見ても!」
「少し座れば楽になると思います。」
小宮山は、椅子を引いてマイカに座るように促すと、作倉が無表情のまま「いや」と言ってマイカの気を引いた。
「今日は挨拶だけしようと思って来たんだ。ここに来てもらうよう私が彼に言ったんだ。都さん、体調がすぐれないのに無理を言って申し訳なかった。今日はもう帰って休みなさい」
「先生、もう行かれるんですか?」小宮山が言う。
「ああ。ふたりに会えてよかった。それじゃあ」
そう言って、部室のドアを開けて、作倉は出て行った。小宮山は、数学の分からない問題を教えてもらったので、「ありがとうございます」だの「またお願いします」だの最後に元気よく言っていたが、マイカはただ黙ってじっと作倉の去り際を見つめている。
すると、一瞬だけ味わった、あの世界のライヴ感がフラッシュバックのように蘇ってくる。
――あれは……いったいなんだったの?
マイカはついさっき味わった現象が作倉のせいなのかを確かめないまま、彼を行かせるわけにはいかない、と直感的に判断した。授業中に見た石の悪魔とは明確に違う!さっきの現象はもっと生き生きとした迫力があった。まるで魔法によって、あの夢に一瞬飛ばされたかのような。
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