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クワイエット・テラー
容赦ない闇 Ⅱ Colossal Dark
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足場が小刻みに揺れ始め、マイカの視界もより一層暗くなり、辺りはほとんど黒い靄に覆われる。それと同時に、エレベーターが上昇するときのような、下から押し上げられるような感覚に襲われた。
マイカは、得も言われぬ恐怖感に支配される。
――なにか来る?
それは下の方から感じた。何かとてつもない熱量をもった存在がこの高さまで上ってくる予感。それは助けなどではないような気もする。きっと状況をもっと悪くするような何かだ。そして、それはもうすぐ近くにいるのではないか。
嫌な予感というのはどうも的中してしまうものだが、そうであってほしくないと願いつつ、マイカは周囲を見渡した。
――まだ来てない……!
マイカの恐怖感はますます募る。足場は小刻みに震えていたのが、だんだんとその震度を増してきていた。
やがて立っているのもままならなくなって、マイカはゆっくりと足場に片膝をついて様子をうかがった。次第に強まる揺れにマイカは何度もよろつき、体勢を保つのに必死であった。
――やめて!来ないで!お願い!
マイカは心の中でそう繰り返し呟くが……。
それはマイカの正面、石の悪魔の背後の断崖から突然現れた。
――あっ……!!
マイカは戦慄した。
身の丈数十メートルもありそうな巨体が円形の足場の縁で、その上半身を曝け出している。
あまりに暗いのでシルエットのようにしか見えないが、マイカの、それに対する印象は「怪物」であった。側面が異様に出っ張っている頭部に、恐ろしく発達した両肩。そこから下はだんだんと腹にかけて細くなっている。まるで鍛え上げたボディビルダーのような体型だ。下半身は足場より下にあるので、マイカには見えないが、おそらく浮いているのであろう。
――な、なに、これ……!?
マイカの頭の中がぐるぐるする。
――か、怪物……!?……どれだけ大きいの!?私をどうかしようっていうの?
マイカはそのまま腰を抜かし、床にへたり込んでしまった。下半身に力が全く入らない。靄に遮られて、見え隠れする怪物の影に圧倒されて、マイカの体は硬直してしまう。
全く毛色の違うシナリオにすり変わってしまった。想像をはるかに越える激変ぶりにマイカは愕然とする。
――なんでこんなふうになっちゃったの……?
これはきっと最悪の目覚めになるだろうとマイカは思った。ひとりぼっちだと分かったときは何かしらの変化を望んだが、こんなシナリオはちっとも望んではいなかった。
だが、正体不明の怪物は意外にも、足場の縁のところで微動だにせず、ただじっとしているだけであった。足場の揺れもいつの間にかおさまっており、その場は再び落ち着きを取り戻していた。
――どういうこと……?
時間がピタっと止まっているかのように動かないそれが、マイカにはますます不気味に感じられた。シュモクザメのように横に出っ張った頭部からは、攻撃的な性格がうかがえるが、何もしてこないならそれに越したことはない。
マイカは、ようやく立ち上がることができ、慎重に一歩、二歩と後ずった。
――帰りたい……。ここから逃げたい。
そう思うばかりであった。
しかし、この状況ではマイカはまな板の鯉だ。圧倒的な巨体を前に、逃げ場もない。料理されるのを待つだけなのか。
――助けて!誰でもいいから!
そんな願いが誰かに届くことはなく、それどころか、状況はさらに悪化する。
――ま、また!?
足場が小刻みにゆれ始めた。そして先ほどと同じように、だんだんとその程度が増してくる。絶望している余裕などなかった。マイカは、足場から振り落とされないように、今度はへそにぐっと力を入れてしっかり体のバランスをとった。
――もしかして……!
この奇妙な物体が他にも……。
その予感はやはり当たってしまう。
今度はマイカの後方から暗黒の霧を裂きながら上ってきた。無音のままであるが、異様なまでの圧迫感を受けて、マイカはおそるおそる後ろに振り向く。それが視界に入ると、思わず顔を覆いたくなった。
――やっぱり……!
最初に現れたものに劣らないぐらいの巨大さで、シルエットもやや似通っている。そして、これまた一体目と同じように、上半身だけをさらしてピタっと止まった。
マイカは左右に揺さぶられながら、ぼんやりとそれを見つめた。やはり靄のせいで、はっきりとした姿形をとらえることができない。
一体目のコピーのように思われたが、微妙に違うことに気付く。よく観察する余裕も、そのための視力もマイカには十分なかったが、二体目の怪物には、翼のようなものがあることだけは確認できた。
嫌な予感は続く。
二体目が現れてもなお足場の揺れがおさまっていないことが、マイカをより絶望へと追い込むであろうことを示唆していた。
――まだくる……!
マイカは、二体目の怪物が位置した場所からそのまま横へ視線をスライドさせた。そこはまだ虚ろな空間であったが、得体のしれない膨大な力に支配される気配を漂わせている。
もう来るのは間違いない。それが目に飛び込んでくるのを覚悟するだけだ。マイカは立て膝の状態で、身構える。
マイカの視線の先に、三体目の怪物が出現した。
――うわっ!!
構えていても、体は正直にビクッとする。音もたてずにいきなり巨大な物体が目の前に現れるというのは、かえって心臓に悪い。
予想通り、三体目の怪物も先に現れた二体と同じようなシルエットだ。ただ、三体目には大きな特徴があった。じっと観察するまでもなく、三体目には大きな翼が背中に生えているのが確認できる。これに比べたら、二体目のものなど翼と言えるのか怪しいとすら思えるほどに。
三体目の登場でようやく揺れは収まった。三体の怪物は円形の足場の縁でトライアングルを形成するように位置取り、マイカの前に立ちはだかった。見下ろされるだけで潰されてしまいそうなほどの、とんでもない圧迫感だ。
マイカは委縮してしまって、茫然と立ち尽くしていた。蟻が人間を見上げるとこのような感じになるのだろう。
いや、人間だったらまだいい。人間には良心があるのだから。マイカの眼前に立ちふさがる三体の巨像に果たして慈悲などあるのだろうか。到底そんな期待はできそうもない。
三体の怪物の時間はまだ止まったままだ。マイカは、いつ動き出すか分からない三体を見まわす。視界の端がゆらめくと、心臓が口から飛び出そうになるが、動いたのは靄であった。
――こんな夢、はやく変えないと!
夢の管理者として、勇敢にもこの怪物たちを打ち砕こう。ファンタジーの勇者のように、力強く、それでいて華麗に!
マイカはそんな妄想に身を委ねたかった。武器も防具も持たない頼りない勇者だとも思ったが、夢の中なのだから何かしらの魔法のようなものは使えてもいいのではないかとマイカは思う。
恐くて逃げ出したい気持ちに駆られながらも、マイカは今一度グッと身構える。できれば目の前に立ちはだかる敵を鮮やかに倒してのハッピーエンドへと向かっていきたい。
けれども、改めて怪物たちを見上げてみると、その闇にまぎれて浮遊する不気味な存在感でどうしても足がすくんでしまう。戦意喪失も甚だしい。
――こんなんじゃまるでダメ……。
マイカの弱気な心は完全に砕け散っていた。
マイカは夢というものは、主人公である自分に確固たる優位性があると甘く見ていた。実際は、マイカの夢は今、容赦なく襲いかかる闇に支配されてしまっている。この夢の主人公はあまりにも無力だ。
――どうにもならない……。ハッピーエンドにならない…!
いよいよ支配された夢に変化が訪れる。
マイカが砕けてしまった心のピースを拾い集めているうちに、怪物たちの時計が再び動き出してしまった。まず後から現れた二体が、互いに同調するように胸のところで両手を合わせた。マイカには、それがちょうど合掌しているように見えた。
――何……?手を合わせてる……?
マイカがそれらの所作を目の当たりにした瞬間、ゆっくりと、体が意に反して空中にふわりと浮き始めた。
――わわわっ!
両足が床から離れ、体のバランスが効かなくなり、体が後ろに傾く。倒れてしまわないようにジタバタするが、次第に手足の自由すら効かなくなっていき、無防備の状態で空中にさらされた。そして、どんどんと上昇していく。ハンマーヘッドの怪物を一瞥すると、まだじっと静止したままだ。
――どうするつもり!?
体は金縛りにあったかのように動かない。どこまで上昇するのだろう。もう落下したらただの怪我ではすまないような高さまで持ち上げられている。
――もういい!もうおろして!これは私の夢なんだから、私に従って!
そんなマイカの心の叫びなど無力であった。
マイカの体は、とうとう怪物たちの首の高さまで上昇して、ピタっと止まった。それは位置エネルギーを十分に高めたジェットコースターがてっぺんで一旦停止したとき味わう恐怖感に似ていた。
マイカは目をつむってしまいそうだった。しかし、それはできない。何をされるのか分からないのだから。それに夢で目を閉じることなど意味をなさないことはよくわかっていた。恐怖は強制的に視覚に訴えてくるのだ。
マイカの視線は、じっとしていたはずの底気味悪い大きな影へと流れる。
ついに、唯一の翼を持たない正面の怪物が動き出す。反対側の二体と同じように、まず胸の位置で両手を合わせる。これで、三体とも同じ合掌のような構えをとっている形となった。
そして、またその状態で怪物たちの時計は止まる。
――え?どういうこと?私……、拝まれてるの?
マイカは拍子抜けしてしまった。これは仏の慈悲なのか?目の前にいる、一見悪意の塊のように見える連中は、ひょっとしたら敵ではないのではないか。この三体こそ、思い描いていたのとはかけ離れているが、自分を助けに来てくれた救世主なのかもしれない。
そんなはずはないことはマイカにも分かっていた。しかし、ひびだらけの心は逃げ道を探そうと必死だったのだ。
今度は、意外にも早く、時計の針が再び刻みだした。
怪物たちはゆっくりとシンクロしながら、合わせた手を離し、そのまま頭上へと上げる。三体とも、ちょうど万歳しているような形になった。そして、間髪いれずにその両腕を前へ下ろした。
すると、マイカの体は一気に急降下した。その下に足場はおろか建物すらなかったかのように、何もかもすり抜けて落ちていく。
――これって……!
マイカは、その感覚を身をもって知っていた。いつも見る夢の、第一場面から第二場面へ移行する感覚と全く同じだ。
ただ、スピードがまるで段違いである。何も考えられず、ただ目をつむることしかできない。
そして、ものの数秒で、水面に叩きつけられ、水中へと潜っていく感覚をマイカは味わった。それでも降下はまだ終わらず、どんどんと暗澹たる水底へ落とされていく。
やがて降下に終わりがきた。目を開けてもはっきり見えるものは何もない。真に暗き闇だ。きっと水面は途方もなく上。眼下には、深淵が垣間見えた。息ができなくて、宙に浮いているようだが、四方からくる圧力のせいで体の動きが緩慢だ。それはこれまでの経験から、水中にいるということをまざまざと確信させた
――苦……しい……。
マイカは、夢の中なのに、こんなに息苦しさを強く感じるものかと思った。このままでは、本当に窒息死してしまうのではないかというぐらいの苦しみに苛まれた。手足をジタバタさせ、這い上がろうとするが、上方には光など全く見えない。どれぐらいの深さにいるかも分からない絶望感で、余計に息苦しさを感じる。これは拷問だ。
――早く覚めて……夢から覚めて……。
マイカは、とにかく水面まで上がるしかないと、一生懸命両手で水を掻いて這い上がろうとした。しかし、いくら這い上がっても、闇は増すばかりで、上昇しているのか下降しているのかも判断つかないぐらいだ。
それは、マイカの心を完膚なきまで粉砕するに十分であった。水中に投げ込まれて、まだ1分も経っていないであろうが、マイカにはもう五分以上経っているような感覚だった。
やがて息苦しさはピークに達し、思考も完全に停止する。その瀬戸際で、この先に待っているのは死のみだとマイカは悟った。
マイカは、得も言われぬ恐怖感に支配される。
――なにか来る?
それは下の方から感じた。何かとてつもない熱量をもった存在がこの高さまで上ってくる予感。それは助けなどではないような気もする。きっと状況をもっと悪くするような何かだ。そして、それはもうすぐ近くにいるのではないか。
嫌な予感というのはどうも的中してしまうものだが、そうであってほしくないと願いつつ、マイカは周囲を見渡した。
――まだ来てない……!
マイカの恐怖感はますます募る。足場は小刻みに震えていたのが、だんだんとその震度を増してきていた。
やがて立っているのもままならなくなって、マイカはゆっくりと足場に片膝をついて様子をうかがった。次第に強まる揺れにマイカは何度もよろつき、体勢を保つのに必死であった。
――やめて!来ないで!お願い!
マイカは心の中でそう繰り返し呟くが……。
それはマイカの正面、石の悪魔の背後の断崖から突然現れた。
――あっ……!!
マイカは戦慄した。
身の丈数十メートルもありそうな巨体が円形の足場の縁で、その上半身を曝け出している。
あまりに暗いのでシルエットのようにしか見えないが、マイカの、それに対する印象は「怪物」であった。側面が異様に出っ張っている頭部に、恐ろしく発達した両肩。そこから下はだんだんと腹にかけて細くなっている。まるで鍛え上げたボディビルダーのような体型だ。下半身は足場より下にあるので、マイカには見えないが、おそらく浮いているのであろう。
――な、なに、これ……!?
マイカの頭の中がぐるぐるする。
――か、怪物……!?……どれだけ大きいの!?私をどうかしようっていうの?
マイカはそのまま腰を抜かし、床にへたり込んでしまった。下半身に力が全く入らない。靄に遮られて、見え隠れする怪物の影に圧倒されて、マイカの体は硬直してしまう。
全く毛色の違うシナリオにすり変わってしまった。想像をはるかに越える激変ぶりにマイカは愕然とする。
――なんでこんなふうになっちゃったの……?
これはきっと最悪の目覚めになるだろうとマイカは思った。ひとりぼっちだと分かったときは何かしらの変化を望んだが、こんなシナリオはちっとも望んではいなかった。
だが、正体不明の怪物は意外にも、足場の縁のところで微動だにせず、ただじっとしているだけであった。足場の揺れもいつの間にかおさまっており、その場は再び落ち着きを取り戻していた。
――どういうこと……?
時間がピタっと止まっているかのように動かないそれが、マイカにはますます不気味に感じられた。シュモクザメのように横に出っ張った頭部からは、攻撃的な性格がうかがえるが、何もしてこないならそれに越したことはない。
マイカは、ようやく立ち上がることができ、慎重に一歩、二歩と後ずった。
――帰りたい……。ここから逃げたい。
そう思うばかりであった。
しかし、この状況ではマイカはまな板の鯉だ。圧倒的な巨体を前に、逃げ場もない。料理されるのを待つだけなのか。
――助けて!誰でもいいから!
そんな願いが誰かに届くことはなく、それどころか、状況はさらに悪化する。
――ま、また!?
足場が小刻みにゆれ始めた。そして先ほどと同じように、だんだんとその程度が増してくる。絶望している余裕などなかった。マイカは、足場から振り落とされないように、今度はへそにぐっと力を入れてしっかり体のバランスをとった。
――もしかして……!
この奇妙な物体が他にも……。
その予感はやはり当たってしまう。
今度はマイカの後方から暗黒の霧を裂きながら上ってきた。無音のままであるが、異様なまでの圧迫感を受けて、マイカはおそるおそる後ろに振り向く。それが視界に入ると、思わず顔を覆いたくなった。
――やっぱり……!
最初に現れたものに劣らないぐらいの巨大さで、シルエットもやや似通っている。そして、これまた一体目と同じように、上半身だけをさらしてピタっと止まった。
マイカは左右に揺さぶられながら、ぼんやりとそれを見つめた。やはり靄のせいで、はっきりとした姿形をとらえることができない。
一体目のコピーのように思われたが、微妙に違うことに気付く。よく観察する余裕も、そのための視力もマイカには十分なかったが、二体目の怪物には、翼のようなものがあることだけは確認できた。
嫌な予感は続く。
二体目が現れてもなお足場の揺れがおさまっていないことが、マイカをより絶望へと追い込むであろうことを示唆していた。
――まだくる……!
マイカは、二体目の怪物が位置した場所からそのまま横へ視線をスライドさせた。そこはまだ虚ろな空間であったが、得体のしれない膨大な力に支配される気配を漂わせている。
もう来るのは間違いない。それが目に飛び込んでくるのを覚悟するだけだ。マイカは立て膝の状態で、身構える。
マイカの視線の先に、三体目の怪物が出現した。
――うわっ!!
構えていても、体は正直にビクッとする。音もたてずにいきなり巨大な物体が目の前に現れるというのは、かえって心臓に悪い。
予想通り、三体目の怪物も先に現れた二体と同じようなシルエットだ。ただ、三体目には大きな特徴があった。じっと観察するまでもなく、三体目には大きな翼が背中に生えているのが確認できる。これに比べたら、二体目のものなど翼と言えるのか怪しいとすら思えるほどに。
三体目の登場でようやく揺れは収まった。三体の怪物は円形の足場の縁でトライアングルを形成するように位置取り、マイカの前に立ちはだかった。見下ろされるだけで潰されてしまいそうなほどの、とんでもない圧迫感だ。
マイカは委縮してしまって、茫然と立ち尽くしていた。蟻が人間を見上げるとこのような感じになるのだろう。
いや、人間だったらまだいい。人間には良心があるのだから。マイカの眼前に立ちふさがる三体の巨像に果たして慈悲などあるのだろうか。到底そんな期待はできそうもない。
三体の怪物の時間はまだ止まったままだ。マイカは、いつ動き出すか分からない三体を見まわす。視界の端がゆらめくと、心臓が口から飛び出そうになるが、動いたのは靄であった。
――こんな夢、はやく変えないと!
夢の管理者として、勇敢にもこの怪物たちを打ち砕こう。ファンタジーの勇者のように、力強く、それでいて華麗に!
マイカはそんな妄想に身を委ねたかった。武器も防具も持たない頼りない勇者だとも思ったが、夢の中なのだから何かしらの魔法のようなものは使えてもいいのではないかとマイカは思う。
恐くて逃げ出したい気持ちに駆られながらも、マイカは今一度グッと身構える。できれば目の前に立ちはだかる敵を鮮やかに倒してのハッピーエンドへと向かっていきたい。
けれども、改めて怪物たちを見上げてみると、その闇にまぎれて浮遊する不気味な存在感でどうしても足がすくんでしまう。戦意喪失も甚だしい。
――こんなんじゃまるでダメ……。
マイカの弱気な心は完全に砕け散っていた。
マイカは夢というものは、主人公である自分に確固たる優位性があると甘く見ていた。実際は、マイカの夢は今、容赦なく襲いかかる闇に支配されてしまっている。この夢の主人公はあまりにも無力だ。
――どうにもならない……。ハッピーエンドにならない…!
いよいよ支配された夢に変化が訪れる。
マイカが砕けてしまった心のピースを拾い集めているうちに、怪物たちの時計が再び動き出してしまった。まず後から現れた二体が、互いに同調するように胸のところで両手を合わせた。マイカには、それがちょうど合掌しているように見えた。
――何……?手を合わせてる……?
マイカがそれらの所作を目の当たりにした瞬間、ゆっくりと、体が意に反して空中にふわりと浮き始めた。
――わわわっ!
両足が床から離れ、体のバランスが効かなくなり、体が後ろに傾く。倒れてしまわないようにジタバタするが、次第に手足の自由すら効かなくなっていき、無防備の状態で空中にさらされた。そして、どんどんと上昇していく。ハンマーヘッドの怪物を一瞥すると、まだじっと静止したままだ。
――どうするつもり!?
体は金縛りにあったかのように動かない。どこまで上昇するのだろう。もう落下したらただの怪我ではすまないような高さまで持ち上げられている。
――もういい!もうおろして!これは私の夢なんだから、私に従って!
そんなマイカの心の叫びなど無力であった。
マイカの体は、とうとう怪物たちの首の高さまで上昇して、ピタっと止まった。それは位置エネルギーを十分に高めたジェットコースターがてっぺんで一旦停止したとき味わう恐怖感に似ていた。
マイカは目をつむってしまいそうだった。しかし、それはできない。何をされるのか分からないのだから。それに夢で目を閉じることなど意味をなさないことはよくわかっていた。恐怖は強制的に視覚に訴えてくるのだ。
マイカの視線は、じっとしていたはずの底気味悪い大きな影へと流れる。
ついに、唯一の翼を持たない正面の怪物が動き出す。反対側の二体と同じように、まず胸の位置で両手を合わせる。これで、三体とも同じ合掌のような構えをとっている形となった。
そして、またその状態で怪物たちの時計は止まる。
――え?どういうこと?私……、拝まれてるの?
マイカは拍子抜けしてしまった。これは仏の慈悲なのか?目の前にいる、一見悪意の塊のように見える連中は、ひょっとしたら敵ではないのではないか。この三体こそ、思い描いていたのとはかけ離れているが、自分を助けに来てくれた救世主なのかもしれない。
そんなはずはないことはマイカにも分かっていた。しかし、ひびだらけの心は逃げ道を探そうと必死だったのだ。
今度は、意外にも早く、時計の針が再び刻みだした。
怪物たちはゆっくりとシンクロしながら、合わせた手を離し、そのまま頭上へと上げる。三体とも、ちょうど万歳しているような形になった。そして、間髪いれずにその両腕を前へ下ろした。
すると、マイカの体は一気に急降下した。その下に足場はおろか建物すらなかったかのように、何もかもすり抜けて落ちていく。
――これって……!
マイカは、その感覚を身をもって知っていた。いつも見る夢の、第一場面から第二場面へ移行する感覚と全く同じだ。
ただ、スピードがまるで段違いである。何も考えられず、ただ目をつむることしかできない。
そして、ものの数秒で、水面に叩きつけられ、水中へと潜っていく感覚をマイカは味わった。それでも降下はまだ終わらず、どんどんと暗澹たる水底へ落とされていく。
やがて降下に終わりがきた。目を開けてもはっきり見えるものは何もない。真に暗き闇だ。きっと水面は途方もなく上。眼下には、深淵が垣間見えた。息ができなくて、宙に浮いているようだが、四方からくる圧力のせいで体の動きが緩慢だ。それはこれまでの経験から、水中にいるということをまざまざと確信させた
――苦……しい……。
マイカは、夢の中なのに、こんなに息苦しさを強く感じるものかと思った。このままでは、本当に窒息死してしまうのではないかというぐらいの苦しみに苛まれた。手足をジタバタさせ、這い上がろうとするが、上方には光など全く見えない。どれぐらいの深さにいるかも分からない絶望感で、余計に息苦しさを感じる。これは拷問だ。
――早く覚めて……夢から覚めて……。
マイカは、とにかく水面まで上がるしかないと、一生懸命両手で水を掻いて這い上がろうとした。しかし、いくら這い上がっても、闇は増すばかりで、上昇しているのか下降しているのかも判断つかないぐらいだ。
それは、マイカの心を完膚なきまで粉砕するに十分であった。水中に投げ込まれて、まだ1分も経っていないであろうが、マイカにはもう五分以上経っているような感覚だった。
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