14 / 44
クワイエット・テラー
容赦ない闇 Ⅲ
しおりを挟む
「マイカ!ちょっと!マイカ」
姉の声で、マイカは目を覚ました。目を覚ました瞬間は、まだ水中にいるのかと思い、息が荒くなっていた。心配そうに自分の顔をのぞき見る姉の顔を見てようやく、助かったのだと思った。全身が汗でびっしょり濡れている。
「お姉ちゃん」マイカは涙ぐんで言った。「私、助かったんだ」
「もう」リナは目に涙を溜めているマイカの頭を優しくなでた。「こわい夢見たの?」
マイカが何も言わずにうなずいて、上半身を起こした。
「帰ってきて様子見に来たら、すごくうなされているからびっくりしちゃったじゃない」 リナは真剣な表情で言う。「今日、学校平気だった?無理したんじゃないの?」
「大丈夫だよ。」マイカは目にたまった涙をぬぐって言った。「お姉ちゃんの顔見たら安心しちゃって」
マイカは安堵の笑みを浮かべた。リナも優しく微笑み返す。
リナは、朝出て行ったときと同じ格好をしていた。おそらく、帰ってきて間もないのだということは分かった。
「まだ夜?今何時?」マイカが言った。
「夜の八時だよ」リナが答える。
マイカにとっては、思ったより寝ている時間は短かった。マイカの感覚では、朝でもおかしくないぐらい眠っていた気がした。汗をいっぱいかいたせいか、頭痛はおさまっていて、吐き気もない。あんな夢を見た後だったが、体は正直で、空腹感もある。
おあつらえむきにリナが言う。
「お腹空いてる?今日はあなたあんまり食べないと思ったんだけど、一応買ってきちゃった」リナの右手には近所のカレー店のビニール袋が握られていた。スパイスの効いた香りが漂ってくる。大きさから二人分しっかり入っているようだ。
「うん。食べる」マイカは即答した。食欲が出てきて回復しているという実感があった。
「そう。じゃあ、居間にいらっしゃい。私もシャワーあびて着替えちゃうから」そう言ってリナは部屋を出て行った。
マイカは、ベッドからすぐには出られなかった。まだ心臓が強く脈を打っている。トラウマになりそうな夢だった。最悪なことに、その内容は鮮明に覚えている。マイカは、思い出してまたふとんをかぶって横になった。
ふとんの中で、夢の中で起きたことについて考える。
――お姉ちゃんが起こしてくれなかったら、私どうなってたんだろ?
暗く寂しい海中に落とされた時の息苦しさの感覚が蘇ってくる。同時に、仄暗い深淵で、浮かび上がることなくもがき苦しみ続ける自分の姿が頭に浮かぶ。なすすべなく、終わりを待つしかない絶望的状況を思い出して、マイカは血の気が引いた。
――あの怪物たちは何?私を殺しに来たの?
マイカの脳には、怪物たちの巨大で不気味なシルエットが焼き付いていた。思いだしたくなくても、思い出してしまう。そして、忘れたくても忘れられないだろう。
――もうあんな世界こりごり!
あの怪物たちのせいで、もうあの世界に行きたくないという気持ちがマイカに芽生える。マイカにとって、あの世界は興味深くて魅力的なものではなくなってしまっていた。
――きっと、あの作倉って先生のせいだ。
マイカは、作倉に出会ってしまったことで、どんな作用が働いたかは全く見当もつかないが、あの世界に変化がもたらされたと考えた。確信はもてないが、きっとそうだ。自分に何かを隠しているのも怪しい。より一層、作倉への不信感が募っていく。
――金髪のお姉さん、どうしちゃったんだろ。
マイカは、あの場所に金髪の女性が来なかったこも気にかかった。自分を助けに来てくれなかったことを恨んでいるわけではない。マイカにはもっと恐ろしい可能性が頭に浮かんでいた。
それは、金髪の女性もあの影の怪物たちの餌食になってしまったのではないかという可能性だ。そんなことは考えたくないが、どうしてもネガティブな方向へ意識が向いてしまう。
――もしかして、みんな、あの怪物たちに……?
金髪の女性もフードの少女も、青髪の少女も。幼いころから、自分の心に寄り添ってくれた大事な存在。それらが失われてしまったかもしれないと思うと、マイカはどうしようもなく寂しい気持ちになった。
――無事でいてくれるといいけど……。
マイカは、あの怪物たちに襲われてから、弱気になっていた。あの醜く変容してしまった世界への恐怖がマイカの心に張り付いて離れなかった。
マイカはベッドから出て、汗でびしょびしょになった寝間着を着替える。まだ生温かい汗で濡れた下着と服は、あの暗い深淵にいるような感覚を呼び起こさせて、気分が悪かった。
居間に行くと、リナがシャワーを終えて、カレーを食卓の上に用意してくれていた。マイカとリナは、いつものように向かい合って座った。カレーは、人気チェーン店で買ったオーソドックスな甘口のものだった。リナはマイカが甘口を好むので、それを選んでくれたのだろう。だからといって自分まで甘口にしなくていいのに、とマイカは思った。
「さぁ、食べましょう。」
リナが言うと、マイカは小さくうなずき、付いてきたプラスチックのスプーンでカレーのルーの部分とライスを黙って混ぜ始めた。
「まだ調子悪い?」リナが心配そうに言う。
「ううん、だいぶよくなったよ」マイカが顔をあげて答える。
「なんか心ここにあらずって感じだったから」リナはそう言って、カレーをすくってすすった。
「ごめん、ごめん。お腹空いてたから、つい無言になっちゃった」
マイカは気分が落ち込んでいるのをリナに悟られてはいけないと、元気を装った。体のほうなら、確かに元気になっているはずなので嘘はついていない。マイカは、ほどよくルーの部分とライスが混ざると、スプーンで次々と口に放り込む。
「早食いは太るよ」リナがニヤニヤしながら言う。
「カレーっておいしいけど、ペロっていっちゃうところがねえ」
マイカはいったんスプーンを置いて言った。冷蔵庫へ水を取りに立ち上がると、リナは「そうそう」と何かを思い出したかのように言った。
「あなたが夢で見たって言う悪魔の石像のことなんだけど」とリナは切り出すと、マイカはドキっとした。今はあの夢のことを思い出したくなかった。マイカがミネラルウォーターのペッドボトルをもってテーブルに戻ってくると、リナは容赦なく続けた。
「あれね、私の同僚にファンタジー好きって人がいたから聞いて見たのよ。そしたら、それはきっとガーゴイルだって言うのよ」
「ガーゴイル…なんか聞いたことあるようなないような……」マイカは何かの本か映画でその言葉に聞き覚えがある気がした。
「それで私、仕事中にこっそり、そのガーゴイルのことをネットで調べたのよ」
リナが嬉々として話す。
「なんか、もともとガーゴイルっていうのは、西洋建築で屋根に置かれて雨どいの役割をする彫刻のことを言うらしいの。だから、形はいろいろなものがあったみたいだけど、悪魔の形をしているのが多いみたい」
「へぇ。なんで悪魔なんだろうね」マイカはカレーを食べる手をとめ、ペットボトルの水を一口飲んだ。
「さぁ……。画像を検索しても、ほら、悪魔の形をしたのばっか出てくる」
リナは、スマートフォンのブラウザでガーゴイルの画像を検索し、マイカにも見えるようにテーブルの中央に置いた。マイカは、そんなものを見せられてもと思いながら、仕方なくリナのスマートフォンの小さなディスプレイにちらりと目をやった。すると、思いの外ピンとくるものがあったので、目を見開き、テーブルに身を乗り出して興味深く観察した。
「そうそう!こんな感じ!」マイカの声のトーンが上がった。
「やっぱり!そうなんだ!」リナはどうだという顔でマイカに言う。
「この高いところにいる感じも似てる!……あれ、ガーゴイルっていうんだ」マイカはリナのスマートフォンのディスプレイをスクロールしながら言う。
悪魔が高所から、翼の生えた背中を曲げて、前かがみになりながら街を見下ろしている様が、夢に出てくる石の悪魔によく似ていた。しかし、それらを見てマイカには納得できないことがひとつあった。夢中になって画面をスクロールしているうちにしかめ面になっていくマイカを見て、リナは首をかしげた。
「なんかちがう?」
「うん。姿形は似ているけど、顔が違うよ。こんな猿みたいな顔じゃない」
どの画像のガーゴイルも、頬のこけた顔でやせ形の体型であったことが、マイカには引っかかった。夢に出てくる石の悪魔は、ガーゴイルであることは間違いないが、もっと顔は可愛らしく哀愁が感じられた。
マイカは、そのままリナのスマートフォンのブラウザで「シーサー」と画像検索をした。
「あ!やっぱ顔はこっちの方が近い!」
今度は、マイカがリナにスマートフォンのディスプレイを見せるように、テーブルの中央に置く。
「これって沖縄の?シーサー?」リナが訊く。
「そうそう。でもこんなおっかない表情じゃなかったな。もっとシーサーをマヌケにしたような感じかなぁ」
「マヌケなシーサー?」リナが想像して笑った。
「しかも見て!」とマイカはディスプレイを指差して言った。「屋根の上に居るシーサーもいるよ!」
「ほんとだ」
意外な共通点に、リナとマイカは顔を合わせて笑った。
「じゃあ、結局あなたの夢に出てくるのはガーゴイルなの?それともシーサー?」
ひとしきり笑ってリナがマイカに訊いた。
「あれはガーゴイルだよ!」マイカが即答した。「顔だけマヌケなシーサーなだけで。シーサーって体は犬みたいだし、翼は生えてないでしょ?」
実際、マイカは、石の悪魔がガーゴイルだという確信をもてたが、リナがせっかく見つけてくれたのだから、それを認めたいという思いも強かった。
「そうか、あれはガーゴイルっていうんだ。ガーゴイルね」
マイカはリナの手柄だと言わんばかりに、その名を何度も口にした。リナも得意げな表情で、またカレーを食べ始めた。
「明日も学校行けそう?」リナは、ガーゴイルの件が解決したので、唐突に話題を変えてきた。
リナに学校のことを聞かれ、マイカは一瞬作倉のことが頭に浮かんだ。そして考え込むように押し黙ってしまった。
リナはいきなりマイカがふさぎこむようにしたので、何も言わずにマイカの顔を下から覗き込んだ。しかし、それでもマイカは黙って一点を見つめていたので、とうとう声をかけた。
「どうしたの?」
リナの声にマイカはハッとした。
「あ、ごめん……!」マイカはドギマギしながら答えた。「明日行くよ!もちろん行くよ!ほら、もう食欲もあるし。これで学校に行かないだなんてズル休みになっちゃう」
マイカは作倉にあの夢の世界のことを追求せずにはいられなかった。作倉があの夢の世界に関わっている可能性は大いにありそうだ。
――明日はしらばっくれても、容赦しないんだから。
マイカは、あの夢の世界とは決別したかった。あんなひどい目に会うなら、もうあの世界には訪れまいという強く思っていた。しかし、夢をコントロールすることなどできない。 もし、またあの世界に行ってしまったらと思うとマイカは気持ちが沈んだ。
せっかく、姉がガーゴイルのことを教えてくれたけど、あのガーゴイルを思い出すと、その背後に現れたあの怪物も無慈悲なほどに頭をよぎる。マイカのあの世界への興味は、さっきの夢でリセットされてしまった。
「ねぇ、お姉ちゃん」とマイカはカレーを食べ終わろうとしていたリナに言う。「今日、お姉ちゃんのベッドでいっしょに寝ていい?」
「え~!?」とリナは大げさに驚いて見せた。「馬鹿にお子ちゃまじゃない!」
「ダメ?」消え入りそうな声だ。
「いいけど、珍しいわね。さっきよほど怖い夢を見たのね。」
リナがそう言うと、マイカはさっと立ちあがって「じゃあ、先に寝てるね。」とだけ言って、食べ終わった容器とスプーンをキッチンの流しに置いて、自分の部屋に引きあげた。
リナは、普段クールなマイカが意外にもかわいらしい申し出をしたので、すこし驚いたが、ちゃんと頼られているのだと感じ、自然と笑みがこぼれた。
マイカは、先にリナの部屋のベッドに入っていた。電気を消して眠ろうと試みるが、結局リナが来るまで、一時間程眠れずにいた。あの世界にひとりで行くのが怖かった。
リナがベッドに入ってくると、マイカは安堵し、急に眠気が襲ってきた。姉といっしょならば、マイカはまたあの夢の世界に行ったとしても、大丈夫な気がした。
――きっと、またお姉ちゃんが助けてくれる。
マイカは姉の温もりの心地よさの中で、すぐに寝入ってしまいそうだった。だが、ふと明日のことを考えてしまい、何かを思い出したように、ベッドから上半身を起こした。
「どうしたの?」リナが眠たそうな声で訊く。
「ちょっと、今日の復習やらなきゃ!」
マイカは、明日も数学の授業があることを思い出した。作倉に隙を与えないためにも、今日の数学の授業での理解不足を補っておかねばと思った。作倉と闘うなら、あらゆる面で万全の準備をせねば。
マイカは、30分ほど自分の部屋で数学の復習をして、すぐにリナの部屋に戻ってベッドに潜った。
結局、マイカはこの晩、あの夢の世界を訪れずに朝を迎えることができた。
姉の声で、マイカは目を覚ました。目を覚ました瞬間は、まだ水中にいるのかと思い、息が荒くなっていた。心配そうに自分の顔をのぞき見る姉の顔を見てようやく、助かったのだと思った。全身が汗でびっしょり濡れている。
「お姉ちゃん」マイカは涙ぐんで言った。「私、助かったんだ」
「もう」リナは目に涙を溜めているマイカの頭を優しくなでた。「こわい夢見たの?」
マイカが何も言わずにうなずいて、上半身を起こした。
「帰ってきて様子見に来たら、すごくうなされているからびっくりしちゃったじゃない」 リナは真剣な表情で言う。「今日、学校平気だった?無理したんじゃないの?」
「大丈夫だよ。」マイカは目にたまった涙をぬぐって言った。「お姉ちゃんの顔見たら安心しちゃって」
マイカは安堵の笑みを浮かべた。リナも優しく微笑み返す。
リナは、朝出て行ったときと同じ格好をしていた。おそらく、帰ってきて間もないのだということは分かった。
「まだ夜?今何時?」マイカが言った。
「夜の八時だよ」リナが答える。
マイカにとっては、思ったより寝ている時間は短かった。マイカの感覚では、朝でもおかしくないぐらい眠っていた気がした。汗をいっぱいかいたせいか、頭痛はおさまっていて、吐き気もない。あんな夢を見た後だったが、体は正直で、空腹感もある。
おあつらえむきにリナが言う。
「お腹空いてる?今日はあなたあんまり食べないと思ったんだけど、一応買ってきちゃった」リナの右手には近所のカレー店のビニール袋が握られていた。スパイスの効いた香りが漂ってくる。大きさから二人分しっかり入っているようだ。
「うん。食べる」マイカは即答した。食欲が出てきて回復しているという実感があった。
「そう。じゃあ、居間にいらっしゃい。私もシャワーあびて着替えちゃうから」そう言ってリナは部屋を出て行った。
マイカは、ベッドからすぐには出られなかった。まだ心臓が強く脈を打っている。トラウマになりそうな夢だった。最悪なことに、その内容は鮮明に覚えている。マイカは、思い出してまたふとんをかぶって横になった。
ふとんの中で、夢の中で起きたことについて考える。
――お姉ちゃんが起こしてくれなかったら、私どうなってたんだろ?
暗く寂しい海中に落とされた時の息苦しさの感覚が蘇ってくる。同時に、仄暗い深淵で、浮かび上がることなくもがき苦しみ続ける自分の姿が頭に浮かぶ。なすすべなく、終わりを待つしかない絶望的状況を思い出して、マイカは血の気が引いた。
――あの怪物たちは何?私を殺しに来たの?
マイカの脳には、怪物たちの巨大で不気味なシルエットが焼き付いていた。思いだしたくなくても、思い出してしまう。そして、忘れたくても忘れられないだろう。
――もうあんな世界こりごり!
あの怪物たちのせいで、もうあの世界に行きたくないという気持ちがマイカに芽生える。マイカにとって、あの世界は興味深くて魅力的なものではなくなってしまっていた。
――きっと、あの作倉って先生のせいだ。
マイカは、作倉に出会ってしまったことで、どんな作用が働いたかは全く見当もつかないが、あの世界に変化がもたらされたと考えた。確信はもてないが、きっとそうだ。自分に何かを隠しているのも怪しい。より一層、作倉への不信感が募っていく。
――金髪のお姉さん、どうしちゃったんだろ。
マイカは、あの場所に金髪の女性が来なかったこも気にかかった。自分を助けに来てくれなかったことを恨んでいるわけではない。マイカにはもっと恐ろしい可能性が頭に浮かんでいた。
それは、金髪の女性もあの影の怪物たちの餌食になってしまったのではないかという可能性だ。そんなことは考えたくないが、どうしてもネガティブな方向へ意識が向いてしまう。
――もしかして、みんな、あの怪物たちに……?
金髪の女性もフードの少女も、青髪の少女も。幼いころから、自分の心に寄り添ってくれた大事な存在。それらが失われてしまったかもしれないと思うと、マイカはどうしようもなく寂しい気持ちになった。
――無事でいてくれるといいけど……。
マイカは、あの怪物たちに襲われてから、弱気になっていた。あの醜く変容してしまった世界への恐怖がマイカの心に張り付いて離れなかった。
マイカはベッドから出て、汗でびしょびしょになった寝間着を着替える。まだ生温かい汗で濡れた下着と服は、あの暗い深淵にいるような感覚を呼び起こさせて、気分が悪かった。
居間に行くと、リナがシャワーを終えて、カレーを食卓の上に用意してくれていた。マイカとリナは、いつものように向かい合って座った。カレーは、人気チェーン店で買ったオーソドックスな甘口のものだった。リナはマイカが甘口を好むので、それを選んでくれたのだろう。だからといって自分まで甘口にしなくていいのに、とマイカは思った。
「さぁ、食べましょう。」
リナが言うと、マイカは小さくうなずき、付いてきたプラスチックのスプーンでカレーのルーの部分とライスを黙って混ぜ始めた。
「まだ調子悪い?」リナが心配そうに言う。
「ううん、だいぶよくなったよ」マイカが顔をあげて答える。
「なんか心ここにあらずって感じだったから」リナはそう言って、カレーをすくってすすった。
「ごめん、ごめん。お腹空いてたから、つい無言になっちゃった」
マイカは気分が落ち込んでいるのをリナに悟られてはいけないと、元気を装った。体のほうなら、確かに元気になっているはずなので嘘はついていない。マイカは、ほどよくルーの部分とライスが混ざると、スプーンで次々と口に放り込む。
「早食いは太るよ」リナがニヤニヤしながら言う。
「カレーっておいしいけど、ペロっていっちゃうところがねえ」
マイカはいったんスプーンを置いて言った。冷蔵庫へ水を取りに立ち上がると、リナは「そうそう」と何かを思い出したかのように言った。
「あなたが夢で見たって言う悪魔の石像のことなんだけど」とリナは切り出すと、マイカはドキっとした。今はあの夢のことを思い出したくなかった。マイカがミネラルウォーターのペッドボトルをもってテーブルに戻ってくると、リナは容赦なく続けた。
「あれね、私の同僚にファンタジー好きって人がいたから聞いて見たのよ。そしたら、それはきっとガーゴイルだって言うのよ」
「ガーゴイル…なんか聞いたことあるようなないような……」マイカは何かの本か映画でその言葉に聞き覚えがある気がした。
「それで私、仕事中にこっそり、そのガーゴイルのことをネットで調べたのよ」
リナが嬉々として話す。
「なんか、もともとガーゴイルっていうのは、西洋建築で屋根に置かれて雨どいの役割をする彫刻のことを言うらしいの。だから、形はいろいろなものがあったみたいだけど、悪魔の形をしているのが多いみたい」
「へぇ。なんで悪魔なんだろうね」マイカはカレーを食べる手をとめ、ペットボトルの水を一口飲んだ。
「さぁ……。画像を検索しても、ほら、悪魔の形をしたのばっか出てくる」
リナは、スマートフォンのブラウザでガーゴイルの画像を検索し、マイカにも見えるようにテーブルの中央に置いた。マイカは、そんなものを見せられてもと思いながら、仕方なくリナのスマートフォンの小さなディスプレイにちらりと目をやった。すると、思いの外ピンとくるものがあったので、目を見開き、テーブルに身を乗り出して興味深く観察した。
「そうそう!こんな感じ!」マイカの声のトーンが上がった。
「やっぱり!そうなんだ!」リナはどうだという顔でマイカに言う。
「この高いところにいる感じも似てる!……あれ、ガーゴイルっていうんだ」マイカはリナのスマートフォンのディスプレイをスクロールしながら言う。
悪魔が高所から、翼の生えた背中を曲げて、前かがみになりながら街を見下ろしている様が、夢に出てくる石の悪魔によく似ていた。しかし、それらを見てマイカには納得できないことがひとつあった。夢中になって画面をスクロールしているうちにしかめ面になっていくマイカを見て、リナは首をかしげた。
「なんかちがう?」
「うん。姿形は似ているけど、顔が違うよ。こんな猿みたいな顔じゃない」
どの画像のガーゴイルも、頬のこけた顔でやせ形の体型であったことが、マイカには引っかかった。夢に出てくる石の悪魔は、ガーゴイルであることは間違いないが、もっと顔は可愛らしく哀愁が感じられた。
マイカは、そのままリナのスマートフォンのブラウザで「シーサー」と画像検索をした。
「あ!やっぱ顔はこっちの方が近い!」
今度は、マイカがリナにスマートフォンのディスプレイを見せるように、テーブルの中央に置く。
「これって沖縄の?シーサー?」リナが訊く。
「そうそう。でもこんなおっかない表情じゃなかったな。もっとシーサーをマヌケにしたような感じかなぁ」
「マヌケなシーサー?」リナが想像して笑った。
「しかも見て!」とマイカはディスプレイを指差して言った。「屋根の上に居るシーサーもいるよ!」
「ほんとだ」
意外な共通点に、リナとマイカは顔を合わせて笑った。
「じゃあ、結局あなたの夢に出てくるのはガーゴイルなの?それともシーサー?」
ひとしきり笑ってリナがマイカに訊いた。
「あれはガーゴイルだよ!」マイカが即答した。「顔だけマヌケなシーサーなだけで。シーサーって体は犬みたいだし、翼は生えてないでしょ?」
実際、マイカは、石の悪魔がガーゴイルだという確信をもてたが、リナがせっかく見つけてくれたのだから、それを認めたいという思いも強かった。
「そうか、あれはガーゴイルっていうんだ。ガーゴイルね」
マイカはリナの手柄だと言わんばかりに、その名を何度も口にした。リナも得意げな表情で、またカレーを食べ始めた。
「明日も学校行けそう?」リナは、ガーゴイルの件が解決したので、唐突に話題を変えてきた。
リナに学校のことを聞かれ、マイカは一瞬作倉のことが頭に浮かんだ。そして考え込むように押し黙ってしまった。
リナはいきなりマイカがふさぎこむようにしたので、何も言わずにマイカの顔を下から覗き込んだ。しかし、それでもマイカは黙って一点を見つめていたので、とうとう声をかけた。
「どうしたの?」
リナの声にマイカはハッとした。
「あ、ごめん……!」マイカはドギマギしながら答えた。「明日行くよ!もちろん行くよ!ほら、もう食欲もあるし。これで学校に行かないだなんてズル休みになっちゃう」
マイカは作倉にあの夢の世界のことを追求せずにはいられなかった。作倉があの夢の世界に関わっている可能性は大いにありそうだ。
――明日はしらばっくれても、容赦しないんだから。
マイカは、あの夢の世界とは決別したかった。あんなひどい目に会うなら、もうあの世界には訪れまいという強く思っていた。しかし、夢をコントロールすることなどできない。 もし、またあの世界に行ってしまったらと思うとマイカは気持ちが沈んだ。
せっかく、姉がガーゴイルのことを教えてくれたけど、あのガーゴイルを思い出すと、その背後に現れたあの怪物も無慈悲なほどに頭をよぎる。マイカのあの世界への興味は、さっきの夢でリセットされてしまった。
「ねぇ、お姉ちゃん」とマイカはカレーを食べ終わろうとしていたリナに言う。「今日、お姉ちゃんのベッドでいっしょに寝ていい?」
「え~!?」とリナは大げさに驚いて見せた。「馬鹿にお子ちゃまじゃない!」
「ダメ?」消え入りそうな声だ。
「いいけど、珍しいわね。さっきよほど怖い夢を見たのね。」
リナがそう言うと、マイカはさっと立ちあがって「じゃあ、先に寝てるね。」とだけ言って、食べ終わった容器とスプーンをキッチンの流しに置いて、自分の部屋に引きあげた。
リナは、普段クールなマイカが意外にもかわいらしい申し出をしたので、すこし驚いたが、ちゃんと頼られているのだと感じ、自然と笑みがこぼれた。
マイカは、先にリナの部屋のベッドに入っていた。電気を消して眠ろうと試みるが、結局リナが来るまで、一時間程眠れずにいた。あの世界にひとりで行くのが怖かった。
リナがベッドに入ってくると、マイカは安堵し、急に眠気が襲ってきた。姉といっしょならば、マイカはまたあの夢の世界に行ったとしても、大丈夫な気がした。
――きっと、またお姉ちゃんが助けてくれる。
マイカは姉の温もりの心地よさの中で、すぐに寝入ってしまいそうだった。だが、ふと明日のことを考えてしまい、何かを思い出したように、ベッドから上半身を起こした。
「どうしたの?」リナが眠たそうな声で訊く。
「ちょっと、今日の復習やらなきゃ!」
マイカは、明日も数学の授業があることを思い出した。作倉に隙を与えないためにも、今日の数学の授業での理解不足を補っておかねばと思った。作倉と闘うなら、あらゆる面で万全の準備をせねば。
マイカは、30分ほど自分の部屋で数学の復習をして、すぐにリナの部屋に戻ってベッドに潜った。
結局、マイカはこの晩、あの夢の世界を訪れずに朝を迎えることができた。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】ドアマットに気付かない系夫の謝罪は死んだ妻には届かない
堀 和三盆
恋愛
一年にわたる長期出張から戻ると、愛する妻のシェルタが帰らぬ人になっていた。流行病に罹ったらしく、感染を避けるためにと火葬をされて骨になった妻は墓の下。
信じられなかった。
母を責め使用人を責めて暴れ回って、僕は自らの身に降りかかった突然の不幸を嘆いた。まだ、結婚して3年もたっていないというのに……。
そんな中。僕は遺品の整理中に隠すようにして仕舞われていた妻の日記帳を見つけてしまう。愛する妻が最後に何を考えていたのかを知る手段になるかもしれない。そんな軽い気持ちで日記を開いて戦慄した。
日記には妻がこの家に嫁いでから病に倒れるまでの――母や使用人からの壮絶な嫌がらせの数々が綴られていたのだ。
断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。
もしかして寝てる間にざまぁしました?
ぴぴみ
ファンタジー
令嬢アリアは気が弱く、何をされても言い返せない。
内気な性格が邪魔をして本来の能力を活かせていなかった。
しかし、ある時から状況は一変する。彼女を馬鹿にし嘲笑っていた人間が怯えたように見てくるのだ。
私、寝てる間に何かしました?
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
貧乏男爵家の末っ子が眠り姫になるまでとその後
空月
恋愛
貧乏男爵家の末っ子・アルティアの婚約者は、何故か公爵家嫡男で非の打ち所のない男・キースである。
魔術学院の二年生に進学して少し経った頃、「君と俺とでは釣り合わないと思わないか」と言われる。
そのときは曖昧な笑みで流したアルティアだったが、その数日後、倒れて眠ったままの状態になってしまう。
すると、キースの態度が豹変して……?
七日後に神罰が落ちる。上層部は「下を切り捨てろ」と言った——私は全員を逃がす
蒼月よる
ファンタジー
七日後、この港に神罰が落ちる。
追放された元観測士イオナだけが、その事実を知っていた。
しかも災害は自然現象ではない——誰かが、意図的に引き起こそうとしている。
港の上層部はすでに手を打っていた。「下層区画を緩衝被害区として切り捨てる」秘密契約。被害を最小限に見せかけ、体制を守る冷徹な計画だ。
イオナは元護送隊長ガルム、荷運び組合長メラとともに動き出す。
犯人を暴き、証拠を公開し、住民を逃がし、工廠を止める——すべてを七日で。
被害を「選ぶ」管理か、全員を「残す」運用か。
追放観測士の、七日間の港湾カウントダウン・サスペンス。
この作品は以下の箇所にAI(Claude Code)を利用しています。
・世界観・設定の管理補助
・プロット段階の壁打ち
・作者による執筆後の校正
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる