イセリック/クワイエット・テラー

@etheric

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クワイエット・テラー

容赦ない闇 Ⅲ

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「マイカ!ちょっと!マイカ」

 姉の声で、マイカは目を覚ました。目を覚ました瞬間は、まだ水中にいるのかと思い、息が荒くなっていた。心配そうに自分の顔をのぞき見る姉の顔を見てようやく、助かったのだと思った。全身が汗でびっしょり濡れている。

「お姉ちゃん」マイカは涙ぐんで言った。「私、助かったんだ」

「もう」リナは目に涙を溜めているマイカの頭を優しくなでた。「こわい夢見たの?」

 マイカが何も言わずにうなずいて、上半身を起こした。

「帰ってきて様子見に来たら、すごくうなされているからびっくりしちゃったじゃない」  リナは真剣な表情で言う。「今日、学校平気だった?無理したんじゃないの?」

「大丈夫だよ。」マイカは目にたまった涙をぬぐって言った。「お姉ちゃんの顔見たら安心しちゃって」

 マイカは安堵の笑みを浮かべた。リナも優しく微笑み返す。

 リナは、朝出て行ったときと同じ格好をしていた。おそらく、帰ってきて間もないのだということは分かった。

「まだ夜?今何時?」マイカが言った。

「夜の八時だよ」リナが答える。

 マイカにとっては、思ったより寝ている時間は短かった。マイカの感覚では、朝でもおかしくないぐらい眠っていた気がした。汗をいっぱいかいたせいか、頭痛はおさまっていて、吐き気もない。あんな夢を見た後だったが、体は正直で、空腹感もある。

 おあつらえむきにリナが言う。

「お腹空いてる?今日はあなたあんまり食べないと思ったんだけど、一応買ってきちゃった」リナの右手には近所のカレー店のビニール袋が握られていた。スパイスの効いた香りが漂ってくる。大きさから二人分しっかり入っているようだ。

「うん。食べる」マイカは即答した。食欲が出てきて回復しているという実感があった。

「そう。じゃあ、居間にいらっしゃい。私もシャワーあびて着替えちゃうから」そう言ってリナは部屋を出て行った。

 マイカは、ベッドからすぐには出られなかった。まだ心臓が強く脈を打っている。トラウマになりそうな夢だった。最悪なことに、その内容は鮮明に覚えている。マイカは、思い出してまたふとんをかぶって横になった。

 ふとんの中で、夢の中で起きたことについて考える。

――お姉ちゃんが起こしてくれなかったら、私どうなってたんだろ?

 暗く寂しい海中に落とされた時の息苦しさの感覚が蘇ってくる。同時に、仄暗い深淵で、浮かび上がることなくもがき苦しみ続ける自分の姿が頭に浮かぶ。なすすべなく、終わりを待つしかない絶望的状況を思い出して、マイカは血の気が引いた。

――あの怪物たちは何?私を殺しに来たの?

 マイカの脳には、怪物たちの巨大で不気味なシルエットが焼き付いていた。思いだしたくなくても、思い出してしまう。そして、忘れたくても忘れられないだろう。

――もうあんな世界こりごり!

 あの怪物たちのせいで、もうあの世界に行きたくないという気持ちがマイカに芽生える。マイカにとって、あの世界は興味深くて魅力的なものではなくなってしまっていた。

――きっと、あの作倉って先生のせいだ。

 マイカは、作倉に出会ってしまったことで、どんな作用が働いたかは全く見当もつかないが、あの世界に変化がもたらされたと考えた。確信はもてないが、きっとそうだ。自分に何かを隠しているのも怪しい。より一層、作倉への不信感が募っていく。

――金髪のお姉さん、どうしちゃったんだろ。

 マイカは、あの場所に金髪の女性が来なかったこも気にかかった。自分を助けに来てくれなかったことを恨んでいるわけではない。マイカにはもっと恐ろしい可能性が頭に浮かんでいた。

 それは、金髪の女性もあの影の怪物たちの餌食になってしまったのではないかという可能性だ。そんなことは考えたくないが、どうしてもネガティブな方向へ意識が向いてしまう。

――もしかして、みんな、あの怪物たちに……?

 金髪の女性もフードの少女も、青髪の少女も。幼いころから、自分の心に寄り添ってくれた大事な存在。それらが失われてしまったかもしれないと思うと、マイカはどうしようもなく寂しい気持ちになった。

――無事でいてくれるといいけど……。

 マイカは、あの怪物たちに襲われてから、弱気になっていた。あの醜く変容してしまった世界への恐怖がマイカの心に張り付いて離れなかった。

 マイカはベッドから出て、汗でびしょびしょになった寝間着を着替える。まだ生温かい汗で濡れた下着と服は、あの暗い深淵にいるような感覚を呼び起こさせて、気分が悪かった。

 居間に行くと、リナがシャワーを終えて、カレーを食卓の上に用意してくれていた。マイカとリナは、いつものように向かい合って座った。カレーは、人気チェーン店で買ったオーソドックスな甘口のものだった。リナはマイカが甘口を好むので、それを選んでくれたのだろう。だからといって自分まで甘口にしなくていいのに、とマイカは思った。

「さぁ、食べましょう。」

 リナが言うと、マイカは小さくうなずき、付いてきたプラスチックのスプーンでカレーのルーの部分とライスを黙って混ぜ始めた。

「まだ調子悪い?」リナが心配そうに言う。

「ううん、だいぶよくなったよ」マイカが顔をあげて答える。

「なんか心ここにあらずって感じだったから」リナはそう言って、カレーをすくってすすった。

「ごめん、ごめん。お腹空いてたから、つい無言になっちゃった」

 マイカは気分が落ち込んでいるのをリナに悟られてはいけないと、元気を装った。体のほうなら、確かに元気になっているはずなので嘘はついていない。マイカは、ほどよくルーの部分とライスが混ざると、スプーンで次々と口に放り込む。

「早食いは太るよ」リナがニヤニヤしながら言う。

「カレーっておいしいけど、ペロっていっちゃうところがねえ」

 マイカはいったんスプーンを置いて言った。冷蔵庫へ水を取りに立ち上がると、リナは「そうそう」と何かを思い出したかのように言った。

「あなたが夢で見たって言う悪魔の石像のことなんだけど」とリナは切り出すと、マイカはドキっとした。今はあの夢のことを思い出したくなかった。マイカがミネラルウォーターのペッドボトルをもってテーブルに戻ってくると、リナは容赦なく続けた。

「あれね、私の同僚にファンタジー好きって人がいたから聞いて見たのよ。そしたら、それはきっとガーゴイルだって言うのよ」

「ガーゴイル…なんか聞いたことあるようなないような……」マイカは何かの本か映画でその言葉に聞き覚えがある気がした。

「それで私、仕事中にこっそり、そのガーゴイルのことをネットで調べたのよ」

 リナが嬉々として話す。

「なんか、もともとガーゴイルっていうのは、西洋建築で屋根に置かれて雨どいの役割をする彫刻のことを言うらしいの。だから、形はいろいろなものがあったみたいだけど、悪魔の形をしているのが多いみたい」

「へぇ。なんで悪魔なんだろうね」マイカはカレーを食べる手をとめ、ペットボトルの水を一口飲んだ。

「さぁ……。画像を検索しても、ほら、悪魔の形をしたのばっか出てくる」

 リナは、スマートフォンのブラウザでガーゴイルの画像を検索し、マイカにも見えるようにテーブルの中央に置いた。マイカは、そんなものを見せられてもと思いながら、仕方なくリナのスマートフォンの小さなディスプレイにちらりと目をやった。すると、思いの外ピンとくるものがあったので、目を見開き、テーブルに身を乗り出して興味深く観察した。

「そうそう!こんな感じ!」マイカの声のトーンが上がった。

「やっぱり!そうなんだ!」リナはどうだという顔でマイカに言う。

「この高いところにいる感じも似てる!……あれ、ガーゴイルっていうんだ」マイカはリナのスマートフォンのディスプレイをスクロールしながら言う。

 悪魔が高所から、翼の生えた背中を曲げて、前かがみになりながら街を見下ろしている様が、夢に出てくる石の悪魔によく似ていた。しかし、それらを見てマイカには納得できないことがひとつあった。夢中になって画面をスクロールしているうちにしかめ面になっていくマイカを見て、リナは首をかしげた。

「なんかちがう?」

「うん。姿形は似ているけど、顔が違うよ。こんな猿みたいな顔じゃない」

 どの画像のガーゴイルも、頬のこけた顔でやせ形の体型であったことが、マイカには引っかかった。夢に出てくる石の悪魔は、ガーゴイルであることは間違いないが、もっと顔は可愛らしく哀愁が感じられた。

マイカは、そのままリナのスマートフォンのブラウザで「シーサー」と画像検索をした。

「あ!やっぱ顔はこっちの方が近い!」

 今度は、マイカがリナにスマートフォンのディスプレイを見せるように、テーブルの中央に置く。

「これって沖縄の?シーサー?」リナが訊く。

「そうそう。でもこんなおっかない表情じゃなかったな。もっとシーサーをマヌケにしたような感じかなぁ」

「マヌケなシーサー?」リナが想像して笑った。

「しかも見て!」とマイカはディスプレイを指差して言った。「屋根の上に居るシーサーもいるよ!」

「ほんとだ」

 意外な共通点に、リナとマイカは顔を合わせて笑った。

「じゃあ、結局あなたの夢に出てくるのはガーゴイルなの?それともシーサー?」

 ひとしきり笑ってリナがマイカに訊いた。

「あれはガーゴイルだよ!」マイカが即答した。「顔だけマヌケなシーサーなだけで。シーサーって体は犬みたいだし、翼は生えてないでしょ?」

 実際、マイカは、石の悪魔がガーゴイルだという確信をもてたが、リナがせっかく見つけてくれたのだから、それを認めたいという思いも強かった。

「そうか、あれはガーゴイルっていうんだ。ガーゴイルね」

 マイカはリナの手柄だと言わんばかりに、その名を何度も口にした。リナも得意げな表情で、またカレーを食べ始めた。

「明日も学校行けそう?」リナは、ガーゴイルの件が解決したので、唐突に話題を変えてきた。

 リナに学校のことを聞かれ、マイカは一瞬作倉のことが頭に浮かんだ。そして考え込むように押し黙ってしまった。

 リナはいきなりマイカがふさぎこむようにしたので、何も言わずにマイカの顔を下から覗き込んだ。しかし、それでもマイカは黙って一点を見つめていたので、とうとう声をかけた。

「どうしたの?」

 リナの声にマイカはハッとした。

「あ、ごめん……!」マイカはドギマギしながら答えた。「明日行くよ!もちろん行くよ!ほら、もう食欲もあるし。これで学校に行かないだなんてズル休みになっちゃう」

 マイカは作倉にあの夢の世界のことを追求せずにはいられなかった。作倉があの夢の世界に関わっている可能性は大いにありそうだ。

――明日はしらばっくれても、容赦しないんだから。

 マイカは、あの夢の世界とは決別したかった。あんなひどい目に会うなら、もうあの世界には訪れまいという強く思っていた。しかし、夢をコントロールすることなどできない。  もし、またあの世界に行ってしまったらと思うとマイカは気持ちが沈んだ。

 せっかく、姉がガーゴイルのことを教えてくれたけど、あのガーゴイルを思い出すと、その背後に現れたあの怪物も無慈悲なほどに頭をよぎる。マイカのあの世界への興味は、さっきの夢でリセットされてしまった。

「ねぇ、お姉ちゃん」とマイカはカレーを食べ終わろうとしていたリナに言う。「今日、お姉ちゃんのベッドでいっしょに寝ていい?」

「え~!?」とリナは大げさに驚いて見せた。「馬鹿にお子ちゃまじゃない!」

「ダメ?」消え入りそうな声だ。

「いいけど、珍しいわね。さっきよほど怖い夢を見たのね。」

 リナがそう言うと、マイカはさっと立ちあがって「じゃあ、先に寝てるね。」とだけ言って、食べ終わった容器とスプーンをキッチンの流しに置いて、自分の部屋に引きあげた。 

 リナは、普段クールなマイカが意外にもかわいらしい申し出をしたので、すこし驚いたが、ちゃんと頼られているのだと感じ、自然と笑みがこぼれた。

 マイカは、先にリナの部屋のベッドに入っていた。電気を消して眠ろうと試みるが、結局リナが来るまで、一時間程眠れずにいた。あの世界にひとりで行くのが怖かった。

 リナがベッドに入ってくると、マイカは安堵し、急に眠気が襲ってきた。姉といっしょならば、マイカはまたあの夢の世界に行ったとしても、大丈夫な気がした。

――きっと、またお姉ちゃんが助けてくれる。

 マイカは姉の温もりの心地よさの中で、すぐに寝入ってしまいそうだった。だが、ふと明日のことを考えてしまい、何かを思い出したように、ベッドから上半身を起こした。

「どうしたの?」リナが眠たそうな声で訊く。

「ちょっと、今日の復習やらなきゃ!」

 マイカは、明日も数学の授業があることを思い出した。作倉に隙を与えないためにも、今日の数学の授業での理解不足を補っておかねばと思った。作倉と闘うなら、あらゆる面で万全の準備をせねば。

 マイカは、30分ほど自分の部屋で数学の復習をして、すぐにリナの部屋に戻ってベッドに潜った。

 結局、マイカはこの晩、あの夢の世界を訪れずに朝を迎えることができた。
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